ビッグブックのスタディ (115) 行動に移す 7

年末の12月30日(土)の夜に、「エビーの物語」の特別セッションをオンラインで行います。若き日のマンチェスターでのエビー・Tビル・Wとの交流から始まり、回復の原理がエビーからビルに手渡されるハイライトシーン、そしてAAの発展からエビーが取り残されていく様子を追うことで、回復のメッセージの本質を探っていきます。関心のある方はご自由にご参加ください(1年半前に行ったのと同じ内容です)。

さらに翌週1月6日(土)はアーネスト・カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』を学ぶスタディ・ミーティングの第3回を行う予定です。

さて前回は、相手に会いに行き、自分の誤りを認めて謝罪するという最もシンプルな埋め合わせについて説明しました。しかし、それだけでは埋め合わせとして不十分な場合もあります。113~120ページでは継続的な取り組みが必要になる埋め合わせについて述べています。

そのなかで最初に取り上げられているのは原状復帰についてです。

原状復帰

たいがいのアルコホーリクは借金をしている。私たちは債権者を避けない。1)

アルコホーリクが何らかの負債を抱えていることは珍しくありません。113ページには単純な借金について述べられていますが、その他にも経費の水増し請求をして不正に金銭を手に入れたというケースや、離婚した妻に慰謝料を払っていないというケースも扱われています(pp.113-115)

現在の翻訳では alimony を慰謝料と訳していますが、alimony には離婚の慰謝料だけでなく、子供の養育費や、離婚前の別居時期の生活費負担なども含まれます(だから、養育費と訳した方が実情に合うと思います)。

ではこうした借金(負債)についてはどうすればいいのでしょうか? もちろん返すべきものは返さなくてはなりません。問題はそのやり方です。ジョー・マキューはこう述べています:

 たいがいのアルコホーリクは、彼のエゴから、借りがある人のところに金の詰まった袋を持って行き、その袋を机の上に投げ出して「借りた金はこのとおりだ」などと言いたがるものである。2)

つまり、借りがある状態では相手に会うことを避け、借りを全部返せるようになってから相手に会おうとするのです。しかしそれでは、借りた金を全額揃えるのは容易なことではないので、埋め合わせが無期限に延期されるという結果になりがちです。ビル・Wたちはアルコホーリクのそんな傾向をよく理解していたので、こう提案しています:

自分にできるかぎりの支払いの取り決めをし、申し訳なく思っている気持ちを伝える。1)

また、アルコホーリクが離婚した妻に養育費を払っていなかったケースで、(酒をやめて何とか生活できるようになった後で)、妻に少額の金を送り、その先も支払っていく約束をしたという例を紹介しています(p.115)。ジョーも先ほどの続きでこう述べています:

しかし私たちに必要なことは、借りがある人のところに行き、自分にできる最良の方法での返済の約束を謙虚にお願いすることである。相手が受け入れてくれるかどうかが心配になるが、債権者のほとんどは、どのような方法であっても返済を喜ぶ。だから、私たちは彼らのところへ赴き、座り、この負債の解決の相談をする。カギは意欲である。2)

チャーリー・Pの話はより具体的です:

That if I owe you money for any reason I need to come to you and say, “Look, I know I owe you the $1200 and you know it too. And I’m trying to get my life straightened out. I’m sorry I can’t pay you that amount of money today. But what I’d like to do is start paying you $5/week or $10/week.” Whatever I can live with. And I start paying you that $5 or $10/week or 20 or whatever we’ve decided on. And as the weeks go by, some morning I wake up and I say “Hey that suckers paid off.” I don’t have to worry about that one anymore. The fear and guilt and remorse is gone. I go to the next one. And I say, “Now you and I both know that I owe you a couple thousand dollars. Can’t pay you today. But I’d like to start paying you about $20/week.” And I start paying you $20/week and some morning I wake up and that sucker’s paid off too. And then I go to the next one. And then the next and then the next one and someday I’ll wake up and by golly they’re all paid off.3)


