ビッグブックのスタディ (111) 行動に移す 3

今回はステップ6です。

12ステップの大部分は、AAの母体となったオックスフォード・グループの教義の一部をそのまま受け継いだものです。しかしステップ6と7は、ビル・Wが1938年12月に12ステップを書き記したときに、彼が付け加えました。1) したがってステップ6と7には、対応するオックスフォード・グループの実践がありません。そのためなのかは分かりませんが、ビッグブックのステップ6と7の説明は、二つのステップを合わせても1ページに満たない短さです――p.109の真ん中の段落がステップ6、その次の段落がステップ7の説明になっています。しかし、説明が短かくても、この二つのステップを軽んじることはできません。

付録Ⅱ「霊的体験」を読むと、ビル・Wはその前半で「変化」や「変わる」や「大変動」といった変化を示す言葉を何度も繰り返し使って、霊的体験や霊的目覚めには私たちが変わることが必要だと強調しているのが分かります第57回。回復であれ成長であれ、それには必ず変化を伴うのです。何も変わらずに回復したり、何も変えずに成長したりはできません。そして、ステップ6と7は私たちが変わるためには欠かせないステップです。

性格上の欠点と障害物

人生(生活・生命)の三つの次元(構成要素)

私たちは神との関係を邪魔している障害物を取り除こうとしています。障害物の代表格は、恨み、恐れ、そして私たちが人を傷つけたことであり、私たちはステップ4ではそれらの棚卸表を作りました。

しかしそれらの障害物と欠点は違うものです。では欠点はこの図の中のどこに存在するのでしょうか? 私たちの欠点は図で「自分」と書かれている青い部分――つまり私たちの精神の中に存在します。つまり、私たちの考えの中に欠点や短所や誤りが存在し、それが私たちに誤った行動を取らせ、他者(周りの黄色く描かれた部分)との間に衝突をもたらし、その結果恨みや恐れという障害物が作り出されるのです。

意志と生き方

棚卸しをすることによって、ある程度恨みや恐れを取り除くことができたとしても、そうした障害物を作り出す原因となった欠点は私たちの中に存在し続けています。それを取り除かない限り、恨みや恐れが再び生じてきて、私たちと神との関係を邪魔するようになってしまいます。

私たちはステップ6・7・8・9という四つのステップを使って、自分の欠点を取り除いていきます。そのなかでも欠点を直接取り扱うステップ6と7は、まさに私たちが変化(つまり回復)を始めるステップだと言えます。

性格上の欠点とは何か

ジョー・マキューたちが提案している棚卸表では、第四列に利己的不正直身勝手恐れ思慮の欠如という五つの欠点が並んでいます(身勝手と恐れを一つにまとめて全部で四つと数えることもできます)。これらは、ビッグブックのp.98とp.101の記述を元にしたものです第105回

そのことから、欠点とはこれらの五つ(あるいは四つ)のことだ、と理解している人が少なくありません。ビギナー向けにはそのような説明も行われますので、それが間違った理解だとは言えませんが、ここではもう少し掘り下げて説明しましょう。

ジョー・マキューは、これら五つの欠点は光の三原色のようなものである、と説明しています。2)

色の加法混合と減法混合
原色と加法・減法混合, by Athabasca University, from Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0 Deed

カラープリンター を使ったことのある人は、シアン・マゼンタ・イエローという3種類のカラーインクが使われているのをご存じでしょう。この三色と黒インクを組み合わせて実に多種多様な色が作り出され、カラー写真も紙の上にきれいに印刷できます。またプロジェクター は、赤・青・緑という三色の光源を使って映像をスクリーンに投影します。このように三つの原色を混ぜ合わせることで、様々な色が作り出せるのです。

例えば紫色は、赤と青を混ぜ合わせることで作れます(加法混合の場合)。別の言い方をするならば、紫色は赤と青という二つの色を要素として含んでいるのです。

第四列
第四列

同じように、私たちは五つ(四つ)の欠点を混ぜ合わせて様々な欠点を作り出しています。だから私たちが棚卸しで見つける自分の欠点は、この五つ(四つ)の欠点のいくつかを要素(element)として含んでいるのです。それが、第四列に四つある小列のいくつかにチェックがつく理由です。そして、この四つの小列のどこにチェックがつくかは――重要な情報であるものの――それが直接ステップ6・7に役立ってくれるわけではありません。

原色を例に説明しましょう。赤と青の欄にチェックが付いていれば、それが紫色であることは分かります。仮に対象が果物であるとするならば、その果物が紫色であるということが分かっただけです。その実体は、ブドウかもしれず、プラムかもしれず、ブルーベリーかも知れません。私たちは紫色という情報を手がかりにして、その実体が何なのかをつかむ必要があるのです。

