オンラインミーティングでのアノニミティ
「オンラインミーティングでのアノニミティって、どうなんですか?」
という質問をいただきまして、どっかに資料があったはずだから探しておきます、と答えたのですが、オンラインミーティングに的を絞った資料は見当たりませんでした。どうやら僕の脳内資料にすぎなかったようです。
関連するパンフレットやガイドラインには以下のようなものがあります:
- 『アノニミティをご存じですか』
- 『ガイドライン インターネット』
- 『12の伝統が生まれるまで』
結論から言えば、アノニミティについては、オンラインのミーティングでも、対面式のミーティングと同じに考えれば良いでしょう。
これで説明を終えてしまうと、余りに不親切なので、少し順を追って説明していくことにします。長い記事になったので目次をつけておきます。
<目次>
個人のレベルでのアノニミティ
アノニミティとは
- アノニマス — anonymous(形容詞)匿名・無名の
- アノニミティ — anonymity(名詞)匿名・無名であること
アルコホーリクス・アノニマスの「アノニマス」とは、名前を明かさない(匿名)という意味です。団体として匿名だというのは、誰がその団体のメンバーなのか外からは分からない、ということです。
AAは、誰がメンバーであるかを外部に対して明らかにしません。多くのアルコホーリクは、自分の飲酒の問題を世間に知られるのを恐れています。この病気に対する社会的偏見は以前に比べれば減ってきてはいますが、まだまだ根強く残っており、お互いに秘密を守るという約束事がなかったなら、多くのメンバーは決して最初のミーティングに足を向けなかったでしょう。
プライバシーという意味でのアノニミティ
また、お互いのプライバシーを守ることも、アノニミティの意味の一つです。三省堂国語辞典 には、プライバシーは「個人の私生活に関すること」だとあります。AAでは、スポンサーシップで話し合う内容も、ミーティングで分かち合う内容も、ほとんどが「個人の私生活に関すること」ですから、お互いのプライバシーを尊重することが大切です。スポンサーに秘密を打ち明けたのに、それをスポンサーがべらべらと他の人にしゃべってしまったら、そこに信頼関係は成り立ちません。クローズドミーティングについても同じことが言えます。(オープンミーティングにはまた別の事情がありますが)。
ただ、プライバシーというのは、何もAAの中だけに限ったことではありません。プライバシー 権というのは日本国憲法13条の幸福追求権 から導き出される基本的人権の一つです。人権というのは、いつでもどこでも大事にされなければなりません。プライバシーという意味でのアノニミティを「AA特有のもの」と考えるのではなく、AAの外でも大事にすべきものです。
AAの内部では匿名である必要は無い
AAが匿名だというのは、あくまでAA外部に対してであって、AA内部ではお互いがAAメンバーであることは自明です。また、AAの中で自分の実名(フルネーム)を名乗ってもかまいません。アノニミティの伝統は、私たちがAAの中でも匿名であることを要求していません。今年重版になった『ドクター・ボブと古き良き仲間たち』では、ドクター・ボブの言葉が紹介されています:
「ドクター・ボブは、こんなことを言っていましたね。『私が立ち上がってドクター・ボブ・Sですと名乗ったとしても、それだけでは、助けが必要な人が私に連絡しようと思っても、きっと苦労するだろう』と」
「ドクター・ボブはアノニミティの伝統に違反する行為には、(1)印刷媒体やラジオなど公的なレベルにおいて氏名を明かす場合と、(2)アノニミティを大事にするあまり、他の酔っ払いが連絡をとろうと思ってもできない場合、のふたつがあると話していました」1)
(1)については後で述べますが、(2)の過剰なアノニミティは弊害にしかならない、という点はしばしば見落とされています。
また、AAという団体を運営していくためには、実名が必要になる場面もあります。AAの役割につく人を選ぶ選挙では被選挙人は実名を明かすことが求められますし、グループをオフィスに登録する際には代表者の実名や住所が必要です。郵便物を届けるためには、匿名匿住所というわけにはいきません。
