ビッグブックのスタディ (75) 私たち不可知論者は 2

前回は、第四章は神に抵抗感を持っている人に向けて書かれているという話でした。p.66の次の段落に進みます。

自分に由来する力では解決できない

 よい道徳や人生哲学があれば飲酒の問題が克服できるというのであれば、私たちはずっと昔に回復していたはずである。けれども、道徳や哲学にどんなに真剣に取り組んでも、助からなかった。1)

神が嫌いな人たちは、道徳 哲学 に助けを求めてみたものの、回復に必要な力はそこには見つかりませんでした。勘違いしないでいただきたいのは、AAは道徳や哲学の有用性を否定しているわけではありません。その価値を認めつつも、それらの限界をはっきり意識すべきだと主張しているのです。つまり、道徳や哲学は(他のことはともかく)酒をやめるのには役に立たなかった、と言っているのです。

なぜ役に立たないのでしょうか? それは、道徳も哲学も人間の意志が遂行するものであるがゆえに、その意志が狂ってしまう強迫観念に対しては役に立たないからです。

ジョー・マキューもこう書いています:

 ステップ1を受け入れると、意志、努力、哲学、道徳、生きる目標、善意などの自分に由来する力では飲酒問題は解決しないことに気づく。人間のもつ力だけでは足りないのだ。2)

努力すること、生きる目標を持つこと、善意であろうとすること・・・どれも価値のあることです。しかし、それで酒がやめられると考えているのであれば、まだステップ1を受けいられていないということなのです。

問題=無力、解決=力

必要な力がないこと、それが問題だった。3)


Lack of power, that was our dilemma.4)

これはビッグブックの前半部で、(p.85のステップの文言以外で)無力という表現が使われている唯一の部分です。5) 私たち本物のアルコホーリクにとっての問題は力がないことです。その力は、道徳や哲学のなかにも、他のどこを探しても見つかりませんでした。――これはステップ1を示しています。

私たちは生きていくためのを見つけ出さなければならなかった。それは自分を超えた偉大な力でなくてはならないことがはっきりしている。3)


We had to find a power by which we could live, and it had to be a Power greater than ourselves.4)

無力(powerless)が問題なのであるならば、解決は(Power)です。アルコホーリクが助かるためには、何らかの力を見つけ出さなければなりません。そしてその力は、自分を超えたものでなければなりません。この問題は自分では解決できないのですから、自分と同じレベルのものであったり、自分以下のものではダメなのです。

けれどもその力をどこにどうやって見つけ出すのか。3)


But where and how were we to find this Power?4)

二つの疑問が提示されてます。一つは、その力をどこ(where)で見つけ出せば良いのか? もう一つは、その力をどうやって(how)見つけ出せば良いのか?

答えを明かしてしまいますが、「どこに」の答えは第四章のpp.80-81に書かれており、一人ひとりの一番深いところにその力は存在しているとあります。「どうやって」の答えは、ステップ3から12に取り組むことによってです。だが、それらについては、当該のページに達したときに扱うことにします。

その力が問題を解決してくれる

それこそがこの本の主題である。この本の目的は、あなたが自分の問題を解決するのに必要な、あなたを超えた偉大な力を見つける手助けをすることである。6)


Well, that’s exactly what this book is about. Its main object is to enable you to find a Power greater than yourself which will solve your problem.4)

その力を、どこにどうやって見つけるのかを読者に教えるのが、ビッグブックの目的です。

では、アルコホリズムという問題を解決するのは誰の役割でしょうか? 原文の which will solve your problem は a Power にかかっています。つまり、解決するのは「あなた」ではなく「力」のほうです。ところが、日本語に翻訳された文章は、力を見つければ自分で問題を解決できるようになる、という意味に受け取れます。そのような誤解を招く訳になっています。もっと忠実に訳すならば、

この本の目的は、あなたがあなたを超えた偉大な力を見つけられるようにすることである。(その力を見つければ)その力があなたの問題を解決してくれるだろう。

ちょっとくどい訳になってますが、つまり、あなたが自分を超えた力を見つければ、(あなた自身ではなく)その力がアルコホリズムを解決してくれるのです。あなたが力を獲得して自分で解決するの、あくまでその力が問題を解決してくれるのです。これが12ステップの基本的な仕組みです。

私たちはステップ1で自分が無力であることを認めましたが、ステップ12までやって力を見つけても、やはり自分は無力なままなのです。でも、問題はその力が解決してくれます。自分が力を持てなくても、それで充分ではないでしょうか。

