ビッグブックのスタディ (87) 私たち不可知論者は 14

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不可知論者は自分をだましている

理性は――たとえそれが人間の最高の頭脳(our best minds)から発せられたものであっても――完全に信頼できるものではない、というのが前回の結論でした。p.80から続けます。

人間は絶対飛べないのだと、その理由を並べた人たちは、いまどうしているだろうか。1)

もうお忘れの方もいらっしゃるでしょうが、多くの科学者がライト兄弟 が飛行機を飛ばしたニュースを信じずに、「空を飛ぶ動力機械を作ることは科学的に不可能だ」という声明を出しました(p.75, 第82回。それが優秀な頭脳を持った人たちの理性が導き出した結論だったのですが、そのしばらく後には、人々が飛行機で旅する時代がきてしまったのです。どれほど優秀な人のものであっても、人間の理性には限界があるのです。

私たちは、この世の問題から霊的に解放されて飛び立っていく人たちの飛行を何度も見てきた。神がそれを可能にしたのだとその人たちに聞かされても、私たちはただ微笑ほほえむしかなかった。霊的に解放されている人を見ていながら、そんなことはうそだと自分に言い聞かせたかった。1)

ここでは霊的な解放をライト兄弟の飛行にたとえています。神がそれを可能にした――12ステップは自分で解決するプログラムではなく、神に解決してもらうプログラム――という証言を聞き、霊的な解放を目にしていながら、なお「そんなことはうそだ」と自分に言い聞かせるのは、自分の頭の上を飛行機が飛んでいるのを見ていながら、空を飛ぶ機械なんか作れるはずがないと信じ続けるようなものです。

私たちの深いところに存在するもの

事実、私たちは自分をごまかして目をつぶっていた。1)

不可知論者・無神論者は自分をだまし続けているのです。自分の頭の上を飛行機が飛んでいるのに、それが見えない振りをして「空を飛ぶ機械は作れない」と自分に言い聞かせている人のように、神の存在に気がついていながらそれを無視している、というのです。

男にも、女にも、子どもにも、一人一人のおおもとの深いところに神の意図がある。1)


for deep down in every man, woman, and child, is the fundamental idea of God.2)

年齢や性別に関係なく、すべての人の深いところに神の意図(神の意志)が存在しています。the fundamental idea of God をどう訳すかは難しいところです。以前の翻訳では神の概念と訳していました。さらに次の段落では、神は自分のいちばん深いところに見つかるとあります。

これを読むと混乱してしまう人たちがいます。私たちの奥底に存在するのは神そのものなのか、それとも神の意志なのか、あるいは神の概念なのか・・・。この三つは厳密には違いますから、何が存在するのかハッキリさせたくなる気持ちも分かります。ですが、むしろこの曖昧さによって、自分の神の概念に合わせた解釈を行なうことが可能になっています。とりあえず、ここでは神が私たち一人ひとりの内部の奥深いところに存在している、という解釈で進めます。

では、神が私たちの中に存在しているのなら、なぜ私たちは、その存在を感じられないのでしょうか?

それは災難や、見せかけの華やかさや、他のものへの崇拝などにおおわれてよくわからなくなっているかもしれないが、何かのかたちをとって必ずそこにある。1)


It may be obscured by calamity, by pomp, by worship of other things, but in some form or other it is there.2)

神の存在が感じられないのは、他の何かに覆われてよく分からなくなっているからだというのです。それは災害や虐待などの被害を受けたのが原因かもしれませんし、虚飾に目を奪われているのかもしれません。社会的成功などを追いかけることが人生の目的になってしまっているせいなのかもしれません。その他のものであるかもしれません。いずれにせよ、何かが、私たちと「内なる神」との間を邪魔しているために、私たちには神の存在が分かりにくくなっているのです。

第五章以降には、神との間に存在する障害物(block)を取り除くという言葉や、自分自身の掃除(housecleaning)という言葉が登場します。3) つまり、12ステップは、自分と神との間にある障害物を取り除くことで、自分と神が直接触れ合えるようにするプログラムなのです。それが実現したとき、当然のこととして、人は神の存在を意識するようになります(p.74, 267/571)4)

自分を超えた偉大な力への信仰と、その力によって人生に現れる奇跡は、人類が始まってからずっとあったのだ。5)


