12ステップのスタディ (15) 情報整理 1
このブログは Google Analytics でアクセスを分析しています。ときどき「新しい連載は人気ありますか?」と聞かれます。まだ始まったばかりですが、データからは、各回とも150~200人程度の人が読みにいらしていることが分ります。これは前の連載に比べるとかなり減っています。前の連載も終わりの頃はずいぶん読者が減ったと思っていたのですが、最近改めて Google Analytics を見てみると、各回とも350~500人ぐらいはアクセスがありました。それに比べると半分程度まで減ったことになります。ただ、前の連載も、今回の連載も、「ユーザーあたりのビュー」がしばしば2を越えています。つまり一人の人が何度も同じページを見に来ていることを意味します。これはこれで興味深いデータです。
さて、この連載も15回に達しました。回数が増えてくると、過去の回の情報を忘れてしまいがちなので、ときどき情報のまとめを挿入しようと思います。今回は共同体の創始に関するものです。
誰がどのように始めたのか
これまで、AA・NA・OA、そして性関係の共同体の始まりを見てきました。図らずもその途中でGAやDAの成立についても簡単に触れました。
OAとSAAという例外を除けば、ほとんどの12ステップグループは、すでにAAメンバーとなっていた人たちがスタートさせたものでした。そのようなAAメンバーのことをブリッジメンバーと呼びます。ブリッジメンバーたちは、すでにAAでの経験がある、というアドバンテージがありました。
他方、OAとSAAの創始者は、経験がなかったので他の12ステップグループのメンバーのサポートを受けました。そのサポートは二種類あり、一つは共同体運営のノウハウの伝達でした。例えば、OAの創始者ロザンヌ・Sの相談に乗っていたGAの創始者ジム・Wは、OAのミーティングが単なる「おしゃべり女子会」にならないようにするにはどうすれば良いかをロザンヌに教えました。1) もう一つは、創始者自身がステップに取り組んで回復するために必要なスポンサーシップがAAメンバーなどから提供されました。OAの場合も、SAAの場合も、創始者がステップに取り組んだのは、グループが始まってから何年も後になってからでした。
興味深いのはSAの創始者ロイ・Kの場合で、彼は「AAメンバーになるために酒をやめた」と書いていることです。2) 彼の問題は性であって、アルコールではなかったのですから、彼はアルコホーリクではなかったはずです。それでも彼は「AAメンバーになるのが手っ取り早い」と思ったのでありましょう。AAには彼のようなアルコール以外の問題を解決しに来ている人たちが混じっているのは公然の秘密だと言えます。
すべてのグループが発展するわけではない
新しく誕生した12ステップグループがすべて世界的な共同体に成長するわけではありません。そうなるのは一握りで、大多数は発展することなく消えていきます。NAやOAの歴史の中で少し触れましたが、同じジャンルで同じ目的で始められながら、数年から十数年で消失したグループがいくつもありました。もっと短期間しか存続できずに記録に残らなかったものを含めれば、どのジャンルでも、無数の試みがあったはずです。その構図は、毎年多くのベンチャービジネスが起業されても、多くは続かず、世界的な企業になるのは一握りであるのに似ています。自助グループは基本的には「続かないもの」なのです。
AAの BOX-916 という機関誌を見れば、ほとんどすべての号の巻末に新グループ発足の案内と、グループの解散や活動休止の案内が載っています。個々のグループには寿命があり、永遠には続かず、必ず消滅の時が来ます。AAはグループ数が多いので、AAグループがいくつか消滅しても、総体としてのAAは存続します。しかし、一つしかグループがなかったならば、そのグループの消滅は、共同体の消滅を意味します。
では、消えていった共同体と発展した共同体の違いは何でしょうか? そのすべての条件を洗い出すことはできません。しかし、この連載から見えてきたこともあります。
発展と存続のために必要なもの1「サービス機構」
