12ステップのスタディ (1) AAの始まり 1

『ビッグブックのスタディ』という長期の連載を終えた後で、さらに『12ステップのスタディ』という連載を開始するのには理由があります。

一つは『ビッグブックのスタディ』はあまりにも長いので、もっと短く、12ステップのエッセンスに絞って説明してほしいというニーズがあるからです。

もう一つは、やはりビッグブックはAAの本でありアルコホーリク向けに書かれていることから、他のアディクションの人たちにはテキストとして利用しづらい面もあるからです。アルコホーリク以外の人のためには、それぞれの12ステップ共同体があり(NAやOAなど)、共同体それぞれにテキストが用意されています。だから、AA以外のグループの人は、自分の属する共同体のテキストから12ステップを学べば良いはずなのです。

しかし、それを読んでも分からないし、分かるように説明してくれる人もおらず、困っていろいろ探した結果として、ビッグブック系のスタディ・ミーティングやセミナーやこのブログにたどり着く人が少なくありません。そういった場所で12ステップを学び、今度はそれを自分の問題に当てはめてみようとしても「うまくいかない」のだそうです。自分たちの共同体のテキストを読んでみると、また分からなくなってしまうと言うのです。僕は、なぜそんなことが起こるのか理解できなかったのですが、詳しく事情を聞いてみると様子が見えてきました。

その人たちは、違っているところ相違点に着目してしまっているのです。確かに違いはあります。アルコホリズムと摂食障害の間には違いがありますし、アルコホリズムと共依存やアダルトチルドレン (AC)の問題の間にも違いがあります。違いがあるからこそ、別々に共同体を作って集まっているのですし、それぞれの12ステップやその説明には相違も生じています。こうした違いには意味があるのです。

しかし、その違いが私たちを回復させるのではありません。問題や共同体が違っていても、12ステップには共通しているところ共通点があります。共同体の垣根を越えて存在している普遍的な原理が私たちを回復させてくれるのです。

だからこの『12ステップのスタディ』では、AA以外の共同体の12ステップのテキストも参照しつつ、アディクションの垣根を越えた12ステップの普遍的な原理の解説を試みます。それと同時に、共同体ごとにステップに違いが生じてきた事情について考察を加えていこうと思います。そうすることで、各共同体のテキストへの理解が深まることを期待しています。

メモ例えば、アダルトチルドレンの共同体の一つACoAの基本テキストでは、あらゆる12ステップに共通して存在している要素の一つである同一性(identification=自分も同じであると認めること)が多種多様なACを一つの共同体にまとめていると説明しています。さらに「一人のACがもう一人のACに回復のストーリーを分かち合う」という点も他の12ステップと共通しているとしています。その一方で、家族システムに焦点を当てている点が他の12ステップとは異なっているとも説明しています。1)

さらなるもくろみは、まだ基本テキストを持たない新しい共同体が、自分たちのテキストを持つ助けになることです。12ステップを新しいジャンルに適用させるという試みは常に行われていて、新しい12ステップ共同体が誕生し続けています。その多くはアメリカで誕生していますが、日本で誕生した共同体もあります。規模の小さなものも含めれば100を優に越える種類の12ステップ共同体が存在しているのだそうです。その一方で、産声を上げたものの、成長できず、ある程度の規模を獲得する前に消え去ってしまう共同体も少なくありません。12ステップ共同体が安定して存続するための条件はいくつかありますが、AAやNAの経験によれば、その共同体が新しい人に12ステップを伝達する基本テキストを獲得できるかどうかが一つの分かれ目になっています。ですからこの連載は、新しい12ステップ共同体が自分たちの12ステップや自分たちの基本テキストを作り上げるのに役立つ基本情報を提供する、という野心的な試みでもあるのです。

そこで、アルコホーリク向けのAAの12ステップだけでなく、薬物食べ物セックスACおよび共依存という五つのジャンルについて、それぞれの12ステップを順に説明していくことにします。

成り立ちを知る

さて、「12ステップを学ぶためには、それがどのように始まったのかを知ることが大切だ」と言われます。

多くの人は、12ステップの短い文章を読み、そこに登場する言葉(e.g. 無力、神、欠点)の意味をつかむことでステップを理解しようとします。そのようなアプローチは往々にして細かなことに囚われすぎて全体像を見失いがちです。