AAがメンバーに実名を求めるのは匿名性の原則に反している、という疑問を持つ人もいるかもしれません。しかし、実名を明かすことを強制しているわけではなく、メンバーが自発的に明かしていると解釈されています。例えば、AAは「会費も料金も不要」と言いながら、多くのメンバーが献金をしています。AAという団体を動かしていくには金銭が必要で、メンバーが自発的に献金することでそれをまかなっています。同じように、団体運営のために個人の実名が必要であれば、メンバーが自発的にそれを明かすわけです。もちろん集めた献金と同様に、そうした個人情報を目的外に使わないのは当然ですが。
グループによっては、主要メンバーの名前と連絡先のリストを作っているところもありますし、メンバー同士はお互いに連絡先を知らせ合っていることも多いものですが、これらも自発的に行われているものです。献金する額をメンバーそれぞれが自分で決めるように、個人情報をどこまで明かすかも一人ひとりが自分で決めています。
自分で外部に明らかにするのは自由
また、自分がAAメンバーであることを、AAの外に対して、秘密にするのも、オープンにするのもその人の自由です。普通は自分の家族にまで秘密にはしていないでしょう。オープンにする場合に、職場・親戚・友人・地域社会など、どの範囲にまでオープンにするかは自分で決めるものです。(ただし、新聞やテレビなどのメディアのレベルでは、別の意味でのアノニミティが求められています。それは次に述べます)
AAグループの対外的な代表になっている人は、例えばミーティング会場の部屋を貸してくれる公民館とか教会に自分の住所や氏名を明かさざるを得ないでしょう。行政機関や病院と接触するメンバーも、相手に対して身元を明らかにしているでしょう。そうした社会的要請に基づいて、自ら身元を明かすことは問題とはされません。
むしろ、AAメンバーであることが地域社会に周知されていた方が、メッセージを運ぶ面で有利なことが多いので、自発的にそのようにすることは望ましいことだと言えます。先ほどのドクター・ボブの話の続きには、こうあります:
「ボブは、新聞やラジオでアノニミティを破ってはならないが、外部の人が私たちのことをAAメンバーであると知らなければ、何ひとつ始まらないと言っていました。AAメンバーは地域社会において、自分がメンバーであることを知らせていくべきだ、というのがボブの固い信念だったのです」2)
一方で、AA以外の場所で、AAメンバーとして話をするときのためのガイドライン『AA以外の会合で話をするには』では、自己紹介として「通常はファーストネームのみ」名乗るのが良いとしてます。3) これは、地域社会では匿名であるべきではないというドクター・ボブの話とは食い違っていますが、その違いは、このガイドラインが「アルコホリズムに対するAAの取り組みに関心を持つ機関」4)からの要請を対象としているのに対し、ドクター・ボブの話は地元社会においてのAAメンバーの有り様を扱っている違いからくるものでしょう。
このように「個人のレベルでのアノニミティ」というのは、結構分かりづらいものです。それはそもそもAAに限らず、プライバシーという個人の権利と公共の福祉のバランスを取ることは簡単ではない上に、さらにAAではビギナーに提供する安心感や、伝統1の全体の福利とのバランスも考慮しなければならないからです。
メディアのレベルでのアノニミティ
こちらについては、「12の伝統」の11番に書かれています。
伝統11:私たちの広報活動は、宣伝よりもひきつける魅力に基づくものであり、活字、電波、映像の分野では、私たちはつねに個人名を伏せる必要がある。
ビッグブックが出版された1939年には、まだ「12の伝統」は存在しませんでした。しかしその序文(現在の「初版に寄せて」)には、彼らが名前を明かさない事情を、彼らのほとんどがビジネスマンや専門職であったため、知られた場合に、仕事を続けられなくなる人が出るからだと説明しています。そして、公の場で話したり書いたりするときは、個人名を伏せて「AAの一メンバー」とだけ名乗るようにするので、報道関係社の方々にもこのことを是非守っていただいて、私たちが不利にならないようにして欲しい、と続けています。
