12ステップのスタディ (10) SLAAの始まり
これまで、AA・NA・OAと三つの共同体の成立の過程を見てきました。AAで作られた12ステップを他の問題に適用するなかで、それぞれの共同体が自分たちの疾病概念や回復の基準を作り上げていった様子や、さらにはOAの食事計画のようにその共同体固有のプログラムが生じてくる事情も理解していただけたと思います。
これを書いている僕にとって、前の連載(ビッグブックのスタディ)と、この「12のステップのスタディ」の最大の違いは、僕にはAA以外の12ステップ共同体に属した経験がない、ということです。もちろんいろいろなグループのオープン・ミーティングに出席したことはありますが、その回数はせいぜい数十回で、AAのミーティングの回数の100分の一程度でしかありません。啓発活動に加わったり回復施設で仕事をしたことで、様々な共同体のメンバーと知り合うことができ、そこから他では得られない貴重な知見が得られはしたものの、それは自分自身がその共同体のメンバーとして活動することとは違います。ですから、この連載ではAA以外については基本的にその共同体の文献を頼りにし、その共同体のメンバーとの交流から得られた情報で補足していくという形式を取らざるを得ません。
文献の内容と共同体の実情に乖離があるのは問題ではありません。そもそもビッグブックに、何事もプログラムどおりにはならない、と明言されているように(BB, pp.86-87)、テキストは理念や理想を示すもので、そこからある程度の乖離があることは織り込み済みだからです。それでも、仏教やキリスト教が成立以来千年、二千年という長い時間を経ても基本的に同じ教えを受け継いでいると見なされており、それを担保しているのが仏典 や聖書 というテキストであるように、一つの12ステップ共同体が、時代・地理・言語という障壁を越えて同一のプログラムを維持することを担保しくれるのが、各共同体のテキストなのです。文献を学ぶ意味はそこにあります。
性の問題の共同体
薬物の共同体はNA以外にもいくつかの団体があったように(第6回)、性の問題の共同体も複数存在しています。薬物の場合には、NAという巨人に比べると他の団体はサイズが小さかったり、NAがすべての薬物を対象にしているのに対し他の団体は特定の薬物を対象にしているという特徴がありました。しかし、性の問題の共同体は明確な差異を打ち出してはいません。いずれも自分たちの性の問題はアディクションであると見なしている点は共通しており、また特定の性行動に特化した共同体があるわけでもありません。それでも各団体ごとに特色があり、それが一つに集約されずに別々に活動している理由なのでしょう。
以下に創始順に主要な五つの共同体を挙げます:
名称 | 略称 | 創始年 | 創始者 | 創始地 | 日本 国内 | 家族 グループ |
---|---|---|---|---|---|---|
セックス・アンド・ラブ・アディクツ・アノニマス Sex and Love Addicts Anonymous | SLAA | 1976 | Rich | ボストン | 1 | COSLAA |
セックス・アディクツ・アノニマス Sex Addicts Anonymous | SAA | 1977 | ミネアポリス | COSA | ||
セックスアホーリクス・アノニマス Sexaholics Anonymous | SA | 1979 | Roy K. | ロサンゼルス | 20+ | S-Anon |
セクシュアル・コンパルシブズ・アノニマス Sexual Compulsives Anonymous | SCA | 1982 | Bill L., Frank H. | ニューヨーク | 10+ | |
セクシュアル・リカバリー・アノニマス Sexual Recovery Anonymous | SRA | circa 1993 | ? | SRA-Anon |
注:日本国内の数字は国内におけるグループの概数。家族グループは各共同体に対応する家族・友人の共同体。SRAは創始地を明確にしていないがミーティングはカリフォルニア州に偏在していることから、この地が創始の地だと思われる。SRAの創始地はバンクーバーだが、最初のグループはニューヨークで誕生した(第13回)。
では、一つひとつ創始の歴史と疾病概念などを見ていきましょう。
SLAA ― リッチの性問題
特に示さない限り、以下の出典はSex and Love Addicts Anonymous1)。
(Sex and Love Addicts Anonymous は略号をS.L.A.A.とピリオド付きにしており、国内のグループもそれを使っているが、ここではより一般的なピリオドなしの表記を使用する)
