ビッグブックのスタディ (101) どうやればうまくいくのか 13

決心する=選ぶこと

私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした1)


3. Made a decision to turn our will and our lives over to the care of God as we understood Him.2)

今回はステップ3の「決心する」の部分です。日本語の決心という言葉は、強く心を決めることや決意を意味します。それも間違いではありませんが、英語の make a decision には別の意味もあります。それを知っておく必要があるでしょう。

名詞 decision の動詞形 decide を辞書で引いてみると、choice や select とあります。3) つまりステップ3は選ぶことなのです。選ぶとは、選択肢のなかから一つを選び取ることであり、他の選択肢は捨てることです取捨選択

from gettyimages.

では私たちにはどんな選択肢が与えられているのでしょうか? ジョー・マキューの文章を読んでみましょう:

スポンシーのステップ3を手助けするときには、私たちは最初の二つのステップのおさらいをし、スポンシーには二つに一つの選択肢しかないことが理解できているかどうかを確かめる。私たちは違った方角へ向かっている二つの道を同時に歩くことはできない。神の意志を欲するならば、自分の意志にしたがって生きることをあきらめなければならない。4)

第二章のp.39には、

    • 目をつぶって行き着くところまで突き進む
    • 霊的な助けを受け入れる

という二つの選択肢が示されていました第59回

第四章のp.65には、

    • 酒で死ぬ
    • 霊的な救いを求めて生きる(live on a spiritual basis=霊的な原理に依存して生きる)

という二つの選択肢が示されていました第74回

どちらも、最初の選択肢が「自分の意志で生きる」ことであり、二番目の選択肢が「神の意志に従って生きる」です。

私たちはどちらかを選ばなくてはなりません。けれど、私たちは前回述べたように)アルコールの問題だけを神にゆだねて解決してもらい、生活の他のこと(e.g. お金やセックスのこと)は自分で決めて生きていきたいと思うものなのです。

あるいは、私たちの意志のなかで「悪い部分(自己中心的な部分)」だけを神さまに取り除いてもらえば、「良い部分」だけが残るのだから、そうなれば自分の意志で生きていっても大丈夫なはずである、と考える人たちもいます。しかし、私たちが本能について学んだことは、本能のなかに悪い部分と良い部分があるのではなく、安全・性・共存の本能は本質的にどれも自己中心的だということです(にもかかわらず私たちが生きていくのにはそれらの本能が必要です)。

シャワー
from いらすとや

あなたが入浴するときには、きっと全身を洗うでしょう。上半身だけ洗って風呂から出てくる人や、下半身だけ洗ってシャワーから出てくる人はいません。そんなことを続けていれば、洗ってない部分がだんだん臭くなってしまいます。ましてや、体の右半分だけとか、左半分だけ洗う人もいません。

自動車の洗車も同じです。車の前半分だけ洗車する人はいません。自動洗車機にもそんな半額メニューはありません。面倒に感じても全体を洗車するものです。右半分だけ洗った車が街中を走っていることもありません。

もし私たちががんになって、医者から手術が必要と言われたとき、その腫瘍 を半分だけ取り除いて下さいと医者に頼む人はいないでしょう。全部きれいに取り除きたいと思うのが普通です。残しておけばそこから再発することになるのですから。

ステップ3の決心も同じです。自分自身を丸ごとゆだねて神の意志に従って生きることを選ぶか、あくまで自分の意志で生きるか、という二つの選択肢しかなく、部分的に神にゆだねるという考えはナンセンスなのです。――中途半端は何の役にも立たない(どこにも行き着けない)のです第90回

決心=始まり

結局私たちは、自分のすべてを神にゆだねるしかありません。そう聞くと、いまこの瞬間から100%を神にゆだねなければならない、と考えてしまう人たちもいます(だってそう言ったじゃないか!)。もちろん、それができたら何よりなのですが、そんなに簡単にはいきません。

私たちがいまここでできることは「決心する」こと、つまり選ぶことだけだからです。

運転免許証
from いらすとや

例えば僕が、自動車の運転免許 を取ろうと決心したとします。しかし、決心しただけでは免許証は手に入りません。自動車教習所 に通うとか、試験場で一発合格を目指すとか、手段は一つではありませんが、決心を実現させるための行動をとって、ようやく免許証が手に入り、決心が現実のものになるのです。