一つは、サービス機構の存在です。最初は創始者の始めたグループが一つ存在するだけですが、回復のメッセージを伝える活動を続けていると、いずれ各地にグループが増えてきます。そうした複数のグループをまとめて全体を一つの団体として活動させるための仕組みが必要になります。その仕組みのことをAAはサービス機構(service structure)と呼んでいます。どの程度のサービス機構が必要になるかはグループの数にもよりますが、機関誌やニューズレターの定期的な発行、年に一度全国から集まる大会(コンベンション)の開催、全体の意思決定を行うための民主的な全体会議(カンファレンス)の開催、その決定を実行に移すボード(理事会)の組織、資金に余裕があれば事務所(オフィス)を設置、さらに余裕があれば職員(スタッフ)を雇用、財産を保全するためには法人も設立せねばなりません・・・どれもひたすら手間がかかります。
なぜそのような手間をかけるかと言えば、全体を一つの団体としてまとめるサービス機構がなければ、共同体が長続きもしないし、発展もしないからです。一つの生命体のなかで細胞が常に死滅していても、新しい細胞が誕生することでその生命体が生存を続けられるように、一つにまとまることで個々のグループの誕生と死を越えて共同体が存続できるのです。そして、グループ内でのメンバー間の交流が個々のメンバーに対するサポートとして作用するように、グループ間の交流は個々のグループに対するサポートとして作用するというメリットもあります。
発展と存続のために必要なもの2 「文献」
共同体存続のためのもう一つの条件は、文献(literature)の作成です。文献には大きな要素が二つあります。その一つは回復の体験記(ストーリー)です。私たちはミーティングで顔を合わせて話をすることが好みますが、時間や距離や言語の制約によって、対面して体験を分かち合うことが難しい場合、活字メディアを使うのが良いアイデアだと考えられています。AAでもビッグブックの後半はメンバーのストーリーが掲載されています。いくつかの共同体はビッグブックにならって基本テキストの後半をメンバーのストーリー集にしていますが、その先頭に(あるいは巻頭に)長めの体験記を載せるのは創始者に与えられる数少ない特権の一つと言えるでしょう。
文献のもう一つの要素はプログラムの説明です。12のステップや12の伝統の解説に加えて、「プラン」やソブラエティの定義の説明が含められます。時代が下ると新しいグループの作り方やミーティングの進め方、広報活動のやり方なども加えられるようになってきています。こちらにも時間や距離や言語の制約を越えるという目的がありますが、それだけでなく情報を正確に伝えるという目的もあります。省略や歪曲を防ぐためには、情報を「紙に固定する」ことが必要なのです。
しかし、文書化するということは、変更しづらくなることを意味しますし、共同体全体がそれを基準と見なすようになりますから、記述には慎重さが求められます。文献作りは――とりわけその大元となる基本テキスト作りはどこの共同体にとっても手間のかかる大作業です。
そのため、たいていはまずミーティングで読むためのリーフレットや小冊子(meeting readingsと呼ばれる)が作られて使われる期間があり、その後に「私たちの共同体にもテキストが欲しい」という声が大きくなって、テキストが作られることになります。そうやって、プログラムが活字に固定されて、運ばれることで、共同体全体にプログラムが行き渡ります。血液が細胞に栄養と酸素を運ぶように、文献は各グループにプログラムを届けてくれる存在なのです。
自分たちで疾病概念を作り上げる
テキストには、問題と解決の両方を記述する必要があります。AAをモデルとして新しい共同体を始めた場合には、解決は12ステップと霊的目覚めであることは自明です。しかし、新しい共同体が対象としている問題はアルコホリズムではありませんから、新しい共同体のための問題の定義(definition of problem)を作らねばなりません。つまり、その共同体固有の疾患概念(disease concept)を作り上げる必要があるのです。