もし私が何かの理由で金を借りているとするなら、相手のところに行ってこう言います。「私があなたに1,200ドル借りがあるのは知っていますよね。私は自分の人生を立て直そうとしています。今日、その額を全額支払うことができなくて申し訳ない。けれど、これから毎週5ドル(あるいは10ドル)ずつ支払うことにしてもらえないだろうか」。いくらであれ私が受け入れられる額をです。そして週に5ドルでも、10ドルでも、あるいは20ドルでも、決めた額を払い始めます。そして週が過ぎていけば、ある朝、私はこう言うでしょう。「やあ、借金を支払い終えたぞ」、もうそのことを心配しなくて良くなります。恐れや罪悪感や後悔は消えていきます。次のところに行き、「私があなたに2,000ドル借りているのはご存じでしょう。今日全額は支払えません。けれど、これから毎週20ドル支払うようにしたい」。そうやって20ドルずつ支払うのを始めると、借金を支払い終えたぞと言える朝がやってきます。そして次の所へ行く。それが終わったら次へ、終わったら次へ。やがてはいつか、すべての借金を返し終える朝がやってきます。(拙訳)

借金の返済のために自分の負うべき責任を回避してはなりません。あなた自身の生活費、家族を扶養しているなら家族の生活費、あなたの回復に必要なお金、そういったものを削ってしまった結果としてまた飲んでしまえば、返済どころではなくなるでしょうから。しかしながら、もしあなたがかなり貧しかったとしても、毎月五千円を、それが無理なら千円を、返済のために捻出するのはそれほど難しくないはずです。借金全額を用意できるまで相手から逃げ回るのではなく、たった千円で相手への負い目を頭の中から追い払えるのなら、安上がりではないでしょうか。あとは、完済できるまで払っていけば良いのです。チャーリーの話を続きを読みましょう:

Now a guy came to me one time and we were discussing this. And he said “Charlie if I try to pay them so much a week, do you know how old I would be before I got them paid off?” You’d be the same age that you would be if you didn’t pay them off. It don’t make any difference. I’ve lived long enough to know that time is going to pass. I wish I could stop it but I can’t. And as time passes I can use it for a worthwhile purpose, do something about these things, or I can keep putting it off and putting it off and putting it off and 5 years or 10 years or 15 years from now still be in the same situation and maybe drunk in the meantime.4)


ある人とこのことについて話していたとき、その人はこう言いました。「チャーリー、もし私がこのやり方で毎週返済していったとしたら、全部返し終えるころにはいったい何才になっているんだろう」。金を返さなくても、あなたは同じ年齢に達するでしょう。返しても返さなくてもそのことに違いはありません。私は時間は必ず過ぎるものであることを知るには十分長く生きてきました。できれば時間が過ぎるのは止めたいと思いますが、それはできません。時間を有効に使って、こういうことをやっても、あるいはそこから逃げて、逃げて、逃げても、同じように5年、10年、15年という日々は過ぎていきます。やらなければ、状況は変わらず、いつ飲んでしまうとも知れません。(拙訳)

ジョーも、「時間を味方につけるか、浪費するか、どちらかである」と述べています。5) 僕にも借金があり、いまだに毎月返し続けています。一つの借金を返し終えれば、次の借金に取り掛かり、またその次にとやっていって、死ぬまでに全部返し終えるかどうかは分かりませんが、自分ができることをやるしかありません。AAミーティングで話しても、考えてみても、借金が消えてなくなることはないのですから。行動が必要なのです。

知り合いからの借金の場合、あなたが返済した金を、その相手が薬物を手に入れるのに使ったり、ギャンブルにつぎ込んでしまうという心配もあるかもしれません。しかし、いつも心に留めておかなければならないのは、私たちは相手のために埋め合わせをするのではないということです。何よりも自分自身の回復のため、神との関係を邪魔している障害物を取り除くためです。相手がその金をどう使うかは相手の問題であって、私たちは自分の問題に取り組むべきなのです。

12ステップは自己中心性を減らしていくためのプログラムでありながら、自分に最大のメリットがある selfish(利己的)なプログラムであると言われるゆえんです。

また、支払っていない税金や交通違反の反則金なども埋め合わせのリストに入れて、支払いの算段を立てることも必要でしょう。支払いを猶予してもらうしかない場合でも、そのための行動も必要です。ほったらかしにしておけばいつまでも未納金のことで怯え続けなければなりません。


『酒とバラの日々』
『酒とバラの日々』

 