ステップ3の決心も同じで、自分を神にゆだねると決心しても、それだけで神の意志に従って生きられるようにはなりません。具体的にはステップ4から先のステップに取り組んで、決心を実現させるための行動をとることで、ようやくその決心が現実のものになっていくのです。

いわばこの決心は目標設定みたいなものです。自動車の運転免許を取る、という目標を設定をするように、神に自分をゆだねるという目標を設定をするのがステップ3なのです。

ではこの目標はどれほど実現できるのでしょうか? 実際には、自分のすべてを神にゆだねられている人はいないでしょう。私たちが取り組んでいるのは「霊的な完成ではなく霊的な成長」なのであって(p.87)、100%を神にゆだねられる状態には決して到達できないのです。

そんな実現できない目標に何の意味があるのか? という疑問を持つのは当然です。でも、世の中には、達成できなければ意味のない目標もあれば、達成できなくてもそれに近づくだけで十分意味のある目標もあるのです。

例えば、先ほどの自動車の運転免許を得るという目標は、達成できる・できないの二つの結果しかなく、免許が得られなければ車を運転できません。頑張ったけれど結果は出なかった、ということになってしまいます。

交通事故死者数の推移
from 時事通信社

しかし、「交通事故で死ぬ人をゼロにしよう」という目標はどうでしょうか? 毎年春と秋に全国交通安全運動 が行なわれていますが、そのなかに「交通事故死ゼロを目指す日」が設けられています。昭和の時代には、交通事故で死ぬ人が年間1万人を越えていました。それがいまや3千人を切っています。自動車が走っている以上、交通事故で亡くなる人は決してゼロにはならないでしょう。それは実現不可能な目標です。しかし、それに向かってみんなが行動した結果として、実際に多くの命が助かっています。実現不可能な目標であっても、それに向かって努力し、部分的にでも達成することは十分意味があることなのです。

自分のすべてを神にゆだねて生きることは、現実の私たちには決してできません。けれど、私たちは(到達不能だと分かっていても)高い目標を掲げ、それに向かって努力するのです。そのことに意味があります。より多くをゆだねられるようになるにつれて、私たちの人生も改善していきます。けれど、最初から様々なことを留保していたのでは、何も得るものがありません。

子供の頃、お風呂に入って体を洗わずに出てくると親に怒られたでしょう。洗うのに不慣れで、あちこち洗い残しがあるのは仕方のないことですが、早くゲームの続きをやりたいあまりに最初から洗うつもりなしで風呂に入るようじゃダメなのです。

ステップ3の重要性

アウグストゥスの凱旋門
アウグストゥスの凱旋門, from Wikimedia Commons, PD

この考えこそが、私たちが自由になるためにくぐった、新しい凱旋門がいせんもんを作るかなめとなる石(keystone)なのだ。5)

私たちが凱旋門 をくぐり抜けて自由になる、という表現は第六章のp.109にも出てきます。また第四章のp.69には、私たちがステップ2で cornerstone(礎石、基盤と訳されている)を据え、その上に霊的な建物を建てるとあります。おそらくこの建物が凱旋門なのでしょう。さらには、第一章のpp.18-19に foundation(基礎)という言葉が出てきています(原文が跡形もないほどの意訳になっていますので、詳しくは第42回を参照してください)。

foundation(基礎)・cornerstone(礎石)・keystone(キーストーン)とあるので、おそらくこの凱旋門は石造りなのでしょう。このように繰り返し登場するものをモチーフと言います。ビル・Wは、霊的な建物(凱旋門)というモチーフを使って、私たちが神との関係を次第に作り上げていく様子を表現しているのだと思われます――霊的な建物が完成すれば、私たちはそれをくぐり抜けて自由になる。すなわち霊的体験(霊的目覚め)を得るということなのでしょう。

キーストーン
赤い石がキーストーン, by Otto Lueger, from Wikimedia Commons, PD

キーストーン を「かなめとなる石」と訳していますが、キーストーンとはアーチ型の構造物の最上部に位置して、全体を力学的に安定させる重要な役割を果たす石です(これを要石 と訳すと別の意味になってしまうようだ――力学的安定という意味では同じだけど)

