ビッグブックのスタディ (43) ビルの物語 14
葛藤
ビッグブックの「ビルの物語」は、エビー・Tの訪問によって、ビル・Wがすぐに霊的な生き方を求めるようになったかのように書かれています(BB, pp.18-19)。実際には、エビーが帰った後も、ビルの中では強い葛藤が続きました。(蛇足ながら、これは接近-回避葛藤というやつで、神の力でも良いから助かりたいという気持ちと、神に対する拒否感がせめぎ合う状態です)。
エビーの話は、ビルに何かを強制するものではありませんでした。ビルから良い反応がなくても、エビーは失望しませんでした。私たちAAメンバーがメッセージを運ぶとき、運んだ相手からすぐに良い反応が得られないことも多々ありますが、その場合でも失望したり、焦ったりしないことが大切です。
人間の心には、相反する気持ちが存在しているものです。例えばアルコホーリクには、酒をやめたいという気持ちと、やめたくないという気持ちが同時に存在しているものです。ところが、本人でさえ片方の気持ちしか意識できていないことも多く、まして周囲の人間には行動化されたほうの気持ちしか分かりません。だから、飲み続けているアルコホーリクのご家族は「本人にやめる気がないから飲んでいるんだ」とおっしゃるのですが、飲み続けているアルコホーリクにも「酒をやめたい」という気持ちはあるものなのです。ただ、その気持ちが小さいために、行動化されないだけなのです。その小さな気持ちを大きく育てていくためには、周囲の継続的な関与が必要ですし、また時間もかかるものです。
メッセージに対してすぐに好ましい反応が得られないことに焦りを感じてメッセージの強度を高める(熱弁を振るったり、本人に圧力をかけたり、無理強いしたりする)と、たいてい関係がこじれてしまいます。淡々と関与するのが最良の戦略です。
ビルの場合には、酒をやめたいという願望はとても強かったので、酒をやめたい・やめたくないの葛藤ではありませんでした。彼の葛藤はエビーのメッセージの中の信仰に対するものでした。それでもビルは、エビーを地下鉄の駅まで送っていきながら、「エビーが見つけたものが何であれ自分もそれが欲しい」と言いました。1)
やがてロイスが帰宅し、二人は話し合いましたが、そのなかで二人とも長く忘れていた一つの単語を使い出しました。それは「希望」という言葉でした。とはいえ、それでビルの酒が止まることはなく、彼は飲み続けていました。2)
エビーの再訪
エビーがもう一度訪問したことはあまり知られていません。彼は数日後にシェップ・Cを伴ってやってきました。シェップはバーモントでエビーを助けてくれたオックスフォード・グループのメンバーの一人で、ニューヨークに住んでいました(第39回)。ビルは株式ブローカーとして同業のシェップとは以前からの知り合いでしたが、シェップがオックスフォード・グループの自慢話ばかりするのに気を悪くし、二人が帰ると大酒を飲みました。3)
救貧伝道所
12月になり、ビルは、エビーがカルバリー伝道所(Calvary Mission)で何をやっているのか見に行くことを思いつきました(エビーのメッセージが、ビルの行動に変化をもたらしたことに注目)。ところが、酔っていたせいで伝道所からずいぶん離れた地下鉄の駅で降りてしまい、伝道所まで歩く道沿いの何軒ものバーに引っかかり、午後いっぱいかかってしまいました。最後の店でアレック(Alec)というフィンランド人のホームレスと一緒になりました。アレックは故国では漁師(fisherman、フィッシャーマン)をしていました。ビルが向かっている伝道所には、福音伝道者(fisher of men、フィッシャー・オブ・メン――イエス・キリスト が最初の弟子たちに与えた使命を現わすために福音書で使われている語句)たちがいて、ビルはこの「フィッシャー・オブ・メンがいるところにフィッシャーを連れて行く」というオヤジギャグ が「素晴らしいアイデア」のように思えて、アレックを連れて伝道所に着きました。4)
カルバリー伝道所は、当時数多くあった救貧伝道所(rescue mission)の一つでした。救貧伝道所の源流は、19世紀のジェリー・マクオーリー(Jerry McAuley, 1839-1884)のウォーターストリート伝道所(Water Street Rescue Mission)まで辿ることができます。偽札作りの息子として生まれ、アルコホーリクになり、犯罪に手を染めたマクオーリーは、収監されていた刑務所を訪問したガードナー(Gardner)という元プロボクサーの転落と宗教的再生の話を聞き、自らも宗教的体験を得ました。
