ビッグブックのスタディ (71) さらにアルコホリズムについて 6

AAメンバーは酒を避けるべきか

前回は、ジムという名のアルコホーリクが、牛乳と混ぜればウィスキーを飲んでも大丈夫だ、というナイスなアイデアを突然思いついたために再飲酒してしまった事例でした。BB, pp.52-55)

この事例を取り上げると、しばしば議論となるのが、ジムが食事のために「バーもついている店」に立ち寄ったことの是非です。そんな店に立ち寄らなければ、牛乳にウィスキーを混ぜて飲むことを思いついたとしても、ウィスキーを注文することができず再飲酒は避けられたはずだ、と考える人たちがいるわけです。

つまるところ、これはAAメンバーは酒の出る場所を避けるべきなのか」というトピックなのでありましょう。これについては、AAの中でも意見が別れるところです。

『どうやって飲まないでいるか』
『どうやって飲まないでいるか』

AAには『どうやって飲まないでいるか』という書籍があります。1) 原題の Living Sober のまま「リビング・ソーバー」とも呼ばれています。2) この本には酒を飲まないための31個の提案が書かれているのですが、内容的にはあまり12ステップとは関係ありません。3) AA共同体のなかには、12ステップとは関係なくても、断酒継続のために役に立つアイデアはたくさんあるわけで、それらを教えてくれます。

この本の中で、酒とのつきあい方についてAAメンバーの考え方が紹介されています。まずは、酒のやめ始めの時期は、酒を家から全部なくしたほうが良く4)、また飲み仲間からの誘いを断ったり、飲むための集まりは避けたほうが良いという点では皆が一致しています。5) ――アディクトがクスリの売人の電話番号を携帯電話から削除したり、強迫的ギャンブラーがパチンコ屋の前を避けて歩くのは合理的な行動だと言えます。

しかし、その時期を過ぎた後、家に酒を置くかどうかについては、AAメンバーの意見は分かれています。

来客に酒を出す必要があるのなら、家に酒を常備しておくべきだと考える人たちがいます。「わたしたちの場合、目の前に酒があるから飲みたくなったわけでもなく、手元に酒がないから飲まないでいられたわけでもない」というのが彼らの言い分です。これはそのとおりでしょう。他方で、飲酒衝動が起きたときに、身近にアルコールがなければ買いに出かけなければならず、その間に自分のやっていることに気づくチャンスがあるからこそ、手元に酒がないほうが安全だと考えて、客に出す酒はそのたびに買いに行くべきだとする人たちもいます。どちらにするかは、自分で選ばなくてはなりません。6)

自分の家の中のことではなく、外の世界についてはどうでしょうか? 28番目の「酒の出る場所では慎重に」という提案では、酒の出る場所に行くことについて論じています。先ほど述べたように、断酒初期には酒から距離を取るのが賢いことであるにしても、アルコホーリクはいつまでも酒が出る場所を避け続けるわけにはいきません。私たちはたくさんの人が酒を飲む社会で暮らしており、それは変えようのない現実です。用事もないのにバーでコーラを飲んで時間をつぶすのはナンセンスな行動ですが、それなりの理由があるのなら酒の出る場所を避ける理由はありません。アレルギーがあって何かの食べ物が食べられない人はたくさんいますが、彼らが人付き合いを避けて引きこもっているということはありません。アルコホーリクも同じで良いはずです。7)

ビッグブックの第七章にこうあります:

 私たちが霊的に健全であれば、本来ならアルコホーリクがしてはいけないことも、できるようになる。私たちはいつも人からこう言われてきた。アルコールが出される場所には足を向けるな、家にアルコールを置くな、飲み友だちとは付き合うな、飲むシーンのある映画は見るな、バーには入るな。私たちが友だちを訪ねたら友だちはアルコールを隠せ。私たちはアルコールのことをまったく考えてはならないし、思い出してもいけない……。私たちの経験は必ずしもそうではない。

 私たちはこういった状況に毎日出くわす。それに対処できないのは、まだアルコホーリク的な考え(alcoholic mind=アルコホーリク的精神)を持っているからであり、霊的状況に何らかの問題があるのだ。8)

