12ステップのスタディ (3) AAの始まり Q&A

今回は、前回前々回についてのQ&Aです。


Q: ローランド・Hはその後どうなったのでしょうか? 彼はAAに加わらなかったのですか?

Roland Hazard
ローランド・ハザード — from Find A Grave

A: ローランドはビル・Wたちとは一緒に活動せず、AAに加わりませんでした。従ってローランドに関する記録はAAには残っておらず、ビル・Wがエビー・Tから(あるいは他の共通の知人から)聞かされた話が伝わっているだけです。

リチャード・M・デュビエル(Richard M. Dubiel, 1942-2002)は、その著書 The Road to Fellow­ship のなかで、ローランドはフィッツジェラルド(1896-1940)の小説『華麗なるギャツビー(1925)の登場人物のような富豪であったと述べています(しかも成り上がりの登場人物ギャツビーではなく、代々裕福な階級のイースト・エッグ・グループのほう)1) そんなローランドが、まったく異なる社会階層に属するビル・Wたちとつきあう理由はなかったのだろうと思われます。

ローランドは1934年にエビーを助けた後、翌35年はエビーを連れてオックスフォード・グループの活動をしていました(この間ビルはアクロンに行っていた)。ローランドは36年8月にニューメキシコ州 滞在中に深刻な連続飲酒に陥り、ニューヨークに連れ戻されて入院したことがわかっています。その後、彼は活動の場を聖公会 に移しましたが、その晩年は十分に好調なものだった、とデュビエルは評しています。BBS#63ローランドの飲酒が1925年頃に深刻化して治療が始まり、1936年に終結したとするならば、再発を繰り返しながら解決までに10年余りを要したことになりますが、それはアルコール依存症の治療においては特に長くも短くもない長さだと言えましょう。

第二次世界大戦はローランドにとって辛い経験になったはずです。三人いた息子のうち、1944年に長男が戦死し、1945年には次男も沖縄で戦死しました。ローランド自身は1945年12月20日に64才で亡くなりました。2) 三男は長生きし、1990年代にAA歴史家のインタビューに応じています。

AAにおいてはローランドは長いこと謎の存在でした。ビルが彼のことを「エビーの友人」や「R氏」と言い表してきたこともその原因の一つだったのでしょう。だが、1961年初頭にビル・Wとカール・ユングの間に書簡のやりとりがあり、それがAAの月刊誌 AA Grapevine に掲載されたことBBS#Cや、ビルの死後ロバート・トムセン(Robert Thomsen)によるビルの伝記 Bill W.(1975)3) が発表されたことで、カール・ユングとローランドの会話は歴史的事実と見なされるようになりました。

1990年代以降活溌になったAA歴史家たちその他の地道な調査によって、ローランドの生涯やユングによる治療の様子が少しずつ明らかになってきています。それによって、AAにおける伝承とは異なる事実(治療の時期や長さなど)も判明してはいますが、伝承を根本的に覆す情報が見つかったわけではありませんビッグブック第二章のユングとローランドの記述は十分信用できる、と言えます。


Q: カール・ユングはなぜアルコホーリクを治療不能とみなしていたのでしょう?

Carl Gustav Jung
from Wikimedia Commons

A: ユングがアルコホーリクはすべて治療不能だと見なしていたわけではないのは明らかです。もしそうならば、そもそもローランドを治療するはずがありません。ユングは他のアメリカ人のアルコホーリクの治療に成功したことを自伝に書いています。ただしそのケースでも最終的な回復の前には何度も再発がありました。4) したがって、ローランドが再飲酒したから、という単純な理由でそれ以上の治療を拒んだわけではなさそうです。

一方でユングは、ビル・Wとの往復書簡のなかで、彼がローランドを回復不能と見なして治療を拒んだことを認めています。なぜ、ローランドの治療を拒んだのか、しかも一回目は引受けたにもかかわらず、二回目の治療を拒んだのか、その理由がわかる資料は見つかっていません。ユングがどのような基準でそれ以上の治療は無駄だと判断したのかのも分かっていません。

ただ、シルクワース医師がビッグブックの「医師の意見」のなかで、「医師の間の通説と思われるのは、慢性のアルコホーリクは大方死んでいく、というものだ」(p.xxxviii)と書いているとおり、重度まで進行したアルコホーリクは回復する可能性がとても低くなると見なされていたわけで、それは現在も変わりありません。ユングの判断がこうした現実を反映したものだとしたら、その判断には不自然なところはないと言えます。(cf. BBS#23


Q: ユングはなぜ宗教的な回心の体験がアルコホリズムを癒しうると考えたのでしょうか?