というわけで、初期のAAメンバーは、社会に対してもあくまで匿名を貫き通すつもりだったのですが、ビッグブックの出版の翌年には、早くも「アノニミティ破り(anonymity break)」をするメンバーがでてきました。しかも、全国レベルのメディアで。後になって「12の伝統」ができたことにより、この一件は悪しき前例とされてしまい、AAの歴史の中で大きく取り上げられることはありません。『成年に達する』では僅かに次の記述があるのみです。
クリーブランドのAAは、有名な運動選手のロリー・Hをしらふにした。新聞に載ったこの物語りはセンセーショナルで、それによって多くの新参者がやってきた。それにもかかわらずこの展開は、最も公のレベルでの私たちの個人的なアノニミティについて、深い関心を呼び起こす最初の出来事になった。5)
しかし、『ドクター・ボブと古き良き仲間たち』と、先日書評で紹介した『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』にはもう少し詳しい記述があります。これらと野球関係の情報を参考にこの一件を辿ってみましょう。
ローリー・Hのアノニミティ破り
オハイオ州クリーブランドには、インディアンスというメジャーリーグの野球チームがあります。そのチームに、1938年、ローリー・ヘムズレイ(Rollie Hemsley, 1907-1972)という捕手が移籍してきました。メジャー11年目にも関わらず、彼にとってインディアンズが5番目の球団となりました。そのようにひんぱんに移籍が繰り返されたのは、彼がアルコールの問題を抱えていたからでした。にもかかわらずインディアンズが彼を獲得したのは、僅か17才でメジャーデビューしたボブ・フェラー 投手の父親的な存在となる捕手が必要だからでした。
インディアンズへの移籍後もヘムズレイの酒の問題は収まりませんでした。そのことに頭を痛めていた球団幹部は、南に50Kmほど離れたアクロンという町で変な連中が酒のやめ方を見つけた、という噂を聞きつけました。球団のオーナーは「20万ドル払うのでヘムズレイの酒をやめさせてくれ」と持ちかけたそうですが、ドクター・ボブは金は断ったものの、ヘムズレイの援助は引き受け、6人のAAメンバーによる特別チームを編成してことにあたりました。6)
1940年の開幕試合はシカゴで行われましたが、この試合でフェラー投手はノーヒットノーラン を達成し、チームは1対0で勝利しました。この1点はヘムズレイ捕手の打点でした。試合後にヘムズレイは報道陣を集め、自分がアルコホーリクであり、過去のトラブルは酒が原因だったこと。メジャーリーグに留まるためには酒をやめなければならないと決意し、AAという集まりに参加して1年間酒を飲んでいないことを公表しました。そして、これを公表したのは、自分がどうやって酒をやめたかを知ってもらうことで他の人の役に立とうと思ったからだと説明しました。7) さらには、若きヒーローであるフェラー投手が、自分の成功は元アルコホーリクで人格者のヘムズレイによる父親的指導のおかげであると讃えたために、この話は美談として広がりました。
この後、ヘムズレイは1947年までメジャーでプレイし、その後はマイナーに移って1952年に引退しました。引退後は不動産業を営み、1972年に心臓発作で亡くなるまでソブラエティを続けました。
これが匿名性が全国レベルで破られた初めての事例でした。この一件によってAAの名前は全国的に知られるようになり、メンバー数の増加を――特にクリーブランドでは爆発的な増加を――もたらしました。AAの公式の歴史では、この増加はクリーブランドの新聞がAAの記事を載せてくれたおかげとされています。しかし、誰の目にもヘムズレイのほうが広報の効果が大きかったのは明らかでした。しかし、AAとしては単純にヘムズレイに感謝するわけにはいかない事情がありました。
最もメディア露出したのはビル・W
ヘムズレイ以前にも、より小さな「アノニミティ破り」は起きていたようです。ビル・Wは、共同創始者たる自分を差し置いて、他のメンバーがAAの宣伝で目立つことを面白くなく思っていました。しかしヘムズレイの宣伝効果は大きく、ビッグブックの売上増加によってAAの経済的危機も救われたので、これについては文句の付けようがありませんでした。それどころか、これをきっかけにビルもAAの代表者として各地に呼ばれて講演を行い、新聞の一面を飾るようになりました。「ブローカー・ビル、何千人もの飲んだくれを救う!」という見出しで、彼の顔写真とフルネームが掲載されました。8) そのことを単純に喜んだビルは、お調子者だったと言えるでしょう。