つまりステップ3は12ステップ全体を安定させる重要な役割を負っているわけです。これがしっかりしていないと、霊的な建物が安定せずに崩壊してしまいます。

第92回から10回も使って、ステップ3を詳しく説明してきました。ここでその内容を振り返ってみましょう。

    • 私たちの意志とは私たちの考えであり、私たちの生き方とは私たちの行動とその積み重ねによる人生のこと
    • 人間は誰でもショー全体を取り仕切りたがる役者である
    • つまり、人は誰でも自己中心的なのだ
    • 私たちの悩みや苦しみの根本原因は、私たち自身のこの自己中心性にある
    • そもそも、私たちの意志を形作っている本能が自己中心的なのだから、人が自己中心的なのは当然のことなのだ
    • 私たちの意志(本能)は枠を外れて暴走しやすく、それが悩みや苦しみをもたらす
    • 私たちはショー全体どころか、自分自身ですらコントロールできていない
    • そのままでは悩みや苦しみが積み重なり、スリップしてしまうリスクが高い
    • そこで私たちは自分なりに理解した神に自分の人生(生活)を指揮(コントロール)してもらうように頼むことにした

ステップ3の選択の意味をしっかり掴んでおくことが大切です。

ステップ3の約束

そういう姿勢で生きていこうと心から決めた時、さまざまな素晴らしいことが続いた。5)

この段落は約束になっています。約束とは「○○をしたら、××が実現する」という内容の文章です。ビッグブックにはここ(pp.90-91)だけでなく、これ以降いくつもの約束が書かれています。前回、ビッグブックには警告(脅し)が散りばめられていると説明しましたが、それとともに約束(ご褒美)もあちこちに示されています。アルコホーリク(アディクト)には飴と鞭 のようなシンプルな仕組みが有効なのです。

では、ここでの約束の内容を詳しくみていきましょう。

    • 私たちは新しいボス(Employer=雇い主)を得る

ここでは自分なりに理解した神を雇用主と表現しています。

    • 神は私たちが必要なものを与えてくれる

神は私たちの人生に必要なものを与えてくれます。ただしこれには二つの条件が付帯しています。「私たちが神から離れず」と、「神の働きに従って行動した時(performed His work well=神から与えられた仕事をうまく行なえば」です。

神は私たちの雇用主なので、私たちにこの世の中でなすべき仕事を与えてくれます。その仕事を上手に行なっていれば、「私たちの人生に必要なもの」を報酬として与えてくれるというのです。その仕事の中身については、ステップ11で知ることになるので、ここでは触れません。

そして、私たちが欲しいもの(we want)ではなく、私たちに必要なもの(we need)というのが重要なポイントです。神は私たちが欲しがっているかどうかにかかわらず、私たちに必要なものを与えてくれます。だから、欲しくないものも与えられてしまうかもしれませんが、「お前にはこれが必要だ」と神さまが言ってるんですから、それをありがたく頂戴しておくしかありません。

    • 自分自身(ourselves)や、自分のちっぽけな計画や願いに関心がなくなっていく

現在の翻訳からは、自分自身(ourselves)が抜けてしまっています。自分への関心を失うとは、自分のことがどうでも良くなるという意味ではありません。自己=本能なのですから、欲をもっともっと満たそうとすることに関心がなくなっていくということです。「ちっぽけな計画や願い(our little plans and designs)」とは、本能を満たすために自分の周りの人たちを支配し、コントロールしようとするために私たちが頭の中で作った計画のことです。

中国の春秋時代 の哲学者老子 (BC571?-471?)は、その著書の中で知足 足るを知ること)の大切さを説きました。知足とは、与えられた以上のものを求めず、分相応のところで満足することです。また仏教でも少欲知足という言葉で得たものに満足することを説いています。人間は限りなく進歩・成長し続けることができるという考えは――この考えそのものが理性への依存なのですが第85回――もっと満たされたいという限りない欲望をももたらし、私たちを決して満たされない不満と不安のなかに陥れてしまいます。自分の有限性のなかに満足を得ることが大事なのです。