第四列の利己的と思慮の欠如にチェックが付いていたとするならば、その情報が欠点の実体をつかむための手がかりになります。欠点の実体は、例えば「妻は夫である私のことを優先させなければならない。なぜなら妻は私の稼ぎで食べているからだ」という考えであったりします。

ステップ6・7に取り組むためには、私たちは欠点の実体をつかむ必要があります。それはすでにステップ5のスポンサーとの話し合いのなかであぶり出されていることもありますが、場合によっては一所懸命に考えなければ分からない場合もあります。

いずれにせよ、「私の欠点は不正直です」と言っているだけでは、欠点の本質をつかめたことにはなりません。

私たちはなぜ欠点を持っているのか

欠点とは、自分が生きていく上でマイナスになるものです。なのに、私たちは誰でも欠点を持っています。なぜ私たちは自分に損失をもたらす考えを持っていて、しかもそれに従って行動して損をしてしまうのでしょうか? それについてはすでにステップ4のときに説明しました第102回が、もう一度ここでおさらいしましょう。

私たちは朝起きてから寝るまで、様々な状況に出くわします。しかし、その一つひとつに思い悩むことはあまりありません。それは、私たちが毎日だいたい同じような生活をしているからです。例えば、どうやって職場から自宅に帰ったら良いのか思い悩む人はいません。帰るルートは記憶の倉庫の中に入っており、私たちは苦労なくその知識を取り出して使うことができます。

from いらすとや

しかし、その職場に勤めだしたときには、帰り道を憶える必要があったはずです。自動車で曲がる交差点を間違えたり、電車に乗るホームを間違えたりもしたでしょうが、行動を修正し、帰れるルートを憶えました。

ところが事故や災害が起きて、いつも通る道が通行止めになったり、電車が運休になることもあります。するといつもと同じルートでは帰れなくなります。違うルートを探そうにも、そんなルートがあるかどうか不安ですし、あったとしても皆がそこに集中して大混雑になるでしょう。かといって、通行止めの解除や運行再開を待とうにも、それがいつになるかわかりませんからイライラします。

つまり状況が変化して(この場合には事故や災害)、新しい状況に対応できる考えが自分の記憶の倉庫にないとき、私たちに精神的な危機が訪れます。それが恨みや恐れとなるのです。

同じことは人間関係にも言えます。妻の機嫌が悪くなったときに、とりあえず「ごめん」と謝ってその状況を切り抜けようとする夫は世の中にたくさんいます。彼らは妻の「どうして私が怒っているか分かる?」という質問には答えず、ごにょごにょ言ってごまかそうとします。自分の欠点が行動に表れ、その行動が相手を怒らせているという現実とは向き合わずに、ともかく妻が機嫌を直してくれれば万事解決だと思っているのです。妻が不機嫌で自分は心が安まらない・・という被害者の立場に自分を置き、その状況を修正しようとしているだけで、自分に問題があるとは考えようとしないのです。

そしてついに妻が耐えられなくなって「離婚したい」と言い出しても、いつもどおり「ごめん」と「ごにょごにょ」で状況を切り抜けようとします。「この期に及んでまだそれをするか」と相手の怒りに火を注いでいるのに、こうした夫たちは耐えていればいずれ妻が機嫌を直してくれると信じているのです。

先ほどの通行止めも、この妻が耐えられなくなったことも、どちらも「変化」です。自分を取り巻く状況に変化が起き、その変化に対応できないときに、私たちに精神的な危機が訪れます3) そのとき、私たちは目の前の状況の役に立たない考えを使って自分の行動を決めています。その考えが欠点であり短所なのです。

仏教には四苦八苦 生老病死という言葉があります。いずれも、私たちの人生に変化が起こることと、その変化が私たちに苦しみをもたらすことを表しています。キリスト教でも、すべてのものは滅び去ると教えています。4) 多くの宗教が、私たちの人生に起こる変化が私たちに苦しみをもたらしていることと、それにどう対処すればいいかを教えています。

すぐに家に帰れないのなら、いま自分のいる場所の近くで夕食を食べられる店を探したり、買い物を楽しんだりすれば良いのでしょう。離婚を避けるためには、自分のどんな考えや行動が妻を怒らせているのか、妻の話に耳を傾け、それを直す努力をすればいいのでしょう。だがそのためには、前者であれば「一刻も早く家に帰って○○をするのが自分の一番の幸せ」という考えを、後者であれば「ごめんごめんと謝っていれば、そのうち妻が機嫌を直してくれるだろう」という考えを捨てなくてはなりません。つまり、状況の変化に合わせて自分も変わっていく必要があるのです。

実はそのことが人間にとって難しいのです。これまで自分にとって役に立ってきた考え、それなりの安泰をもたらしてきた考えを、「もうこの商品は傷もので、売り物にならない」として思い切って処分することがなかなかできないのです。すなわち、人はなかなか変わりたいと思えないものなのです。