人は自分がヒーローやヒロインになりたいという欲望を持っています(承認欲求の一種)。また、ヒーローやヒロインという存在が好きです。だから宣伝はヒーローやヒロインを利用します。政党は芸能人やスポーツ選手を候補者に立て、宗教は有名人の信者を広告塔に使い、社会運動は有名人からの推薦の言葉をパンフレットに掲載します。なぜならそれが有効だからです。(ナチスがドイツを支配できたのは、アドルフ・ヒトラーをヒーローに仕立て上げることができたからでもあります)。であるならば、AAも、一般のメンバーは匿名を続けることにして、有名人や創始者は別扱いにしても良いではないか、という意見もあり得ます。
ビルは「彼はAAの共同創始者であって、AAメンバーだったことは一度もなかった」9)と言われるほどAAのなかで特別扱いを受けた人物でした。ところが、アノニミティに関しては、ビルを特別扱いするわけにはいかない、と他の古参のメンバーたちは考えたようです。それには、理由がありました。
まず、当然のことながら、「ビルがやって良いことならば、自分がやっても良いだろう」と考えるメンバーが増え、アノニミティ破りが続出することになりました。それだけでなく、アノニミティ破りを足がかりに、AAを外部の事業に結びつけたり、そのための資金を集めたりと、他のトラブルまで引き起こすようになりました。
伝統違反が起きる理由
2015年のAA日本40周年記念集会のときに、アメリカのGSOから招聘したメンバーの一人が、全州選出常任理事のボブ・Wでした。大ホールで行われたシンポジウムのなかで、12の伝統への違反について聞かれた彼は、「12の伝統の違反のほとんどは、メッセージを伝えたい、アルコホーリクを助けたいという熱意のあまりに起こるものだ」と述べていました。自分の欲を満たすためではなく、仲間のためにという善意から12の伝統は破られていくのです。善意というのは、我欲よりも抑制の難しいものです。
それを踏まえると、AAメンバー全員が12の伝統を厳密に守り、誰も伝統違反を犯さないという状態は、理想とはほど遠い悪夢であるのは明らかです。なぜなら、そのような状態は、仲間を助けたいという熱意が萎縮しきった状態だからです。僕は日本のAAは少しその状態に近づいているのではないかと危惧しています。みんなお行儀良くなりすぎているのではないでしょうか。亡くなったバーブさんのように、「伝統なんてクソ食らえ! 伝統は破るためにあるんだ」と公言してはばからない熱意を持ったメンバーが、もっと増えても良いように思います。12の伝統は、12のステップと同じく「原理」であってルールではありません。伝統違反はルール違反とは違うのです。伝統違反にいちいち目くじらを立てるのも大人の態度とは言えません。
12の伝統は何のためにあるか
とは言うものの、「なぜ12の伝統ができたのか」も考えなくちゃなりません。12の伝統は一体性の原理とも呼ばれますが、一体性の真意は「AAを分裂させないこと」です。歴史上多くの国、宗教、社会運動が、意見や方針の違いから分裂し、お互いに争い、有効性を失ってきました。だから、ビル・Wや初代のAA理事たちは、せっかく成長し始めたAAが分裂してダメになってしまわないようにと考えて、「有効性と団結を保つ原理」10)として12の伝統を作り上げていったわけです。
メディアにおけるアノニミティ(伝統11)もその一つでした。匿名性を守っている人たちは、それを破っている人たちに対して「あいつらばっかり脚光を浴びやがって」という不満を持つようになるでしょうし、プライバシーをさらして宣伝活動をやっている人からすれば「良いことをしているのに、なぜ批判されなくちゃならないのか」という不満を持つことになるでしょう。このような不満が蓄積すれば、やがてそれは派閥と対立を作りだし、AAを二つの団体に分裂させることになります。