A: ユングの自伝には、ユングが少年時代に神の存在を直接体験したことが書かれています(彼はそれを「直接体験」と言い表しています)。ただ彼はそれを人に語ることはなく、自伝も自分が死んでから出版するように言い残しました。

だがその直接体験は彼を宗教に傾倒させるのではなく、むしろ形式化が進んだ(と彼が感じ取った)現実の宗教に対する失望をもたらしました。それでも彼は、親族に霊能者がいたことや、父親が東洋に関心を寄せていたこともあって、神秘主義 への関心は保ち続けました。ユングが医者になってすぐ精神病院で働き出したのは、父親が早くに死んで経済的に自立する必要があったのと、学費の借金の返済のためでした。

この時代に、現代のパーソナリティ理論の礎を作った精神科医・心理学者を挙げるならば、それはジークムント・フロイト (1856-1939)アルフレッド・アドラー (1870-1937)、そしてユングということになるでしょう。アドラーもユングもフロイトに師事して一緒に活動していた時期がありましたが、後に決別してそれぞれ独自の道を進みました。フロイトとユングが袂を分かった原因となったのが、ユングの持っていた(特に古代の)宗教への関心でした。フロイトは自らの作り上げた精神分析学 が科学の一分野として位置づけられることを願っていましたが、ユングの関心は人間の精神の奥にある神秘的なものへと向かっていました。

宗教は信仰によって病気が治ったという奇跡をしばしば主張しますが、ユングはそのような宗教的な治癒の存在とその価値を認めていました(ただしユングは彼の理論と治療は科学の範疇にあるという立場を取っていました)。

ですから、回心の体験がアルコホリズムを解決しうるという発言はユングの考えとは矛盾しませんし、それはフロイトやアドラーからは得られなかった助言だったとみなされています。BBS#61


Q: ローランドはユングの治療を受ける前にアメリカでシルクワース医師の治療を受けたのでしょうか?

A: ローランドがユングの治療を受けたのは1926年でした第1回。シルクワース医師がタウンズ病院で働き始めた時期には諸説ありますが、少なくとも彼が経営するクリニックを大恐慌の影響で失った後、つまり1930年以降だったはずです。従ってローランドがヨーロッパに行く前にタウンズ病院でシルクワースの治療を受けることはできなかったはずです。


Q: ユングはローランドにオックスフォード・グループを勧めたのでしょうか?

A: ローランドがなぜオックスフォード・グループを選んだかは未だ謎のままです。ビル・Wの自伝は、ユングがローランドに「宗教的環境に身を置くこと」を勧めたと述べているのみです。BBS#60ユングがローランドにオックスフォード・グループを勧めたという証拠は特に見つかっていません。

ローランドには先にオックスフォード・グループに加わっていたスーザン・キース(Susan Keith, 1889-1980)という従姉妹がいたことから、彼女の影響を受けてオックスフォード・グループに加わった可能性があります。BBS#63


Q: エビーはその後どうなったのですか?

Ebby Thacher
from Ebby in Exile

A: エビーは1935年の夏をローランドとオックスフォード・グループで過ごした後、秋にビル・Wがアクロンからニューヨークに帰ってくると、救貧伝道所を出てウィルソン夫妻の家の居候となりました。そして翌年の夏に故郷に戻り、フォード・モーター の工場で働くようになりました。だが1937年の夏にアルコホリズムが再発し、仕事も失ってしまいました。

その後のエビーは、他のAAメンバーや施設の世話になって酒をやめては、働き出してしばらくすると再飲酒して飲んだくれに戻るというパターンを繰り返しました。

そのような生活を15年ほど続けた後、1953年の秋に他のメンバーの計らいでテキサス へと送られ、AAメンバーの経営するクリニックで治療を受けました。そこでも再飲酒がありましたが、その後7年間酒をやめ続け、仕事を続け、AAのコンベンションでスピーチを行うようになりました。多くの人がエビーの話を聞きたがり、彼の回復はビル・Wにとっても大きな喜びとなりました。LABW#6