セックス・アンド・ラブ・アディクツ・アノニマス(Sex and Love Addicts Anonymous, SLAA)は1976年にボストン である一人の男性のAAメンバーによって始められました。創始者の名前は明らかにされていませんが、SLAAの基本テキスト Sex and Love Addicts Anonymous の第一章および第二章のストーリーでは相手の女性たちからリッチ(Rich)と呼ばれていることからリチャードという名なのでしょう。ただ他の人物も含めて仮名という可能性もあるかと思われます。1976年9月に30才の誕生日を迎えているので、1946年の生まれということになります。
彼は父親がアルコホーリクで、母親は家の中を切り回していくのに躍起になっているという家庭で育ちました。彼は飲んだくれる父を憎むと同時に崇拝し、父の起こす混乱を食い止められない母を憎むと同時に、母に抱きしめられる温もりを求めるという、いずれにせよアンビバレントな気持ちを両親に対して抱えていました。
子供の頃の彼はジョン・ウェイン (1907-1979)のような映画のヒーローにあこがれ、感情面で誰かに面倒を見てもらう必要性を一切感じさせない強さを示すことを人生の戦略として採用しました。孤高の強さを示し、女性に対して強く出れば、女たちは皆自分になびくだろう、と考えたわけです。
11才になったときのボーイズキャンプで年上の人たちからマスターベーション のやり方を教わり、初めてオーガズム を得たとき、彼はそれまで経験したことのない開放感を味わい、毎日オナニーに励むようになりました。これまで母親との肉体的・感情的接触に求めていた感情的充足を、彼は性的行為によって得るようになりました。
ティーンエイジャーになった彼は女性とセックスするようになりますが、求めていたのは、「感情的なもつれのない、責任のないセックス」でした。1960年代の性の革命 によるセックスの解放が彼のそうした行動を後押しし、その後も彼の問題をカモフラージュ し続けました。ところがあるとき彼は、性的魅力を感じていなかった一人の女性に自分が告白しているのに気づきました。性的な行為とは別に、一人の女性と感情的に深く結びつきたいという欲求も自分にあることを発見したのです。
しかしこの自己発見は彼を困難に陥れました。一人の女性と深い結びつきを作ると、彼はその女性に束縛されているように感じ、まるで檻に入れられた動物のような気分になるのです。結局その女性レノア(Lenore)と付き合いながら、他の女性たちともセックスを続けることになってしまいました。「他の女性たちと楽しみたいのならレノアとは分かれるべきだし、レノアと一緒にいたいのなら他の女性たちとのロマンスはやめるべきだ」と分かっていても、自分は感情的にも性的にも満たされたいし、その両方を満たす権利がある、という考えが彼の頭を離れませんでした。
結局どちらも選べないまま、2年後にレノアが彼のもとを去ったとき、彼は心身共に激しく衰弱するほどの落ち込みを経験しました。そんな時に彼はアルコールによって自分を崩壊から救うことができることを発見しました。アルコールは初めてマスターベーションしたときと同じかそれ以上の開放感を彼に与えてくれたからです。
彼は慣れ親しんだ環境から数百マイル北の田舎の大学に進学し、距離を取ることで問題を解決しようとしました。しかし結局、毎週金曜日の朝になると荷物をまとめ、午前中の授業と早めの昼食を済ませると、州間高速道路 でヒッチハイクして南に向かい、大きな大学のダンスパーティにその大学の学生のフリをして潜り込むようになりました。目的はもちろん酔っ払ってセックスをすることでした。やがて彼はそこでジーン(Jean)という女性と出会い、本気の交際を始めますが、いざ相手から結婚を迫られると、そのような責任を追うことは不可能だと感じるのでした。
このようにして彼は、配役が変わるだけで筋書きが同じドラマを何度も繰り返していくことになります。24才の時(1970年頃)にはAAで酒をやめましたが、彼は同時に浮気をやめる必要は無いことに気づきました。いやむしろ、酒をやめた喪失感をセックスが埋めてくれるおかげで、酒がやめやすくなったと感じました。だから、12ステップに取り組んでも、自分の中に正直になりきれない部分が残りました。酒をやめて1年目に付き合いだしたケイト(Kate)という女性を他の男性に奪われるのが嫌で結婚しましたが、浮気のセックスは止まりませんでした。
SLAAの始まり
1975年の暮れにはケイトが妊娠しますが、その頃に彼はAAのなかでサラ(Sarah)という大学生の女性と出会い、彼女なしでは生きていけないと思い詰めました。しかし、身重の妻に対しても、運命の女性に対しても責任を負うことはできず、二重生活を続けました。そのことに耐えられなくなった彼は、自分の問題を二人の女性に対して明かしてしまい、結果として妻は出産を機に親族の元へと身を寄せることになり、そしてサラとも分かれることにしたのでした。