他にもリスクがあります。ヘムズレイは亡くなるまでソブラエティを保ったから良かったものの、誰にでも再発は起こりえるものです。メディアに露出した人が順調に回復を続けていれば、良い宣伝効果もあるし、偏見を拭い去る効果も期待できます。しかし、その人に再発が起これば、せっかくのAAの評判は台無しになるばかりか、この病気に対する社会の偏見をかえって強めてしまいます。さらに言えば、再発したときに本人が被るダメージも大きくなるでしょう。(僕は、特に親しかったわけではありませんが、薬物の問題を抱えた元コメディアンの仲間のことを思うのです)。個人をメディアにさらしての広報や啓発活動は、リスクの高い行為なのです。
ビルも「お前がうぬぼれて飲んでしまったらどうするんだ」と古参のメンバーたちから言われる羽目になりました。11) 彼は調子に乗りやすい人物でしたが、ただ調子に乗りやすいだけのボンクラとは違っていたようで、短期的な利益を追い求めるのは賢明ではないと気がつき、方針を転換して、やっぱりAAメンバー全員がメディアにおいては匿名を守るべきだ、という伝統11を定めました。メディアのレベルでのアノニミティは、匿名というより「あえて無名に留まる」という意味が強くなります。
伝統11(メディアでのアノニミティ)
12の伝統は(12のステップと同じく)原理であるので、それをどう解釈しようと個人の自由なのですが、この伝統11だけは、明確な基準を提供しています。
活字、電波、映像の分野では、私たちはつねに個人名を伏せる必要がある。
we need always maintain personal anonymity at the level of press, radio and films.
これは、新聞や雑誌のような(AAの外部に流通する)出版物や、テレビやラジオのような放送、映画のように映像が配信されるものでは、個人名を伏せるということです。名前を出さなければ良いという意味ではなくて、maintain personal anonymity とは、個人のアノニミティ(特定の個人がAAメンバーであるかどうかを外部に明らかにしないこと)をメディア上でも維持していくということです。顔写真や実名(フルネーム)が出てしまったら、個人を特定するのは簡単ですから、顔出しをせず、実名(フルネーム)を名乗らないのが基本中の基本だと解釈されています。だから、AAメンバーの顔にはモザイクをかけてもらったり、顔を写さない様にしてもらい、名前の一部のみ(英語圏の場合はファーストネームのみ、あるいはファーストネーム+姓の頭文字)使うという習慣が作られています。
このことはもちろん、AAメンバーであることを明らかにした場合に限っているわけで、AAメンバーであることを伏せてならば、顔を出そうがフルネームを名乗ろうが、その人の自由です。回復したアルコホーリクであることを語ってもかまいません。
日本では、ファーストネームを使うという習慣は一般的ではないので、こういう場で日本のAAメンバーがどう名乗るのかは定まっていませんが、フルネームを出さずに、その一部だけやニックネームを使う人が多いようです。
まあ、実名や写真を伏せても、知り合いには「あの人だ」とバレてしまうことはありますし、AAの中では誰がメディアに露出したか周知のこともあります。しかし伝統11はそれらのことについては何も述べてはいません。
このように、メディアのレベルでのアノニミティ(伝統11)は基準が明確です。
新しいメディアの登場
12の伝統が定められた時代(最初の発表は1946年)のメディアは、新聞や雑誌、ラジオ、映画といった程度でした。その後はテレビが普及しましたが、映画とラジオという前例があったので、テレビについても伝統11がそのまま使われました。
AAメンバーは、様々な手段を使ってミーティングを開いたり、メッセージを伝えたりしました。手紙や電話やアマチュア無線 を使ってミーティングを開いた事例を聞いたことがあります。カセットテープ が全盛の時代には、自分の話を録音したテープを配布するということが行われました。知り合いのAAメンバーが当時アメリカのあるセントラルオフィスに行ったところ、そこにはそうしたテープが山ほど積み上げられていたそうです。AAメンバーが自分の話を録音したテープを無償でオフィスに提供し、オフィスはその売り上げを運営経費にあてていたのだそうです。どんな人たちがそれを買っていくのかというと、主にスポンサーたちが、自分のスポンシーに聞かせたい話を買ってプレゼントしていた、と聞きました。
