12ステップのスタディ (8) OAの始まり 2
前回に続いて、OAの創始の歴史を追います。オーバーイーターズ・アノニマス(OA)は、強迫的過食者の共同体として、GAとAAをモデルに1960年に始まりました。そして、テレビ番組による広報が奏功して、グループ数は急増し、2年半後には全国会議が開かれるまでになりました。霊的な回復のプログラムについてはAAの12ステップを最小限の変更で採用することが決まったものの、完全にやめることはできない「食べること」について、どのような回復の基準を設けるか、そしてそれを支える食事計画をどうするか、という議論がその後長く続くことになりました。
今回もOAから出版されている三つのテキストに拠っています。
- ブラウンブックと呼ばれるOAの体験記集 Overeaters Anonymous 1) に掲載の創始者ロザンヌ・Sの “KEEP COMING BACK: ROZANNE’S STORY”。
- OAが始まってからの約30年の歴史をロザンヌが記述した Beyond Our Wildest Dreams: A History of Overeaters Anonymous as Seen by the Founder 2)。
- OAによる創始者の追悼記事 A Tribute to OA’s Founder, Rozanne S.。3)
アブスティネンス・炭水化物節制派・食事計画
話は少し戻って、1961年のこと、OAの創始者ロザンヌ・SはAAのミーティングに参加し始め、AAの本を読んだり、AAのメンバーの話を聞くようになりました。AAの用語をオーバーイーター向けに「翻訳」することは難しくはありませんでしたが、ただ一つソブラエティ(断酒)という概念をOAに移すのには苦労しました。強迫的な過食をやめるとはどういうことなのでしょうか?
OAが始まったばかりの頃、彼女たちはカロリー計算をしていました。それは食べ物の摂取量をコントロールするためで、ダイエッターの頼みの綱でした。そして、一日の総摂取量の制限範囲内であれば、間食として低カロリーの食べ物を好きなだけ食べても良いと考えていました。しかし、人参やセロリをかじることでさえ衝動を高めるだけであることが、次第に明らかになっていました。
ロザンヌはあるAAのミーティングで、AAメンバーが「ソブラエティ」ではなく「アブスティネンス(abstinence, 禁酒)」4) という言葉を使っているのを聞きました。自分を振り返って、カロリー計算をしていても常に食べているのでは、abstain(控えている)とは言えないのではないか、と考えました。そして彼女は、一日3回の食事を摂り、そして食事と食事の間は食べずにノンカロリーの飲み物だけにする、というアブスティネンスの概念をOAのニューズレターで発信しました。
ところで、エドワード・J・ダウリング神父(Edward Dowling, 1898-1960)は、AAのビル・Wのスポンサー役を務めた人ですが、1960年に出版されたAAの25周年記念誌 AA Today に自身の体験記を寄稿しました。その記事 “A Steps for the Underprivileged Non-AA”(恵まれない非AAメンバーのための12ステップ)のなかで、体重110Kgを越えた彼は心臓発作を2回起こし、医師から80Kgまで痩せるように言われたこと。そして、その手段として、スターチ(でんぷん食品)と、バターと、塩と、砂糖を控えるように言わたことを述べました。この四つが彼にとっての「アルコール」であり、いわゆる「バランスの取れた食事」とされているものにはこの四つの「渇望を作り出す食欲増進物質」が含まれていることや、イグナチオ・デ・ロヨラ (1491-1556)の『霊操 』(1548)で最初に述べられている食事のルールは渇望を作り出すを食材を控えめにすることだったことに気づかされたと述べました。5) 6)
このダウンリグの文章に触発されたOAメンバーは、四つの中から小麦粉と砂糖がオーバーイーターに渇望をもたらすトリガーフード(渇望の引き金となる食べ物)であり、アル中がアルコールにアレルギーを持っているように[BBS#12, BBS#14]、オーバーイーターも小麦粉と砂糖にアレルギーを持っていると唱えるようになりました。そして、それらを控える食事計画を作って印刷し、OA内で配布を始めました。それは金色の紙に印刷されていたので「ゴールドシート」と呼ばれました(この紙の色は次々と変わり、最終的にグリーンシートやグレイシートと呼ばれた)。
こうして、三度の適度な食事派(three-moderate-mealers)と、炭水化物節制派(carbohydrate abstainers)との激しい論争が始まりました。どちらも一日三食を食べて、食事と食事の間には間食をせずノーカロリーの飲料だけにするという点は共有できており、その上で炭水化物節制派は食事から炭水化物と砂糖を取り除くという違いがあるだけなのですが、その差は埋められないほど大きなものでした。ロザンヌは炭水化物節制派は一過性のものだと考えていましたが、この一派は勢力をどんどん拡大していきました。彼女は強迫的オーバーイーターが厳格な食事計画にしがみつきたがることを軽視していたのです。