むしろ12ステップの成り立ちや、当時それによってどのような回復が起きていたかを知れば、ステップの全体像をつかむことができ、ステップによって自分にどんな回復が起きるのかも知ることができます。細部に立ち入るのはそれからで十分です。

ビッグブック
― 日本語ポケット版

ビッグブック は『アルコホーリク・アノニマス』というAAのテキストに与えられた愛称です。この本は、読者に12ステップを伝えるために書かれた本ですが、それだけでなくAAの始まりについて多くのことが書かれています。ただ、それは一ヶ所にまとまっておらず本のあちこちに分散しており、しかも時系列順に並んでいないという難点があります。今回は出来事を起きた順番に並べ直し、他の文献から情報を補うことで、大まかな全体像を描き出すことにします。

AAはカール・ユングの診察室から始まった

Carl Gustav Jung's Portrait
カール・グスタフ・ユング, from Wikimedia Commons, PD

AAは二人の男の会話から始まったとされています。一人は有名なスイスの精神科医・心理学者カール・ユング、もう一人はローランド・ハザードというアメリカ人のアルコホーリクでした――この二人の会話はビッグブックの第二章の39~42ページに載っています。

Roland Hazard
ローランド・ハザード — from Find A Grave

ローランドはアメリカのロードアイランド州の名家の長男として生まれました。成人すると当主の座を継ぎ、家業を発展させて成功した実業家になりました。ところが、第一次世界大戦に従軍し、戦争から戻って数年後にはアルコホーリクになっており、飲酒の悪影響が仕事にも妻との関係にも及ぶようになりました。彼はアメリカ国内で治療を受けましたが、良い結果を得ることができませんでした。

たまたま親族にユングによる治療を受けた人がおり、その人の紹介でローランドとその妻はチューリッヒに赴いてユングによる治療を受けました。AAにおける伝承では、この治療は1930年から約1年間という長きにわたるものだったとされていますが、実際のところは1926年5月から約2ヵ月間でした。いずれにせよユングの治療は顕著な効果をもたらし、アメリカに帰国したローランドは仕事でも家庭生活でも充実した日々を送りました。そのことでローランドはユングを深く尊敬するようになりました。

しかし、やがてローランドは再飲酒し、飲んだくれに戻ってしまいました。困った彼は再びユングのもとを訪れ、「自分はなぜ酒をやめられないのか」という質問をしました。この質問と、それに対するユングの返答がAAができあがるきっかけになったとされているのです。

ユングはローランドに二つのことを伝えました。

ユングがローランドに伝えたこと
  1. ローランドには回復の見込みがなく、これ以上治療しても無駄である
  2. しかし霊的なあるいは宗教的な真の回心の体験をすれば回復は可能かもしれない

世界的に高名な精神科医から1.を伝えられたことで、医学的・心理学的治療によって回復する希望は断たれ、ローランドは絶望へとたたき落とされました。しかし同時に2.を伝えられたことで、宗教的な回心の体験を得ることが彼にとっての唯一の希望として残りました。この1.と2.が、後にAAの12ステップのステップ1と2になります。

当然ローランドは、その体験をどこでどうやって手に入れたら良いか、と問いを重ねました。それに対してユングは「宗教的な雰囲気のなかに身を置き、自分の無力さを認めて生き続け、全力で求めれば見つけられるかもしれない」と答えたとされています。BBS#60

AAにおける伝承では、この会話は1931年に行われたことになっていますが、実際の時期を特定できる直接的な証拠は見つかっていません。当時のヨーロッパには、他にジークムント・フロイト (1856-1939)アルフレッド・アドラー (1870-1937)という高名な精神科医・心理学者もいましたが、回心の体験が精神の病気を癒しうるという提案をクライアントにできたのはユングだけでした。それが、AAはユングの診察室の会話から始まったとされるゆえんです。[LABW#34]

オックスフォード・グループ

Frank Buchman
フランク・ブックマン, from Wikimedia Commons, PD

アメリカに戻ったローランドは、最終的にオックスフォード・グループに加わりました。オックスフォード・グループは宗教団体ではないとされていますが、キリスト教系の福音伝道 運動で、その創始者はルター派の牧師フランク・ブックマンです。ブックマンは牧師になった若い頃に障害を持つ子どもたちのための寄宿舎を作ったのですが、子供たちの食費予算を削った施設の理事たちと対立し、腹を立ててその施設を辞めてしまいました。それが原因で鬱になった彼は、医者の勧めでヨーロッパに渡り、イギリスのケズィック・コンベンション という宗教集会に参加しました。そこである伝道師の説教を聞いた彼は、その晩に宗教的な体験をしました。そのことで自分の誤りに気がついたブックマンは、理事たちに自分の誤りを認めて許しを請う手紙を書き、それによって自分が恨みの気持ちから解放されたことに気づきました。これが1908年の出来事でした。2)

