ビッグブックのスタディ (17) 医師の意見 8
解決はどっちに?
前回は、アルコホリズムは身体のアレルギーと精神の強迫観念の組み合わせだという説明をしました。では解決はどちらにもたらされるのでしょうか。
まず、身体のアレルギー反応(渇望)を完全に抑制する方法はありません。シルクワース医師は「私たちの知るかぎり、これまでにこの症侯を根治できる治療法はなかった」(BB, p.xxxviii (38))と書いていますし、第三章には「科学はいつかそれをやり遂げるかもしれないが、まだ実現していない」(p.46)とあります。ビッグブックが書かれたのは約80年前ですが、科学はまだ「普通に飲めるようになる薬」を作り出せていません。
12ステップに取り組んでも、アレルギー反応は解決できません。普通に飲めるようにはならないのですから、それがご希望だという人は他の手段をあたってもらうほかありません。
12ステップは精神の強迫観念を解決する手段です。強迫観念が解決できれば、アルコホーリクは再飲酒することがなくなります。この図で示すならば、解決は右半分の精神の側で起こるということです。
霊的変化が起これば回復できる
ビッグブックのp.xxxvi (36)の7行目から:
・・・何度も何度も繰り返される。心理現象のような霊的変化(psychic change)が全面的に起こらなければ、その人には回復の希望はほとんどない。1)
言い換えれば、霊的な変化が起これば、この繰り返し(アディクションのサイクル)から脱出できるということです。次の段落に進みます:
一方で、理解しない人には不思議としか思えないが、いったん霊的な変化が起こると、(中略)・・・その同じ人が、アルコールヘの欲求を簡単にコントロールできるようになっている自分に気がつく。そのためにただ一つ必要な努力は、幾つかの簡単なルールに従うだけのことなのだ。1)
「幾つかの簡単なルール」とは12ステップのことです。つまり、12ステップに取り組んで、その結果として霊的変化が起これば、あなたは回復できる、とシルクワース医師は言っているわけです。
回復とは何か
「回復とは何か」という質問をよく受けます。
回復(recovery, recover)とは、病気や怪我が良くなることを指して古くから使われている言葉です。怪我によって出来た傷が、ふたたび(re)皮膚で覆われる(cover)のが語源だそうです。しかし、アルコホリズムのような完治することがない慢性病の場合には、何をもって回復とするかは難しいです。
ではあるものの、ビル・Wたちにとって何が回復であるかは極めて明白でした。それは「12ステップに取り組むことによって得られる霊的変化」のことです。
その後、アルコホリズムを始めとしてさまざまな依存症が病気と認められるようになりました。それにより医療や心理や福祉などいろんな分野の人たちが依存症のことを扱うようになり、その人たちがそれぞれに回復の定義をするようになったために、回復という言葉は多様な意味で使われるようになりました。その多様性・多義性は回復という言葉に曖昧さをもたらしました。その曖昧さは実際に回復を望む当事者に、何を目指せば良いのか分からないという戸惑いを与えています。僕のような者にまで「回復って何ですか?」という質問が寄せられるのには、そんな事情があるのだと思われます。
僕は、回復の意味が多様化したことを非難するつもりはありませんし、回復に統一した定義をもたらそうというつもりもありません。ただ、12ステップに取り組む人は、
であることを忘れないでおいて欲しいのです。
サイキック・チェンジ
ところで、霊的変化の元の英語は psychic change です。シルクワース先生はスピリチュアルという言葉を使っていません。psychic という言葉には二つの意味があります。
1. 精神の,精神的な ⇔身体の(physical)
2. 心霊(現象)の;超自然的な
1の意味に解釈すると、私たちの精神に変化が起こる、というヒジョーに無難な翻訳になります。
2の意味に解釈すると、急に怪しげになってきます。心霊現象とか超自然的現象という、ムーみたいなオカルト の雰囲気が漂ってきます。サイキックには霊能力者とか超能力者という意味もありますしね。
どちらの意味に訳すかは、翻訳者の悩みどころでありましょう。中国語のビッグブックの繁体字版は心靈變化という訳語になっています(つまり2です)。一方、日本語のピーター神父による古い訳では精神的変化となっていました(つまり1です)。中国語の簡体字版では心理上的改变となっています。3)