回復の共同体においては、ときに急進的な一派が形成されることがあります。AAにも絶対禁欲派(total abstainer)とでも呼ぶべき人たちがいて、アルコールだけでなくタバコやカフェインも断っています(海外のAAミーティングにデカフェ が置いてあるのは彼らのためです)。AAメンバーのほとんどは、酒をやめていても酩酊性のある他の薬物を使っている状態を「しらふ」とは見なさないでしょうし、ビル・Wは自分の経験から薬物乱用に警告を発しました(第4回)。しかし、処方薬を医師の指示通り飲むことや、必要な市販薬を使うことは当然だとみなされています。しかし、絶対禁欲派の人たちはタバコを吸ったり、頭痛薬を使うことすら控えます。そういった極端な節制を訴える人たちがAAのなかで受け入れられているのは、彼らが他のメンバーの基準に口を出さないからです(例えば、向精神薬を飲んでいるメンバーはソーバーではないとか言い出さないから)。また、自分たちのミーティングだけに出て、他の一般的なAAミーティングには行くなという指導を行わないからです。もしそのようにして、自分たちの考えをAA共同体全体に押しつけようとすれば、逆に自分たちが共同体から出て行かざるを得なくなると分かっているからです。
しかしながらこの時のOAの炭水化物節制派はまさにそれをやりました。自分たちの考えをOA全体が採用すべきだと考えたのです。その結果、炭水化物を控えていないメンバーは fat serenity(太った平安派)と呼ばれ、炭水化物節制派のOAミーティングでは話をすることを拒まれるようになりました。でありながら炭水化物節制派は、その他のメンバーを拒んでいるわけではなく、参加を歓迎していると主張したので、これは猛反発を受けました。12ステップは手渡す(=与える)ことによって、与える側に恩恵がもたらされる仕組みですから、その機会を他のメンバーから奪いながら「歓迎する」と言うのは明らかな矛盾だからです。
炭水化物節制派を主導したアイリーン・B(Irene B.)は、12ステップに取り組むことの重要性を強調した霊性派の一人でもありました。霊性の強調は、女性たちのおしゃべりの場だったOAに変化をもたらしました。また、一日三食だけを食べて間食しないという考えも、他のOAメンバーと共有できていました。しかしながら、AAの「すべてのアルコホーリクはアルコールにアレルギーを持っている」という考えを、ストレートに「すべての過食者は炭水化物や砂糖に対してアレルギーを持っている」と転用した彼女たちの思想は、他の多くのOAメンバーには受け入れられませんでした。
結局、炭水化物節制派を主導した数人のメンバーはOAを離れ、Carbohydrates Addicts(炭水化物嗜癖者)という小さなグループを作りましたが、長続きしなかったようです。一方でOAを離れなかった人たちは炭水化物女子(carbohydrate girls)を名乗り、OAのなかで小さくない勢力を維持しました。
この論争は、OAは一つの食事計画を定めるべきか、だとするならその内容はどうするか、そして栄養学的な議論は12の伝統に反しないのか、というその後のOAを長く悩ませる問題を提起しました。
ちょうどのそのころ、Dear Abbyという新聞の人生相談のコラム記事でOAが好意的に取り上げられ、7,000通の手紙が寄せられました。それに対して、何らかの食事計画の方針を示す必要があるという判断から、一日3回の食事、その間は低カロリーかゼロカロリーの飲み物のみ、そして暴飲暴食は慎むというシンプルな計画を提示し、しかもOAは特定の食事計画を推奨しないと明言しました。
OA全体としては歴史を通じて穏健な「三度の適度な食事派」が多数派であったのに対し、少数派ながらも炭水化物節制派が存続を続けたのは、A.G.やロザンヌ、そしてロザンヌのスポンサーであるテルマですら、再発し、アブスティネンスに戻るのに苦労していたという現実があったからなのかもしれません。炭水化物節制派は次第に勢力を伸ばし、全国会議にも代表を送るようになりました。
食事計画を巡る論争
その後も食事計画の議論が全国会議を大荒れにさせる時代が続きました。1970年代前半には、「特定の食事計画を推奨するものではない」との注釈つきで、炭水化物節制派の主張にもとづいたプランAと、それに炭水化物を加えたプランBを併記した食事計画シートが発表されました(しかし炭水化物節制派はプランBの部分を破り捨てて配布したので併記は意味を成さなかった)。