エビーは1957年頃から丸薬依存を持つ女性と交際を始めました。エビーは結婚を望みましたが、その女性はエビーから得られる経済的な支援しか関心が無かったようです。その女性が61年に亡くなると、エビーはまた酒を飲むようになり、ニューヨークに送り返されました。その後は親族やウィルソン夫妻の世話になったり、施設に入ったりしまたが、最晩年の2年間はマクパイプ・ファームという療養施設で飲まずに過ごしました。死因は脳卒中でした。

エビーがしっかりとした回復を得られなかった原因を明確にはできません。それでも彼は最初にオックスフォード・グループと接触してから亡くなるまでの32年間において、通算すれば15年間のソブラエティを得ました。たびたび再飲酒しましたが、そのたびにAAに戻ってきて他のアルコホーリクを助ける手腕を発揮しました。

もしエビーが確実な回復を手にできていたならば、AAの共同創始者はビル・Wとドクター・ボブの二人ではなく、エビーとビルになっていたのでありましょう。彼は「ビル・Wに回復のメッセージを運んだが自分自身の酒はやめられなかった男」として人々に記憶されることになりました。それでも、エビーの初期の回復と、ビル・Wとの接触がなかったならば、おそらくはAAも存在しなかったと思われます。5)


Q: ビル・Wはフランク・ブックマンと接したことはあるのでしょうか?

Oxford Group house-party
Oxford Group house-party, from Frank Buchman – A Life

A: ウォルソン夫妻は、オックスフォード・グループの大規模な「ハウス・パーティ」にたびたび参加しました。ビルはそこでブックマンとも会いましたが、親しい関係にはなりませんでした。後年、ビルは「ブックマンを知っているか」と尋ねられ、「握手しただけだ」と答えています。またブックマンはアルコホーリクには特に関心を持っていませんでした。6)


Q: オックスフォード・グループの霊的な実践は何か特別なものなのでしょうか?

A: ビル・Wは「12ステップ(ステップ1と2を除いた)残りは直接にはオックスフォード・グループの教義からきたもので、それを特に私たち向けにしたものだ。もちろんそうした教義は別に新しいものではなく、あなたの行く教会で同じものが得られるだろう」と述べています。ABW#7したがって、オックスフォード・グループだけに存在した特別な実践だったとは言えません。

また、1940年にビル・Wと出会って以降彼のスポンサー役を務めたエド・ダウリング神父Edward Dowling, 1898-1960)は、聖イグナチオの「霊操 」とAAの12ステップの類似性を指摘しています。LABW#23

12ステップに含まれる、自分の持つ善悪の観念の調査、告白、償い、他の人を助けること、祈りや黙想といった要素は、キリスト教だけでなく、仏教など他の多くの宗教にも共通してみられるものです。つまり12ステップは特定の宗教の考えに依拠しているのではなく、様々な宗教に共通している実践のなかから、アルコホーリクの回復に必要な要素を取り出して組み合わせたものだと言えるでしょう。


Q: ビル・Wの霊的体験は解毒治療に用いたベラドンナによる幻覚だったのではないでしょうか?

A: その可能性は否定できません。ベラドンナ は副作用として幻覚をもたらしうることが指摘されています。だが重要なことは、その経験によってビル・Wの精神に奥深い変化が起きたことです。その変化は彼の主治医シルクワース医師から見ても、妻のロイスから見ても明らかでした。つまり霊的変化には客観性があるということなのです。

つまり、単にベラドンナを服用するだけで霊的体験ができるのであれば、それはとても便利でしょうが、そういう単純な仕組みではなさそうです。霊的体験には人間には制御できない何らかの機序があるようです。


Q: どのような霊的変化が起これば回復したと言えるのでしょうか?