今回も12ステップを扱っている映画を紹介しましょう。『酒とバラの日々 (1962年)では、アカデミー賞俳優のジャック・レモン (1925-2001)がアルコホーリクの主人公を名演しています。この映画はAAのGSOスタッフが脚本家にAAのことを詳しく伝えて書かれただけあって、AAのミーティングやアルコホリズムの実情が克明に再現されています。

この映画の中で、レモン扮する主人公ジョーが妻の父(つまり義父)に埋め合わせをするシーンがあります。酒飲みのジョーが妻に酒を飲ませたせいで、夫婦ともどもアルコホーリクになり、生活が立ちゆかなくなってしまいます。義父は娘夫妻の再出発のために金を貸したり、自分の経営する農園で二人を働かせたりして支えようとするのですが、貸した金は酒に変わり、農園で栽培している花は酔ったジョーに滅茶苦茶にされていまうのでした。やがてジョーだけがAAで酒をやめ、埋め合わせのために義父の農園を訪れるのでした。

そのジョーに対して、義父は「娘はお前に会うまではビールさえ飲まなかったのに、お前が飲ませたのが悪いのだ。退院したばかりなのに飲みに出たままもう三日も帰らない。お前にさえ出会わなければ!」と言ってジョーの首を締めるのです。それに抗って、ジョーがなんとか借りた金額と花の金額が書かれた小切手を渡すと、義父は「そんなものは要らない」と拒否するのですが、ジョーは一言「自分にはこうすることが必要なのです(I need for me to do it)」と言ってそれを置いて静かに去って行くのでした。

「過去を正す」といっても、できることは限られていること、でもできることはしなければならない、という埋め合わせの現実をこれ以上的確に描き出している映画を他には知りません。(DVDもまだ売られていますし、Amazon Primeでも観ることができます)

借金返済だけではなく、別の原状回復として、相手の名誉を回復させたというケースが116~117ページに掲載されています。

傷つけない限り

埋め合わせを行うと、自分が過去に行った悪事が明るみに出て、そのせいで「職を失い、あるいは信用をなくし、あるいは刑務所行きになるかもしれない」(p.114)という場合もあるでしょう。しかし、そんな場合でも尻込みしてはならないとあります。しかし、同時に慎重であらねばなりません。

だがふつうは、他の人が巻き込まれることが多い。だから、自分をアルコホリズムの地獄から救い出すために、必要もないのに他人を犠牲にしてしまうような、軽率で愚かな殉教者じゅんきょうしゃになってはいけない。6)

ステップ5にも「他人を犠牲にして自分だけが安全な場所に身を置く権利は誰にもない」(p.107)とありましたが、ステップ9も同じです。私たちは他者の犠牲の上に自分を回復させることはできません。

他人を巻き添えにするような思い切った行動を取ろうとするときには、実行する前に相手に納得してもらうようにする。許可が得られ、いろいろな人たちとも相談し、神に助けを求める。その上でその断固とした行動を取るべきことがはっきりしたときには、ひるんではいけない。7)

他の人が巻き込まれるような埋め合わせをしようとする場合には、巻き込まれる人たちの同意と神からのゴーサインの両方が得られたときにだけ行うべきだとしています。上に挙げた相手の名誉を回復させるというケースでは、周りの人たちが埋め合わせを行うことを許してくれました。だがそのような同意が得られないことも多くあります。

再発防止

116~118ページには、浮気不倫が扱われています。この部分に限りませんが、ビッグブックは歴史的な事情により男性のアルコホーリクを対象に書かれおり、この部分も夫として妻を裏切って浮気したという表現になっています。現在は日本でもAAメンバーの2~3割は女性であり、必要に応じて性別を引っくり返して読むことになります。

妻が浮気のことを全く知らない場合、浮気を妻に告白すべきかどうかという点は、「必ずしも告白すべきとは思わない」としています。また、妻が浮気のことをおおよそ知っている場合には、もちろん自分の過ちは認めなければなりませんが、すべてを詳しく知りたいという妻の要求には応じるべきではないとしています。AAのなかで浮気の埋め合わせについての経験が分かち合われることは多くはありませんが、それでもそうした経験はビッグブックに書かれている原則に従うことが最もトラブルが少ないことを示唆しています。