ビデオテープが普及してくると、同じことがビデオで行われ始めました。ただし、ビデオは(カセットテープと違って)顔出しになります。そのことが伝統11に反すると考えられ、1980年のゼネラル・サービス評議会でビデオの配布は好ましくないという決議が行われました。12)
インターネットでのアノニミティ
1990年代にインターネットが普及してきました。インターネットは様々なプロトコルの集合体なので、一つひとつ分けて考えなくてはなりません。例えば、電子メールは郵送のメールと同じ私信のやりとりなので、手紙と同様だと解釈すれば良いことになります。メーリングリスト や電子掲示板 は、壁新聞 みたいなものなので、公のメディアとしての性格がでてきますから、伝統11を適用させたほうがよさそうです。
そして、ブログ やWebサイト であれば、メディアとして捉えて、AAメンバーとして実名や顔写真を出すべきでないのは明らかです。この『心の家路』でも、僕はAAメンバーとしての通称を使い、顔写真を出さないようにしています。すでに亡くなったAAメンバーについては、事情によりフルネームや顔写真を載せている場合もありますが(ビルとかボブのように)、生存中のメンバーについては匿名性を守る以外の選択肢はありません。
SNS でも、僕は自分がAAメンバーであることを明らかにしたアカウントを作っていて、そのアカウントでは顔出しをしたり、実名を出したりしないかわりに、自分がAAのメンバーであることを気兼ねなく出しています。他方、実名のアカウントを別に作って、そちらはAAのことは扱わないようにしています。アカウントの切り替えは面倒ですが、経験的にはこれが一番トラブルを少なくできます。
ブログに記事を書いたり、SNSに投稿する場合には、自分の実名や写真を載せるかどうかだけでなく、他のメンバーのプライバシーを不用意に漏らしてしまわないように気をつけるべきです。自分としては愚痴をこぼしているだけのつもりでも、他の人から見ればたちの悪い陰口をネットに書く人に見えることもあるのですから。その類のことは、ネットに書くのではなくスポンサーに聞いてもらうのが最善でしょう。
オンラインミーティングでのアノニミティ
こうして基本から見てくると、オンラインミーティングだからといって、特別な事情はないことが分かります。まず、個人のレベルでのアノニミティについては、プライバシーはどこでも尊重されるべきものです(もちろん、オンラインミーティングでも尊重されるべきものです)。
Zoomなどのオンライン会議ツールを使ってAAメンバーだけを集めてクローズドミーティングを行っているなら、アノニミティについては対面式のミーティングと同じ配慮をすればよいでしょう。つまりそれは伝統11が関わるところではなく、顔を出そうが、実名を名乗ろうが、その人の自由だということです。
他方で、AAメンバー以外にも公開したイベントを企画し、そのアドレスを広く知らしめて多くの参加者を集めるとなると、事情が変わってきます。公民館のホールを借りてメンバー以外の人も来てもらうオープン・スピーカーズ・ミーティングというAAのイベントがありますが、同じことをオンラインでやると「放送メディア」としての性格を帯びてきますから、伝統11に沿って顔出しや実名は避けるべきです。
AAの85周年国際コンベンションは新型コロナの影響で中止になってしまいましたが、ネット上で一部のバーチャル開催が行われました。ノン・アルコホーリクの理事たちは顔出しのビデオを掲載していましたが、AAメンバーの分かち合いは全部音声のみでした。誰でも見られるWebページ上で行われたものですから、それ以外の選択肢はなかったと思います。
上に挙げた二つ(クローズドミーティングとオープンのイベント)はどちらも分かりやすい極端な例です。実際にはその中間の、伝統11を当てはめるべきかどうか迷うケースも多くあるでしょう。その場合でも、主催の仲間たちで話し合って結論を出していけば良いことです。
Q&A
12の伝統についても、いろいろ質問を受けることもあるので、ここに「自分の考え」を述べておきます。参考にしていただければ幸いです。
Q: ZoomやMicrosoft Teamsを使ってオンラインミーティングをやるのはどうでしょう?
