12ステップのスタディ (24) AAのステップ1 (3) 思い通りに生きていけない
スタディ関係のブログ紹介の第4弾は、アラノンのYukiさんのブログです。現在のところ「家族の病」に焦点を当てて書かれています。そのなかから最近のエントリを選んで紹介します。
さて今回は、ステップ1の後半「思い通りに生きていけなくなっていたこと」を認める部分です。
「人生が手に負えなくなっていた」への変更
2023年2月、第28回AA日本全国評議会でビッグブックの翻訳改訂案が承認され、変更作業が進められてきました。日本語のビッグブックには、ハードカバー版(A5判)・ポケット版(B6判)・文庫版(A6判)・大型判(B5判)という四つの判型がありますが、それぞれの判型ごとに在庫がなくなり次第、新しい翻訳へと切り替わっていきます――つまり現在はまだ従来の訳の在庫を売っています。
かつて2000年にも大きな翻訳改訂があり、その時はビッグブックのページ番号が変動しました。今回はなるべくページ番号が変化しないように配慮してくれたそうなので、その点は良かったと思います。僕もまだ新しい版は手に入れていません。入手でき次第『心の家路』のなかのビッグブックの引用部を新しい翻訳へと更新していく予定です。
なぜそんな話を取り上げたかというと、ステップ1の「思い通りに生きていけなくなっていた」の部分も今回の翻訳改訂の対象になっており、「人生が手に負えなくなっていた」に変更されるからです。
翻訳というものの難しさ
近年はAIによる自動翻訳も進歩していて、英文を入力すれば、それなりに意味の通る日本語訳を出力してくれます。なのに翻訳家という仕事がなくならない理由は、AI翻訳で大まかな意味は伝えられても、細かなニュアンスを伝えることができないからです。一つの言語から別の言語へと言葉の意味を完全に変換することはできません。だから翻訳者は原著者の表現したいことを汲み取って、それを訳文として自らの言葉で表現します。シャーロック・ホームズシリーズ (1887-1927)は、日本では新潮文庫・ハヤカワ文庫・創元推理文庫など複数の出版社から発売されていますが、同じアーサー・コナン・ドイル (1859-1930)の原文を元にしていても、訳文はそれぞれ違っています。それは訳者が違うからで、それぞれの訳者がドイルの言葉を適切に日本語で表現しようとした結果、違う訳文ができあがったのです。
ビッグブックの日本語訳は1979年に最初の版が出版されました。2000年に翻訳改訂が行われ、そしてさらに新しい翻訳が(おそらく)2025年に出版されることになります。この三つの版では、ステップ1の our lives had become unmanageable が、それぞれ次のように訳されています:
1979年版 | 生きていくことがどうにもならなくなった |
2000年版 | 思い通りに生きていけなくなっていた |
2025年版 | 人生が手に負えなくなっていた |
日本語として表現しづらいものを、なんとか表現しようと苦労している様子がわかると思います(ただし苦労しているわりには伝わりやすくなっていないところが悩ましいところです)。
ライフがアンマネージャブル
しかし、ビル・Wたちがステップ1で表現したかったことは、そんなに難しことではありません。原文の our lives had become unmanageable は「ライフがアンマネージャブルになっていた」という意味です。
ライフ(life)は生命という意味ですが、人生とか生活という意味もあります。アンマネージャブル(unmanageable)は日本語に訳すのが難しい単語で、それゆえに「どうにもならない」「思い通りにならない」「手に負えない」と翻訳が試行錯誤されてきました。マネージ(manage)とは、簡単ではないことをなんとか管理していくことです。アンマネージャブルとは、マネージできないという意味です。
例えば、人間が社会の中で生きていくためには金銭が必要で、多くの人は労働で得た金銭をなんとかやりくりして生きています。けれど若い頃の僕は、アルコホリズムという病気のせいで酒を飲みすぎ、それが原因で働けなくなり、金銭的にも行き詰まっていました。つまり、僕がアルコールに対して無力であるせいで、ライフがアンマネージャブルになっていたのです。
生きていくためには、そこそこ健康でなければなりません。そのためには、栄養バランスの良い食事や、規則正しい生活、適度な運動などが必要です。しかし若い頃の僕は、アルコホリズムという病気のせいで酒を飲みすぎ、ほとんど食事を摂らなくなり、睡眠サイクルは乱れ、外出するのは酒を買いに行くときだけ、という生活を続けました。そのせいで心身ともにボロボロになっていました。ここでも僕がアルコールに対して無力であるせいで、ライフがアンマネージャブルになっていたのです。
人生には楽しみも必要です。飲み始めの頃は、酒を飲みながら本を読んだり音楽を聴くのが好きでしたし、誰かと飲みに行くのも好きでした。しかしアルコホリズムという病気が進行すると、常に飲み過ぎている状態になり、本を読んでも頭に入らず、音楽は単なる雑音になり、人と会うのは面倒で、一人でひたすら酒を飲むだけになりました。「酒を飲むのは楽しみだったのでは?」と言われることもありますが、アル中は病気だから飲んでいる(というか病気に酒を飲まされている)のであって、飲酒は決して楽しみではありません。こうして、人生から楽しみが消えてしまい、ただ生きているだけになってしまいました。ここでも僕がアルコールに対して無力であるせいで、ライフがアンマネージャブルになっていたのです。