1972年にニューヨークのロングアイランド のOAグループのメンバーが、カリフォルニア州ウェストミンスターの炭水化物節制派の情報を手に入れました。それは12ステップについても、食事計画についても、体系的で規律のある方法でプログラムに取り組むプログラムになっていました。一連の質問に答えていくというワークシート式手法も分かりやすかったのでしょう。しかしその中には的を射ていないと感じさせる質問もあったようで、ロングアイランドのメンバーは『ウェストミンスター質問集(Westminster Questions)』を新たに作りました。それはステップ1・2・3について、連続する21日間、AAのテキストの指定箇所を読み、質問に対して文章を書いていくというものでした。それが終わると、残りの9つのステップのためのワークを1日一つずつ仕上げていき、順調にいけば30日後にステップ・アップ・セレモニーを経て、スポンサーができるようになるという仕組みになっていました。この「ロングアイランド・ウェストミンスター計画」を広げる運動がニューヨークから始まりました。このウェストミンスター派もOAのなかで勢力を伸ばし、1960年代中盤に起きた激しい議論を、1970年代後半に再現し、OA Plusと呼ばれるOAの分派を作り出しました。
1978年にOAの全国会議はプランAもBも廃止して、一つのプランを発表したものの、1979年にはそれを八つのプランを含んだ新しい版へと作り直しました。この間「OAはダイエッターの集まりではない」と主張しながらも、全国会議は「何を食べて良いのか」の議論が繰り返されることになりました。当然その議論は栄養学 的なトピックも含んでいました。
最終的にOAの全国会議は、1987年に、OAミーティングで(特定の)食事計画の情報を提供することは伝統10に反するという声明を出しました。OAメンバーは自分のために食事計画を自由に選択できるが、栄養学はOA外部の問題であり特定の栄養学的立場に立った情報をOAで取り扱うべきでないことから、すべてのOAグループに対して、ミーティングでは食事計画の情報の扱わず、12ステップに最も関心を持つように要請しました。
1985年にはアリゾナ州フェニックスで、ニューヨークのウェストミンスター派の考えに従った、OA-HOWグループが始まりました。HOWはAAのビッグブックにある「意欲と、正直さと、開かれた心」(p.572/268)の頭文字を取ったものです。その後のことは、20年前にカリフォルニアで起きたことと同じ対立の先鋭化でした。そして結末もアイリーンのときと同じで、1995年にOA-HOWの牽引者はOAを離れて自分たちの共同体を別に作りました。このOA-HOWもしくはHOW-OA共同体は現在でもOAとは別に活動を続けています。
少々解説を加えておくと、12ステップ共同体はウィリアム・ジェームズの思想を多分に受け継いでいるので、共同体内部に穏健派と炭水化物節制派のような意見の対立や派閥があることは問題ではありません。むしろ違った意見が共存する多元論 的存在であることが望ましい状態です。しかし一つの派が自分たちの思想で共同体全体を染め上げることを目論み、他の派を排除しようとすると、対立が激化し、その混乱がしばしば共同体の分裂や弱体化を招きます。それを防ぐために12の伝統を安全弁的に作動させ、元の多元論的状態を取り戻そうとするのです。つまり1987年の決議は wildest dream を実現するために必要な団結(一体性)を保つための努力でした。それに対してあくまで自分たちが「正しい」という主張を貫く人たちは、この多元論的状態に耐えられず、共同体から離脱して行かざるを得なくなるのです。
OA-HOW/HOW-OAが分離後も30年近く存続していることからして、彼らの考え方に一定の有用性があるのは確かです。しかし、もし彼らがOAのなかに留まれていたとしたら、その世界線の上ではより多くのオーバーイーターが助かったはずであり、これは「正しさ」にこだわることで有用性が損なわれてしまうことを示す好事例となっています。
議論の終端
このようにして、OAが始まってから30年余りの歴史をたどってみると、AAの12ステップをそのまま採用するかどうかという議論以上に、OAにおけるアブスティネンス(AAのソーバー、NAのクリーンに相当する概念)はどのようなものかという議論と、それを実現するためにどのような食事計画を提供するかという議論が延々続いたことがわかります。
結果としてできあがったアブスティネンスの定義は:
Abstinence in Overeaters Anonymous is the action of refraining from compulsive eating and compulsive food behaviours while working towards or maintaining a healthy body weight.7)
オーバーイーター・アノニマスにおけるアブスティネンスとは、健康的な体重を目指し、あるいは維持する努力を続けながら、強迫的な食事や強迫的な食行動をやめることである(拙訳)。
となりました。また食事計画は、「トリガーフードと破壊的な食行動を避けるためのガイド」となっています。8)
『オーバーイーターズ・アノニマスの12のステップと12の伝統』は原著が1993年に、日本語訳が2009年に出版されましたが、原著は2018年に改版されました。初版から第二版への変更点は多くありませんが、その変更点(日本語版には未反映)に、アブスティネンスと食事計画についての最新の見解が含まれています:
The definition of abstinence has been refined over the years as the OA Fellowship has clarified the meaning of abstinence for all of our members. It is important to remember that abstinence is not the exact content of our plan of eating, which we are each responsible to determine and follow as we surrender to our Higher Power’s guidance.
Nor is abstinence about what we weigh, although attaining and maintaining a healthy body weight is a result of our abstinence. Abstinence is refraining from compulsive eating and compulsive food behaviors that create the obsessive thinking about and destructive acting out with food.
A plan of eating helps us each day to get and remain abstinent. Food plans may change over time as our circumstances change or as we discover new or different foods or behaviors from which we must abstain.9)
アブスティネンスの定義は、OA共同体がメンバー全員にとってのアブスティネンスの意味を明確にするにつれて、長い時間をかけて洗練されてきた。アブスティネンスは私たちの食事計画そのものではないことを憶えておくことが重要で、私たちがハイヤー・パワーの導きに自分を委ねるために、一人ひとりが自分の食事計画を決定し、それに従っていく責任がある。
また、健康的な体重を達成しそれを維持することはアブスティネンスの結果ではあるが、アブスティネンスは私たちの体重のことでもない。アブスティネンスとは、食べ物に対する強迫的な思考や破壊的な行動をもたらす強迫的な食事や強迫的な食行動をやめることである。
食事計画は、私たちがアブスティネンスを獲得し、それを毎日維持していくのを助けてくれる。私たちが置かれた環境が変わったり、私たちが控えなければならない食べ物・飲み物を新たに発見したりすることで、食事計画は時間とともに変わっていくだろう。(拙訳)
こうしてみると、OAのアブスティネンスの定義や、食事計画との関係については、現在でも検討と改善が続いていることがわかります。
OAは単一の食事計画を共同体全体で共有するというアイデアは放棄しましたが、それでもOAメンバーの大部分が回復のためには食事計画が必要であり、自分に適した食事計画を作ることが回復の第一歩だと考えています。そのため食事計画を各自で作るためのパンフレットが出版されています。10) アブスティネンスと食事計画、標準体重の関係は次回のQ&Aで整理します。
ロザンヌのその後
ロザンヌは1963年の秋に過食に戻り、体重がリバウンドしたことを理由に評議員を辞任しました(前回)。その後もナショナル・セクレタリ(OAオフィスの所長)は続けていましたが、それも1965年5月に辞任しました。
彼女は再発の理由を明確に書いてはいませんが、繰り返し語られるのは、当時の彼女の外面と内面のギャップです。標準体重に痩せた姿は過食する女性たちの憧れではありましたが、彼女自身はそのような外部からの評価によって満たされることはなく、自分の酷い内面は決して人に知られてはならないと考えていました。第1回の全国会議の後のコンベンションで彼女は創始者として紹介され、人々のスタンディングオベーション を受けましたが、「もしあの人たちが、私の腐りっぷりを知ったなら、立ち上がって拍手するどころか、立ち上がってきびすを返して出て行ってしまうでしょう」とスポンサーのテルマに告白しました。[BBS#109]
ナショナル・セクレタリの後任がガンで亡くなったために、彼女は1971年に再びセクレタリを引受けますが、翌72年には体重が増加したことを理由にボード(理事会)によって解雇されました。後にその決定の価値を理解するようになるものの、その時点では彼女はボードを恨むことになりました。
