ローランド・ハザード
ローランド・ハザード — Rowland Hazard
ローランド・ハザード三世(Rowland Hazard III, 1881-1945)。ローランド・Hとも。
アルコホーリクであり、オックスフォード・グループのメンバーとなって回復し、ビル・Wのスポンサーであるエビー・Tに回復のメッセージを伝えた。AAの創始に重要な役割を果たしたが、ローランド自身はAAに加わらなかった。
ビッグブックの第二章に「あるアメリカの実業家」として登場する(BB, pp.39-42)。
1881年ロードアイランド州 のピースデール(Peacedale)で二男三女の長子として生れ育った。一家は、ローランドの10世代前にイギリスから移民してきており、家業を農業から繊維工場、化学工場へと発展させた。
ローランドはイェール大学 を1903年に卒業し、一家がアメリカの各所で営む事業に携わった。1910年にシカゴの銀行家の娘ヘレン(Helen, 1889-1946)と結婚し、三男一女をもうけた。
彼は、1914年から16年までロードアイランド州議会の上院議員を務め、第一次世界大戦では化学兵器部隊の大尉となった。1920年には、一家の化学工場を含めた同業5社が合併し、アライド・ケミカル・アンド・ダイ社が設立された(アライド・ケミカル)。ローランドはその取締役となり、生涯にわたってその地位を維持したほか、他にも様々な会社や投資銀行の取締役を務め、成功した実業家となっていた。
ローランドのアルコホリズムとユングによる治療
遅くとも1925年までには、ローランドのアルコホリズムは一家にとって深刻な問題となっていた。従兄弟の詩人レオナルド・ベーコン(Leonard Bacon, 1887-1954)は1925年にスイスの精神科医カール・ユングによる分析を受けており、ユングの信奉者となっていた。ローランドは1926年に、ベーコンからユングの紹介を受け、妻とともにスイスに渡ってユングらの治療を受けた。
[Toni] Wolff saw us both on the seventh and since then I’ve had an hour with Dr. Jung every day except holidays. I think we get on splendidly. The first day he saw me, Jung asked for dreams. … We’ve been at work interpreting them and it all seems most fascinating and logical to me.
Old boy, this is the dope for me, I’m sure. Thank God for it, and for you for sending me here.1)
7日に[トーニ・]ヴォルフが私たち両方に会い、私はそれ以来休日を除く毎日1時間をユング博士と過ごしている。私たちは申し分なくやっていると思う。私を診た最初の日、ユングは夢についてたずねた。・・・私たちはその解釈に取り組んできたが、私にはそのすべてがとても魅力的で論理的に思える。
わが同級生よ。これは私にとってまさに麻薬のようなものだ。神に、そしてここに私を送ってくれた君に感謝する。
ローランドからベーコンに宛てた手紙 1926年5月15日 (拙訳)
ユングによる分析はローランドに強い印象を与えた。ローランドは自分のアルコホリズムが解決したと考え、ユングの信奉者となった。だが、アメリカに帰った後のローランドはたびたび再発を繰り返し、他の医師や分析家による治療を必要とした。
ユングとの再会と治療の拒否
時期は特定されていない(AAでは1930年あるいは31年としている)が、ローランドは再度ユングを訪れた。この時のユングとローランドの会話が、AAの始まりとされている。2) 後にローランドがエビー・Tに(そしてさらに後にエビーがビル・Wに)語ったとされる内容は、以下のようなものである:
再発しながらも、ユングに対して深い信頼を寄せていたローランドは、再びこの医師の元を訪れ、単刀直入に、自分がなぜ回復できないのかを尋ねた。医師は、ローランドはすでに「まったく治る見込みがない(utterly hopeless=完全に絶望的な)」状態に至っていて、もはや医師として彼のためにできることは何もないと答えた。それでもローランドは、「例外はないのですか」と食い下がった。
Then Carl Jung made another statement—the one which saved Rowland Hazard’s life and set Alcoholics Anonymous in motion. He said, in effect, “Occasionally, Rowland, alcoholics have recovered through spiritual experiences, better known as religious conversions.”
Brightening a little, Rowland rejoined, “But, doctor, you know I am a religious man. I used to be a vestryman of the Episcopal Church.”
Carl Jung shook his head. “No, Rowland, that isn’t enough. Faith and good works are good, very good. But by themselves they almost never budge an alcoholic compulsion like yours. I’m talking about the kind of religious experience that reaches into the depths of a man, that changes his whole motivation and outlook and so transforms his life that the impossible becomes possible.”
“Well, doctor,” queried Rowland, “if I must have such an experience, where and how do I find it?”