AAの場合には、シルクワース医師のアレルギー理論をそのまま借用しています。その点では、医学的な疾患概念をそのまま使っていると言えるのですが、このアレルギー理論は当時の医学界でも広く支持されていたわけではありませんでした。E・M・ジェリネク(E. Morton Jellinek, 1890-1963)の『アルコホリズム:アルコール中毒の疾病概念』には、アルコホリズムの様々な疾患概念が取り上げられていますが、アレルギー理論はそのなかでもマイナーな存在で、もしAAがそれを取り入れなかったならば、シルクワース医師の理論は歴史の中で忘れられた存在になっていたでしょう。ではなぜAAがそれを採用したかと言えば、それがアルコホーリク当事者の実体験をよく説明できたからです。(BB, p.xxxiii.) つまり、AAは自分たちのニーズにあわせてアレルギー理論を採用したのです。
NAの場合には、医学的な常識に反して、「すべての薬物に対する嗜癖を同一と見なす」という荒技を繰り出しました。シンナー中毒と覚醒剤と大麻では嗜癖としての実態が異なっていますが、NAはその違いを無視することを選びました。それは、「ある薬物をやめたメンバーが、別の薬物にシフトする」という事態に対処するためであり、麻薬の問題を抱えたメンバーたちが始めたNAが、処方薬などの他の薬物の人を迎え入れるために必要なことでした(第5回)。つまり、NAも自分たちのニーズに合わせて、新たな疾病概念を作ったと言えるのです。
GAやOAの場合には、強迫的ギャンブルや強迫的過食を、アルコールや薬物の嗜癖と同じものとして扱っています(第7回)。 OAの食事計画というコンセプトには、アルコホーリクが飲酒のコントロールを一生取り戻せないように、強迫的オーバーイーターは普通の人と同じ食事ができるようには戻れない、という考えが含まれています(第8回)。 性の共同体は、それぞれに微妙に異なった疾患概念を作り上げました(第14回)。
このように、医学とは一線を画し、医学的な疾患の概念や医療の常識に囚われずに、自分たちのニーズにあわせて疾患概念を作り上げることで、12ステップグループは自分たちの問題を定義し、それを基本テキストに記述してメンバーへの浸透を図ってきました。
医学の概念にとらわれない、ということが最もはっきり現れているのがDAです。DAは、強迫的借金者(compulsive debtor)は借金に対するコントロールを失っているので、一度借金を始めると際限なく借りることになってしまうと説明しています。彼らがそういった自分たちの疾患概念を作り上げる前には、家計の収支のバランスが取れないことや貯金ができないことが問題だと考えていた時期がありました。最終的に強迫的借金という概念を作り上げることで、DAという共同体が成立しました(第13回) 。その時に彼らは、自分たちの疾患概念を医学に承認してもらう必要性など感じていなかったはずです。12ステップの共同体にとっては医学が自分たちの問題を病気と認めるかどうかは「外部の問題(outside issues)」であって、自分たちのイシューではないからです。
基本テキストの巻頭に医学関係者の絶賛の言葉を載せるのは、AAのビッグブックから受け継がれた慣習の一つです。それは医学界が(すくなくともその一部が)自分たちを支持してくれていることを示すためであって、自分たちの問題が医学的に認められていることをアピールするためではありません。
12ステップは医学でも心理学でもない
12ステップグループは、医学や心理学とは違うジャンルの活動だという意識を持たねばなりません。医学は科学ですから、常に新しい発見があり、その発見によってそれまでの概念が変化していきます。また、サービス産業でもある医療は、社会の求めに応じてその守備範囲をしばしば広げてます。12ステップグループが医学に自らを沿わせようとすると、医学・医療の変化に振り回されることになってしまいます。
例えば、AAが始まった頃の医学は、普通の酒飲みには戻れないアル中を相手にしていました。しかし、時代が下ると、アルコール医療はその対象を広げ、コントロールした飲酒に戻れる人も治療対象に含めるようになりました。もし、AAが医学の概念の変化に合わせていたら、そのような節酒・減酒のサポートまで担う羽目になっていたでしょう。しかしAAは自分たちで作り上げたアルコホリズムという疾患概念を維持してきたおかげで、「普通の酒飲みに戻りたいのなら、私たちはお役には立てません」と言って、そういう人たちを追っ払うことができます。そうでなければ、AAはソブラエティという目的から外れてしまい、その有効性を失ってしまったでしょう。AAがその有効性を保てているのは、医学・医療とは一線を画す立場を守り通しているからです。同じ事は、NAやOAなど、他の共同体についても言えます。