For faith in a Power greater than ourselves, and miraculous demonstrations of that power in human lives, are facts as old as man himself.2)

僕は as old as man himself を「人類が始まってからずっと」と訳すのが誤訳だと言えるほどの英語力を持っているわけではありませんが、この訳が不自然だという指摘はよく耳にします。「その人と同じぐらい古い」とは、「その人が生れてからずっと」という意味であり、「一生を通じて」という意味になります。つまり、自分を超えた偉大な力への信仰と、人生におけるその力の奇跡的な現れは、私たちの一生を通じた事実ファクトなのです。その次の段落では、何らかの神への信仰は私たち人間を構成する一部なのだ、と述べています。

つまり、私たち人間は、生れたときから神への信仰を持っているはずであり、それが人間にとって自然な状態であるのに、人生でいろいろなことを経験した結果として、その信仰を失ってしまった、ということになります。回復(recovery)という言葉が、本来の状態に戻ることを意味するのであれば第17回、神への信仰を持った状態に戻るのが回復ということになります。

第2回で、ビッグブックの著者らは自分たちをいま回復中(recovering)ではなく、すでに回復した(have recovered)と表現していることを説明しました。それは、自分を超えた偉大な力への信仰を持った状態に戻ったという意味であり、霊的な目覚めを経験したと意味でもあります。

p.81の段落では、彼らが神を自分の一番深いところ(deep down within us)に見つけたと述べています。神はいつも私たちの最奥さいおうに存在するのです。

しかし、霊的目覚めを経験するためには、単に神を信じることにしただけでは足りず、自分と神の間にある障害物を取り除かなければなりません。それが自分自身の掃除と呼ばれる作業であり、まず最初にステップ4から9で大掃除をしたあとは、ステップ10で毎日のこまめな掃除を続けていくことになります。そのようにして障害物が取り除かれていくにつれ、私たちは霊的な目覚めを少しずつ経験していきます。経験することで、神の概念も変わっていきます。

内なる神の概念

では、私たちの奥底にいる神とはどんな存在なのでしょうか? もちろんそれは、一人ひとりの神の概念によって異なります。そこに神そのものが存在すると考えている人もいます。これは実に分かりやすいシンプルな解釈です。

一方で、神が自分の内側に存在するという考えに違和感を持ち、神は自分の外側に存在すべきだと考える人たちもいます。そういった人たちのなかには、自分の奥底に存在しているのは神の意志を受け取る受信機のようなものだ、と解釈する人もいます。つまり、電波塔から送信された電波を受信するアンテナのような、あるいはパソコンとインターネットを接続するルーター のような存在が、自分の一番深いところにあると考えるわけです。神そのものはそこにいなくても、神の意志がそこに存在することになります。

次に紹介するのはあるAAメンバーの言葉です(ジョー・マキューではないかと思われるのですが確証がありません):

神は私たち一人ひとりの中にスピリットを入れた。私たちはそれを通じて神とつながることができる。だから私たちは、私たちの中にスピリットがあると信じなければならない。自分の心臓を見たことがなくても、自分の中に心臓があると信じることができるように。

いずれにせよ、私たちの一番深いところには、神、あるいは神とつながっている何かが存在しているのです。

自分の意志と神の意志

私たちは自分の意志を持っています。自分の意志は自分の内部にあります――自分の意志が自分の外側にあると考える人はいないでしょう。そして、神の意志も私たちの内部に存在しています。つまり、私たちの内側には、二つの意志(will)が存在しているのです。一つは自分の意志(self-will)、もう一つは神の意志(His will/God’s will)です。6)

私たちは自分に意志があることを意識していますが、自分の中にもう一つの意志(神の意志)があることは意識していません。それは、神との間に存在する障害物によって神との関係が邪魔されているからです。

霊的に目覚めた人たちは、神の存在を意識することが彼らの人生にとって最も重要な事実だと言います(p.75, 第81回。上の図ならば、神との関係として示されている矢印が、いちばん大切なことです。だがそれは障害物によって邪魔されてしまっていて、私たちは自分の外側にいる他の人たちとの関係にばかり気を取られてしまっているのです。