浮気についての埋め合わせは、「人間にとって最も骨の折れる感情」(p.118)である嫉妬に対処する必要があります。「妻の嫉妬心をあおるような情事の相手の名前は必要もないのに出さないほうがいい」という助言は、夫のためだけでなく、妻のためでもあるのです。ただしこれは原則であって規則ではありません。例外というのもあり得るでしょう。

浮気の埋め合わせで大事なことは、「自分がしたことを悪かったと思って」いるだけでなく、「二度と起こさないと決心している」ことを伝えることです(p.117)。せっかく埋め合わせをしているのに、「またやっちゃったらゴメンね」などと次回予告しているようでは揉め事にしかならないでしょう。

二度と起こさないと決心している。8)


God willing, it shall not be repeated.9)

ちなみに、日本語訳では省略されていますが、「二度と起こさない」の前には God willing(それが神の御心なら)という言葉が置かれています。二度と繰り返さないというのがどれだけ本気なのかちょっと疑わしくもなりますが、性的な問題の再発防止がいかに難しいかを示しているような気もします。

それはともかくとして、浮気の埋め合わせに限らず、再発防止の努力を約束すること、および実際にその努力をすることは、様々な埋め合わせの場面でも必要とされるでしょう。

家庭の再建

118~120ページにかけては、家庭生活の再建について述べられています。AAミーティングで「酒を飲まないことが私の埋め合わせです」と言っている人もいますが、もちろん飲まないことは必要であるにせよ、飲まないだけでは埋め合わせにはなりません。ここでも継続的な原状復帰の取り組みが必要になります。

ビッグブックは家庭生活を再建するなかで、アルコホーリク本人だけでなく、その家族もこの霊的なプログラム(12ステップ)に取り組むことを勧めています。ただし、家族がそれを望まないうちは「押しつけてはいけない」(p.120)とも明言しています。

AAのビギナーの人から「家族との関係を修復するにはどうすれば良いか」という質問を受けることがあります。その人は(酒を飲んできたせいで)家族との関係が悪化したことに悩んでいるのでしょう。しかし、その悩みの内実を聞いてみれば、家族の自分に対する冷たい態度や厳しい評価が辛いという訴えに過ぎないことも多いのです。つまり、家族との関係を修復したいと言いながら、実は家族の自分に対する態度や評価を「変えたい」と願っているということなのです。すなわちそれは、他者を自分に都合良く変えたい、コントロールしたいという「ショー全体を取り仕切りたがる役者」になろうとしているわけです。12ステップに取り組めば、そんなやり方はうまくいかないということが分かるはずです。それよりも、自分を変えるという方向へと関心が向かうでしょう。

家庭の再建や家族関係の修復にコツがあるとするならば、それは「取り仕切りたがる役者」であることをやめて、神に指揮してもらうことです。ジョー・マキューの言葉を紹介しておきます:

人生をうまく生きるには神に指揮してもらうとよい。そうすれば、心は感情的な問題から解放され、その能力を充分に発揮させることができる。神が私たちの生き方を指揮する前は、私たちは自分で人生を指揮していた。私たちは本能を満足させるために、自己を満足させるために生きていた。神は「困ったときの神頼み」だけで使っていたし、自分自身の欲求のために他人を使っていた。本来の人生を生きることは完全な変革である。人生を神が計画したように生きるとき、私たちに幸せ、落ち着き、満足がもたらされる。10)

自分に対する埋め合わせ

「自分に対する埋め合わせをするにはどうすれば良いか?」という質問をいただくことがあります。確かに、私たちが自己中心的な生き方をしてきたことで、最も損をさせ、最も傷つけたのは自分自身なのですから、自分自身への埋め合わせを忘れてはなりません。では、どうすれば自分自身に埋め合わせができるのでしょうか?