第44回で、このことを虫歯を例に使って説明しました。私たちは虫歯を自分では治せません。だから、歯医者を見つけ出して治療をしてもらいます。歯は治りますが、それで私たちが虫歯を治療する力を得られるわけではありません(その能力は歯科医のものです)。同様に、私たちはアルコホリズムを自分では治せないのですから、ハイヤー・パワー(神)という偉大な癒やし手を見つけ出して、私たちを治してもらうのです。

だから、ステップをやって回復した人たちは、自分が成し遂げたとは言いません。自分も努力したけれど――findには努力して見つけ出すという意味がある――、成し遂げたのはその力であって自分ではない(その力が自分のためにしてくれたことだ)と言うでしょう。

第一章ではエビー・Tが「自分ではできなかったことを、神が彼のためにしてくれた」と明言しました第41回。第二章では「自分たちでは決してできなかったことを、私たちのために神がやってくれる」と述べられています第56回。第三章には、強迫観念に対して私たちを守ってくれるのはハイヤー・パワーだけだと書かれています第73回。これらはすべて、その力が問題を解決してくれることを示しています。

力=神

ここまでの情報をまとめてみましょう:

    1. その力は自分自身ではなく、自分を超えた存在である
    2. その力はアルコホリズムを解決することができる
    3. その力を自分のものにすることはできない

ところで、力(power)という単語はビッグブックではたいてい「神」という意味で使われています。特に大文字の Power の場合には例外なく神という意味です。Power=God(力=神)と憶えておくと良いでしょう。

その存在を「神」と呼ぼうが「力」と呼ぼうが、他にどんな呼び方をしようが、ともかくその力を見つけ出さなくてはなりません。その力がどんなものかは、まだはっきりと説明されてはいませんが、これら三つのことが分かっただけでも前進したと言えるでしょう。

霊的とはどういう意味なのか?

だから私たちは、道徳的であるだけではなく、霊的(spiritual)だと信じる本を書いた。そこで言うまでもないことだが、私たちは(God)について語ることになる。7)

12ステップは霊的スピリチュアルなプログラムですし、それを説明してくれるビッグブックも霊的スピリチュアルな本です。しかし「霊的」という言葉は、現在ではとても幅広い意味を持つようになりました。例えばパワーストーン パワースポット もスピリチュアルなものだと言いますし、森林浴 もスピリチュアルだと言う人もいます。いずれも何らかの不思議な力が関わっている点では共通しているのですが、これだけ範囲が広がってしまうと、霊的という言葉が何を指しているのか、曖昧になってしまいます。だから、多くの人が「この霊的ってどういう意味ですか?」と尋ねてきます。12ステップにおいて霊的(スピリチュアル)という言葉の持つ意味は、とても明確です。それは「神に関すること」です。

不可知論者の困難

不可知論者は問題(困難)にぶちあたる。私たちが新しい人と話していて、話題がアルコホリズムのことや、私たちの共同体のことになると、その人のなかで希望がだんだんとふくらんでいくのがわかる。7)

AAにやってきた人が、アルコホリズムの現実を認識すると、暗い気分にならざるを得ないでしょう。しかし、自分と同じ問題を解決した人たちがいると知らされると、次第に希望を持つようになります。

だが、霊的なこと、特に神についてふれた途端、相手はうつむいてしまう。なぜならその人がこれまでうまく避けてきた、あるいは完全に無視できたと思っていた話題(主題)を、私たちが蒸し返したからだ。7)

ところが、神という言葉が出てきたとたんに、その希望は落胆や失望へと変わってしまいます。なぜなら、不可知論者の人たちは、これまで神や信仰というものには関わらないようにして生きてきたわけですが、ここでAAの人たちがそのことを持ち出してきたことで、自分には12ステップは無理だと考えるようになるからです。

私たちも同じような疑いと偏見を持っていたのだから、彼らの気持ちはよくわかる。7)


We know how he feels. We have shared his honest doubt and prejudice.4)

それに対して、かつては不可知論者だったAAメンバーたちは「その気持ちはよく分かる」と言います。なぜなら、かつては自分も同じように疑い、同じように先入観(prejudice)を持っていたからだと。では、どんな先入観を持っていたのでしょうか?