他者との関係がどうでも良いと言っているのではありません。人間は社会的動物 であり、お互いに頼り合って生きるようにできています。だから他者との関係は大切です。しかしそれだけでなく、人は神を頼りに生きていくようにできているのです。人との関係と神との関係の両方とも必要なのに、理性に依存した結果として、人との関係しか持たなくなってしまった。それが私たちののなさをもたらしているのです。

おおもとの深いところに存在する

さて、ビッグブックは神(の意志)は、私たちのおおもとの深いところに存在すると述べています。それに合わせて、神を自分(self)の真ん中にもってきたのが下の図です。

人生(生活・生命)の三つの次元(構成要素)ジョー・マキューによる12ステップの説明に触れたことのある人は、これに似た図を見たことがあるでしょう。彼が作った施設向けのプログラムであるリカバリー・ダイナミクスの資料にも7)、また彼がAAメンバー向けに書いた12ステップの書籍にも8)、ジョー・アンド・チャーリーのビッグブックスタディというAAイベントで配布された資料にも、これとほぼ同じ図が掲載されています。(いくつかのバリエーションがあり、この図はそれらを参考にこのスタディに合わせて新たに作図したもの)。

ジョーによれば、これは彼が考えたものではなく、ビッグブックに書かれていることです。

ビッグブックの全編を通じて、ビル・ウィルソンは人生の三つの次元について論じている。

    • スピリチュアルな次元――私たちの核
    • 精神的次元――知的生活(私たちの心の活動)
    • 物質的・社会的次元――人生でもっとも見えやすい部分

人生をこの3つが同心円で構成されていると見れば、ほとんどの人は、まず見えやすい部分であるいちばん外側の円――他者へのふるまいと他者との関係に焦点を絞る。外側の円を構成するのは、仕事、金銭、健康、家庭と家族など、私たちがかかわるすべてのものである。「こういうものが全部手に入れば、私は心から幸福になれるのに」 多くの人はこんなふうに考える。自分の外側が良くなれば内側も良くなるというのである。しかし、自然界に存在するものはすべて、内側から外側に向かって成長する。これは新しい原理ではなく、偉大な宗教の書に共通する生き方の原理である。AAが作ったのではない生き方の原理である。9)

私たちが自分(self)として意識している精神の活動が、図に水色の輪として描かれています。これが精神的(mental)な次元です。私たちが、精神とか心と呼ぶものです。

そして、私たちの精神よりも深いところには霊的(spiritual)な次元があり、そこにが存在します。しかし、神は障害物によって覆い隠されているために、私たちにはその存在が意識できず、自分と神が触れ合うこともできなくなっています。

さらに私たちは、物質的・社会的なものに取り囲まれて生きています(黄色い輪)物質的(physical)とは金銭や財産のことであり、社会的(social)とは人間関係や社会的地位のことです。これらは人間が生きていくのに必要なものであるだけに、私たちの関心は、これらの外側のものに向かいがちです。

私たちは生きていくための金のあるなしで悩み(金銭・財産)、金銭を手に入れるための仕事のあるなしで悩み(地位)、家族や職場の同僚やAAメンバーとの人間関係で悩み(他者)、自分が他の人からどう思われているかで悩み(評価)・・・このように外側の状況が私たちの心に悩みや苦しみをもたらすと考えて、自分の心を幸せにするために外側のこれらのことを修正しようと試みるのです。10)

しかし12ステップはそういう方法ではありません。ステップ1で、私たちの病気は自分の力(図の青い輪)では解決できないことを学びました。また、私たちが生きていく上で抱える様々な問題のなかにも私たちの力では解決できないものがあることを知りました(p.76, 第83回)

だが私たちの最も深いところに存在する神には、私たちのアルコホリズムという病気(アディクション)や生きる上での問題を解決することができます。だからこそ、霊的に目覚めた人たちは、神との関係こそが人生で最も大事なものだと言うのです。

私たちは、外に向きがちな関心を自分の内に向け、おおもとの深いところに存在する神との関係を取り戻さなくてはなりません。

ビッグブックでもジョー・マキューの書籍でも dimension を次元と訳していますが、要素と訳した方が分かりやすかったかもしれません。

立体っぽくしてみた

さて、この三重の同心円の図はたいへん良くできた図だと思うのですが、もう少しわかりやすくして欲しいというリクエストをいただきました。あるAAメンバーがこれを立体図として描いたところ好評でした。僕にはそれだけの絵心がありませんので、PowerPointの図で立体っぽく見える図を描いてみました。