A: ビデオ会議ツールを使ってオンラインミーティングをやっているグループはたくさんあります。
Q: オンラインミーティングのIDとパスワードが公開されていて、それを使えば誰でも入れるならば、それは「放送メディア」だとは考えられないでしょうか?
A: 「誰でも入れる」という理由だけでそのミーティングを伝統11の対象だと考えるグループはあまりないでしょう。「誰でも入れる」かどうかを判断基準にしてしまうと、公民館で行う対面式のクローズドミーティングでも、ドアに鍵をかけて一般の人を閉め出さなければならなくなってしまいます。多くのグループはメンバーを対象にしたオンラインミーティングを伝統11の対象とは考えていないと思われます。
一方で、メンバー以外も対象にしたオンラインのイベントを企画する場合には、伝統11の対象になるかどうか検討すべきでしょう。
Q: オンラインのミーティングを録音したり録画しても良いでしょうか?
A: 前述のように録音データの配布は行われていますが、それは話し手の了解の上で録音されたものです。一般的なAAのミーティングは録音・録画を前提としておらず、その点は対面式でもオンラインでも変わらないでしょう。何か特別な事情により主催者側で録音・録画を行うミーティングはあるでしょうが、その場合には必ずそれについてのアナウンスがあると思います。
Q: ブログやSNSや電子掲示板を使ったミーティングはどうでしょう?
A: パスワードを知らないと入れない電子掲示板や、SNSの中にAAメンバーだけで構成されたグループを作ったのなら、それは「AAの内部」と同じと見なしても良いかも知れません。しかし、一般的なSNSのタイムラインや、公開されたブログや掲示版は、伝統11の対象としたほうが良さそうです。なぜなら、ビデオ会議と違って、文字によるコミュニケーションは、書いた内容がその後もネット上に残り続け、多くの人の目に触れうるため、新聞や雑誌のような出版物としての性格を帯びるようになるからです。
Q: YouTube のチャンネルやツイキャス を使うのはどうでしょうか?
A: YouTubeもツイキャスも放送メディアとしての性格がありますから、伝統11を当てはめるべきだと考えます。つまり、そこに出演する人がAAメンバーだと明らかにするのであれば、実名(フルネーム)や顔を出すべきではないということです。顔写真も使わずに、音声だけ流すようにした方が良いでしょう。
ちなみにYouTubeのTubeはテレビのブラウン管 のこと、ツイキャスのキャス(cast)はネットで送信することで、どちらも放送メディアであることを意味に含んでいます。
Q: AAメンバーでもあり、回復施設のスタッフでもある人が、ブログで実名を出して書いているのですが?
A: AAメンバーであることを伏せているのなら、その人がメディア上で顔や実名を出すのは自由です。施設に関することはAAにとっては外部の問題(伝統10)になります。その人がAAメンバーとしての経験を実名を出して書いているのなら、それはやめてもらった方が良いでしょう。しかし、それを強制する手段をAAが備えているわけではありません。
Q: メディアにAAメンバーとして登場するときに、完全に匿名にせず、名前の一部を使うのはなぜでしょう?