それまでも彼は相手の事情でセックスができないと、悶えるような苦しみを味わっていましたが、この頃になると自発的に恋人と別れようとしたときでも、それが急性の離脱症状による激しい震えを引き起こすようになりました。そして再び恋人の腕と体の中に迎え入れられて安らぐと、「どうしてこれを手放せると思ったのか?」と自問自答するのでした。――SLAAはセックスする相手との離別を決断すると離脱症状が生じると説明しています。2) それはしばしば身体的な症状を伴います。
リッチがそれまで付き合った女性は、分かれる時はあっさり去っていきましたが、(AAメンバーの)サラはそうはいきませんでした。サラから届けられた花束や手紙を捨てたり、AAミーティングが彼女と被らないように街中から離れた会場を選んだりと苦労が増えました。また、このリチャード君は何者なのかよく分らないのですが、コンサートツアーで各地を回る人気ミュージシャンなので、ツアー先では女性ファンが待ち構えていたり、宿舎に入り込んでくるファンもいるなど、性的接触を避け続けるのはなかなかに難しい状況でしたが、彼は何とか離脱(withdrawal, 性的接触を断つこと)を続けていました。
そして12月になったある日、彼は夢を見ました。それは彼のアディクションの象徴であるゴリラと彼が素手で格闘する夢でした。それまで3ヵ月、彼は一人で問題に取り組んできましたが、一緒に取り組む仲間が必要だと思うようになりました。
そこで彼はAAのミーティングで自分の性の問題を話すようになりました。反応は様々でしたが、大半はAAはそのような問題を扱う場所ではないという敵意と当惑に満ちたものでした。だが共感を示してくれた男性と女性が一人ずついました。それにもう一人の女性を加えて、1976年12月30日にマサチューセッツ州ケンブリッジのリッチのアパートの部屋で、最初のSLAAミーティングが開かれました。ミーティングは3時間続き、皆が他では話せないことを分かち合いました。一ヶ月後にまた集まることを約束をして皆が帰った後、リッチは深い感謝の気持ちとともに、膝をついて、こう言いました:
“Dear God,” I said, “I never would have thought… chosen…” (followed by a deep, deep
sigh). “Well, dear God, if this is really what you want me to be doing, then I’m willing….”3)
「神様、まさか私が選ばれるとは思ってもみませんでした」(深い深いため息)「でも神様、あなたが本当に私がこれをやることを望んでらっしゃるのならば、私はそれをします」(拙訳)
それは、世界的な回復の共同体を作るという役割を神から与えられたことを知った人間が、(自分の人生はもっと他のことに使いたいと思いながらも)その役割を引受ける覚悟を決めた瞬間だったのでしょう。
というわけで、リッチはブリッジメンバーとしてSLAAを作ることになったわけですが、ところが一緒にSLAAを始めた人たちは次々去ってしまい、リッチは一人で取り残されました。一般的に、ニューカマーは愛の関係が破局するなど危機の真っ只中にミーティングにやってきます。その痛みを感じている限り、性愛のアディクションの説明を受け入れ、分かち合いを通じた苦痛からの解放を求め続けます。しかし、痛みが治まり始めると、以前の考え方に戻り、自分以外の誰かが悪かったのだと結論づけてミーティングから去ってしまうのでした。
それでもメンバーはゆっくりと増えていきました。最初は月に1回だけのミーティングだったものが、8年後(1984年)には発祥のボストン地域で週に9回のミーティングが行われ、アメリカの他の都市やヨーロッパでもグループが始まりました。
初期メンバーたちは、自分たちの集まりをオーガスチン共同体(Augustine Fellowship)と呼んでいました。これは5世紀のキリスト教の教父、聖アウグスティヌス (354-450)の『告白』(397)の自伝部分に書かれている性的に放縦な生活を、自分たちの症状に重ね合わせたことによるものです。Augustine Fellowship の名は初期にミーティング会場を個人宅から教会に移した時に団体名にセックスが含まれていることに教会が難色を示したことから考案され、現在でも共同体やサービス機関の名称の一部分として残されています。
SLAAの疾病概念
SLAAは自分たちを(その名前の通り)性愛に嗜癖した人の集まりだとしています。そして、他の嗜癖に見られる特徴が、性愛の嗜癖にも見られると主張しています。
