ビッグブックのスタディ (73) さらにアルコホリズムについて 8
無力という言葉は必ずしも必要ない
このスタディも、ようやく第三章の終わりにたどり着きました。延々とステップ1の解説をしてきましたが、それもようやく終わりです。ステップ1は:
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。1)
We admitted we were powerless over alcohol – that our lives had become unmanageable.2)
となっています。ステップ1を語るときには無力(powerless)というキーワードが強調されることが多いのですが、ビッグブックでは無力という言葉はほとんど使われていません。第五章のステップの文言(p.85)と、第四章の冒頭に「力がないこと(lack of power)」という言葉があるのみです(p.66)。
ジョー・マキュー(Joe McQ, 1928-2007)の書いた『ビッグブックのスポンサーシップ』は、12ステップの良い解説書でもありますが、彼はこの本の第四章でステップ1の説明をするのに「無力」という言葉をまったく使っていません。3)
初期のAAメンバーであるエド・W(Edward A. Webster, -1971)が書いた『スツールと酒ビン――回復のためのステップ1・2・3・4』というビギナー向けの12ステップの解説書があります。日本語版は1980年代にAAのJSOから出版されましたが、その後AAオフィスでは扱わなくなり、現在は新しい翻訳でみのわマックから出版されています。4) この『スツールと酒ビン』のステップ1の説明にも、「無力」という言葉は一度も使われていません。
これらのことから、ステップ1を語るのに無力という言葉は必ずしも必要ない、ということが分かります。――無力、無力と、この言葉を連発する人に限って、ステップ1のことをちっとも分かっちゃいない、という皮肉な状況もあり得るわけです。
しかし、ビッグブックをここまで読んできた人たちには、この「無力」という言葉が何を意味しているかは、もうお分かりでしょう。それでも、ステップ1の情報を振り返ってみましょう。
身体のアレルギー
ステップ1の説明は身体のアレルギーから始まりました。このことは、なぜ私たちアルコホーリクが飲酒をコントロールできなくなったかを教えてくれました。それは、アルコールに対する身体的な反応が変化したためであると説明されていました。
本物のアルコホーリクは、決して飲酒に対するコントロールを取り戻すことはない。5)
この体質の変化は不可逆的で、酒を飲んでも渇望が起きなかった元の体質に戻す手段は(今のところ)ありません。飲酒によるトラブルを避けるためには、完全に酒をやめるしかありません。
この身体のアレルギー(身体的な病気)という情報は、「医師の意見」を書いたシルクワース医師から、ビル・Wにもたらされました。(cf. 第11回・第12回・第14回・付録A・第37回)
精神の強迫観念
酒を飲んではいけないのならば、もう二度と飲まないと決心し、それを実行に移せば良いだけです。しかし、アルコホーリクにはそれができません。しばしば再飲酒を起こして、元の飲んだくれ状態に戻ってしまいます。周囲の人たちは「本気でやめる気なら、やめられるはずだ」(p.31)と思っているため、アルコホーリクが飲んでしまうのは、本気でやめようと思っていないからだと見なします。
「酒をやめたい」と言うのは口先だけで、実は飲む気満々という人たちも確かにいるのですが、しかし、大半のアルコホーリクは本気でやめたいと願っています。やめなければならない理由を十分理解していて、だからこそ本気でやめたいと願っているのに、それでもまた飲んでしまうのがアルコホリズムという病気です。アルコホーリクは普段の正常な思考ができているときには「飲まない」ことを選び続けることができます。しかし、ある瞬間に頭の中が狂った考えに支配されてしまい、飲んだらどんな結末がやってくるのかが見えなくなってしまいます。これが精神の強迫観念と呼ばれるものです。飲むことが良いアイデアであるように思えてしまい、その通りに実行することで、アルコホーリクは再飲酒してしまいます。まさに、狂気の瞬間です。
これは私たちの精神の中で起きている現象なので、意志の力でそれに対抗することはできません。シルクワース医師は「医師の意見」のなかで身体のアレルギーについて多く述べているのに対し、精神の強迫観念にはわずかな行数しか割いていません。ビル・Wにとってみれば、むしろ1931年にカール・ユングがチューリッヒの彼の診察室でローランド・ハザードに語った内容のほうがインパクトが強かったようです。医学的・心理学的な手段によってこの強迫観念を取り除くことはできない、というユングの言明は、ローランドからエビー・Tを介してビル・Wに伝えられ、彼を打ちのめしました。
この強迫観念という症状が起きるために、私たちは自分の力で酒をやめる(=やめ続ける)ことができないのです。(cf. 第15回・第54回・第70回・第72回)
身体の病気+精神の病気
この図の左側(オレンジ色の部分)は、アルコホーリクが身体のアレルギーによってコントロールできない飲酒を続ける様子を示しています。右側(水色の部分)は、酒をやめていても、精神の強迫観念がアルコホーリクに再び酒を飲ませてしまう様子を示しています。アルコホーリクは、飲み続けている時期と、やめている時期の間を行ったり来たりすることになります。(cf. 第16回・第29回)