人生(生活・生命)の三つの次元(構成要素)スピリチュアルな次元(緑)、精神的な次元(青)、物質的・社会的な次元(黄)は前の図と同じ色で描いてあります。内なる神の存在は、障害物に覆われて意識しづらくなっています。

いや、そもそも私たちは、この図のように、自分の中に存在するのは自分だけだと思っているものです。自分だけが孤独に外部の物質的・社会的存在と対峙しているように感じられるのです。

しかも、この図のように、障害物の存在すら意識していないのが普通です。なぜ障害物の存在すら意識しなくなってしまうのでしょうか? 例えば、私たちの眼球には盲点 が存在します。それは視角にして約5度という比較的大きな欠落であるにも関わらず、視野の中の盲点の存在は意識できません。これは、フィリングイン という認知の特性によって、欠落が補完されてしまうからです。私たちが自分の内面を意識する際にも、同じような補完が行なわれて、まるで欠落などないかのように感じられるのかもしれません。

大きな虚無

しかし、欠落の存在が感じられなくても、欠落そのものが消失するわけではありません。私たちが自分(self)と見なしている精神には、真ん中に大きな穴が開いているのです。僕は、いろいろなAAメンバーが、この穴について語るのを聞いたり読んだりしました。この欠落を vacant(空っぽ)と呼ぶ人もいましたし、Big Empty(大いなる虚無)と呼んでいる人もいました。

内面に大きな虚無を抱えて生きるのは、たいへん虚しいことです。生きることの意味が感じられません。カール・ユングは、晩年にビル・Wに宛てて書いた手紙の中で、「アルコールへの渇望は、深いレベルで、全体性を求める、古くさい言葉で言い換えるなら神と一体となることを求める、私たちの存在のスピリチュアルな渇きに等しいのです」と書きました(cf. 付録C

私たちアルコホーリクは、酒を飲むと、いっときこの虚しさから解放され、生きる意味を感じることができます。しかし、その陶酔感は長続きしないので、私たちはこの穴に酒をひたすら注ぎ込み続けなければなりません。そして気がついたときにはアルコホーリクになっていました。おそらく、他のアディクションの人たちも、注ぎ込んだものは違うにしても、この虚無を埋めようとしたのは同じなのではないでしょうか。

あるNAのメンバーが、この穴を God shaped hole と呼んでいました。神の形をした穴です。この穴は神の形をしているので、神以外の何をそこに入れても、必ず隙間が残ってしまい虚しさは解消できません。唯一、神にこの穴に入ってもらうことだけが、全体性を達成する手段なのです。

実のところ、神様は私たちが生れたときからずっとそこにいるのです。ただ私たちが障害物を作って神を拒否してきただけなのです。だから、内面にある障害物を取り除くという、全体性を取り戻す旅をステップ3から始めるのです。

ステップ2の「健康な心(sanity=正気)」の語源はラテン語の sanus で、その意味は「欠けていない」すなわち全体(whole)であることです。健康な心=正気=全体性です。

僕の経験

もう20年以上前のことです。僕は仕事で台湾に何度も出張しました。当時の台北には路上に乞食 がいました。僧侶の托鉢 ではなく、物乞いを仕事とする人たちでした。わざと汚した服を着て、顔や手も汚して、路上に平伏し、往来する人の哀れみを乞うて小銭をもらうわけです。彼らも仕事が終われば、普段着に着替えてビールでも飲んでいるのかもしれない、と考えると、缶に小銭を入れる気にはなれませんでした。しかし、僕に台北の街を案内してくれた商社の人は、気前よく小銭を放り込んでいました。

あるとき、若いお母さんが幼い女の子を連れて、一人の乞食の前を通りかかりました。すると、その女の子がお母さんの手を引っ張って、その注意を乞食のほうへ向けました。お母さんは首を振って、乞食の前を通り過ぎようとするのですが、女の子はなおも母親の手を引っ張りました。

その光景を見ながら、僕は考えてしまいました。女の子はその乞食に何かをあげたいと思ったのでしょう。だが、そうするように誰かに教えられたというわけではないはずです。それにはあまりに幼すぎますから。ただ、乞食を見て、可哀想だから何かしてあげたいと思いついたのに違いありません。、彼女は何をすれば良いか知っていたのです。