ブックマンは人間のすべての問題の根源は恐れと利己心であり、人びとが人生を神の計画にゆだねることで解決するという考えを持ち、その考えを説いて回りました。彼の考えに賛同する人は次第に増えていき、1930年代にはヨーロッパやアメリカを中心に非常に多くの信奉者を集めるようになりました。最初は第一世紀キリスト者共同体(First Century Christian Fellowship)と呼ばれていたこの運動は、やがてオックスフォード・グループと呼ばれるようになりました。

オックスフォード・グループにはさまざまな霊的な考えが含まれていましたが、その中の一つに四つの霊的な実践(spiritual practices)と呼ばれるものがありました。それは、

四つの霊的な実践
  1. 自分の罪や誘惑を、もう一人と分かち合う ― Sharing
  2. 神の守りと導きに人生を明け渡す ― Surrender
  3. 自分が誤ったことをしたすべての相手に償いをする ― Restitution
  4. 神の導きを求め、それを実践する ― Guidance

というものでした――これが後にAAのステップ3から12になります。

ローランドはオックスフォード・グループに加わってこうした実践に取り組み、宗教的な体験を得ることで酒をやめることができました(だがそこに至るまでの彼の道程は何度も再発を繰り返す苦しいものだったようです)。

ローランドがエビーを助ける

1934年の夏、ローランドはバーモント州 の彼の別荘に、他のオックスフォード・グループの友人たちと一緒に滞在していました。その時に、エビー・サッチャー(以下エビー・T)という知人が飲んだくれているという話を聞きました。

Ebby Thacher
from Ebby in Exile

エビーはニューヨーク州オールバニ市 の出身で、一家は鉄道車輪の製造会社を営み、代々オールバニ市の市長を出すという名家でした。エビーはその家の7人きょうだいの末っ子として生まれました。だが優秀な兄たちと比べてエビーは落ちこぼれであり、高校を中退して20才以前には完全にアルコホーリクになっていました。その後の彼の人生は常に酒のトラブルにまみていました。1929年には父親が亡くなり、巨額の遺産を受け継ぎましたが、エビーはそのすべてを飲み果たし、1934年にローランドに助けられたときには、サッチャー家の別荘にほぼ無一文で滞在していました。[BBS#39]

ローランドは、エビーに

ローランドがエビーに教えたこと
  • ユングとの会話の内容
  • オックスフォード・グループで学んだ実践

を教えました。これは現在のAAにおけるスポンサーシップに相当するものです。エビーはオックスフォード・グループのプログラムを受け入れて酒をやめました。後に12ステップとして完成される回復のプログラムは、この時点でほぼできあがっていたと言えます――このローランドがエビーを助けた一件についてはビッグブックの第一章のp.14に大まかな説明があります。[BBS#40]

ローランドはエビーをニューヨークへと連れてきました。エビーはホームレスのアル中などを対象にした救貧伝道所のスタッフとして働き始めました。ウォール街の旧知の友人を訪ねたエビーは、高校時代の友人のビル・ウィルソン(以下、ビル・W)がアルコホリズムで苦しんでいることを聞きました。ビルは一時は仕手 株の投機的売買で経済的に成功していたものの、1929年のウォール街大暴落 によって破産していました。だが、真の問題は経済状態ではなく、ビルがアルコホリズムという病気のせいで再起のチャンスを次々と棒に振っていることでした――エビーと再会する前のビルの状況は第一章の最初から12ページに描写されています。

キッチンテーブルの会話

エビー・Tの訪問
from rehab4addiction

1934年の11月の終わり、エビーはビルの家を訪ねました。ビルは久しぶりに友人と酒が飲めると楽しみにしていたのに、エビーが酒をことわったことに驚きました。ビルはエビーが自分と同じアルコホーリクであり、酒をやめられずに様々なトラブルを起こしていたことを知っていました。どこかの収容所に入れられたと聞いてたのに、どうやって抜け出してきたのだろう・・・それにどうしてエビーは酒を飲んでいないのだろう、とビルは疑問に思いました。