特定の概念とすべての概念

・・・「神」という言葉は子ども時代に押し付けられたある特定の観念を思い出させるので受け入れられないという者。その特定な観念が納得できなくて、おそらく私たちは拒否したのだった。拒否した時、私たちは神という概念をみんな捨ててしまえたと思っていた。7)


… the word “God” brought up a particular idea of Him with which someone had tried to impress them during childhood. Perhaps we rejected this particular conception because it seemed inadequate. With that rejection we imagined we had abandoned the God idea entirely.4)

この訳には「観念」「概念 」という二つの言葉が使われています。観念と概念には意味の違いがありますが、ここでは区別なく使われています(原文でもここでは idea と conception が区別なく使われている)。どちらも、私たちが頭の中で考えることです。例えば「山」という言葉を聞くと、私たちの頭の中に山とはどんなものかという考えが浮かびます。その考えが「山についての概念」です。時間や責任という形のないものについても、概念を頭の中に作ることはできます。同様に神についても、私たちは頭の中に何らかの概念を作り上げます。

この世の中には多くの宗教がありますが、どの宗教にも、その宗教の信仰の対象があります。例えばキリスト教ではキリスト教の神三位一体 が、仏教ではが信仰の対象になっています。つまり宗教は、それぞれに独自の神の概念(particular idea/conception of God)を持っているわけです。

ある宗教の信者になるということは、その宗教の神の概念を受け入れて、それを信じるようになる、ということです。その宗教の人たちは、全員が同じ神を信じています――つまり神についての同じ概念を皆が共有しています。自分一人だけ他の人とは違う神を信じるということは許されません。皆と同じ神を信じるか、それともその宗教から出ていくかの二択になります。つまり、宗教は異分子を許容しない排他的なものなのです。

神の概念の説明
Jesus and Chiken from SVG Repo, CC0

そして、「あなたも私たちと同じ神を信じてみませんか?」という勧誘活動も行なわれます。僕がかつて通っていた高校のある市では、モルモン宣教師 が街のあちこちで宣教を行なっていました。それはその市がアメリカのソルトレイクシティ と姉妹都市になっており、ソルトレイクシティにはモルモン教 の本部があることが関係していたのでしょう。高校生だった僕が横断歩道で信号が変わるのを待っていると、彼らが「アナタハ<カミ>ヲシンジマスカ?」と片言の日本語で話しかけてくるのでした。それで信者が増えたという話は聞きませんが、もし僕が彼らの話を聞いて、モルモン教の神の概念を受け入れたならば、僕はモルモン教徒になっていたでしょう。しかし、僕は彼らの説明に納得することはできなかったので、彼らの信仰を拒否したのでした。

その数年後、僕は既にアルコホーリクになっていましたが、大学時代の先輩と下北沢 の行きつけの居酒屋で飲んでいました。あるとき、隣のテーブルで飲んでいた若い男性二人組が、突然話しかけてきました。しばらくすると、それは有名な新宗教の勧誘であることがわかり、僕は「酒が不味くなったので出ましょう」と先輩に言って店を出て、その後、先輩のアパートで朝まで飲み直したのでした。この時も僕は、若い二人組の説明に納得できず、彼らの信仰を拒否したのでした。

こうして、あっちの宗教の神の概念を拒否し、こっちの宗教の神の概念を拒否し・・・と拒否を続けているうちに、どんな神の概念も自分には用がないと思うようになりました。つまり、自分が受け入れ、信じることができる神(の概念)はないと決めつけてしまったのです。そのようなものは、自分には一切無用だと結論づけたのでした。

しかしこれは、ずいぶん後ろ向きの姿勢です。

童貞君の再登場

前回、霊的体験と性的体験は似ているという説明をしました。その時に例え話に使った童貞君に、今回も登場してもらいましょう。ティーンエイジャーの男の子の頭の中は「セックスしたい」という願望が詰まっています。だけど、風俗店 で性欲を解消するのは味気なく、やはり愛のあるセックスがしたいわけです。だから恋愛したい。

そんな童貞君が、ある女の子を好きになり、勇気を出してその子に告白をします。ところが、残念なことに、交際を拒否されてしまうのです。こっぴどく振られたことで、童貞君は傷ついてしまいます。しばらくすると、別の子が好きになるのですが、その子にも振られてしまうのです。

すっかり自信をなくした彼は、こう心に決めます。「もう女性はこりごりだ。二度と好きにならない。一生独身(童貞)で過ごしてやる!」

わずか数人の女性と相性が悪かっただけなのに、それだけで女性全体を拒否してしまっています。この地球上には女性が約40億人もいるのですから、本気になって探せば、この童貞君とラブラブの関係になる女性もきっと見つかることでしょう。なのに彼は女性すべてを拒否しているのです。

神の概念の説明
Icons are from SVG Repo

この世の中は宗教がたくさんあるので、私たちはこれまで生きてきたなかで、その幾つかの神の概念に触れる機会があったはずです。しかし、それらとは相性が悪く、良い関係にはなれませんでした。だからといって、すべての神の概念を拒否してしまうのは、何回か振られただけであらゆる女性を拒否してしまう童貞君と同じです。真剣に探し求めれば、自分に合った神の概念を獲得することは決して難しくはありません。

