ビッグブックのスタディ (109) 行動に移す 1

今回から第六章に入ります。この章にはステップ5から11までの六つのステップが詰め込まれています。

さらに先に進む

 棚卸表を作ったあと、それについてこれからどうするのだろうか。私たちは新しい心構え(attitude=態度を、・・・1)

第二章ではユング医師がローランド・Hに対して、霊的体験を「ずっと持っていた人生への考えや情緒や態度(attitudes)が突然取り除かれて、それに代わる新しい考えと、生きていく動機が支配し始める」と説明していました(p.41)

・・・創造主との新しい関係を作ろうとしている。1)

第四章には、「この本の目的は、私たちの問題を解決してくれる、私たちを超えた力を見つける手助けをすることである」とありました(pp.66-67、 第75回。私たちが神を見つけるのは、神との関係を作るためです。

行く手をはばむもの(obstacles=障害物)が何かを見つけ出そうとしている。1)

私たちと神との関係を妨げている障害物の代表格は、恨み、恐れ、そして私たちが人を傷つけたことです。ステップ4を終えた私たちはこれらを分析した表を手にしています。

私たちは自分の弱点(defects=欠点を認めた。苦しい思いをして自分の問題を突き止めた。棚卸表にその弱点(the weak items)を記した。いまその弱点が捨て去られなければならない。1)

私たちは自分の内面の掃除に取り掛かっており、その第一歩として棚卸しを行いました。商売の棚卸しの目的は、「売り物にならない品物をより分けて処分すること」でした(p.93)。同じように個人の棚卸しでは、「自分の失敗の原因となっている欠点」を見つけ出しました第102回。しかしながら、ステップ4では捨てるべきゴミを見つけ出しただけであり、まだそのゴミは部屋の中(私たちの内面)に存在したままです。ですから、これから先のステップに取り組むことで、そのゴミを捨てなければなりません。

そのための行動を起こす責任が私たちにはある。それが実行されたときにこそ、神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の誤り(defects=欠点)の本質をありのままに認めたことになる。1)

ステップ5の文では「自分の過ち(wrongs)の本質をありのままに認めた」となっていましたが(p.86)、ここでは「自分の欠点(defects)の本質をありのままに認めた」となっています――訳文ではdefect(欠点)を「過り」と意訳しているのでその違いがわかりませんが。

ステップ5の文では「自分の過ち」という言葉を使っているのに、なぜ第六章のステップ5の説明では「自分の欠点」という言葉を使ったのか? という質問をビル・Wは繰り返し受けたようです。それに対してビルは、彼は大学で修辞法 を学び、同じ言葉を繰り返して使わないことを教えられたと説明したのだそうです。ステップ5では過ち、ステップ6では欠点、そしてステップ7では短所(shortcoming)という用語が使われていますが、この三つの言葉には意味の違いはない、とビルは言いました。2)

「神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して」認めるためには、具体的に何をすれば良いのか? という質問をしばしばいただきます。「もう一人の人に対して」がステップ5を指しているのは明らかです。しかしステップ5の説明のどこにも「神に対して」と「自分に対して」認めるために行うべきことは書いてありません。これは実はこの第六章の先頭の段落の翻訳の問題なのです。細かな説明は省きますが、原文では、欠点を捨てる行動が完了(com­pleted)したときに、神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して自分の欠点の正確な本質を認めたことになる、と述べています。つまり、ゴミを捨て終わったときに、神と自分自身ともう一人に対してこれはゴミだと認めたことになるというのです。欠点を捨てるのはステップ6と7だと考えている人が多いのですが、ステップ8と9の埋め合わせも含めるべきです。つまり、ステップ9まで終えると、神と自分自身ともう一人に対して認めたことになるわけです。しかしこれは明らかにステップ5の文(p.86)と矛盾します。ビル・Wが矛盾を含んだ文章を書いているのに、それを現在の翻訳ではステップ5の文と整合するように訳しているのです。原文に矛盾が含まれているのであれば、それに忠実に矛盾を含んだ訳にすれば良いと思うのですが・・・。ともあれ原文に矛盾がある以上、どう解釈するのが正しいかは決着が付けようがありません。神→自分自身→もう一人という順番で認めていくことが大事だと強調する人たちもいますが、その人たちは神と自分自身に認める方法は示してくれません。多くの人は、この矛盾は気にしないことにして、ステップ5では「もう一人の人」に対して認めるだけで良しとしているようです。

もう一人の人に対して

 実行はとてもむずかしい。特に自分の欠点を人に話すのはたいへんなことだ。認めるだけでも、自分ながらよくやったと思ってしまう。だがそれだけでいいだろうか。1)