ビッグブックの46ページに、「私たちはコントロールを取り戻したと思ったことがあったが、・・そのあとには、必ずコントールは失われ、惨めな、なぜだかわからない落ち込み(incomprehensible demoralization=不可解な士気の低下)に苦しまなければならなくなった」という一節がありますが、ロザンヌのその後の経過は、まさにその繰り返しでした。11)
彼女は自分の回復に足りない何かを見つけては、苦労しながらそれに取り組みました。母親への恨みに対処するために埋め合わせをし、過食だけでなく浪費(overspending)の問題にも取り組み、何も成し遂げなくても自分には価値があると感じるために自分に向かって「あなたはオーケーだ」と繰り返し言う努力をし・・・。そのようにして彼女が何かをつかむことで過食が止まるものの、やがて食事のコントロールがまたもや失われ、増加した体重に絶望するということが繰り返されました。12)
AA(やNA)の典型的な回復のストーリーは、ミーティングに参加することによってまず酒や薬が止まり、次にソブラエティ(やクリーン)が危機にさらされる(あるいは実際にスリップが起きる)ことによって12ステップに取り組む意欲が喚起され、ステップの効果によってその人に霊的な変化が起きることで酒や薬の問題が根本的に解決される、という経過をたどります。プログラムに取り組む基盤として断酒の継続が重視され、やめている期間の長さは(絶対的な指標ではないものの)回復を測る重要な指標の一つになっています。
それに対してOAの回復のストーリーは、食事と体重のコントロールがなかなか獲得できなかったり、あるいは再びコントロールを失う「ぶり返し」のエピソードを多分に含んでいます。そして、そのぶり返しにも関わらずOAのプログラムに取り組み続けることで、長い時間をかけて最終的には安定した状態へと至るという経過をしばしば辿ります。それはジョン・バニヤン (1628-1688)の寓意小説『天路歴程 』(1684)の、巡礼者が数々の困難をくぐり抜けながら最終的には天の都に至るというストーリーを彷彿とさせます。13)
AAはアルコホリズムを、身体的・精神的・霊的な三つの側面を持つ病気だとしていますが、ビッグブックに「霊的な病いが克服されたことで、精神的・身体的な病いも克服された」(p.93)とあるように、回復のプロセスにおいては明らかに霊的な側面を重視しています。一方OAでは、この三つのどれか一つが優位に立つことがなく、三つの面での回復が必要だと強調されます。それは明らかに、OA初期の心理学派対霊性派の対立の結果、心理学派が心理学重視から身体的・感情的(精神的)・霊的な回復が等しく重要だと主張を変えたという歴史的経緯によるものですが、強迫的過食の問題にフィットした考え方なのでありましょう――それは、再発が繰り返されることをもって回復が順調に進んでいないと見なすAA的・NA的思考をOAに持ち込むべきではないことを意味します。
ロザンヌはぶり返しにも関わらずOAを離れませんでしたが、多くのOAメンバーは再発とOA離脱を経験します。1968年にOAを去ったA.G.は、45Kg以上リバウンドしました。しかしその18年後の1986年にOAに復帰し、再び45Kg痩せて、その後長く標準体重を維持しました。A.G.と再会したロザンヌは、彼が毎食ごとにカロリー計算をしていることを知り、自分もそれを取り入れることで、安定した状態を取り戻しました。
ロザンヌがOAを始めたときは30才で、幼い娘が二人いました。OAで忙しくなるロザンヌに対して、家事や育児を快く引受け、時に適切な助言を行い、OAのコンベンションにも欠かさず参加することで妻を支え続けた夫マービンは1999年に心臓発作で亡くなりました。また、2014年にはOAが創始者ロザンヌの訃報を全世界に向けて発信しました。
出版と発展
OAは1980年に基本テキスト Overeaters Anonymous(通称ブラウンブック)を発行しました。ただこれはその大部分が個人のストーリーで占められ、12ステップの解説書ではありません。巻末に、強迫的過食の精神的・身体的・霊的な側面それぞれを説明した付録があります。
伝聞情報ですが、OAではAAのビッグブックを12ステップのテキストとして利用する時期が長く続いたのだそうです。そして1993年になってようやく『オーバーイーターズ・アノニマスの12のステップと12の伝統』が出版されました。ただ、ロザンヌは、ブラウンブックやOA版12&12の著述と出版の経緯については Beyond Our Wildest Dreams ではまったく触れていないので詳しいことは分かりません。現在でもOAのオンライン・ブックストアには、OAの書籍に並んでAAのビッグブックが売られています。このブックストアを見ると、OAは出版に極めて熱心な共同体であることが分かります。
OAは現在世界中の65カ国に6,500グループが存在し、6万人のメンバーを抱えるまでに大きくなりました。14) この数字は約200万人というAAや、数十万人規模のNAやアラノンと比較すれば小さく感じられるかもしれません。しかしその他の12ステップ共同体と比較すればOAは群を抜いた存在です。強迫的オーバーイーターのための回復の共同体を全世界に広げていく、という初期のOAメンバーたちの途方もない夢は、その想像を超えて現実のものとなっています。