出所した彼は、自分のような人間に生活物資と宗教的回心の機会を提供する救貧伝道所を作りました。それまでも、慈善団体や宗教団体が困窮した人たちの援助を行っていましたが、彼らの関心は「救うのにふさわしい人たち」に向けられていて、アル中やヤク中や犯罪者や売春婦などの「ふさわしくない人たち」は援助の対象から外されていました。マクオーリーの伝道所は、そのような手を差しのべるべきではないとされた人たちを敬意を持って扱い、食事や衣類、短期の宿泊、宗教的なミーティングを提供しました。
マクオーリーは刑務所で罹った肺炎のため、10年ほど後に亡くなりましたが、彼の功績は広くニューヨーク市民に認められ、その葬儀はあらゆる階層の人が参加した大規模なものとなりました。これを機に救貧伝道所は全米に広がり、1920年代までに全国で三千以上の伝道所ができました。5) この伝道所の理念は、間接的にAAにいろいろな影響を及ぼしているのですが、それについては別の機会にします。
話をカルバリー伝道所に戻します。
サミュエル・シューメーカー師(Samuel Moor Shoemaker III, 1893-1963)がカルバリー教会(Calvary Church)に着任したのは、その教会が所有している土地に救貧伝道所を作るという彼自身の目的があったからでした。また、彼は中国に派遣されていた1928年にフランク・ブックマンと出会い、後にアメリカのオックスフォード・グループの実質的なリーダーとなりました。結果としてカルバリー教会およびカルバリー伝道所は、ニューヨークにおけるオックスフォード・グループの拠点的存在となりました。カルバリー伝道所が維持されていたのは1926年から1936年の間でしたが、この伝道所はエビーとビルの出会いに重要な役割を果たしましたから、もしこの伝道所がなかったならば、二人は再会できず、AAも始まらなかったかも知れません。7)
カルバリー伝道所でのできごと
カルバリー伝道所は12人のブラザーフッド(brotherhood)によって運営されていました。ブラザーたちはおそらく伝道所で助けられた人たちであり、エビーもその一員になっていました。彼らは、食事を用意し、寄付として集まった衣類を配り、宗教的なミーティングを行いました。ビルによれば、当時の施設責任者は元アルコホーリクのテックス・フランシスコ(Tex Francisco)でした。ビルがやってきて入り口で「エビーはいないか」と騒ぎ立てたので、テックスはビルを追い払ったのですが、ビルは諦めずに何度もやってきたので、テックスはそのたびにビルを追っ払わねばなりませんでした。
ビルは自分は良いことをしに来たつもりなのに、追っ払われることに腹を立て、入り口で押し問答をしていました。そこにようやくエビーがチェシャ猫 のようなニヤニヤ顔を浮かべて現れ、「煮豆を一皿食べないか?」と言って二人を中に入れました。夕食を腹に入れたおかげで、少し落ち着いたビルに、エビーは「これからミーティングが始まるから出てみないか?」と誘いました。ビルはもちろんそのつもりでした。ビルはここで何が行われているのか探るのが目的だったのですから。
ミーティングにはホームレス たちが集まっていました。彼らの汗とアルコールの臭いを嗅いだビルは、彼らの苦悩に共感できました。賛美歌が歌われ、祈りの言葉があり、次にテックスによる説教が始まりました。ビル自身の体験記には書かれていませんが、他の人たちの記憶によると、酔っ払ったビルはこのミーティングの進行を相当妨げたようです。そしてブラザーフッドたちが、「あとであなたにも話をしてもらうから、いまは静かにしていてくれ」とビルに頼んだのも、いまのAAミーティングでしばしば起こることと似ています。
説教が終わると、証言(testimonial・witness)の時間になりました。witnessという言葉が信仰について使われるときは、キリスト教徒が信仰を表明することを指し証(あかし)と呼ばれます。具体的には、神によって自らが救済された体験を語ることで、神の力を証言します。宗教性の高い行いです。