つまり回復していないから飲むんだよ、と断じています。ビル・Wと出会ったドクター・ボブは、いったんは酒をやめました。しかし、翌月になってアトランティックシティ で開かれる医学会の総会に行くと言い出しました。ボブの妻アンは再飲酒を心配して反対したのですが、ビルは賛成しました。「アルコホーリクは酒をやめたあとも、誘惑や危険に満ちた俗世間でずっと生きていかなければならない」というのがビルの考えでした。もちろん、ボブはその旅の途中で飲んでしまうのですが、その再飲酒の経験が、彼にステップ(の原型)に取り組む意欲をもたらしました。9)

前回のジムも、ステップ1・2・3しか取り組んでいないのですから、彼の回復はおぼつかないものです。そんな彼が、バーのついている店で食事を繰り返していれば、強迫観念が生じたときに、彼の行動を止めるチャンスがありません。案の定、彼はそのままスリップしてしまいました。しかし、その経験が彼に霊的なプログラムに取り組む意欲を与えたのでした。10)

このように「飲まなきゃわからない」人たちもいます――もちろん、飲まなくても自分の問題や霊的解決の必要性がわかる人たちもいますが、スリップが理解の助けになるケースは少なくありません。

私たちの考えでは、アルコホリズムとの戦いは、病人をアルコールの誘惑からなんとかして守ろうとするものであるかぎり、どんなに工夫しても失敗に終わるよう運命づけられているのだ。11)

霊的な解決を伝えていく、という立場からすれば、アルコホーリクが酒の出る店で食事をしようが、強迫的ギャンブラーがパチンコ屋のトイレを借りようが、気にする必要はないはずなのです――気にしなければならなくなるのは、霊的でない事情を絡めてしまうからです。もちろん、スリップを防ぐのに用心深く振る舞うことにこしたことはありません。しかし、用心深さが断酒を実現させるという考えに傾きすぎてしまうと、その人がせっかくステップ1で認めたことが抜けていってしまいます。

意図的な再飲酒

ジムは、なにげなく再飲酒してしまいました。しかし、再飲酒はそのように不用意に起こるとは限りません。時には、アルコホーリクは意図的に再飲酒することもあります。何らかの「飲まずにはいられない理由」BB, p.55)が本人なりにあって、酒に手を出すというケースです。この意図的な再飲酒も強迫観念が引き起こすのでしょうか? 答えはイエスです。

飲まなきゃやってられない、と考えて再飲酒したとしても、アルコホーリクはその結果に「やっぱり飲まなきゃ良かった」と必ず後悔することになります。再び入院することになったアルコホーリクが「これで良かったんです」と爽やかな笑顔で言うことは決してありません。あの時の「飲むための理由」は理由にはなっていなかったのだ、という忸怩じくじたる思いでいるものです。

だがどうであろうと、酔っぱらうための言い訳は、それに続いて必ず起こったことに比べれば、いくら考えてもやはり飲む理由になるほどのものでないと認めないわけにはいかない。いまは気がついている。私たちは、うっかりであろうが、飲んでやろうと始めた時であろうが、実際にどんなひどい結末がやってくるかを、前もって深刻に考えることはできなかったのだ。12)

意図的に再飲酒する場合でも、アルコホーリクはその結果を正確に予想できなくなっています。普段だったらわかっているはずの真実を、その瞬間は見ることができなります。やはりそれも強迫観念なのです。

無謀横断の男

56ページからから第三の事例が登場します。「信号無視をして道路を横切ること」に情熱を傾けてしまう男の話です。この行為は原文では jay-walkingジェイウォーキング と表現されています。

Don't jay walk 1937
無謀横断禁止の啓発ポスター (1937) from Wikimedia Commons, PD

英語版のwikipediaによると、jaywalkingというのは、車が通っている道を交通規則を無視して横切る歩行者のことだそうです。20世紀の初めに jay-driverジェイドライバー という言葉が誕生したのですが、これは四輪馬車や自動車を道路の間違った側(アメリカは右側通行なので左側)で走らせる人を指していました。jay というのは未経験という意味だそうで、初心者であったり田舎者であるので、交通規則に不慣れで反対側を走らせてしまうという侮蔑の意味を含んでいました。やがてその言葉が歩行者に転用されて jaywalker という言葉が生れました。