自分の欠点について誰かと話し合いたい、と思う人は少ないでしょう。ほとんどの人は、自分で棚卸しを書いただけで十分だと思ってしまいます。だが、もちろん十分ではありません。

実際には、自分の物差しで自分を評価するのは十分ではない。1)


In actual practice, we usually find a solitary self-appraisal insufficient.3)

かなり意訳されていますが、「実際にやってみると、自分一人で自己査定するだけでは不十分だということがたいてい分かるはずだ」という意味です。僕もサラリーマンなので、半年に一回査定を受けます。査定の内容によってボーナスや来年度の給与の額が変わってくるわけです。査定の際には自己査定シートというものに記入を求められます。それを書いたことのある人は、自己査定というものは甘い評価になりがちだということは認識されているでしょう。

同じように、ステップ4で書いた棚卸し表は不十分なものにすぎない、ということは多くの人が表を書いている段階ですでに意識しているものです。自分の側の誤りを探そうにも、自分の考えのどこに誤りがあったのか分からない、ということもしばしばあります。とは言え、恨んでいる相手に尋ねてみるわけにもいきません。第三者の意見が必要になってくるのです。

なぜそうすべきなのか、そのきちんとした理由がわかれば、自分のことを誰かと話し合う必要があることを認めないわけにはいかないだろう。1)

自分の書いた棚卸し表は不十分なものだと分かっていても、それについて誰かと話し合うのは気乗りがしないものです。そこで、ビッグブックはステップ5が必要な理由を説明してくれます。その理由は二つ挙げられています。

やらないと飲んじゃうから

最大の理由をまずあげよう。それは、もし私たちがこの大切なステップを避けて通れば、飲酒の問題は克服できないということである。4)

ビッグブックは「このステップをやらないと酒を飲んじゃうよ」という嫌な脅しをかけてくる本なのですが第100回、これもその一つです。

新しくやってきた仲間たちは、とかく問題の一部については自分の胸の中だけにしまっておこうとする。謙虚さが必要である(humbling=誇りをくじかれる)この経験を避けて、もうちょっと手軽なやり方で済ませようとする。そしてほとんど例外なく彼らは酔っぱらう。5)

ステップ5をやらなかった人が全員再飲酒するとは限りませんが、まさに誰かと話し合うべきことを自分の胸の中に秘めておこうとする人(例えば、飲んで起こしたトラブルは話せても、しらふの時に浮気したことは伏せておきたいというタイプ)は、スリップしたときに「ああ、やっぱりそうなったか」と周囲のメンバーに納得されてしまうものです。

humbling を「謙虚さが必要な」と訳していますが、これはプライドを傷つけるとか、自分を矮小な存在だと感じさせるという意味です(形容詞のhumbleとは意味が違う)。人は自分のことを(聖人ではないにしても)それなりに善良な人間だと思っているものです。しかしステップ5はその思い込みを壊してくれます。ステップ5から見えてくるのは、自分は(極悪人というほどではないけれど)自分で思っているほど善良ではなく、欠点だらけで、どこにでもいる自己中心的な人間の一人に過ぎないという真実です。その経験を避けようとすれば、いつまでも虚偽の自己像を信じて生きることになります。

彼らはまだ家の掃除(housecleaning)をし終わっていなかったのだと私たちは思う。彼らはきちんと棚卸しをしたようだったが、いくつかの最もひどいこと(some of the worst items in stock=在庫品の中の最悪の品目)を棚上げしておいた。5)

第108回で、完璧を目指してあまり細かなゴミまで片付ける必要は無いと述べましたが、逆に大きなゴミがあるのが明らかなのにそれを片付けずにいるのでは、掃除が終わったことにはできないでしょう。

ライフストーリー式の棚卸しについて

・・・誰かに何もかも包みかくさずall their life story話してしまわなければだめだったのである。5)

ここにライフストーリーをすべて話す、と書かれていることから、ステップ5は自分の人生について誰かに語って聞かせることだという誤解が生じたのだと考えられます。

大学ノート
from 来夢来人

ライフストーリー式の棚卸しとは、大学ノートにこれまでの自分の人生を、生れたときから現在まで、思い出せる限りのことを書き連ねるやり方です。6) 人によってはノート一冊に収まらず何冊も必要になる場合があります。それを書くのに何週間も、何ヶ月もかかったという人もいます。そして、ステップ5では「もう一人の人」(たいていはスポンサー)にノートの内容を話して聞かせます。スポンサーはそれをただひたすら聞きます。僕はビッグブックの表形式の棚卸しを知る前に、このライフストーリー式の棚卸しをやったことがありますが、スポンサーとして長時間聞き続けていると、どうしても眠くなってきます。これはやむを得ないことであるにしても、やっぱり寝てしまっては相手に失礼です。スポンサーの最も重要な役割は、寝ないで聞いているフリをし続けることだと言っても過言ではないでしょう。スポンサーが寝ないでいるために自動車のハンドルを握って運転し続け、スポンシーが助手席でノートを読んで聞かせる、というやり方をしている人もいるそうです。そして、ライフストーリーを話し終わったら、スポンサーがいくつか気がついたことを述べてステップ5は終わりとなります。