その光景を思い出すと、人間には生れながらにして、どう考え、どう生きれば良いのか教えてくれる何かが備わっている、としか思えないのです。

ところが、僕にしても、そのお母さんにしても、その乞食に小銭を恵もうとは思わなかったわけです。だって、それが彼の仕事でしょ、という理屈なのですが、そのように、損得勘定ができるようなると、内側にいる神様からは、何も伝わってこなくなってしまうようです。

それからは、ときどき気が向いたときに、乞食の前に置いてある空き缶に小銭を放り込むことにしました。あの女の子の姿を思い出してしまうからです。ただしこれは僕の理性の働きに過ぎず、内なるハイヤー・パワーの導きによるものとは違うのですが。

その後、勤めていた会社が倒産し、僕は別の会社に移ったので、台湾に出張に行くことはなくなりました。4年ほど前に、十数年ぶりに台湾を訪れました。妻と一緒の観光旅行だったのですが、台北もすっかり洗練された都市になり、乞食は一人も見かけませんでした。社会福祉や治安の改善によるものなのか、法律で禁じられたからなのか、その事情は知りませんが(地方にはまだいるかもしれないし)。よく乞食がいた一角には、得体の知れないモニュメントが設置されていました。

荒井由実 やさしさに包まれたなら

心の奥底を探る

私たちにできることは、少しばかりの地ならしにすぎない。ここまで書いてきたことが、あなたが偏見を取り除き、心の奥底を正直に努力して探ろうとする(search diligently within yourself)手助けになればうれしい。11)

diligently(熱心に)という言葉がなぜ「正直に努力して」と訳されるのか疑問でなりませんが、ともあれ、12ステップは、もっぱら私たちの内面を探る作業になります。

これが私たちが目指す回復の理想を描いた図です。障害物が取り払われ、自分と神が触れあえるようになっています。実際のところ、12ステップに真剣に取り組んだとしても、このようなまっさらな状態は実現できません。そのような完全な状態に到達できた人は誰もいないとビッグブックに書かれていますし(pp.86-87)、私たちの経験もそれを示しています。12ステッププログラムは、完全に実行することも、徹底的に実行することも決してプログラムなのです。

それでも私たちはそれを目指してプログラムに取り組みます。その結果として、少しでも神と触れ合うことができれば、それだけでも私たちの人生は過去とは大きく変わっていきます。その経験が、もっとたくさん神と触れあいたいという意欲を私たちに与えてくれます。アルコールがもたらした陶酔感はほんの一時のものでしたが、神との触れ合いが与えてくれるものはもっと持続的なものです。

ハイヤー・パワーは私たちの一番深いところに存在します(少なくともそこには神の意志が存在します)。私たちは自分の内面を掃除することで、心の奥底を探り、全体性(神との合一)を目指すのです。

今回のまとめ
  • すべての人の奥深いところに神が存在する。
  • 神は私たちの内側に存在するにもかかわらず、障害物によって覆い隠されてしまっているために、私たちにはその存在が意識できず、自分と神が触れ合うこともできなくなっている。
  • 12ステップはその障害物を取り除き、全体性(神との合一)を取り戻す作業である。

  1. BB, p.80 [] [] [] [] []
  2. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.55 [] [] []
  3. BB, pp. 92, 103, 104, 105, 110, 119, 121, 136, 142. []
  4. 12&12のステップ11では、神との間の channel(水路・通信路)と表現されており「パイプ」と訳されている(伝声管みたいなイメージか)。それが「怒りや恐れ、欲求不満、誤解などで詰まってしまう」とある — 12&12, pp.126-139 []
  5. BB, pp.80-81 []
  6. ビッグブックは1930年代に書かれた本なので、神に対しては男性の人称代名詞が使われているが、最近書かれる文章ではジェンダーレス の考えから神について人称代名詞を使わない表現が増えている。 []
  7. The Kelly Foundation(セレニティ・プログラム訳)『12ステップ・ガイドブック』, 2013, セレニティ・プログラム, pp. 55, 101, 114, 121, 135 []
  8. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p. 81, 155, 176 []
  9. ジョー・マキュー, p.160 []
  10. 12&12, p.64 []
  11. BB, p.81 []