しかし当然、医学・医療との良好な関係はAAにとって必要なものですから、AAは疾患概念の違いを社会に対しては強調しないようにしている面もあります。AAメンバーの多くは、アルコール依存症の治療を受けたことがあり、治療プログラムの中でアルコール依存症とは何かという疾病教育を受けたことがあります。そして、AAに入ってから、AAの疾患概念を学んで、その違いを理解していくのです(違いが分らない人も少なくありませんが)。医療関係者でも、AAにある程度接触している人は、医療とAAは問題の定義も、解決の手段も異なっていることを理解してくれています。
医療と協力関係を保ちながらも、明確な線引きをすることは、自助グループにとって必要なことで、それをしないと、たちまち医療の下請的存在になってしまいます。下請けにならずにすんでも、医療の補完や代替として、金にならない部分を押しつける先にされてしまうことになります。医学・医療に対してだけでなく、心理学・心理臨床に対しても、社会福祉に対しても、司法に対しても、協力関係を保ちながら明確な線引きをすることが必要です。
自分たちの疾病概念に科学的な根拠を取り込んだり、自分たちの解決について心理学や社会福祉の理論を用いて説明しようとしたりするのは、一見魅力的で、新しい人たちへのアピールを増すメリットが大きそうに見えます。しかし、問題や解決の根拠を自分たちの経験ではなく、外部の権威に求めてしまうと、外部の事情に振り回されるようになってしまい、自分たちが最も有効性を発揮できるポジションから外れていってしまいます。
AAも、他の12ステップグループも、自分たちは「宗教ではない」と強調します。だが、もう一つ、強調はされませんが、厳然とした事実があります。それはAAも、他の12ステップグループも、「科学ではない」ということです。科学でもないし、宗教でもない。その中間の領域こそが私たちのいるべき場所なのです。(cf. 「ビル・Wとカール・ユング医師との往復書簡」)
有用性を保つために必要なこと
このように12ステップグループの作る疾病概念は、科学的常識から外れていたり、学術的にナンセンスであったりするかもしれません。しかし何よりも、何よりも有用性が高いという利点があります。逆に言えば、有用性の高い「問題の定義」を見つけ出すために、草創期の共同体は苦労を重ねるわけです。3)
科学的に正確でないということを気にかける人もいますが、科学的に正しかろうと回復の役に立たない情報は、当事者にとっては無意味な雑音でしかありません。それにはやむを得ない面もあります。というのは、学問的真実の探求は、しばしば社会にはほとんど役に立たないものだからです(税金の無駄遣いだと言われる)。科学というのはあまり有用性にこだわるべきではないジャンルなのです。それゆえに、学者先生たちは、自分がプラグマティックではないことを言っていても、それについては全然気にならなくなっているものです(それは学者としては望ましいことでもあります)。彼らの言葉が当事者には響かないのには、そういう事情があります。
それにくらべれば、アレルギーという概念を使って、自分の身体と精神に起きている現象を理解した時のアルコホーリクの驚愕は、「エウレカ !、エウレカ!」と叫んで全裸で街へ飛び出していったアルキメデス (BC287-BC212)の心情に等しいものなのです。
12ステップグループは、すでに90年近い歴史があります。その歴史の中では、常に失敗からの学びがありました。一つ例を挙げましょう。アメリカでは1970年代には病院にアディクションの病棟が次々作られ、病院以外にも依存症の治療施設が各地にできました。そうした施設では治療プログラムとして12ステップが採用されることが多かったのですが、それ以外にも様々な精神医学的・心理学的手法も取り入れられました。そうした施設ではアフターケアとしてAAの利用を勧めました。そうやって施設からAAにやって来た人たちは、12ステップ以外の様々な情報と経験を持っていて、その話をミーティングでするようになりました。そういう時代が20年以上続いた結果、AAメンバーが12ステップを新しい人に伝える能力が衰えてしまい、AAの効果が失われてしまいました。その反省からAAのなかで「原点に帰れ」という呼びかけが行われるようになりました。4) AA以外の共同体でも外部の治療プログラムの話をすることで、12ステップを伝えるという本来の目的が果たせなくなってしまうことへの警告がされています。5)