AAが始まった頃には、このようなライフストーリー式の棚卸しは行われていなかったはずです。というのも、当時のステップワークについての記述は短期間の取り組みばかりで、このような長い期間が必要な方法を採用する余地はなかったと考えられるからです。7) いつごろ、どのようにしてライフストーリー式の棚卸しがAAで始まったのかは分かりません。ジョー・マキューらがライフストーリー式の棚卸しについてのガイド本の存在に言及していますから、彼らの時代(1970年代以降)までには、ライフストーリー式がAAのなかで一つの勢力を形成していたと思われます。8) 20年ほど前には、inventory guide と呼ばれるこうしたガイド本をいくつかインターネット上で見つけることができました。1970年代に日本で現在のAAが始まった時に、ライフストーリー式の棚卸しだけがアメリカから伝わってきたために、その後の日本のAAとその他の12ステップ共同体では、棚卸しはもっぱらこのライフストーリー式が行われるようになったのだと考えられます。少なくとも僕が1990年代半ばにAAに加わったときには、それが唯一の棚卸しの方法でした。そのような偏りも、言語的・地理的に世界のAAから隔絶していた日本のAAがガラパゴス化 の道を歩んでいると指摘された理由の一つでした。

ジョーたちによれば、ライフストーリー式がAAに出現した理由は、ビッグブックのここに「ライフストーリーをすべて誰かに話す」と書かれているために、棚卸しとはライフストーリーを書き、それを誰かに話すことだ、と解釈した人たちがいたからであるとしています。9) けれど、それが誤読であることは、この先にステップ5は「前もって書いた棚卸表」(p.108)について誰かと話し合うことだと書いてあることから分かります。

僕の妻は1980年代に東京の回復施設でライフストーリー式の棚卸しを経験しています。棚卸しを聞いてくれた女性スタッフはAAメンバーでもありました。大学ノートにライフストーリーを書き上げて持って行くと、そのスタッフはノートに目を通し、あちこち書き直すように指示をくれたそうです。そこを書き直して持って行くと、さらに書き直すように指示され、それを何度も繰り返すうちに、おのずと自分の欠点や傷つけた人のことが明らかになったそうです。だから、ステップ5ではそのスタッフ相手にノートを読み上げるだけで十分だったのです。

識字率 とは文字の読み書きができる人の割合です。先進国では教育が行き届いているために識字率はどこの国でもほぼ100%になっています。アメリカの識字率は他の先進国と同程度ということになっていますが、現実には貧困などが原因で教育を受けらなかったために読み書きができない人たちが存在します。回復施設にはそういう人たちがやってくることもあり、本を読めないので、オーディオ教材が使われるのだそうです(AAはオーディオ版のビッグブックなどを用意している)。その人たちは自分で棚卸し表を書くことができませんから、施設のスタッフがライフストーリーをインタビューしながら棚卸し表を代筆するというサポートが行われるのだそうです。

このように、ライフストーリーの書き直しを指示するにせよ、聞きながら棚卸し表を代筆するにせよ、それを行う施設スタッフにはスキルとそれを身に付けるためのトレーニングが必要になります。施設スタッフにはそれが可能でも、そのスキルを一般のAAメンバーに伝達することは現実的には難しいことです。したがって、回復施設においてライフストーリー式の実践が効果を持ちうるにしても、それがAAメンバー間のスポンサーシップに形を変えたときには「ひたすら書き、ひたすら聞く」という単純な形式を取らざるを得なくなり、結果としてその有効性が薄れていったと考えられるのです。そして、そのことがビッグブックの表形式の棚卸しに関心が集まる一因となったのでした。

経験的には、ライフストーリーを語ることでカタルシス を得ることはできる、と言えます。ライフストーリー式の棚卸しの経験談は、得られたカタルシスを強調しているものが目立ちます。しかし、表形式のステップ5でもカタルシスは得られますし、もちろんステップ5の目的はカタルシスを得ることだけではないのは、これまで述べてきたとおりです。