その他にも、

    • この世の中(life)に貢献するために自分ができることのほうに関心が向いていくようになる
    • 新しい力が自分に注がれるのを感じる
    • 心の平安を楽しめるようになる
    • 人生にうまく向き合えるようになる
    • 神の存在を意識するようになる
    • 現在と未来への恐れが消える
    • 私たちは生まれ変わる

という約束が列挙されています。

ときどき議論になるのが、「この約束はいつ果たされるのか?」という点です。ステップ3のところに書かれている約束なのだから、ステップ3を実行すれば結果が得られると考えたくなります。私たちは神を自分の指示者と決めたのですから、新しいボスを得るという約束は、すぐにも果たされそうです。

しかし、「その足場に身を置くと」とあることにも目を向けたほうが良いでしょう。前述したように決心をしただけでは何も成し遂げていないのですから、決心に続いてそれを実現する行動を取っていったときに、徐々に決心が現実のものになり、その立ち位置を取れるようになります。つまり、ステップ4以降に取り組んでいくことで徐々にこれらの約束が実現する、と解釈するほうが自然でしょう。とりわけ「神が自分のそばにいつもいることを意識するようになる(we became conscious of His presence=神の存在を意識するようになる)」とは霊的体験(霊的目覚め)のことなのですから第81回、それはまだかなり先のことになります。

だが、すぐに実現しないからと言って失望することはありません。ビッグブックを書いたビル・Wたちと同様に、これまでに12ステップに取り組んだ多くの人たちが、実際にこうしたことが実現していると証言しているのですから。それを楽しみに、これからのステップに取り組んでいきましょう。

ステップ3の行動

ステップ1と2では、そのステップに取り組んだ結果として何かの行動をすることは要求されませんでした第92回。しかし、ステップ3から先は一つひとつのステップでやるべき行動が示されています。ステップ3には「決心する」とあるので、心のなかで決心すれば(選べば)良いのであって、行動は必要ないと考える人もいます。しかし、ビッグブックにはステップ3で行なうべき具体的な行動が示されています

私たちはいま、第三ステップのところにいる。私たちの多くが自分なりに理解した神言った6)

ステップ3では神に向かって次の言葉を声に出して言うことになります。

「神よ、私をあなたにささげます。あなたの意志のままに、私を利用してください。私が自分勝手な思いから解放されて、あなたの意志を実行できますように、どうぞ導いてください。私の困難をどうか取り除いてください。その結果として、私の勝利が、あなたの力、あなたの愛、あなたにもらった生き方の証しとなりますように。私が手助けしたいと願う人たちにとって……。私がいつもあなたの意志を行うことができますように!」6)

これはステップ3の祈り(third step prayer)と呼ばれています。祈りとは、自分から神に向かって話しかけることです。その内容は、

    • 自分の理想や目標を掲げる
    • 神に頼みごとをする

の二つです。ステップ3から先のステップは神とともに、祈りとともに進めていきますので、ほとんどのステップには祈りが示されています。それらの祈りは「自分はこうありたい」という目標を掲げるものであったり、「どうか神さまこうしてください」とお願いをする内容になっています――なので ask(頼む)という言葉が使われています。

では、ステップ3の祈りの中身を見ていきましょう。

まず、「神よ」と呼びかけた後に、「私をあなたにささげます」とあります。これはこれからの人生は神を指揮者として生きるという理想・目標を掲げているのです。何のためにそうするのかと言えば、神の意志のままに自分を利用してもらうためです。つまり神の意志に従って生きるためです。

そして、「自分勝手な思い(the bondage of self=自己の束縛)」から私を解放してくださいと頼んでいます。私たちは自己意志(本能)の暴走を自分では抑えられません。しかし、神にはそれができます。だから、自己意志エクストリーム暴走状態から解放してくださいと頼んでいるのです。何のためにそうなりたいのかと言えば、神の意志を(better=より良く)実行できるようになるためです。

また、「私の困難をどうか取り除いてください」というお願いもしています。アルコホリズムだけでなく、私の抱えているいろんな問題を解決してくださいと頼んでいます。何のためにそう願っているのかと言えば、それらの困難に対する勝利(victory over them)が、「私が手助けしたいと願う人たちに」に対して、神の力、神の愛、神に従うという生き方が素晴らしいものであることを示す証しとなるからです。