私たちはなぜ欠点を捨てられないのか

それにはいくつか理由があります。

まず私たちは自分が考えていることを、明確には意識していないことが多いのです。前述の例では、電車の運行が再開されるのを待っているとき「遅くなっちゃうよ、困ったな」とは思っていても、「一刻も早く家に帰って○○をするのが自分の一番の幸せだ」と考えていることは意識していません。また、妻から離婚を迫られたときに「離婚したくない」とは思っていても、「ごめんごめんと謝っていれば、そのうち妻が機嫌を直してくれるだろう」と自分が考えていることを意識していないものです。

ゴミがあっても、それをゴミだと思っていなければ、捨てようはしないものです。意識していない考えを捨てることはできません。だから、棚卸しをすることによって、自分が意識していない考えをあぶり出す必要があります。そして、それは一人でやることは難しいので、「もう一人の人と話し合う」というステップ5が必要になってきます。

もう一つは、例えそれが捨てなければならないゴミだとしても、それが自分の一部分である、ということです。欠点というのは私たちの精神(三重の円の青く描かれた部分)のなかにあります。そのすべてではありませんが、ある一部分を否定して捨てなければならないのです。それは決してたやすいことではありません。

ジョー・マキューらもこう述べています:

 不思議に思うかもしれないが、私たちは勇気を出して自分を変えるよりも、不幸と苦痛の中にいるほうを選ぶことがある。すっかり痛みに慣れてしまい、自分なりに対処する方法が身についてしまうと、むしろ痛みがなくなったときどうしたらよいかと不安になることさえある。

 それともう一つ、私たちが性格上の欠点や短所をなかなか取り除こうとしない理由は、それが快楽や興奮をもたらすからである。欠点や短所はトラブルのもとだし、心の平安や落ち着きを失わせ、不安や不満をもたらす。それにもかかわらず、ある種の欠点は楽しく刺激的にさえ感じられるから、手放そうとしないのだ。5)

私たちが変わるためには、自分の欠点を手放す意欲を持つことが必要なのですが、この「意欲を持つ」ということが最も難しいのです。ステップ6はそのためのステップです。

意欲を持つ

 満足に答えられたら、第六ステップに進む。私たちはやる気(willingness=意欲)がどうしても必要であることを強調してきた。私たちは、自分で感情を害してしまう(objectionable)ほどの問題だと思うすべての事柄を、神に取り除いてもらう準備ができているだろうか。その一つ一つを全部取り除いてもらって本当にいいのか。6)

objectionable は「不愉快な」とか「好ましくない」という意味ですから、自分で感情を害してしまうという訳もおかしくはありません。自分でこんな欠点を持っているのは本当に嫌だな、と思えるかどうかが大事だということです。

ここで、欠点とは何かということが重要になってきます。最初に述べたように、利己的とか不正直が欠点だとするならば、ここで持つべき意欲は「もう私は利己的ではいたくない」とか「不正直はやめようと思う」ということになります。しかし、それはそれほど難しいことではありませんし、自分が変わるための効果も大きくありません。

それに対して、欠点の実体をつかんでいると、もっと効果的な意欲を持てるようになります。欠点の実体とは、先ほどの例では、「ごめんごめんと謝っていれば、そのうち妻が機嫌を直してくれるだろう」という考えのことです。その考えに対して、本当に不愉快で嫌な考え方だ、と自分でも思い、その考えに従って行動してきた自分を本当に嫌なヤツだと思ったときに、その考えを捨てて変わりたいという意欲を持てるのです。

意欲を持てるように神に願う

とは言っても、欠点の実体をつかんでいても――いや、欠点の実体をつかんでいればこそ――それを手放したいという意欲をもつのは難しいものです。そのことをビル・Wたちは十分分かっていました。そして、彼らは意欲を持てない人たちを非難したりもしませんでした。その代わりに、一つの具体的な方法を私たちに示してくれました。

もししがみついていて手放せないものが残っていたら、手放す意欲が生まれることを神に願う(ask)。6)

ここで紹介されているのは、手放したくない欠点があるのならば(きっとたくさんあるでしょう)、それを手放す意欲を与えてくれるように神様に頼む、というやり方です。この方法はすでにステップ4で何度も取り上げられていましたので第104回第106回第107回、ステップ6に達した人はもうすっかり慣れているでしょう。例えばこう祈れば良いのです:

「神様、どうか私の『ごめんごめんと謝っていれば、そのうち妻が機嫌を直してくれるだろう』という考えを捨てる意欲を私に与えてください」

欠点を取り除く意欲は持てなくても、意欲を与えてくださいと祈ることはできるはずです。そのように毎日祈っていると、祈っている人に変化が起こります。どんな変化が起きるかは人によって当然ちがうでしょうが、何らかの意欲が与えられるでしょう。

