書評 (2) 『アルコール依存に負けずに生きる』

書評の第二回をお届けします。今回はAAメンバーのミック・Sの『アルコール依存に負けずに生きる――経験者が語る病理の現実と回復の希望』です。(第一回はアーネスト・カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』でした)。

『心の家路』がかつて目指したところ

英語版のビッグブックは、毎年100万部を売り上げているのだそうです。1)

英語版の数字と比べると全然大したことありませんが、日本語版のビッグブックは年間2,500部ほどです。以前は年間3,000部を超えていたのですが、やや減りました。それでも、日本で出版されている依存症の書籍の中で、最も売れている本の一つだと思われます。ひょっとするとナンバーワンかも知れません。単年度ではもっと部数の多い本はあるでしょうが、コンスタントにこれだけの部数が売れ続けている依存症の本は他にはなかなかないでしょう。(もちろん、僕が知らないだけかも知れませんが)。――ちなみにミーティング・ハンドブックは本じゃなくてパンフレットです。

ビッグブックの優れた点は――12ステップのテキストであるだけでなく――アルコホリズム(アルコール依存)という病気について詳しく書かれていることです。その情報はアディクション全般を理解するためにも役立ちます。また、回復には何が必要かも書かれています。しかしながら、ビッグブックが依存症やそこからの回復を理解するために広く使われているかというと、それはやや心許ないのが現実です。

そこで、ビッグブックを材料に、アルコホリズムと回復について説明するサイトを作ることを考えました。実際に『心の家路』を2004年頃リニューアルしたときには、それに挑戦しました。しかし当時の僕があまりに不勉強だったために、自分でも不満足なコンテンツしか作れませんでした。その不満足なものを世間にさらしながら、いつかは全面リニューアルして、そのアイデアを実現したいと思いつつも、ずるずると先延ばしし、月日が過ぎていきました。そうやって15年が経過し、2019年になってようやく全面リニューアルに着手しました。

ところが、『家路』の新コンテンツ作成は、開始早々に方針転換を迫られることになりました。それは、今回紹介するミック・Sの著書『アルコール依存に負けずに生きる――経験者が語る病理の現実と回復の希望』ナカニシヤ出版から出版されたからでした。これを読み、その内容こそ自分が実現したかったものであり、しかも自分が同じようなものを書いたところで彼以上のものは書けない、ということを理解したとき、当初の目標を諦めて別の方向へ転じるほかありませんでした。――『家路』が、ビッグブックから12ステップを学ぶというニッチなところを狙っているのは、そんな事情からです。そして、元々実現したかったことは、この本を紹介することでそれに代えようと考えました。しかし、それすらずるずると先延ばししてしまい、気がつけばもう2021年ではありませんか。出版されてから2年以上が経過し、もはや新刊とは呼べなくなってしまいました。(まあ献本してもらったわけではなく、自腹で本を買って評を書いているので、遅くなったとて不義理をしたことにはならないでしょうが)。

『アルコール依存に負けずに生きる――経験者が語る病理の現実と回復の希望』

自分を語るのではなく

ミック・S氏は本書執筆時点で68才。オーストラリアに生まれ、アメリカの大学へと進学し、大学院に進んで専門的な資格を得ました。まもなく来日し、専門職および大学教員を長く務めた後に定年退職し、本書を執筆しました。酒を初めて飲んだのは18才の時でしたが、アメリカ滞在中にアルコールの問題が生じ、やがて明らかなアルコホーリク(アルコール依存症者)となりました。酒をやめたのは25才の時だったそうです。だから、彼が日本にやってきたときには、すでに酒をやめ、AAに加わっていたわけです。

彼が来日したのは、ちょうど日本のAAが始まる頃でした。日本のAAは、人々が集まって「ではこれからAAを始めましょう」と言って始まったわけではありません。断酒会の人たちと一緒にやっていた集まりから、次第にAAという形を整えていったわけで、明確な始まりを持ちませんでした。だから、「いつ日本でAAが始まったことにしようか」と後から考えて、東京蒲田でステップミーティングが始まった1975年3月を日本のAAの創始としよう、と決めたわけです。1975年3月時点のAAミーティングスケジュール表を見ると、東京近辺ですでに週に十数回のミーティングが開かれていたことがわかります。2)・・・話が逸れましたが、ミックが来日したのはその前年でした。