ビルはこの時のことをこう書き残しています:
賛美歌が歌われ、祈りの言葉があった。それからリーダーのテックスが説教をした。イエス様だけが救うことができるとテックスは言った。何人かが立ち上がって宣誓をした。それまでただ呆然としていた私は、興味を覚え気持ちが高ぶっていくのを感じた。次いで〔罪を悔い改める時だと〕合図があった。悔悟者たちが手すりのほうへ進み出た。不思議な力に駆り立てられ、私もアレックを引っぱるようにして前に進み出た。エビーが私の服をつかんだが、遅かった。
すぐに、私は汗臭い、震えの止まらない悔悟者に混じってひざまずいていた。その時その場で、まさに生まれて初めて、私もまた悔悟者になったのだと思う。何かに深く心動かされた。いや、それ以上だった。打撃を受けた。話したいという激しい衝動を感じた。急に立ち上がり、私は話を始めた。8)
ビルはすっかり酔っ払っていて、自分が何を言ったのかは後で思い出せませんでしたが、「心の底から必死であったこと、そしてみんなが話を聞いてくれたらしいこと」だけはわかりました。そして、「エビーは最初は死ぬほど恥ずかしがっていたが、私が良くやり、『自分の生命を神にささげた』と、ほっとしたように言ってくれた」と後に述べています。
ビルはカルバリー伝道所に泊まっているアルコホーリクたちとも会いました。彼らの中には、回復し、日中は外に働きにいっている人もおり、彼らの話を聞くことでビルは心が軽くなるのを感じました。
アルコホリズム ≒ ガン
家に帰ったビルは、断酒を決意し、徐々に酒を減らしていこうと考えました。アルコホーリク本人なら経験があると思いますが、この「徐々に酒量を減らす」という作戦が成功することは滅多になく、むしろ増えてしまうことすらあります。ビルのこの時も、酒の量はむしろ増えてしまいました。
三日目の朝、ビルの考えが一つの焦点に絞り込まれました。ビルは自分をガン患者に例えて考えるようになりました。「もし自分がガン患者だったら、家の中でじっとして、患部にクリームを塗ってさすっていたりはしないだろう。その道で最高の外科医を探して、ガン細胞を取り除く手術をしてもらうだろうし、そのためならば、何だってするだろう。医療の神である医師に任せるしかない」、と。
ビル自身の場合には、病気はガンではなくアルコホリズムでしたが、そこには何の違いもありません(結末は同じ)。だから、もしアルコホーリクの病気を治せる偉大な医師(=神)がいるなら、今すぐにでも探しに行ったほうがいい。エビーが見つけたものを、自分が見つけたほうが良い、とビルは考えました。
私も、ガン患者と同じように、良くなるためには何でもするだろうか? 良くなるためにはたくさんの患者と一緒に、町の大広場で真っ昼間にお祈りしなければならないとしたら、自分のプライドを飲み込んでまでやってみるだろうか? 多分やるだろう。9)
ビルはもう一度タウンズ病院で酒を切ってもらって、しらふの頭で「エビーの言うソブラエティにいたる方式」を見てみようと考えました。
深まるビルの葛藤
しかしながら、その入院は妻ロイスの同意を得たものでも、入院費を算段したのものではありませんでした。入院の前日の12月10日、ビルは酔っ払って大声を上げながら帰宅したので、ロイスと口論になりました。ビルは興奮の余り、ロイスの小型ミシンを壁に投げつけたので、彼女は震え上がりました。
ビルはその晩、地下鉄に乗り、酒を買うために物乞いをしました。翌朝(11日)になって帰宅したビルは、ミシンを投げつけたせいで壁に穴が開いているのを見て深く後悔しました。彼はエビーの成功を思い出し、もう一度酒を切ってもらうために「タウンズ病院に入院する」というメモをロイスに残して家を出ました。10)
そのメモを見たロイスは、入院費を払うあてもないのに、勝手に入院してしまったビルに腹を立てました(入院費はこのときも義弟のストロング医師が払った)。
この期間の葛藤を理解するのは、当事者以外には難しいかも知れません。人の心には相反する二つ以上の気持ち(考え)が同時に存在することは珍しくありません。酒をやめたい・酒はやめたくない、やめるために何かの手助けを受けてもいい・手助けを受けずに自分の力でなんとかしたい、助けてもらえればそれが神でも良い・神は嫌だ、などなど、どれも接近-回避葛藤です。