そして、コントロールを失った飲酒は、その人の生活や人生の様々な領域に悪影響を与えます。第一章の「ビルの物語」では、ビルの家族、仕事、財産、社会的信用、心身の健康、夢や希望などにこの病気の影響が及んでいった様子が描かれています。これがステップ1の後半の「思い通りに生きていけない」ということです。6) (cf. 第34回)
絶望のメッセージ
普通の酒飲みには戻れず、かといって酒をやめることもできない(やめていても、やがてまた飲んでしまう)。飲むことによって生活や人生がだんだん壊れていることを止めることができない・・・そこから導き出される結論は絶望(hopeless)です。ステップ1の真意は、アルコホーリクはこのままでは絶望だということです。
ユング医師はローランドに「アルコホーリクは絶望的である」と伝えました(p.40, 第60回)。シルクワース医師はビルの妻ロイスに、ビルは絶望的であると伝え(p.11, 第37回)、そのことはビル自身に伝わりました。ローランドはエビーに、そしてエビーはビルに、アルコホーリクは絶望的であり、助かる見込みはないと伝えました。ビルはその事実を医師であるドクター・ボブに伝えました。同じ情報を伝えられた私たち現在のAAメンバーも、新しい仲間たちに同じ絶望のメッセージを伝えていきます。
飲み続けているアルコホーリクは、自己嫌悪に陥りながらも、未来に期待しています。いつかは自然にアルコールの問題が解決して、普通の生活に戻れる、と心のどこかで信じています(p.45)。「人生には良い時期も悪い時期もあって当たり前で、今はたまたま悪い星回りにすぎない。そのうち何とかなるだろう・・・」 そのようにアルコホーリクは目をつむって真実を見ないようにしています。
ステップ1のメッセージは、絶望という真実に対してアルコホーリクの目を開かせます。ジョー・マキューは、ステップ1の説明のために、新約聖書に出てくる放蕩息子の話(ルカによる福音書 15:11-32、放蕩息子のたとえ話 )を例に使っています。7) 父親から譲り受けた財産を使い果たした放蕩息子は、食べるものにも困り、豚の餌であるイナゴマメ の鞘を食べたいと思うまでになっていました。しかしあるとき、彼はふと我に返り、自分がどれほど落ちぶれたかに気がつきました。それによって彼は父親の元へと帰ることができた、という話です。
アルコホーリクは、自分が豚小屋にいることに気がつかない放蕩息子のようなものです。自分が豚小屋にいることに気がつかなければ、そこから抜け出すことはできません。しかし、きっと誰にでも、自分についての真実を見る機会は与えられるのでしょう。その機会は、自分を超えた力が与えてくれるものです。その時が訪れたとき、その人が自らの置かれた絶望的状況に気づけるように、身体のアレルギーと精神の強迫観念の情報を伝えていくのが、私たちの役割なのでしょう。
神の助けなしには
第三章の終わりには、「世界的に名の知れた病院のある医師」が語った言葉が紹介されています――この医師の名前はAAの他の本にも出てきませんが、AA歴史家たちの調査に拠ればニューヨークのベルビュー病院(Bellevue Hospital)の精神科医パーシー・ポリック(Percy Pollick)だとされています。
この医師は、私見として、大部分のアルコホーリクが絶望的であるとするAAの考え方に同意しています。そして、二人の例(実際にAAのメンバーだったジムとフレッド)について、100パーセント絶望的であることも間違いないとしています。ジムだけでなく、仕事も家族も失っていないフレッドもすでに絶望的な状況に置かれているのです。
ところで、この文章、
そして二人の人の例はふつう百パーセント絶望的であることも間違いない。8)
As to two of you men, whose stories I have heard, there is no doubt in my mind that you were 100% hopeless, apart from divine help.9)
ですが、apart from divine help の部分が訳から完全に抜け落ちています。その意味は「神の助けなしには」ですから、この二人のような人たちは、神の助けなしには100パーセント絶望的だというのが、この医師の判断です。神の助けがなければ絶望的だというならば、逆に、神の助けがあれば回復の希望があるわけです。
パーシー医師は、自分は信心深いタイプの人間ではないと認めた上で、それでもアルコホーリクたちが霊的なアプローチを採っていることに敬意を表明しています。なぜなら、このような本物のアルコホーリクに対しては、霊的な方法(=神の助けを得るという方法)以外に解決がないからだ、というのが彼の見解です。
人間の力では解決できない
第三章の最後の3行は、ステップ1のまとめになっています。
繰り返そう。アルコホーリクはあるとき、最初の一杯に対する防御の気持ち(mental defense)をなくしてしまう。ごくまれな例を除いて、自分自身であれ、ほかの人であれ、その一杯をやめさせられる(defense)人間はいない。その力(defense)はハイヤー・パワーだけが与えてくれるのである。8)
Once more: The alcoholic at certain times has no effective mental defense against the first drink. Except in a few rare cases, neither he nor any other human being can provide such a defense. His defense must come from a Higher Power.9)