「一体何があったんだ」とビルが尋ねると、エビーは「宗教に入ったんだ」と目をキラキラ輝かせながら答えました。ああ、つい先日まで酒に狂っていたこの友人は、今度は宗教にイカれちまったのか・・・古い友人が宗教の勧誘に来たのかと思うとうんざりした気分になりましたが、ビルはエビーの話を聞くことにしました。エビーが酒をやめてまだたった数ヶ月しか経っていないにしても、エビーが酒をやめていること自体が驚きでした。それにビル自身も何年も酒をやめられず、断酒の試みはすべて再飲酒という結果に終わっていたのです。彼もつい2ヵ月ほど前に医者から絶望の宣告を受けたばかりでした。ローランドがユングから「回復の見込みはない、これ以上治療しても無駄だ」と言われたように、ビルも主治医のシルクワース医師から「もう助からない」という宣告を受けたのでした。[BBS#37] ビルはエビーがどうやって酒をやめたのか知りたいと思いました。

ところがエビーは、ビルの予想に反して宗教の教えを説いたりしませんでした。エビーは、

エビーがビルに語ったこと
  • ローランドとユングの会話の内容
  • ローランドから教わったオックスフォード・グループの実践

だけを語りました。そして、「自分にできなかったことを、神が彼のためにしてくれた(だから酒がやめられているのだ)というシンプルな事実をビルに伝えました――この二人の会話は第一章の12~18ページと「再版にあたって」のxx (20)ページに載っています。

ビルは、自分に不利な点があるのを自覚していました。彼は宗教を毛嫌いしており、ローランドやエビーのように宗教色の強いプログラムをすんなり受け入れることができなかったのです。それはビルを育ててくれた祖父が超絶主義 者だったこととも関係があったのでしょう。

ビルの霊的体験と『宗教的経験の諸相』

ビル・W
ビル・W

それから10日余り、ビルは酒を飲みながら葛藤を続けました。もう自分の力で酒をやめるのは諦めていたものの、妻のことを思うと酒で死にたくはありませんでした。かといってエビーのように神に救いを求めるのはためらわれました。ともあれ、エビーの伝えてくれるプログラムを受け入れるかどうか判断するためには、まず酒を抜いて、しらふの頭で考えた方が良い。そう思った彼は、四度目の入院をすることにしました。アルコールの離脱 治療が行われ、三日目にエビーが顔を出して、もう一度霊的な実践の話をしてくれました。

エビーが帰ると、ビルは絶望的な深い抑うつに襲われました。彼は苦しさのあまり叫びんでいました。「もし神がいるのなら、姿を見せてくれ! 何でもする、何でもするから」 すると彼のいる病室がにわかに白い光で満たされ、彼は神の存在を実感していました。これは照明体験(illumination)と呼ばれる典型的な宗教体験の一種です。1934年12月14日のことでした――このビルの体験については第一章の21ページに描写されています。

何が彼に宗教体験をもたらしたのでしょうか。それは医者の宣告によってもたらされた深い絶望の中にエビーが一筋の希望をもたらしたからかもしれません。あるいは離脱治療に用いられていたベラドンナ という生薬の副作用だったのかもしれません。だたはっきりしているのは、この体験がビルに明確な変化をもたらしたということです。それはビルの主治医シルクワース医師の目から見ても、妻のロイスから見ても明らかでした(霊的変化の客観性)

宗教的経験の諸相
『宗教的経験の諸相』岩波文庫版

別の日にまた見舞いに来たエビーは、ビルのように白い光に包まれた経験をしたことは無かったので、それについては何も言えませんでした。そのかわりに一冊の本をビルに渡しました。それは心理学者ウィリアム・ジェームズ『宗教的経験の諸相』でした。アメリカ心理学の父と呼ばれるジェームズが様々な宗教体験について調査・研究した内容をギフォード講義 で発表したもので、オックスフォード・グループではこの本を読むことが推奨されていました。それを読んだビルは、自分の得た体験がユングが言った「回心の体験」に相当するものであることを知り、自分のアルコホリズムが解決したことを理解したのでした。事実ビルはその後1971年に亡くなるまで、酒を飲むこともなく、また神の存在を疑ったこともありませんでした。[BBS#46]