それは、ステップ9に誠実に取り組むこと、つまり自分以外の人に対する埋め合わせに取り組むこと、およびそれ以降のステップ10・11・12に取り組むこと以外にありません。それによって私たちは「過去の行動によって蓄積した恐れ、罪悪感、後悔、恥の感情から自分自身を解放することができる」とジョーらも述べています。11)

手紙による埋め合わせ

会おうにも会えない人もいるだろう。そういう相手には正直な手紙を書く12)

埋め合わせは基本的に相手と顔を合わせて(face-to-face)行うものであることは前回述べました。ただ、相手が外国などの遠距離にいる場合には、直接会いに行くのが現実的でない場合もあります。その場合には「正直な手紙を書く」とあるように、手紙で埋め合わせを行うという方法が提示されています。現在では、手紙だけでなく、電子メールなどの手段も使えるでしょう。

ただしこれは前回説明したように、直接会うことが物理的に難しい場合の非常手段であって、単に相手と顔を合わせたくないという理由で手紙やメールで埋め合わせするのはまったくお薦めできません。

また、手紙やメールでの埋め合わせは、言葉を慎重に選ばないと相手や他の人を傷つけることになりかねないという危険性もあります。ワリー・Pも著書の中で次のように警告しています:

Unsolicited letters can cause more harm than good, not only for the recipient but also for those he or she is presently involved with. The key to letter writing is to “let it go and move on.”13)


一方的に送りつけた手紙が、善ではなく害をもたらすこともあります。それは、手紙を受け取る人だけでなく、その人に現在関わりのある人たちにもです。(拙訳)

どうしても手紙やメールで埋め合わせをしなければならない場合には、下書きを書いて、それをスポンサーに添削してもらうと良いでしょう。便箋3枚の長さの下書きを書いたのに、スポンサーに見てもらったら赤線でたくさん削除されて、1ページの半分以下になってしまった、という経験を話してくれた人がいました。私たちの書く埋め合わせの手紙は、それぐらい「危ない」内容を含みがちだと覚悟しておいた方が良いでしょう。

それに、これだけ通信手段が発達した時代になったのですから、手紙やメールで埋め合わせをしようと考えるのなら、せめて電話やビデオ通話で埋め合わせすることを選んだ方が良いのではないでしょうか?

完全には正せない過ち

完全には正せない過ちもあるだろう。その過ちについて、もしできることなら何としても正したいと、あなたが心から思っていると言えるのなら、気にすることはない。12)

様々な事情で埋め合わせが行えないこともあるでしょう。それでも、時間が経過すれば条件が変わり、以前はできなかった埋め合わせができるようになることもあります。その時には「できない」の欄に入れていた相手に対しての埋め合わせに取り掛かることができます。

しかし、どうしても埋め合わせができないということもあり得ます。例えば亡くなってしまった人には埋め合わせのしようがありません。また埋め合わせすることが相手を傷つける結果になるためにできないこともあります。そうした場合には、私たちは罪悪感や後悔から解放される手段がなくなってしまいます。ですが、それも悪いことではない、とジョーは言っています:

埋め合わせができないために、私たちは心に小さな痛みを抱くことがある。これは良いことだ。なぜなら、そのおかげで私たちは他の人たちとの関係を大切にするようになれるからだ。過去の経験のおかげで、私たちは人との関係により注意深くなり、配慮できるようになる。こうして私たちはより健全な人間へと成長していく。14)

人間に何かの能力や機能が備わっているのは、神がそれを人間に与えたからです先行的恩寵 。ところが私たち人間は、授かった能力や機能をしばしば過剰使用(overuse)したり、本来の用途を越えて誤用(misuse)してしまいます。本来良いものであるはずの能力を、過剰使用したり誤用する例として、知性第80回・論理第84回・本能第96回第99回・恨みや恐れ第106回を取り上げてきました。罪悪感や後悔についても同じことが言えます。

私たちに罪悪感を持ったり後悔をするという能力(機能)が与えられているのは、私たちが他の人たちとの関係に注意を払い、なるべく人を傷つけないようにしようと努めるためでしょう。もし、すべてのケースにおいて完全な埋め合わせができるのだったら(それによって罪悪感や後悔を完全に消し去れるのですから)、人を傷つけ放題になってしまいます。しかし現実には埋め合わせできないことも少なくありません。埋め合わせできたとしても、自分からも相手からも傷みが完全に拭い去られることはないでしょう。結局のところ、私たちは罪悪感や後悔を抱えて生きるほかないのです。

埋め合わせができないことを過剰に思い悩む人もいますが、罪悪感や後悔を完全に取り除くことがこのプログラムの目的ではありません。どちらも人間が健全に生きていくために必要なものです。ただ私たちは、恨みや恐れと同じように、罪悪感や後悔も過剰使用したり誤用してきたのですから、それをちょうど良いレベルへと減らしていかなければならないのです。