そのような失敗の経験から、外部の専門家の積み上げた業績を無視するわけではありませんが、それらを取り入れることには慎重な姿勢が求められるようになりました。AAは(他の12ステップグループも)宗教とは意識的に距離を置いていますが、宗教だけではなく、他の分野とも意識的に距離を置くようにしています。それは何よりも有効性を保つために必要なことだからです。
混ぜるな危険
さて、次回からはアダルトチルドレン(AC)と共依存というジャンルを扱います。
ACと共依存というキーワードが使われるのは、12ステップグループだけではありません。この二つについては、これまで多くの本が書かれ、多くの講演や講座が開かれ、多くの対処法が提案されてきました。ただしそれらはすべて「12ステップグループの外部」で、ACや共依存を扱う仕事をするプロフェッショナルの立場から書かれたものです。それらは精神医学や臨床心理学や社会学など、それぞれの職業的・学問的立場の上に書かれています。
そして、これから紹介する12ステップ共同体で使われているACや共依存の概念と、外部の人たちが使っているACや共依存の概念は、「まったく違う」と言っても差し支えないほど違っています。そして、当然のことながら、そこからの回復の手段も違っています。ところが残念なことに、ACや共依存の共同体では文献の日本語への翻訳はあまり進んでいないか、そもそもアメリカでも文献の整備が遅れていたりします。その結果、ACや共依存に関心を持った人たちは、外部のプロフェッショナルの人たちの本を読んだり、講演を聴きに行ったりします。それはまったく悪いことではありませんが、そこで得た知識を使って12ステップに取り組もうとすると、その人は混乱してしまいます。
ですから、こうアドバイスしているのです。ACや共依存の12ステップを身に付けようとしているときには、外部の専門家の言っていることは忘れなさい、と。いや別に忘れる必要はないのですが、脇に置いておかないと、あなたは無意識のうちにそうした知識との整合性をとろうとして、あるいは噛み合わないものをかみ合わせようとして、混乱に陥ってしまうでしょう。結果としてあなたは12ステップを身に付けることができなくなってしまいます。だから、別のことを学んでいるという意識を強く持ちましょう。
僕は職業人たちが共依存やACを扱っていることを非難しているわけではありません。我が家の本棚には彼らの本が並んでいますし、講演を聴きに行ったこともあります。彼らの業績は評価されるべきです。しかし、彼らはそれぞれ精神科医や、臨床心理家や、社会学者としての立場から発信しているのであって、12ステップについて述べているわけではありません。
だから「混ぜるな危険!」なのです。塩素系漂白剤と酸素系漂白剤は、別々に使えば有用ですが、混ぜると有毒なガスが発生します。12ステップとその他の分野も混ぜないように気をつけなければなりません。
というわけで、僕は次回から、長く混乱したACと共依存のグループの歴史について、それを極力整理して伝える、という難事業に取り組まなければなりません。
- OA, Beyond Our Wildest Dreams, 1996, ch. 1.[↩]
- SA, Beginnings: Notes on the Origin and Early Growth of SA, SA Literature, 2003, p. 1.[↩]
- 第13回で述べたように1980年代以降、その面倒なプロセスをすっ飛ばす共同体が出現し始めていはいるが、それについては別の機会に取り上げる。[↩]
- CTM, pp.10-15.[↩]
- OA12&12, pp.198-200.[↩]
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