A: それについて明確な理由を示した文書はみつからず、慣習であるとしか言いようがありません。完全に匿名にせず、名前の一部だけを出した方が良い理由はいくつか考えられます。社会の中で完全に匿名の発言は信用度が低くなる傾向があるので、12の伝統の許す範囲内で名前を明かして発言した方が、有効にメッセージを運べること。読者や視聴者の側からは人物が特定できなくても、AAのなかではそれが誰の発言なのか分かりやすくしておいたほうが、責任を持った発言が期待できること、などです。
Q: 死んだ後のアノニミティはどうなるのでしょう?
A: 伝統11は死後のアノニミティについては何も述べていません。死んだ人がスリップしてAAの評判を落とすことはあり得ないので、その点は安心して良いのでしょう。ビル・Wやドクター・ボブの顔写真や実名は、彼らの死後にAA自らが公表しています。しかし、個人のレベルでのアノニミティについて言えば、プライバシー権は一身専属 で死と同時に消滅するものの、死後であっても、個人のプライバシーには一定の配慮が必要だというのが最近のAAの慣習的合意だと思われます。
Q: ネットで文章を書くことについて、経験豊富な立場から何かアドバイスは?
A: 特に自分からのアドバイスではないのですが、AAのインターネットやアノニミティについてのガイドラインは、常にアップデートされています。それは新しいメディアについての共同体の経験が反映されるからです。
近年、AAのガイドラインの録音に関するセクションに一文が追加されました。それによると、録音データがネットで公開されたり、将来も再生されるのであれば、録音の際に自分の生活や人生について詳述するのは避けたほうが良いというものです。また、自分の家族についても同じです。13) これはおそらく伝統11とプライバシーの両面からの要請なのでしょう。個人的な意見ですが、ネットや、AA以外の出版物に文章を書くときにも、同じことが言えると思います。
自分の生活や人生について、またそこに登場する人との人間関係について細かく述べないとなると、「薄っぺらな話しかできない」と考える人もいるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。たとえば、ドクター・ポール・Oの「受け入れることが答えだった」という有名な体験記14)は夫婦の問題を扱っていながら、妻についての情報はほとんど出てきません。むしろ彼自身のなかにあった、役に立たない古い考えに焦点を当てた名文になっています。
今回は伝統12には触れませんでしたが、伝統12はアノニミティがAAの霊的基礎であり、個人より原理を優先すべきだと述べています。私たちが経験を語るとき、「自分という個人を知って欲しい」という欲求を持ってしまいがちですが、自分個人ではなく原理を伝えるために語るべきなのです。メディアを使って伝えようとするときには、特にそのことを意識するべきなのだと思います。
AAは個人の体験に最上の価値を置いている団体ではないということは、憶えておくべきことかもしれません。
- DBGO, p.388[↩]
- DBGO, p.390[↩]
- AA(AA日本出版局訳編)『AA以外の会合で話をするには』改訂版, AA日本ゼネラルサービス, p.5[↩]
- ibid. p.2[↩]
- AACA, p.37[↩]
- アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, p.152[↩]
- Andrew, Rollie Hemsley: How a Hard Drinking Catcher Made AA an International Phenomenon – The Baseball Historian (baseballhistorian.blogspot.com), 2012-4-27[↩]
- AACA, p.434[↩]
- PIO, カバー[↩]
- BB, p.256/560[↩]
- AACA, p.435[↩]
- AA(AA日本出版局訳編)『アノニミティをご存じですか?』, AA日本ゼネラルサービス, 1989, pp.7-8[↩]
- AA, MG-04 – A.A. Guidelines on Conferences, Conventions and Roundup — Alcoholics Anonymous (aa.org), AA GSO, 2019-1, p.5[↩]
- AA『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語 Vol.2』, AA日本ゼネラルサービス, 2011, pp.86-94[↩]
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