僕は彼と親しいわけではありません。同じAAメンバーだという以上のつながりはありません。ミーティングも一回だけ一緒したことがあるだけであり、他は彼が壇上で話しているのを聞いたことが二回あるぐらいです。知的な職業に就いているのだろうとは想像していましたが、大学教員だとは知りませんでした。何が専門なのかは知りません。彼と親しいからこの本を勧めているのではなく、優れた本だから勧めているということをご理解いただきたいのです。

前書きに述べられているとおり、この本は科学的な調査や研究の成果を紹介する本ではなく、アルコホーリク本人が依存症の病理と回復を体験を元に語るものです。しかしながら、時系列に沿って体験を語る自叙伝という形式は取っていません。彼が読者に伝えたいのは、自分自身や自分の人生についてではなく、(副題にあるように)依存症の病理の現実と回復への希望なのでしょう。

依存症の本人や家族の体験本は、数多く出版されています。それは素晴らしいことなのですが、読み手としては少々うんざりするところもあります。そうした体験本を書く人たちは、依存症と回復について多くの人に知らしめるという理想を持って書き始めるのでしょうが、現実には自分とか自分の人生を語る部分が増えてしまいます。たぶん、そうしたほうが体験談に人間味が増し、親しみや好感が持てる本に仕上がるのでしょう(そしておそらく売り上げにもつながる)。しかしそれで読者の心に残るのは、筆者なり筆者の人生であって、依存症の現実ではなかったりするのです。まして中には、自分、自分と、自分語りが強い本もあって、そんな本にぶつかってしまうと僕はすぐにページを閉じて、処分する本の山へと放り投げてしまうのです。AAのミーティングでは自分語りに浸る人がいても聞き流せるのに、なんで活字になるとダメなのか自分でも分かりませんが。

ミックは、自分自身の体験に加えて、ビッグブックに登場する人物ビル・Wドクター・ボブやその他のAAメンバー)の体験を適宜引用し、それらに解説を加えて、依存症の病理を一つひとつ説明してくれます。だからこの本は、体験本ではなく、教科書あるいは教養書なのでしょう。その構成には、おそらく彼の教員としての経験が活かされていると思われます。学び手に分かりやすいように情報を整理して提示するのは簡単なことではありませんが、この本が専門書を書き慣れた人の作であることは判ります。

だから、ミックという人物が知りたくてこの本を読んでも、その期待は裏切られてしまうかもしれません。彼が読者に伝えたいのは、依存症の病理の現実と回復への希望なのですから。自分を前面に出さないという点では、まさに謙虚な人なのです。

病理と回復を伝える

冒頭には、彼の依存症が進行し悪化していく様子が書かれています。飲酒のコントロールが次第に失われていく様子が数ページにわたって描写されています。それは、自分自身から一歩離れて過去の自分を冷徹に観察する目がなければできないことであり、他書ではなかなか読めない興味深い部分です。

彼は父親がアルコホーリクであり、そのために彼はこの病気について学び、自分がアルコホーリクにならないように十分用心していました。にもかかわらず、成人後に気がつけば自分がアルコホーリクになっていたわけです。彼が学んだ知識は、依存症を予防する役には立たなかったことになります。それだけでなく、そうした予備知識は、彼が自分がアルコホーリクであることを認める妨げにすらなってしました。しかしながら、彼が若くして回復できたのは、知識が役に立ったからだといいます。

依存症の家族会では「なぜ酒を止められないのか」という問いがしばしば発せられます。この本でもミックは「なぜ断酒は難しいのか」という項目に多くのページを割いています。例えば、アルコール依存症者は自分の飲酒をどのように正当化しているのか(まさに病理)というあたりは、ぜひ依存症ではない人に読んでもらいたい部分です。