ステップ4の made inventory は「棚卸しをした」と訳せば十分なのでしょうが、2000年に行われた翻訳改訂において、それをわざわざ「棚卸しを行い、それを表に作った」と訳しました。これは棚卸表を書くことを強調した表現を選んだと考えられます。それも、ライフストーリー式一辺倒だった日本のAAに変化を促すことを期待してのことだったのでしょう。

二重生活

たいがいの人と比べてアルコホーリク二重生活を送っていると言える。アルコホーリクはなかなかの役者である。世間には舞台用の顔を見せる。人にそう見られたいと自分が望んでいる顔だ。人の評判を気にかけてもいるのだが、心の奥では自分にはそれほどの値打ちがないことを知っている。5)

ステップ5が必要な二つ目の理由は、「アルコホーリクは二重生活を送っているから」です。ここでも役者というモチーフが用いられています。二重生活とは、

    • 人にそう見られたいと自分が望んでいる役柄(his stage character)
    • そのような評価を受ける価値のない実際の自分

この二つの乖離のことです。役者として素晴らしい人を演じてはいるけれど、実際の自分はそんな素晴らしい人間ではないことも分かっているのです。

「たいがいの人と比べて」とあるように、人間は誰でもこのような不一致を抱えているものです。人が自分の外面(そとづら・がいめん)を良く保とうとするのは共存の本能を持っているからです第98回。私たち人間は社会的な動物ですから、社会集団から追放されたら一人では生きていけません。常に自分の評判を高く保ち、自分が属する集団(それが家族であれ、職場であれ、AAであれ)に対して「私はこの集団にふさわしい人間だ」ということを証明し続けなければなりません。それが承認の欲求です。10)

評判を高く保つためには、評価がプラスになる情報を外に発信し、評価がマイナスになる情報は隠しておけば良いのです。そうすれば、人々はあなたを高く評価するようになるでしょう。しかし、あなた自身は自分についてのプラスの情報もマイナスの情報も知っているのですから、自分がどの程度の人間であるかは分かっています。結果として、外面と内面の間にギャップが生じてしまうです。

このギャップは誰にでもあるので、その不一致の存在自体が問題なのではありません。むしろ集団生活を営むのに必要な社会性の一部だと言えます。ただしアルコホーリクの場合には、この不一致が「たいがいの人よりも」大きいのです。それは、アルコホーリクが自分を良く見せよう、大きく見せようとする傾向が他の人たちより強いということを意味しています。

アルコホーリクはなぜそのような自己誇大化を行うのかについては、精神科医の齋藤学(1941-)が『アルコール依存症の精神病理』(1985)の中で述べていることが参考になると思いますので、紹介します。

 酩酊によるパワー幻想には、飲酒者を中心に世界を秩序づけ、飲酒者がこれを意のままに支配するという万能惑にかかわる側面と、こうして秩序づけられた世界の中で、自他の区分をなくし、他者と共惑しあうという合体感の側面とがあり、いずれも幼児的に退行した外界とのかかわりかたである。逆に言うと、こうした幼児的で自己中心的な他者とのかかわりかたを「好ましい」、「標準的な」人間関係と考える人がいて・・・

 こうした人々は他者からの共感的対応を常に期待しているのであるが、しらふの付き合いの中では、この期待は裏切られることが多く、その際には深刻な不安や怒りが発生し、彼らの精神生活を危機に陥れる。こうした不安や怒りが否認とスプリッティング(分裂)によって防衛されたところで生じるのが、彼らに特有の誇大的で自己愛的な姿勢であり、筆者はこれを「つっばり(過度の独自性強調と力の誇示)」および「がんばり(過剰適応的態度と軽躁性)」と呼んでいる。11)

自分を中心として世界を秩序づけ、それを意のままに支配する、というのは「ショー全体を仕切りたがる役者」そのものです第93回第94回。しかし、その世界の支配者であると同時に、他者と意気投合し共感し合うという都合の良いことを望んでいるのが、このパワー幻想の特徴です。

スプリッティングというのは、一人の人間の中に善と悪とか、自分にとって都合の良い部分と悪い部分が併存していることが受け入れらず、どちらか一方の評価に傾いてしまうことであり、白黒思考の一種です。例えば、酒をやめたばかりのアルコホーリクの話を共感しつつ丁寧に聞いてあげれば「ひいらぎさんは素晴らしい人だ」という評価をその人から頂戴することになり、しかしその人の問題点を少しでも指摘すれば途端に「ひいらぎは人間のクズだ」と評価が反転してしまうのです(後にそれがさらにひっくり返ったりする)。誰かに惚れ込んだかと思えば次には幻滅し、人間関係を維持することが難しいのです。