- OAでは食事計画やアブスティネンスの定義に関する論争が続き、最終的に1987年にOAとしては特定の食事計画を推奨しないことになった。
- OAにおけるアブスティネンスとは、「食べ物に対する強迫的な思考や破壊的な行動をもたらす、強迫的な食事や強迫的な食行動をやめること」である。
- アブスティネンスを獲得し、維持していくためには、トリガーフード(渇望の引き金となる食べ物)を避ける必要があるが、OAは全員に共通するトリガーフードがあるとは考えていない。
- したがってアブスティネンスを実現するための食事計画は一人ひとり違い、また更新されていくものとなる。
- 健康的な体重はアブスティネンスの結果であって逆ではない。
次回はOAの創始やアブスティネンスの概念についてのQ&Aです。
- OA, Overeaters Anonymous Third Edition, Overeaters Anonymous, 2015 — 初版は1980年.[↩]
- OA, Beyond Our Wildest Dreams: A History of Overeaters Anonymous as Seen by the Founder, OA, 1996.[↩]
- この文書の日本語訳がOA JAPANのサイトにあるが、メンバー向け情報とあるので参照やリンクは避けた。[↩]
- abstinence とは、何かの行動を控えること、節制。酒を控える、節酒あるいは禁酒。性行為を控える禁欲。[↩]
- AA, A.A. today: a special publication by the A.A. Grapevine commemorating the 25th anniversary of Alcoholics Anonymous, Cornwall Press, 1960. — 入手できていないので、Beyond Our Wildest Dreams, ch.11からのまた引き。ダウリングはイグナチオ・ロヨラの霊操と12ステップは原理的に一致していると考えていた[LABW#23]。[↩]
- これらがアルコホーリクにも渇望をもたらすと捉えこの四つを節制しているAAメンバーに会ったことがある。彼らはそれをビル・Wの言葉だと信じていたが、実際にはダウリング神父の記事だったわけだ。[↩]
- OA, Working the Program – Overeaters Anonymous (oa.org), 2024.[↩]
- loc cit.[↩]
- OA, Twelve Steps and Twelve Traditions of Overeaters Anonymous Second Edition, OA, 2018, p.20.[↩]
- OA, A New Plan of Eating: A Physical, Emotional, and Spiritual Journey, OA, 2021.[↩]
- “All of us felt at times that we were regaining control, but such intervals — usually brief — were inevitably followed by still less control, which led in time to pitiful and incomprehensible demoralization.” — AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.30. — 現在の日本語版ビッグブックでは「私たちも、自分はコントロールを取り戻したと思ったことがあった。けれど、そのちょっとした、あまり長くない中休みのあとには、必ずもっとひどい状態がやってきて、切ない、なぜだかわからない落ち込みに苦しまなければならなかった」、旧訳では「われわれは皆、何回かコントロールを取り戻したように思ったが、そのような――普通短かい――中断の後には、必らず哀れな、理解できないような堕落をもたらすコントロール喪失が続くのだった」と訳されている。[↩]
- しばしば指摘されるように、強迫的オーバーイーターが抱える問題と、アダルルトチルドレン(AC)の抱える問題には類似点が多く、また回復の過程がしばしばぶり返しを含んだ長いものになる点も似ている。[↩]
- 『天路歴程』はビル・Wの愛読書であった — アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, p.251.[↩]
- OA, How Did OA Start? — Overeaters Anonymous (oa.org).[↩]
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