わきみちジョーらは人間の持っている心的機能を先行的恩寵と捉えましたが、別の視点から見てみるとしましょう。AAに大きな影響を与えたウィリアム・ジェームズ機能主義心理学機能心理学を唱えた人でもあります。これが後にジョン・デューイ (1859-1952)などの心理学のシカゴ学派を産み、アメリカ心理学の基盤を成しました。機能心理学は、チャールズ・ダーウィン (1809-1882)進化論の影響を受け、精神の持つ機能は環境に適応するための手段だと解釈します。それにもとづいて考えれば、罪悪感や後悔も人間が集団生活をするなかで生存に必要な機能だと捉えることもできます(その他の恨みや恐れ、トラウマなども同様に人間には必要なものです)。しかし、その機能が過剰に働いてしまうと問題が生じるのです。

人を傷つけてもたいして罪悪感を持たずに生きてきたという人もいます。そういう人に対して、棚卸しによって罪悪感や後悔を喚起しておいて、その上で、完全に埋め合わせをすることはできないからそれらを抱えて生きなければならない、とその人に言うのですから、12ステップは(ある意味)酷いプログラムと言えます。けれど健全な人間は罪悪感や後悔を持っているものだ、ということを忘れてはなりません。このプログラムは不快な感情を一掃することを目的としたものではなく、神の意志を受け取って生きていくことを目的としたものなのです。

相手から許されたいという願望

私たちはへつらったり、争ったりせず、分別を持って、機転を利かせ、思慮深く、謙虚に行動すべきだ。私たちは神の子として、自分の両足でしっかり立っている。誰の前にもいつくばりはしない。12)

埋め合わせでありがちな誤りは、相手が許してくなかった場合に、何度も同じ相手に埋め合わせを試みることです。そもそも埋め合わせの目的は過去を正すことであって、相手から許してもらうことではありません。埋め合わせの結果として、相手が許してくれるのなら、それに越したことはありませんが、許してくれなかったとしても埋め合わせが失敗したわけではありません(上で紹介した『酒とバラの日々』の主人公ジョーも埋め合わせで義父に許してもらおうとはしていない)

なのに私たちはときに「どうしても相手から許されたい」という願望に囚われて、何度も埋め合わせを試みることがあります(それはまるで相手の前で這いつくばっているかのようです)。なぜそこまでして私たちは許してもらいたいのでしょうか?

それは、相手が許してくれないということは、相手から恨まれているということであり、自分が悪い人だと思われているということだからです。そのことが、自分のことを完全(あるいは完全に近い)存在だと思っている人のプライドを激しく傷つけるのです。だから、相手から許されることで、過去の自分の行いを「なかったこと」にして失われた完全性を取り戻そうと試みるのです。相手が許してくれても過去の傷が無くなるわけではないのに、自分のプライドを修復するために相手に許すことを求める、というのはとても自己中心的な行為です。相手の前に這いつくばるのが自己犠牲的に見えたとしても、それは本能(この場合は共存の本能)を自分の思い通りに満たそうとする行動に過ぎません(戦略①, 第93回第94回

私たちはステップ4から7の経験によって自分の不完全性や限界を受け入れてきているはずです。私たち人間は神(のような完全な存在)ではありません。そのことは私たちの道徳面についても言えます。自分の不完全性を受け入れていれば、誰かが私たちを道徳的に不完全だと見なしても、そのことで心が不安定になったり自己弁護したくなったりすることも、「どうしても相手から許されたい」という自己中心的な願望を持つこともなくなっていくでしょう。また、いつまでも謝罪を要求する相手に振り回されることもなくなるでしょう。15)

埋め合わせを構成する四つの要素

埋め合わせを構成する四つの要素を振り返ってみましょう。

    • 自分の過ちを認める
    • 謝罪
    • 原状復帰
    • 再発防止

相手に直接会いに行って自分の過ちを認め、謝罪するというシンプルな埋め合わせもあれば、それに加えて原状復帰や再発防止の継続的な取り組みが必要な埋め合わせもある、ということでした。