人々がアルコールや薬物に、あるいは過食に、それぞれ必要な「解決」を求めているように[BBS#15]、彼らもセックスとロマンスそのものを求めているのではなく、そこに見返り(payoff, 報酬)を求めているというのです。
また、嗜癖が進行性の病気である以上、性愛の嗜癖も進行性であり、最初はごくたまに機会を作って行っていた密通が、毎月になり、毎週になりと頻度が増えていき、やがて絶え間ない強迫観念に支配されて、仕事や家族に対する義務も果たせなくなってしまいます。しかも、そのような耽溺をむしろ「好ましい」とすら思ってしまう点も、他の嗜癖と同じです。
また、何とかコントロールを取り戻そうとあがくところも嗜癖らしいところです。恋人と別れてみたり、別の恋人と付き合ってみたり、オナニーを始めてみたりやめてみたり、セックスする相手の性別を変えてみたり、敢えて性的に魅力の無い人と付き合ってみたり・・・。それはアル中が飲む酒をビールからワインに変えることで問題を解決しようとするようなものです(BB, p.47)。
結局のところ、コントロールの不可能性に屈することで回復が始まる、という逆説は性愛の嗜癖にも当てはまるというのが、彼らの主張です。
SLAAは性的な犯罪行為(痴漢やのぞきや強姦など)は対象外だと明示はしていませんが、これまでの説明からお分かりいただけるとおり、そのテキストからは一般的なセックス(一応合意のあるもの)への嗜癖をメインの対象としていることが読み取れます(そういう意味では「リア充爆発しろ」の対象なのかもしれない)。
ボトムライン行動
SLAAはメンバーに各自がボトムライン行動(bottom-line behavior)を定義するように勧めています。bottom-lineとは「最低限」とか「現実的」という意味です。ボトムライン行動とはOAのトリガーフードに相似の概念だと言えます。性的あるいは情緒的な行動で、いったんその行動を取ると、その最初の動機がなんであったにせよ、やがてはその頻度や長さがコントロールできなくなり、自分自身にも他の人にも破壊的な結果をもたらすものです。それは配偶者以外とのセックスであったり、特定の場所に行くこと、特定の人と連絡を取ること、ポルノを見ること、挑発的な服を着ること、パートナーを探すことなどで、もちろん人それぞれ違っています。
どの行動が中毒性を持っている(addictive)かは本人にしか判断できないことですが、回復の初期は一般的に自分自身の現実が見えなくなっているので、ボトムラインの設定にはスポンサーの手助けが不可欠です。SLAAではボトムライン行動を設定するためのワークシート形式のパンフレット Setting Bttom-Line を出版しています。
また、OAのメンバーが新しいトリガーフードを見つけて食事計画を見直すように、SLAAのメンバーも回復が進むにつれて以前は中毒性があると認識していなかった行動を含めるようにボトムラインの修正を行っていきます。つまり、回復は本質的に試行錯誤のプロセスを含むわけです。
SLAAの文献に明記されているわけではありませんが、このボトムライン行動のアイデアは、明らかにOAのトリガーフードや食事計画の概念が転用されたものだと思われます。
性的な拒食症
アノレキシア(anorexia)という言葉は通常は拒食症 や無食欲症を指しますが、SLAAではそれを「性愛を欲しない病気」として定義しています。単に性的なだけでなく、社会的にも情緒的にも、愛を受け取ることを避けることだとされているので、敢えて日本語訳するならば、拒性症や無性欲症となるのでしょう。
もう何年もセックスや親密な付き合いをしていない。パートナーがいても感情的に親しくなれない。特定の人(たとえば自分の子供)とは親密な付き合いはするが、それ以外は無理である。親密さが必要とされない職場などではうまく振る舞えるが、家庭や友人関係など親密さが要求される場面ではどうしていいかわからない・・・。
性愛の嗜癖というと、過剰に性愛を求めることばかりが問題視されがちですが、食事の問題に過食と拒食があるように、性的アノレキシアは、人間が生きていく上で貴重な愛の授受(giving and receiving)という経験を自ら遠ざけることだとして、SLAAでは嗜癖の一部として扱っています。4) そして、アノレキシアに特化したSLAAミーティングが行われ、アノレキシア向けの12ステップの文献が用意されています。cf. “What is Anorexia in S.L.A.A.?” (sslafws.org)
ただ、そこまで範囲を広げると収拾が付かなくなるため、今回の連載ではアノレキシアについては対象から外します。しかし、このアノレキシアの概念に留意することが必要なのは、性問題の共同体はいずれも(アノレキシアの概念を採用するところは特に)単に性の問題行動をやめることを目的とするのではなく、人々との親密な関係を(特に特定のパートナーとの愛と性の関係を)育むことを回復の理想としているからです。