それは宗教の神に限りません。むしろ、あまり神っぽくない概念であったとしても、それがあなた自身を超えた存在ならば良いのですし、AAは宗教ではありませんから、他の人と同じものを信じる必要もないのです。そう考えれば神の概念は人間の数と同じぐらい無数にあることが分かるでしょう。

わきみちもしAAが宗教だったら、「神とは何か」を説明するのは難しくなかったはずです。AAの神について説明し、これを信じなさいと勧めれば良いのですから。しかしAAは宗教ではないので、決まった神概念を持っておらず、それは12ステップに取り組む一人ひとりが自分で見つけ出すものになっています。あなたがどんな神を見つけ出すかは誰にも分かりません。童貞君の赤い糸が誰につながっているのかは、実際にその人を見つけるまで分からないのと同じです。だから「AAの本には神という言葉が出てきますが、これは何ですか?」とAAの人に尋ねても、答えようがないのです。敢えて答えるとするならば、「それを自分で見つければ分かりますよ」という返答になるでしょう。

唯一である必要も、無限である必要も無い

ビル・Wは、1934年12月の入院中に霊的な体験をし、その後でウィリアム・ジェイムス『宗教的経験の諸相』を読んだことで、自分の体験の意味を知りました第46回。『諸相』は、ジェイムスがエディンバラ大学 で行なった一連の講義をまとめたものですが、その「後記」にこのような文章があります:

・・・この神は「唯一」であり「無限」であるのが当然のことと認められている。そして多くの有限な神々という考えは、ほとんど考慮する価値のないもの、ましてや支持する価値のないものと考えられている。・・・

これに反して、宗教の実際的要求と経験は、各人を越えたところに、そして幾らか各人と連続したところに、各人とその理想に親切なより大きな力が存在する、という信仰に満足を感じているように私には思われる。この事実が要求することは、この力が私たちの意識的自己とは別のもので、私たちの意識的自己よりもより大きくなければならぬということだけである。次の一歩を任せるに足る大ききでありさえすれば、どんな大きさでもよいのである。無限である必要もなく、唯一である必要もない。8)

ビッグブックには、神は「全知にして全能」(p.123)といった表現があるために、神は限界を持たない唯一神 でなければならないと考える人もいますが、12ステップはそのような神の概念を受け入れることを要求していません。自分とは別のもので、自分を超えた存在でなければならない、という条件があるだけなのです。

畏怖の念を持つ能力

幻想的な星空と木(部分) by あおねこ06, from photoAC

次のページに進みましょう。

夜空いっぱいの星を見て気持ちが高まったときなど、こんな美しいものを誰が作ったのだろうと、恐れや驚きを持ったことがあった。つかの間のことですぐに忘れでしまったが。9)

キャンプに行って満天の星空を見上げたり、登山で氷河が削った圏谷 を眺めたり、朝焼けとともに昇ってくる太陽を山頂から眺めたとき、なんとも形容しがたい情動が自分の中に湧き上がってくる経験をした人は多いでしょう。自分という存在がちっぽけに思えて、悩みごとが些細なことのように思えてくると同時に、自然の壮大さが恐ろしく感じられたりもします。

畏怖いふの念とは、人間が人間を超えた大きな存在に触れたときに持つ情動です。おそらく誰にでも、神の臨在を感じ畏怖する能力は備わっているのでしょう。私たちの多くは、自分がその能力を持っているとも思いませんでしたし、ましてやその能力を磨いてみようとも思いませんでした。

では、そんな不可知論者たちは、どのようにステップ2に取り組めば良いのでしょうか? 次回に続きます。

今回のまとめ
  • 問題が無力であるならば、解決は力である。
  • 私たちは自分を超えた力を見つけ出さなければならない。
  • その力を見つければ、その力が私たちの問題を解決してくれる。
  • これまでの経験から、あらゆる神の概念を拒否したくなっているかもしれないが、自分が受け入れられる神の概念を見つけ出すことは決して難しくはない。

  1. BB, p.66 []
  2. 無名(A Program for You翻訳チーム訳)『プログラム フォー ユー』, 萌文社(ジャパンマック), 2011, p.76 []
  3. BB, p.66 [] [] []
  4. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.45 [] [] [] [] [] []
  5. p.17の「無力」は原文に相当する部分がない。 []
  6. BB, pp.66-67 []
  7. BB, p.67 [] [] [] [] []
  8. ウィリアム・ジェイムズ(桝田啓三郎訳)『宗教的経験の諸相』/, 岩波書店, 1969/1970, 下巻 pp.397-398 []
  9. BB, p.68 []