A man is jaywalking
by mkee81, licensed from iStock

人々がジェイウォーキングをするのには様々な理由がありますが、ビッグブックに登場するジェイウォーカーは、「かなりのスピードで走る車の前に飛び出すことで」ゾクゾクとしたスリルを味わっています。心配する友人たちが危険だからやめるように言っても、それを無視して無謀横断の刺激を求め続けます。やがて彼の運も尽き、何度か軽い怪我をします。正常な人間ならば、こんな危険なことはきっぱりとやめるでしょう。

しかし、彼は無謀横断をやめません。またしても車に当てられて、頭蓋骨にひびが入る怪我を負い、一週間入院します。ところが退院直後に路面電車の前を無謀横断して、今度は腕を折ります。さすがに懲りたのか、彼も「もう二度と無謀横断はしない」と言います。・・・どこかで聞いた言葉ですね。「もう二度と飲まない」「もう二度とやらない」これらはアルコホーリクの決まり文句でもあります。

しかし、それでも彼は車の前に飛び出すことををやめられず、さらに大けがをして、仕事や家族を失い、人々の笑いものになってしまいます。自分の頭の中から無謀横断という考えを消し去ろうと、彼はあらゆる努力をし、自分から精神病院に入院するのですが、退院したその日に消防車の前に飛び出して背骨を折ってしまうのです。

そんな男が狂気でないのなら、いったい何だろう。

 読者はこの話があまりにばかげていると思うかもしれない。そうだろうか。そういうことを私たちはやってきた。この無謀横断をアルコールに置き換えてみれば、この描写が自分たちにぴったりあてはまることを認めないわけにいかない。ほかの事柄ではどんなに優秀でも、アルコールがからむと私たちは信じられない狂い方をしている。きつい言い方だが、そうではないだろうか。13)

アルコホーリクは、この無謀横断の男にそっくりです。アルコホーリクは飲んだらどうなるかという真実を見られなくなって酒を飲みます。無謀横断の男は、車の前に飛び出したらどうなるかという真実が見えなくなって飛び出します。どちらも、強迫観念がもたらす狂気です。アルコホリズムという問題の核心は、肉体ではなく、精神にあるのです。どんなに優秀な人間でも、その狂気には勝てません。

狂気という共通点

ことアルコールに関しては、私たちアルコホーリクは狂っている(we have been insane)のです。過去に狂っていたのではなく、いまもその狂気は私たちの中に宿っていて、消えてなくなってはいません。しらふの自分はマトモだと思っている人は、自分の狂気を認めていないのですし、ステップ1ができているとは言えません。

ステップ1は、この無謀横断の男と自分を重ね合わせて、同じだと思えるかどうかが大事です。僕は、AA以外でも、様々な人たちの12ステップの体験を聞いてきました。さまざまなアディクションを持った人が自分の狂気を認めていました。家族の立場の人たちも、自分の狂気を認めていました。

海外のあるAAコンベンションで、ゲストとしてAC(アダルト・チルドレン)の人が話していました(アルコホーリクではない人です。念のため)。彼はシングルマザーに育てられたのですが、子供の自分が生きていくためにはアルコホーリクの母親に働いてもらわねばなりませんでした。そこで彼は子供ながら一生懸命に母親を支えつつ、「神様、どうかこの狂った母親を助けてください」と毎日祈っていたのだそうです。大人になった彼は、ある女性と結婚したのですが、やがてこの女性もアルコホーリクになってしまいました。彼はキャリアウーマンの妻が働き続けられるように必死で支えつつ、「神様、どうかこの狂った妻を助けてください」と毎日祈り続けたのだそうです。だが、やがて彼は気づいたのでした。狂っているのは母親でも妻でもない、自分自身であると。それからの彼は「神様、どうかこの狂った自分を助けてください」と祈るようになったのだ、と分かち合ってくれました。彼は自分がこの無謀横断の男と同じであることに気づいたのでした。

私たちは何に対して無力なのか?