A: AAでは、霊的目覚めの体験は一人ひとり異なったものであるとみなされています。ですから、ここで変化の内容を詳しく論じるのはやめておきます。関心のある方は、ビル・Wも読んだウィリアム・ジェームズ『宗教的経験の諸相』を参照されると良いでしょうAA『諸相』スタディ・ミーティングもお薦めします)

しかしながら、AAのテキストは、霊的な体験がもたらす変化には全員に共通している要素があると述べています。そこの記述から、共通してみられる変化を明らかにすることはできそうです。

付録Ⅱの「霊的体験」には、

本人も、自分の人生に対する態度が根本から変えられていること、またそうした変化は決して自分だけの力でもたらされたものではないことに気づく。7)

とあります。回復には努力が必要ですが、その努力が自分を回復させたのではなく、自分以外の何かの力が自分を回復させてくれた、という認識が霊的変化の共通点だと言えるでしょう。

第四章にも、

みんなに一致した共通のものがある。それは彼らがみな、自分より偉大な力に近づき、それを信じるようになったことである。この力が、奇跡を行い、人間には不可能なことをやってのけた。8)

という記述があります。

ビッグブックの16年後に出版された『12のステップと12の伝統』12&12は、AAの二冊目のステップのテキストですが、それには、

一人の人が霊的に目覚める時、その最も重要な意味は、これまで自分だけの力とやり方ではなし得なかったことが、いまはでき、感じ、信じられるようになったということである。その人には、新しい意識と存在ともいうべき贈り物が与えられた。9)

とあります。ここでも、自分の力ではできなかった回復が、自分以外の何かの存在によって与えられたという認識を述べています。さらにこの文章は、

こうしてステップを実践しながら、私たちは霊的に目覚めた。そのことにもう疑問の余地はない。・・・その経験から言えることは、AAのどんな人たちもやがて神を愛するようになり、その名を呼ぶようになるということだ。10)

と続いています。

回復したいと思いながらも自分の力では回復できなかった人たちが、回復を得たときに、その回復を「超越的存在から与えられたものである」と認識することが霊的変化の共通要素なのだと思われます。


Q: AAに行くと私も「宗教化」されてしまいそうで怖いのですが?

A: AAはメンバーに何かを強制することはありません。ステップに取り組むかどうか、ミーティングに参加するかどうかも、各人の判断にまかされています。ですから、メンバーが何かをしているとすれば、それはすべて自発的に行っているのです。

しかし、AAメンバーには何の強制力も働いていないと思ってはいけません。ビル・Wはこう書いています:

AAはだれに対しても強制しないという伝統的な態度をとっていますが、私たちにはどんな制約もないなどと、たとえ一瞬でも考えるのはやめましょう。現に、私たちは強力な制約のもとにおかれています。――ボトルの中に入っている強制力です。私たちの以前の専制君主であったアルコール王は、もう一度私たちにつかみかかろうと手ぐすねひいて待ち構えているのです。11)

つまり、私たちになにかを強制するものあるとすれば、それは私たちの持っているアルコホリズムという病気なのです。

実際に参加してみれば、AAはまったく宗教的ではない俗人の集まりであることがわかるでしょう。スピリチュアリティなどと口に出して言っていても、AAメンバーのやっていることは、真面目に宗教に取り組んでいる人たちから見れば幼稚なレベルです。でもそれはAAが「酒をやめる」という極めて現世的な利益を目的とした団体であるからで、AAはそれで良いのだと思います。


次回は薬物嗜癖者のグループ、ナルコティクス アノニマス(NA)の創始の物語です。


  1. Richard Dubiel, The Road to Fellowship: The Role of the Emmanuel Movement and the Jacoby Club in the Development of Alcoholics Anonymous, iUniverse, 2004, p.64.[]
  2. Rhode Island Historical Society, Rowland Hazard III PapersRhode Island Historical Society (rihs.org), 2021/02/12.[]
  3. Robert Thomsen, Bill W: The absorbing and deeply moving life story of Bill Wilson, co-founder of Alcoholics Anonymous, 1975, Hazelden Publishing.[]
  4. ヤッフェ編(河合隼雄他訳)『ユング自伝―思い出・夢・思想― 2』, みすず書房, 1972, pp.177-179.[]
  5. Mel B., Ebby: The Man Who Sponsored Bill W., Hazelden, 1998.[]
  6. PIO, pp.130-131,169-170[]
  7. BB, p.267/571.[]
  8. BB, pp.73-74.[]
  9. 12&12, p.141.[]
  10. 12&12, pp.143-144.[]
  11. AA, 『ビルはこう思う』, AA日本ゼネラルサービスオフィス, 2003, 134.[]

2024-04-2512ステップのスタディ,日々雑記

Posted by ragi