そして、現在の日本語版は1と2を組み合わせた「心理現象のような霊的変化」という苦肉の策になっています。思わず「どっちだよ!」とツッコミたくなりますが、両方の意味を含めたということでしょう。psychic change という言葉は3回出てきますが、2回目は「霊的変化」だけになっています。
神秘学 的な雰囲気が混じるのを嫌う人たちは、純粋に1の意味に解釈することを望む傾向があります。しかし第13回で取り上げたように、シルクワース医師が科学的な手段による治療には限界があると認めて、人間を超えた力の必要性を訴えていることも無視できません。1の意味を含みながら、2の意味と解釈するのが妥当でしょう。
アルコホリズムが科学的手段では治せないために、科学以外の手段を頼ってビル・Wたちが作り上げたのが12ステップです。その出自に非科学的な要素が含まれているのは確かですが、12ステップによって何十万人ものアルコホーリクが酒をやめ続けているという事実を無視する方が非科学的な態度でありましょう。(cf. 12&12, AAWS, 2001, pp.37-38)
そして、この霊的変化と、ステップ12の文言に出てくる霊的な目覚めと、ビッグブックに頻繁に出てくる霊的体験という三つの言葉は、同じことを指しています。
psychic change = spiritual awakening = spiritual experience
言葉の違いに惑わされないでください。本質的にはどれも同じ現象を指しています。
誰が霊的変化をもたらすのか
霊的な話をもう少し続けましょう。p.xxxvi (36)の最終行から、次のページの先頭行にかけて、シルクワース医師はこう述べています:
アルコホーリクに根底からの変化をもたらすのには、人間の知恵を超えた何かが必要なのではないか。4)
One feels that something more than human power is needed to produce the essential psychic change.5)
「根底からの変化」の元の英語は psychic change つまり霊的変化です。そして、「人間の知恵を超えた何か」は何を意味するのでしょうか?――当然それはハイヤー・パワー(神)です。シルクワース医師は、自分の多くの患者たちの回復を見守ってきて、アルコホーリクに霊的変化をもたらすのには人間の力を超えた何か(ハイヤー・パワー)が必要だと感じていたのです。
・人間の知識を集めたものを超えたところに存在する善の力
・アルコホーリクを死の門から連れ戻してくれる一つの力
・彼ら自身を超えた偉大な力
・人間の知恵を超えた何か
回復するためには、自分に霊的変化が起これば良いのです。ところが、霊的変化は自分で自分に起こすことはできず、ハイヤー・パワーに起こしてもらわなくてはなりません。12ステップは、自分で自分を助けるプログラムではなく、ハイヤー・パワーに助けてもらうプログラムです(その意味でこれは「自助」ではない)。
12ステップの根本原理の一つは、「自分で出来ないこと(霊的変化)を、ハイヤー・パワーがしてくれる」というものです。この趣旨の表現はビッグブックに何度も登場します。
すると当然「そのハイヤー・パワーって何者?」という疑問が湧いてくるでしょう。ビッグブックをここまで読んできた限りでは、ハイヤー・パワーとは、人間の力を超えた何かであり、それは私たちに霊的変化を起こして、回復させてくれるもの、という情報しかありません。
そして「霊的変化は具体的にどういうことなのか」についても、12ステップをやれば良いという以上の情報は出てきていません。分からないことだらけで、モヤモヤするでしょうが、モヤモヤを積み残したまま、次回に続きます。
第2回で取り上げたように、ビッグブックを書いた人たちは、「自分たちはすでに回復した(we have recovered)」と述べています。つまり、彼ら約100人は何らかの霊的変化を経験したわけです。だから、上の二つの疑問に対する答えは、当然彼らの書いたビッグブックの中にあります。
- アディクションのサイクルから抜け出して助かるためには、霊的変化が起これば良い。
- 回復とは霊的変化のことである。
- 霊的変化を起こすには12ステップに取り組めば良い。
- 霊的変化を起こしてくれるのはハイヤー・パワーである。
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