アルコホーリクに対する周囲の援助(情報を与えるなど)によって、「酒をやめたい」とか「そのために何かの助けを得てもいい」という考えが育ってくると、「飲み続けたい」とか「あくまで自分の力で」という気持ちとせめぎ合うようになってきます。このせめぎ合っているときが、一番苦しいのです。本人もなぜ苦しいのか自分でも分からないことがしばしばです。
この葛藤の時期をすんなり抜けていく人もいますが、多くの場合には、ジタバタもがきながら過ごしていきます。本人は苦しいので、酒の量が増えたり、以前よりトラブルが増えたりします。例えば、突然行き先も告げずに飛び出していく、部屋の中で暴れる、交通事故を起こす、仕事を放り出す、再飲酒による再入院を繰り返す・・・などなど、以前は起こさなかったトラブルを起こすようになります。
こうした現象を、AAでは「夜明け前が一番暗く感じられる」とか「良くなる前にはいったん悪くならなければならない」などと表現します。だいたいのケースでは、酒が止まるのはAAに通い出した後です。つまり、AAに通い出した後で、再飲酒があり、時には再飲酒を繰り返し、この葛藤の時期を過ぎて、ようやく酒が止まります。
この時期は本人も辛いのですが、家族も辛い時期です。なにしろ、事態が悪くなっているようにしか見えないのですから。しかし、夜明けは近いのです。もちろん、暴力が家族に向かったり、家に火を付けたりなどと抑制を失っている場合には、それを防がなければなりません。アルコホーリクが周囲に最も迷惑をかけるのが、回復が始まる直前であるというのも、皮肉な話です。
さて、ビルは入院した後で、自ら神を求めて霊的体験(=霊的変化)を経験するわけですが、それでもビルの宗教に対する接近と回避の葛藤が解消されたわけではありません。この両面感情(アンビバレンス)はそのまま彼の作ったAAという団体に受け継がれ、深く根付くことになります。それによってAAは、宗教と世俗の中間に「スピリチュアル」と呼ばれる領域を作り出し、そこに多くのアルコホーリクを呼び込むことに成功しました。
次回は「ビルの物語」のステップ2部分の振り返りです。
- ビルはエビーの言葉によって、すんなり霊的な生き方を受け入れたわけではなく、強い葛藤のなかでもがいた末に入院を選んだ。
- Mel B., Ebby: The Man Who Sponsored Bill W., Hazelden, 1998, p.66.[↩]
- Mel B., p.6.[↩]
- PIO, p.116.[↩]
- AACA, p.88.[↩]
- ウィリアム・L・ホワイト(鈴木美保子他訳)『米国アディクション列伝 アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, ジャパンマック, 2007, pp.71-73.[↩]
- ジャン・ミニーが rescue mission を念頭にマックを作ったことを直接示す資料は見つからないが、AA日本の20周年記念誌(AA日本20年の歩み編さん委員会編『いくたびもの出会いを重ねて――AA日本20年の歩み』, 1995)には、彼は日本人にAAのメッセージを運ぶつもりで日本に戻ったわけではないこと、英語グループに通ううちに断酒会の人から誘われて交流するようになり、断酒会では家族の協力がなければ断酒は難しいと考えられていたこと、そして教会関係で山谷の関係者が集まったときに山谷の福祉センターから協力依頼があったものの断酒会では手に負えないという返事だったことで、彼の目的が「単身と山谷」に絞り込まれたことなどが記されている。こうした経緯から彼が山谷の人たちのための日本版 rescue mission を作る構想を持つようになったと考えられる。[↩]
- Mel B., pp. 8, 64.[↩]
- Mel B., p.8 — この文章は AACA, p.89 の文章と同じだが、細部に差異がある。[↩]
- AACA, p.92.[↩]
- Bob S., Ebby in Exile—A Vital AA Link, 2016, p.26 — これ以外にもPIO, p.93にミシンを投げつけた記述があるが、その時期については触れていない。[↩]
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