私たちアルコホーリクは何に対して無力なのでしょうか? AAの12ステップのステップ1は「アルコールに対して」と言っていますが、実際にはアルコホーリクの問題はアルコホリズムという自分の病気であり、しかもその問題の核心は強迫観念(つまり狂気)です。私たちは自分の中に潜んでいる狂気を自分では解消できません(これを「無力である」と表現する)。アルコホールは、私たちのアディクションの対象にすぎません。

AA以外の12ステップでは、何を無力の対象としているか、分類してみましょう:

(A) アディクションや問題の対象:

    • AA – アルコール(alcohol)
    • OA – 食べ物(food)
    • GA – ギャンブル(gambling)
    • DA – 強迫的買い物・浪費・借金(debt)
    • MA – マリファナ(marijuana)
    • CoDA – ほかの人(others)

(B) 病気あるいは心理的問題:

    • NA – アディクション(our addiction)
    • SA – 性的渇望(lust)
    • SCA – 性的強迫症(sexual compulsion
    • ACoA – アルコール依存やその他の家族の機能不全の影響(the effects of alcoholism or other family dysfunction)
    • ACODA – 機能不全家庭の影響
    • ACA – アディクションの影響(the effects of addiction)

(A)のグループのステップ1は、アディクションの対象となる物質や行為を無力の対象としています。一方(B)のグループのステップ1は、アディクションという病気あるいは何らかの心理的問題を無力の対象としています。この違いは重要ではありません。どれであれ12ステップが対象としている問題の本質は強迫観念であり、私たちは自分の抱える狂気に対して無力なのです。表面的な言葉の違いに惑わされずに、本質を掴むようにしてください。

また、家族のグループの12ステップは:

    • アラノン – アルコール(alcohol)
    • ナラノン – 薬物依存症者(the addict)
    • ギャマノン – ギャンブルの問題(the gambling problem)
    • エサノン – (sexaholism)14)

となっています。アラノンはAAと同じ(A)のグループ、ギャマノンとエサノンは(B)のグループに分類できます。ナラノンのステップ1は、どちらでもなく、アディクションの本人を無力の対象としています。ですが、これらの違いも重要ではありません。家族グループの12ステップは、家族自身が抱える問題を解決するためのものです――本人の問題を代わりに解決してあげるためのものではありません。ですから、どれであれ、無力の対象は家族自身の抱える強迫観念(狂気)となります。

もちろん、用語の使い方はグループによってそれぞれです。例えばアラノンは強迫観念や狂気という言葉をほとんど使いません。それにかえて「ゆがんだ考え」や「破壊的な考え」などの表現を使っています。しかし、その意味するところは(特にアルコホーリクに関わろうとするときに)「真実が見えなくなり、虚偽を信じるようになる」ということであり、ビッグブックの説明する狂気と本質的には同じものを指しているわけです。

つまるところ、本人であろうが、家族であろうが、問題の本質は常に自分の中にある狂気(insanity)なのです。私たちは自分の狂気に対して無力なのです。であるからして、誰であれステップ1に取り組む人は、この無謀横断の男に自分を重ね合わせることができるはずなのです。

今回のまとめ
  • 断酒の初期は、酒から遠ざかることが賢いことであるにしても、アルコホーリクは酒の存在する世の中で生きていかなければならず、ずっと酒の出る場所を避け続けるのは現実的ではない。
  • 意図的な再飲酒も、うっかり飲むのと同様に、強迫観念によって引き起こされる。
  • 無謀横断をアルコールに置き換えてみれば、無謀横断の男はアルコホーリクそのものである。

  1. AA(AA日本出版局訳編)『どうやって飲まないでいるか』, AA日本ゼネラルサービス, 1979 []
  2. この文献を使ったミーティングは「リビング・ソーバー・ミーティング」としてミーティングリストに掲載されていた。 []
  3. 30番目の提案に「12ステップをやってみる」があるぐらい。 []
  4. ibid, p.45 []
  5. ibid, p.138 []
  6. ibid, pp.45-56 []
  7. ibid, pp.137-138 []
  8. BB, pp.145-146 []
  9. DBGO, pp.104-107 []
  10. DBGO, pp.104-107 []
  11. BB, p.146 []
  12. BB, pp.55-56 []
  13. BB, p.57 []
  14. 日本語の文献が手元にないために訳語がわかりません。ご存じの方ご教示くださるとありがたいです。 []