 こうした姿勢は彼らに現実を無視した高望みを強いることになり、さまざまな企図を失敗と破綻に終わらせることになる・・・。誇大的で、自己愛的で自尊心の維持に躍起となりながら、他人との間で真のかかわりが持てない・・・12)

これらは、酒を飲んでいる時期のアルコホーリクの内面(精神病理)についての説明ですが、これは酒をやめたあとのアルコホーリクにも当てはまります。酒を飲む前からそうであったのか、それとも酒を飲んでいる間に身に付けたのか、どちらなのかは分かりませんが、アルコホーリクはこのような誇大性を身に付けているものです。AAの常任理事を長く務めた精神科医のハリー・ティーボーHarry Tiebout, 1896-1966)の論文が『AA成年に達する』の巻末に載っていますが、その中でも誇大性(grandiosity)がアルコホーリクの特徴であると述べられています。13)

誇大的で、自己愛的パーソナリティを身に付けてしまった人間にとって、自分の過ちを他の人と話し合うことは、どうしても避けたいことであって当然です。しかし、回復するためにはまさにこのステップが必要だと言えます。

仮面の下

仮面
from pxfuel

誇大化した外面によって自尊心の維持に躍起になっている様子は、素顔を隠すために美しい仮面を身に付けているようなものです。人にはこの美しい仮面だけを見せておけば良いのであり、仮面の下の醜い素顔は決して人に見せてはいけないと考えているわけです。

何かの弾みで仮面が外れ素顔がさらされそうになると、その人は怯え、二度と仮面が外れないようにそれを強く顔に押し当てるようになります。仮面の下が見えてしまったら、皆に嫌われ、石を投げられ、放逐されてしまうに違いない・・・それがその人の恐れていることです。

だが私たちは同じことを考えていた人間として、その人にこう言ってあげられます。「仮面の下は見えているよ」と。

どんなに誇大な外面を構築しようとも、いやその誇大な外面を構築しようとする行為そのものが、その下に違うものが隠れていることを露わにしてしまいます。仮面を使って覆い隠そうとしてみたところで、それはあなたの普段の言動を通じてにじみ出てしまいます。何より私たちは、その仮面の下に何があるのか知っています。私たちも同じものを隠そうとしてきたのですから。

あなたは隠せているはずだと信じていても、実は全然隠せていなくてモロバレなのです。素顔(隠している自分)を知られてしまったら、ここにはいられなくなると恐れていたのでしょうが、実際には素顔が見えていても、あなたは受け入れられていたのです。もちろんそれはあなたが期待しているような称賛や賛美ではありませんが、あなたがここにいても良いと皆が受け入れてくれているのです。そんなに仮面を強く押し当てる必要はありません。

とは言え、仮面が要らないと分かっても、すぐにそれを皆の前で外すのはなかなかできることではありません。だからまずは「もう一人の人」の前で外してみることから始めてみるべきでしょう。

誇大な自己像を捨てて、等身大の自分・ありのままの自分で他の人たちと付き合うことが、対等な人間関係を構築・維持していくためには必要なのです。

次回は「もう一人の人」の選び方と、ステップ5のやり方です。

今回のまとめ
  • ステップ4では私たちは捨てるべきゴミ(障害物)を見つけただけ
  • そのゴミを捨てるための行動を取る必要がある
  • ステップ5は棚卸表の内容について第三者と話し合うこと
  • なぜなら自分で自分を評価しただけでは十分ではないから
  • ステップ5が必要な理由の一つは、それが私たちの回復に不可欠だからである
  • もう一つの理由は私たちが「二重生活」を送っているからである

  1. BB, p.104 [] [] [] [] [] [] [] []
  2. Joe McQ. and Charlie P., Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive, 2014, p.133 []
  3. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.72 []
  4. BB, pp.104-105 []
  5. BB, p.105 [] [] [] []
  6. life story とは「ある人の人生に起きたこと」である — Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2023 []
  7. ワリー・P(ジャパンマック訳)『バック・トゥ・ベーシックス』, ジャパンマック, 2016, 第1章 []
  8. Joe McQ. and Charlie P., p.94 []
  9. Joe McQ. and Charlie P., p.134 []
  10. さらには相手より勝っていることを示して優位に立つという意図――序列の欲求もある。 []
  11. 齋藤学『アルコール依存症の精神病理』, 1985, 金剛出版, p.9 []
  12. ibid., p.10 []
  13. AACA, p.470 — Cf. ビル・Wに問う (16) アルコホーリクは「独特」なのか []

2024-02-21ビッグブックのスタディ,日々雑記

Posted by ragi