意欲について、ジョー・マキューが語っていることに耳を傾けてみましょう:

 ステップ1には大きな救いがある。そして、ステップ6からも私たちが、やりがいのある課題に取り組む意欲を持つならば大きな救いを得ることができる。

 どちらも、意欲にもとづいている。ステップ1は、その後に続くステップをやってみようという意欲を私たちに与えてくれる。ステップ6は、ステップ7から10に取り組んでみようという意欲を与えてくれる。もし私たちに、それを試してみようという意欲があれば、その結果を手に入れることができる。7)

捨てるためのプログラム

12ステップは何かを獲得するためのプログラムだと思っている人は少なくありません。12ステップに取り組むことで、酒のない人生を得ようとする人もいますし、そうすれば仕事に就けて、家族と暮らせることを期待しているアルコホーリクもいます。12ステップによって人間関係のスキルが手に入ると思っている人もいますし、解決を手に入れることで人を手助けできるようになりたいと考える人もいます。その先に援助職に就くことを見据えている人もいます。

そうした動機で12ステップに取り組むことを否定するつもりはありませんが、やはり彼らは勘違いしているのだと思います。掃除というキーワードが示すとおり、12ステップは何かを獲得するためのプログラムではなく、何かを捨てるため、手放していくためのプログラムだからです。

そのことをジョーは、彼のロッキングチェアを例に説明しています。ジョーは酒をやめて10年ほど経ったときに、アルコホーリクのための回復施設を始めました(cf.「ジョーとチャーリーについて (2) リカバリー・ダイナミクス」。そのために古い小さな建物を手に入れたのですが、そこには前の所有者の古いロッキングチェアが一脚残されていました。その椅子は座面は補修だらけで、背は壊れ、黒いペンキが塗られている、というゴミ同然のシロモノでしたが、彼はいずれそれを修理するつもりで捨てずに屋根裏部屋にしまっておきました。

あるとき、彼がそれを修理しようと、剥離剤でペンキを取り除いてみると、下からは硬いオーク材が現れました。紙やすりで磨き上げると、美しい椅子がよみがえりました。背を直し、さらにクッションを付け直してもらおうと店に持って行くと、逆にこの椅子を買い取りたいと言われるほどでした。

ジョーはこの美しく価値ある椅子は、最初から美しく価値あるままずっと存在していたのだ、と説明します。ただ、その姿が黒いペンキなどに覆われて私たちに見えなくなっていただけなのだ、と。

ジョー・マキューのロッキングチェア
ジョーの没後も事務室に置かれていたロッキングチェア(2013年6月筆者撮影)

この椅子は作られたその日から美しく存在していました。そして、それは私たちも同じです。私たちの深いところには神の意志が存在しています。私たちが人生を生きるために必要なものはそこに備わっています。なぜなら神が私たちをそのように作ったからです。なのに私たちは長年にわたってそれを何かで覆い尽くし、自分の人生を混乱に陥れてきました。だから私たちがすべきことは、剥離剤や紙やすりを使って黒ペンキを取り除くように、自分の中にある障害物を取り除いていくことなのです。それを他の誰かに代わってやってもらうことはできません。8)

次回はステップ7です。

今回のまとめ
  • 私たちと神との関係を阻む障害物と欠点は別のもの
  • 欠点は私たちの考えの中に存在する
  • 第四列の五つ(四つ)の小列は、欠点そのものを表しているわけではない
  • 欠点を取り除くためには、私たちは欠点の実体をつかむ必要がある
  • それはステップ5でスポンサーと表を分かち合う中で明らかにされたかもしれないが、そうでないならばステップ6で明らかにする必要がある
  • 状況の変化に合わせて自分も変わっていく必要があるのに、役に立たなくなった考えを私たちは捨てられない。その「捨てられない考え」が欠点・短所となる
  • 私たちが変わるためには、欠点を手放す意欲を持つ必要がある
  • 意欲を持てないときは、意欲を与えてくれるように神に願う
  • 12ステップは何かを獲得するためのプログラムではなく、捨てていくため・手放していくためのプログラムである

  1. AACA, pp.vii, 244-246[]
  2. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.98[]
  3. より正確に言うと、変化は周囲の状況に起こるだけでなく、自分自身にも起こりえます。加齢や病気や事故に見舞われるなどです。[]
  4. ペトロの手紙二 3:11[]
  5. 無名(A Program for You翻訳チーム訳)『プログラム フォー ユー』, 萌文社(ジャパンマック), 2011, p.152.[]
  6. BB, p.109.[][]
  7. ジョー・マキュー, p.133.[]
  8. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『回復の「ステップ」』, 依存症からの回復研究会, 2008, pp.104-105.[]

2024-05-16

Posted by ragi