多くの人の関心を呼びそうなのは、回復についての章です。カール・ユングからローランド・ハザードエビー・T、ビル・WへというAA創始の一連の流れを説明した上で、飲まないでいるには他のアルコホーリクを助ける活動が不可欠だというAA共同体の重要な側面に触れています。しかし彼は、12ステップや霊的スピリチュアルという側面を強調することを(おそらくは意図的に)避けています。むしろ、回復するためにはそれらによってアルコホーリクに本人にどんな変化が起こらねばならないかを述べています。それも、謙虚とか正直といったAAジャーゴンを使うことを避け、一般の人に分かりやすい言葉を選んで説明しています。

ミックは自分がキリスト教徒であることを明らかにしています。彼のアメリカ滞在の時代は、ベトナム戦争 の時期でもありました。最初は宗教的保守反共の立場から戦争に賛成していたのが、やがて反戦運動に身を投じました。その中で、宗教や信仰に対する疑いを持つようになりました。あるとき彼は、ヒッチハイクでの移動中にハリケーンに襲われ、鉄橋の下で一夜を過ごすことになりました。(嵐の中、橋の下で孤独な一夜を過ごすというのは運命的です)。そこで彼は「愛の神」についての自分の考えを整理することになりました。その後しばらくして、彼の酒は止まるのでした。ミックは、回復と信仰を関連付けて語ってはいません。しかしながら、AAの内外にいるであろう、信仰を持ちながらもアルコホーリクになってしまい、迷いの中にある人たちにとって、この部分は何らかのヒントになるのではないかと思われます。

本の後半は、二つの項目に割かれています。一つは「周囲の人たち」のための章で、家族などが依存症の本人をどのように手助けしたら良いかが書かれています。依存症という病気が家族にどんな影響を与えるかを概説した上で、家族が本人にどう関われるのか(イネイブリングを避けることや介入の方法など)をコンパクトに分かりやすくまとめています。さらに、もう一つは、ネット・ゲーム依存にアルコール依存の経験を活かそうという章で、その有用性についてはこれから評価されることになろうかと思いますが、他者を手助けすることがアルコール以外の依存の回復にも役に立つだろうという考えは、僕も支持します。

無名にとどまる

フルネームを使わず、ミック・Sという著者名で本を出すのは大変だったようです。おそらくフルネームであれば引き受けてくれる出版社は容易に見つかったのではないかと思われますが、事情を説明すると何社も断られ、最終的にナカニシヤ出版 から出版されることになったのだそうです。そのような定評ある出版社から出されたことは何よりだと思います。また、そのようにアノニミティ(無名性)というAAの原則を守る努力をされたミック・S氏にも、そしてそれを理解して出版してくださった出版社にも賛辞をおくりたいところです。

アルコール依存に勝つのではなく、負けずに生きるというタイトルが良いセンスだと評した方がいましたが、僕も同意見です。

依存症についての医学的な本や、本人や家族の体験本はたくさん出されています。しかし依存症の病理について、情報を整理して伝えてくれる良書はこれまでにありませんでした。また、AAなどのグループがもたらす回復について、分かりやすい言葉で的確に説明しくれる本もなかなかありませんでした。その意味でこの本は、「これまでになかった一冊」と言えます。

もし、将来公認心理師や精神保健福祉士になることを目指している学生さんから、依存症の病理と回復について学ぶには、どの本を読めば良いかと問われたら、ぜひこれをとお薦めしたい本です。すでに医療・心理・福祉・教育などの分野で働かれている方で、依存症に興味を持たれた方にもお薦めしたい。

アルコホーリクのために、AAのために、また依存症で苦しむ多くの人のために、貴重な一冊を世に出してくださったことに対して、ミック・S氏に、そして出版に携わった多くの方に感謝をお伝えしたい。どうも、ありがとうございます。


  1. AA, 25 Millionth Alcoholics Anonymous ‘Big Book’ To be Given in Gratitude to Warden of San QuentinAlcoholics Anonymous (aa.org), AAWS, 2005[]
  2. AA日本20年の歩み編さん委員会編『いくたびもの出会いを重ねて――AA日本20年の歩み』, 1995, pp.10-11[]

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Posted by ragi