以前アメリカに行っていた日本のAAメンバーが、現地のメンバーからこんなことを言われたそうです。「私は飲んでいたころホームレスだった。もし私がステップに取り組んでも、まだホームレスのままだったならば、私の話を聞いてもステップをやりたいとは誰も思わないだろう」と。

神は(それが神の意に適うことであれば)私たちが抱える困難を克服するのを助けてくれます。そのような勝利は、12ステップのメッセージを受け取る人たちの目に、このプログラムの魅力として映ることでしょう。だから、私たちは、このプログラムによって成功を求めても良いのです。ただ、その成功は自分のためと言うよりは、メッセージを受け取る人たちにプログラムの魅力を分かりやすく提示するためなのです(もちろん克服できない困難もあるでしょうが、それもまた神の意志であることを納得できるときがくるはずです)。

わきみち前節の約束の内容にしても、この勝利にしても、12ステップが提示する御利益は徹底して現世利益 のみです(そもそも酒がやめられるというのは、アルコホーリクにとって究極の現世利益です)。来世 の概念は宗教ごとに違うので、それに触れることはできないという理由もあるのでしょうが、個人的には、むしろアルコホーリクは現世で救われるプログラムにしか魅力を感じないからではないか、と考えています。

そして最後に、「私がいつもあなたの意志を行うことができますように」という目標を再び掲げて祈りを締めくくっています。

もちろん、実際にどのような言葉を発するのかは「全くの自由」だと次のページ(p.92)にあります。ステップ3でどんな言葉を使って祈るのかは、決まり事はありません。しかし、これまで学んできたように、「自分と自分の人生を神に捧げる」「これからは神の意志に従って生きる」という目標と、それに対する助力を願う言葉は必要でしょう。その点では、このp.91のステップ3の祈りをそのまま使うことをお薦めしておきます。

私たちはこのステップを始める前に、自分にその準備ができているか考えた。そして全面的に自分自身を神にゆだねられるかどうかを。6)

先ほど述べたように、ステップ3の決心は目標を設定するだけのものです。だがそれは、私たちの人生を左右する大きな決心であるのは明らかです。だから、自分にその準備ができているか良く見極めてから行なうべきです。

誰と一緒に祈るか

次のp.92の最初の段落には、このステップは理解のある人と一緒にやることが望ましいとあります。ビッグブックはAAが存在しない土地に住んでいる人のために、本を使って12ステップを伝えるために書かれたものです第7回第51回。だから、読者にはスポンサーもホームグループもない、という前提があります。そのために一緒に祈りを唱える相手として妻や親友や宗教者という例が挙げられているわけです。7)

スポンサーからプログラムを受け取っているのであれば、スポンサーと一緒に祈るのが良いでしょう。二人で一緒にステップ3の祈りを唱えれば、スポンサーはスポンシーがステップ3に取り組んだことを確認できます。(もちろん、その前にステップ3の祈りの意味をスポンシーに十分説明しておくべきですが)。

ですが、事情があって一人でステップに取り組んでいて、しかも周りに霊的なことに理解ある人がいないのであれば、一人で祈るほかありません。

それはほんの始まりにすぎない。だが、正直に、謙虚に行っていけば、すぐに非常に大きな力が働いていることが感じられる。8)

長い長い準備段階を経て、ようやく行動のプログラムが始まりました。これからは神の力が自分に働きかけているのを感じながら、この先のステップに取り組んでいきましょう。

次回からはステップ4に入ります。

今回のまとめ
  • 決心するとは、たった二つの選択肢から選ぶこと。
  • 決心することは、始まりに過ぎない。
  • ステップ3は12ステップ全体を左右する重要な役割を負っている。
  • ステップ3では祈りを唱えるという行動が指示されている。
  • その祈りの例として「ステップ3の祈り」(p.91)が示されている。
  • ステップ3を実行に移すには、理解ある人と一緒にこの祈りを唱える。
  • だがその前に自分を神にゆだねる準備ができているか確かめるべき。

  1. BB, p.85[]
  2. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.59[]
  3. Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2020[]
  4. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.73[]
  5. BB, p.90[][]
  6. BB, p.91[][][]
  7. ビッグブックが書かれたとき、メンバーは全員が男性だったため、男性が男性のために書いた内容になっている。[]
  8. BB, p.92[]

2024-08-21

Posted by ragi