Said Dr. Jung, “That’s something I can’t tell you. All you can do is place yourself in a religious atmosphere of your own choosing, admit your personal powerlessness to go on living. If under such conditions you seek with all your might, you may then find. But the experience you need is only occasional; here and there, now and then, alcoholics have recovered through them. You can only try.”3)
そのときのカール・ユングの発言が、ローランド・ハザードの生命を救い、さらにはアルコホーリクス・アノニマスを発足させることになった。彼はこのような趣旨のことを言った。「ローランドさん、これまでにアルコホーリクが霊的体験によって回復したことが時折あったのです。それは宗教的回心と呼ばれているものです」
ローランドは少し希望を持って、「ならば、先生、私が信心深いことはご存じでしょう。私はかつて聖公会の教区委員を務めたこともあるのです」と答えた。
カール・ユングは首を横に振った。「いいえ、ローランドさん、それでは十分でありません。信仰と善行は良いものです。とても良いものです。しかしそれだけでは、あなたのようなアルコホーリクの衝動を解消することはほとんどできません。私が言っているのは、人間の奥深いところに達するような宗教的経験のことです。それはその人のすべての動機と展望を変え、不可能が可能にするようにその人の人生を変えるものなのです」
ローランドは尋ねた、「先生、私がそのような経験をしなければならないのならば、それをどこで、どうやって見つければよいのでしょう?」
ユングは言った。「それは私に言えることではありません。あなたにできることは、ご自分で選んだ宗教的な雰囲気の中に身を置いて、自分の無力さを認めて生き続けることです。そのような状況の下で、あなたが全力で求めれば、見つけられるかもしれません。しかし、あなたに必要なこの経験は、まれにしか起こらないものです。それでも、時おり、あちらこちらで、アルコホーリクが霊的体験によって回復することが起きてきたのです。あなたもやってみるしかないでしょう」
ビル・Wの自伝 Bill W.: My first 40 years(拙訳)
アメリカに戻ったローランドは、最終的にオックスフォード・グループに加わり、そのプログラムに取り組むことで霊的体験を得た。
エビー・Tのスポンサーとして
1934年の夏、ローランドは、バーモント州で他の二人のオックスフォード・グループのメンバー、セブラ・グレーブス(Cebra Q. Graves, 1898-1979)とシェップ・コーネル(Francis Shepard Cornell, 1899-1985)とともにエビー・Tの回復を手助けした。ローランドは、公衆酩酊(Public intoxication)の罪で収監されそうになっていたエビーの身柄を預かり、彼にオックスフォード・グループの教義やカール・ユングの話を伝えたが、これが後の12ステップの原型となった。
ニューヨークに移ったエビーは、カルバリー伝道所に滞在し、そのスタッフとして過ごすうちに、高校時代の学友ビル・Wが飲酒のせいで困難に陥っていることを知った。
11月下旬、エビーはビルの家を訪問した。これをきっかけとして、ビルは4回目の入院をし、霊的体験を経て酒をやめ、エビーと協力して他のアルコホーリクが酒をやめる手助けを始めた。(ビルがドクター・ボブと出会うのは、翌35年の5月である)。
ローランドは1935年の夏に、エビーをニューメキシコやバーモントへ連れて行き、一緒にオックスフォード・グループの活動を行なった。4)
メッセンジャーの影のメッセンジャー
実際にビル・Wを助けたのはエビー・Tであったが、AAではローランドは「メッセンジャーの影のメッセンジャー(the messenger behind the messenger)」として評価されており、彼については二つの点が強調されている。一つは彼が、彼がスイスの有名な精神科医カール・ユングの患者だったこと。もう一つは、彼はユングによる時間をかけた治療を受けたにもかかわらず回復できず、最後にユングは彼に、彼のようなタイプのアルコホーリクは、ある種の霊的あるいは宗教的な回心の体験を経ることによって、その内面を徹底的に作りかえ再生することでしか、飲酒への圧倒的な衝動から自由になる方法がないと伝えたことである。5)
コートニー・ベイラーによる援助
ローランドは、1933年後半から1934年10月まで、エマニュエル運動(Emmanuel Movement)のコートニー・ベイラー(Courtenay F. Baylor, 1870-1947)の援助を受けた。エマニュエル運動は、エルウッド・ウォーセスター(Elwood Worcester, 1862-1940)とサミュエル・マッコーム(Samuel McComb, 1866-1930)という二人の聖公会 の牧師(二人とも博士)が1908年にボストンのエマニュエル教会(Emmanuel Episcopal Church, Boston)で始めた運動である。それはアルコホーリクのために、医療と宗教と心理カウンセリングを統合した治療を提供していた。6)
エマニュエル運動は、素人セラピスト(lay therapist)を心理カウンセラーとして使ったが、その中でも最も有名なのがが、コートニー・ベイラーだった。ローランドがエビーを助けたときは、まだベイラーによる治療を受けているところであった。
晩年
ローランドは1936年8月に大量飲酒があり、ニューヨークの病院に入院したことが分かっている。また、この年に聖公会の一員となり、その組織のいくつかで活動を続けた。彼は一度もAAには加わらなかったが、その晩年は十分に好調なものであった。7)
参照:
・ビッグブックのスタディ (60) 解決はある 11
・ビッグブックのスタディ (62) 解決はある 13
・ビッグブックのスタディ (63) 解決はある 14
・ビッグブックのスタディ (64) 解決はある 15
外部リンク:
・Roladn Hazard III
・Rowland “Roy” Hazard III (findagrave.com)
- Amy C. Bluhm, Verification of C. G. Jung’s Analysis of Rowland Hazard and the History of Alcoholics Anonymous – History of Psychology, 9(4), 2006, pp.313-324 — Originally from Leonard Bacon Collection, Beinecke Rare Book and Manuscript Library, Yale University, New Haven, CT.[↩]
- AA, Three Talks to Medical Societies by Bill W., Co-Founder of Alcoholics Anonymous, AAWS, p.10 — 「アルコホーリクス・アノニマス、その始まりと成長」.[↩]
- Bill W., Bill W.: My first 40 years, Hazelden, 2000, pp.125-126.[↩]
- Mel B., Ebby: The Man Who Sponsored Bill W., Hazelden, 1998, pp.59-61.[↩]
- Richard Dubiel, The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous, iUniverse, 2004, pp.60-61.[↩]
- ibid., pp.65-70.[↩]
- ibid., p.78.[↩]
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