退院したビルは、アルコホーリクを見つけては自分の経験を話しましたが、誰も耳を貸しませんでした。というのも、彼は自分の劇的な霊的体験と、オックスフォード・グループの教義を押しつけようとしていたからでした。そのことを指摘してくれたのはシルクワース医師で、なによりもまずアルコホーリクは治療しても無駄だという絶望的な真実を伝えることから始めるべきだとビルに助言しました。

アクロンでのドクター・ボブとの出会い

退院から半年間、ビルは多くのアルコホーリクと関わりましたが、その誰一人として酒をやめていませんでした。そのことを嘆いていると、妻のロイスは、それによってビル自身は酒をやめ続けていることを指摘しました。

Akron
アクロンの位置(中西部 mid-west とされるがアメリカの東寄りである)from Google Map

1935年4月、ビルは仕事でニューヨークから600Km以上離れたオハイオ州アクロンという小都市に向かいました。昔の仕事仲間のなかに彼が酒をやめたことを評価してくれる人がおり、そのつてでアクロンのある会社の経営を巡る委任状争奪戦に加えてもらったのでした。彼の役割はこの会社の株主たちを見つけ出して説得することでした。成功すれば、この会社の経営陣に加われる見込みでした。

Church Directory in the lobby of Mayflower Hotel
from DBGO

しかしビルの属する陣営はその委任状争奪戦に敗北してしまい、金もない状態で彼はアクロンに一人で取り残されました。大きな失望を抱えたまま、ホテルのロビーで孤独な週末をどうすごそうか考えていたとき、彼は自分がバーで酒を飲もうとしていることに気がつきました。実に危ないところでしたが、ぎりぎりでで踏みとどまりました。彼は、酒を飲まずに過ごすためには、他のアルコホーリクを見つけて話をしなければならないのだ、と気がつきました。この半年間、そうやって彼は酒をやめてきたのだし、エビーが訪問してきたのも同じ理由でした。ビルはロビーに掲げられていた教会の住所録を見て、オックスフォード・グループに関わりのありそうな牧師に電話しました。

その電話は、最終的にヘンリエッタ・セイバーリング(Henrietta Seiberling, 1888-1979)というオックスフォード・グループの女性につながりました。彼女は知り合いの医師の酒をやめさせようと2年前から努力していたのですが成功していませんでした。ビルの話を聞いたヘンリエッタは、二人を引き合わせなくてはならないと考えました。こうして1935年の母の日の晩(5月12日)、ビル・Wとドクター・ボブ・スミス(以下トクター・ボブ)が出会いました。[BBS#5]

このビル・Wとドクター・ボブの二人がAAを作っていくわけですが、ここまでの話もずいぶん長くなりましたので、続きは次回にしましょう。

今回のまとめ
  • 12ステップを学ぶために、それがどのように始まったのかを知ることが大切
  • カール・ユングは、ローランドに二つのことを伝えた
    • ローランドは回復の見込みはなく治療しても無駄である(絶望)
    • しかし霊的なあるいは宗教的な真の回心の体験をすれば回復は可能かもしれない(希望)
  • ローランドはオックスフォード・グループに加わり、その霊的な実践(分かち合い・降伏・償い・導き)を身に付けた
  • ローランドはエビーを助け、ユングに聞いた話とオックスフォード・グループの実践を伝えた
  • エビーはビル・Wを訪れ、ローランドから教えられたことを伝えたが、ビルは宗教を毛嫌いしており、宗教的なことは受け入れられなかった
  • ビルは酒を飲み続け、葛藤の末に神を求め霊的な体験をした
  • ビルはウィリアム・ジェームズの『宗教的体験の諸相』を読んで自らの体験がユングの言った回心の体験であることを理解した
  • ビルは他のアルコホーリクに関わり続けたが、できたのは自分一人がやめ続けることだけだった
  • アクロンで飲酒の危機が訪れたとき、アルコホーリクを探し、ドクター・ボブと出会うことになる

  1. ACA WSO, 『アダルトチルドレン・オブ・アルコホーリックス/ディスファンクショナル・ファミリーズ』, ACA WSO, 2022, pp.xv-xvi.[]
  2. Garth Lean, Frank Buchman: a life, Constable, 1985 – Frank Buchman – A Life (frankbuchman.info).[]

2024-04-1912ステップのスタディ,日々雑記

Posted by ragi