SLAAの現在
SLAAはメンバーの回復のストーリーと12ステップの解説を収めた基本テキストを1986年に出版しました。これは最初のミーティングが行われてから10年経っていないことを考えると異例のスピードです。SLAAの12のステップは次のようになっています:
- 私たちはセックスと恋愛/愛情の依存症(sex and love addiction)に対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めました。
- 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになりました。
- 私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をしました。
- 恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作りました。
- 神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めました。
- こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整いました。
- 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に神に求めました。
- 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになりました。
- その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをしました。
- 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めました。
- 祈りと黙想を通して、自分を超えた大きな力との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めました。
- これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをセックスと恋愛/愛情の依存症者(sex and love addicts)に伝え、そして私たちの生き方のすべての面にこの原理を実行しようと努力しました。5)
SLAAは全世界に広がり、現在はミーティング数は1,200、メンバー数は16,000人と発表しています。6)
SLAAのミーティングは基本的にすべてクローズド(本人のみ参加できる)です。ミーティングリストを見ると、大都市圏では Men や Women といった表記のあるミーティングが目立ち、男性だけ・女性だけでのミーティングの需要があることがわかります。問題の性質を考えれば当然のことなのかもしれません。一方で田舎に行くと男女別にミーティングをするだけの余裕がないのか、その区別はなくなります。(ごくまれに LGBTQ+ という表記がありますが、おそらく性的少数派の人にとっては後で紹介するSCAの方が居心地が良いと思われます)。
日本でのSLAAは2011年頃に東京でグループが一つ誕生し、2016年頃まで存続しましたが、その詳しい活動内容の情報はありません(男性だけのミーティングと女性だけのミーティングを別々に開催し、月に一回合同でビジネスミーティングをやっていたようです)。また数年前からオンラインで日本語のグループが一つ活動しています。今後基本テキストなど必要な資料が翻訳されれば、日本でも大きく発展する可能性のある共同体だと思います。
- SLAA, SLAA, SLAA FWS, 1986.[↩]
- SLAA, ch.5.[↩]
- SLAA, ch.2.[↩]
- SLAA, Addicted to SEX? Addicted to LOVE? — INFORMATION ABOUT S.L.A.A. FOR YOU OR SOMEONE YOU KNOW (slaafws.org), SLAA FWS, 2004.[↩]
- SLAA, S.L.A.A.の12のステップ (slaafws.org), SLAA FWS, 2023 — 原文はHimがGodに置き換えられ、as we understood Godはイタリック体にはなっていない。[↩]
- SLAA, TO: TREATMENT CENTERS AND MENTAL HEALTH PROFESSIONALS (slaafws.org), SLAA FWS, 2013.[↩]
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