アルコホーリクは、酒を飲まないと固く心に決めていても、ある瞬間、最初の一杯を飲むことに対する精神的な防御(mental defense)を失ってしまいます。それが強迫観念というものです。ごくまれな例を除けば、自分自身であれ、他の人であれ、その人の再飲酒を防ぐこと(defense)はできません。その防御(defense)は、私たちを超えた力だけがもたらしてくれるのです。
私たちアルコホーリクは、人間の力では解決できない深刻な問題を抱えています――これは絶望的な情報です。しかし、人間の力では解決できないにしても、神の助けがあれば解決できるというのなら、「それなら神様に助けてもらおう」と思えるはずです。
たまに「私はステップ1の無力を認めたけれど、まだステップ2に進めないでいる」と言う人がいますが、その人はまだステップ1で認めるべきことを認めていないのです。なぜなら、ステップ1で認めるべきことを認めれば、ほぼ自動的にステップ2へ進めるようになっているからです。ステップ2に進めないと悩んでいる人の多くは(ステップ2ではなく)ステップ1の手前で足踏みしているものです。
等身大の自分
人は「できる」ことを好み、「できない」と認めることを嫌います。それは、私たちの人生が、できることを増やしていくことによって充実してきたからです。生れたばかりの赤ん坊は無力な存在であり、自分ではほぼ何もできません。必要のすべてを、周りの大人たちの世話に頼って生きています。しかし、赤ん坊は少しずつ成長し、できることが増えていきます。自分の手で哺乳瓶を握ってミルクを飲むようになり、はいはいして移動することがきるようになります。食事や着替えや歯磨きやトイレなど、自分でできることが増える度に、大人たちに喜ばれ、勉強やスポーツができれば褒められます。こうして私たちは、能力を獲得し、自分で問題を解決できることが良いことだと、幼い頃から学んできました。競争のある社会では、より多くの能力を持った者が勝ち残っていけるのですから、自分には解決する能力がないと認めることは、敗北を認めることでもあります。
このようにして、「できることは良いこと(できないことは悪いこと)」という価値観を私たちは子供の頃から叩き込まれているのです。それゆえに、自分自身の問題を「自分では解決できない」と認めるのは容易なことではありません。悔しくて、嫌な気持ちになるのは当然です。
この世の中には人々に成長を促すための様々なプログラムが存在します。その多くは、それに取り組む人に何らかの能力を身に付けさせ、成功体験を積ませ、自信を持たせる仕組みになっています。12ステップはそうしたプログラムとは一線を画しています。
できるはず、できなければならない・・・そういった思い込み(妄想)が「できない自分」を追い込んでしまいます。そのような思い込みから解き放たれ、等身大の自分のサイズに戻って生きていく第一歩を踏み出すのがステップ1です。
上る階段ではなく
12のステップは階段に例えられることもあります――AAの書籍『12のステップと12の伝統』の表紙にも階段が描かれています。12のステップ(階段)は上るためのものではなく、降りていくために用意されているものなのです。10)
最後に、ジョー・マキューの言葉を紹介しておきます:
ひとたび自力で問題を解決することをあきらめてその問題――それがどんな問題でも――に対する自分の無力に気づけば、自分自身のなかに変化を起こすことができる。しかし、それまではどんな変化も起こすことができない。これこそが問題を解決するカギである。11)
- その人自身であれ、他の人であれ、アルコホーリクの再飲酒を防げる人はいない。
- それを防げるのはハイヤー・パワー(神)だけである。
- 12のステップは等身大の自分に戻るためのものであり、そのステップ(階段)は上るためではなく、降りていくためのものである。
- BB, p.85.[↩]
- AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.59[↩]
- CTM, 第4章.[↩]
- 無名『スツールと酒ビン――回復のためのステップ1・2・3・4』, みのわマック, 2001.[↩]
- BB, p.45.[↩]
- 私たちはアルコールに無力であるからこそ、思い通りに生きていけなくなったのであって、逆ではないことに留意が必要。[↩]
- SWT, pp.21-22.[↩]
- BB, p.64.[↩][↩]
- AA, p.43.[↩][↩]
- 降りていく生き方と言えば、北海道浦河町 のべてるの家 での取り組みを紹介した書籍――横川和夫『降りていく生き方―「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』, 太郎次郎社, 2003――がある。ソーシャルワーカーでべてるの家理事の向谷地生良 は、べてるの家発祥の「当事者研究」の源流の一つとしてAAを挙げている――向谷地生良「当事者研究とは-当事者研究の理念と構成-」 — 当事者研究ネットワーク (toukennet.jp), 2020。浦河では、AAに着想を得たSA(Schizophrenics Anonymous, スキゾフレニックス・アノニマス)が行なわれていた。SAはAAの12ステップから神という概念を取り除き短縮したステップを使っている。これらのことから、AAの12ステップのいくつかの要素が当事者研究やべてるの家の活動に影響を与えたと言えそうだ。SAについては Schizophrenics Anonymous を参照を。SAの国内での活動状況は不明だが、少なくとも大阪での活動は続いているようだ(cf. OSA 大阪 スキゾフレニックス アノニマス)。[↩]
- SWT, p.17[↩]
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