ステップ9の約束

この行程を労を惜しまず念入りにやっていると、半分も終わらないうちに、あなたはびっくりすることになる。新しい自由、新しい幸福を知るようになっているのだ。過去を悔やむこともなければ、それにふたをしようとも思わない。心の落ち着きという言葉がわかるようになり、やがて平和を知る。・・・12)

p.120から次のページにかけての段落は「12の約束」と呼ばれます。それは、この段落が12の(センテンス)から成っているからです。ビッグブックはあちこちに、このステップに取り組めばこのような結果がもたらされるという「約束」が散りばめられています(e.g. p.90・第101回, p.103・第108回, p.108・第110回。従ってこの「12の約束」はステップ9を行うともたらされる結果について述べていると解釈できます。

ですから先頭の「この行程(this phase)」がステップ9を指しているのは明らかです。ステップ8で作った表に載っている相手に対する埋め合わせを一つひとつ済ませていくと、表の半分も終わらないうちに「びっくりすることになる」というのが、12個の「約束」の一番目です。

二番目以降の「約束」に書かれていることは、私たちがアルコールのなかに求めていたものであることに気づかされます。私たちは心の自由や幸福を得ようと思って酒を飲んできたのではないでしょうか? 過去の嫌なことを忘れ、それに蓋をするために飲んできたのではないでしょうか? 乱れた心を落ち着かせようとして酒を飲んできたのではないでしょうか?

私たちが酒のなかに求めていたものを、代わりにステップ4から9で取り組んだ「掃除」が与えてくれるのならば、私たちにはもうアルコールを必要としなくなります。しかもなお良いことに、12ステップはアルコールと違って辛い二日酔いをもたらしませんし、頭の働きを鈍くしたり、内臓を悪くすることもありません。私たちは最初は酒をやめるためにやむを得ず12ステップに取り組みますが、このように結果を手にすると、その結果が好ましいからさらに掃除に取り組むようになり、人にも勧めるようになります。そして最後には、12ステップそのものが好きになります。

これはとんでもない約束だろうか。そうは思わない。こういうことは私たちの間で実際に、ときには急速にときにはゆっくりと実現している。取り組みさえすれば必ず実現する。16)

「ときには急速に」とありますが、これは急激な大変動である霊的な体験を、そして「ときにはゆっくりと」はゆっくりとした変化である霊的目覚めを指しています。(cf. 第57回

さて、これにてステップ4から取り組んできた掃除のプロセスが一段落します。ただし、前回・今回と説明してきたように、様々な事情でステップ9には長い時間がかかりますし、一生かかるものもあります。したがって、ステップ9を完全に終わらせてから次に進もうとすると、なかなかステップ10に取りかかることができません。ですから、ステップ9の埋め合わせに取り組みながら、ステップ10に進むことにしましょう。

次回はステップ10です。

今回のまとめ
  • 借りた金や物を返すなどの原状復帰が必要な埋め合わせもある。
  • 原状復帰の取り組みはできることからすぐにでも始めるべきだ(そうしないと無期限に延期しがちになる)。
  • 他の人が巻き込まれる埋め合わせをするときには、相談しながら慎重に進める。
  • 再発防止の努力が必要な埋め合わせもある。
  • 手紙による埋め合わせはさらなるトラブルの原因になりやすい。
  • 埋め合わせできないために罪悪感や後悔を抱えて生きることも必要である。

  1. BB, p.113[][]
  2. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.145[][]
  3. Joe McQ. and Charlie P., Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive, 2014, p.144[]
  4. ibid., pp.144-145[]
  5. ジョー・マキュー, p.146[]
  6. BB, p.114[]
  7. BB, p.115[]
  8. BB, p.117[]
  9. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.81[]
  10. ジョー・マキュー, p.151[]
  11. 無名(A Program for You翻訳チーム訳)『プログラム フォー ユー』, 萌文社(ジャパンマック), 2011, p.169[]
  12. BB, p.120[][][][]
  13. Wally P., Back to the Basics of Recovery, Faith with Works Pub., 2016, p.59[]
  14. ジョー・マキュー, pp.148-149[]
  15. Joe McQ. and Charlie P., p.146[]
  16. BB, p.121[]

2023-12-27ビッグブックのスタディ,日々雑記

Posted by ragi