このように実例を挙げてみれば、「ライフがアンマネージャブルになった」の意味を汲み取っていただけると思います。ビッグブックには「ライフがアンマネージャブル」の意味を解説しているところはありませんが、第一章のビル・Wのストーリーも、巻末のドクター・ボブのストーリーも、そしてハードカバー判に掲載されたその他のメンバーのストーリーも、酒のせいで彼らの生活がいかにアンマネージャブルになったかを描写しています。
人生・生活の領域
上の図は、僕が一泊二日のビッグブック・スタディを行う際に使っているスライドの一つです。第一章の「ビルの物語」のなかで、ビル・Wの飲酒が彼の人生・生活のさまざまな領域に悪影響を与えた様子を、箇条書きにしてまとめたものです(cf. BBS#34)。
ビルはアルコホリズムの進行の結果、働くことができなくなり、夫婦の生活は妻ロイスの稼ぎだけで維持されることになりました。ビルの社会的信用は地に落ちて、どこに行っても相手にされなくなっていました。友人たちも去ってしまい、飲んでばかりで食べなくなった彼はすっかり痩せ細り、自殺願望に支配されていました。もちろんそんなビルと妻ロイスの関係が良好であるはずがありません。
ここには、家族・友人・仕事・金銭財産・健康・趣味社会活動という六つの領域を挙げています(必要であれば、さらに付け加えてください)。私たちの人生や生活は、これらのもので成り立っています。逆に言えば、私たちの人生・生活から、こういった領域を取り除いてしまえば、あとはほとんど残らないのではないでしょうか? そうしたことを踏まえれば「ライフがアンマネージャブルになった」とは、人生・生活の様々な領域に飲酒の悪影響が及んだ、と解釈できるのです。
ドクター・ボブのストーリーは、巻末の「ドクター・ボブの悪夢」、第十一章の225ページ以降、「再版にあたって」のxxからxxiページに書かれています。彼の場合は医師という専門的な職業であったおかげでなんとか仕事は続けていましたが、自分のクリニックは経営危機に瀕しており、勤め先のアクロン市立病院の職位も失いそうでした。自宅は借金の抵当に取られそうになっており、夫妻は友人たちをパーティに招くことも、招かれることもなくなっていました。それどころか、ドクター・ボブは酒のことを咎められることを嫌って、友人たちを避けるようになっていました。
そのようにして、ビル・Wも、ドクター・ボブも、アルコホリズムという病気によって「ライフがアンマネージャブルになった」様子を表現してくれているのです。
影響が軽微か深刻か
ビルもボブも、アルコホリズムが重度まで進行した人たちでした。だから彼らの「アンマジェージャブルっぷり」は激しく、アルコールの悪影響をたっぷり受けています。アメリカでも日本でも、初期のAAのメンバーたちは、このような重度のアルコホーリクばかりでした。ところがAAが始まって20年ぐらいすると、アルコホリズムが悪化していない早い段階でAAにつながってくる人たちが増えました。その人たちは、アルコールから被った影響はまだ軽微なものにすぎません。
当然そこには否認も起こります。「私はあなたたちほどひどくはない(pp.59-60)」、だからまだ大丈夫なはずだ、と言う人たちも少なからず存在します。AAはそういう人を無理に説得しようとはしません。むしろ、
「たぶんあなたはアルコホーリクではないのでしょう。私たちがアルコホリズムについて話したことを忘れないで、しばらく節酒をやってみてはどうですか」1)
と節酒を勧めることになっています。ビッグブックでも、自分がアルコホーリクかどうか確信が持てないなら「節酒を試してみれば良い」(p.47)と書いています。酒をやめてもらおうと思ってAAにアルコホーリクを送り込んだのに、帰ってきた本人に聞いてみると「AAの人たちは飲んでも良いと言っていた」ということがしばしば起こります。――断酒会の人は断酒を勧めるが、AAの人たちは「飲むな」とは言わない、それどころか飲酒を勧めることすらある、というのが両方を知る人たちの評判です。
もし、その人が飲酒をコントロールできるのであれば、その人はアルコホーリクではありませんからAAを必要とはしていません。アルコホーリクであれば、その人は遠からず酒で行き詰まって「ひょっとすると、あのAAの連中の言う通りかも」と思うようになり、最悪の状態になる何年も前にAAに戻ってくるでしょう。アルコホーリクにとっては「アルコールこそが最も偉大な説得者である」(p.70)ことをAAはよく知っているのです。
「この人になるべく早く酒をやめてもらいたい」と思う心情はAAメンバーも同じです。だからこそ説得はアルコールに任せるというのがAAのやり方なのです。
私たちは様々なことに無力なのだが・・・
話を「無力であること」に戻します。あるAAメンバーが「無力とはどういうことか」とスポンサーに尋ねたところ、スポンサーはこう答えました:
浜辺に行ってみなさい。波が打ち寄せているはずだ。あなたはその波を止めることができるだろうか? 当然無理だろう。それが無力ということだ。2)
実際のところ、アルコホーリクは、アルコールだけに無力なのではなく、他の様々なことにも無力なのです。しかし、僕が打ち寄せる波に対して無力であっても、僕のライフがアンマネージャブルになったりしません。東京湾では今日も波が打ち寄せていますが、海のない内陸県に住んでいる僕の生活にはまったく影響がありません。
僕の家の近くに荒川という川が流れています。僕は荒川の流れをせき止めることはできません。僕は荒川の流れに対してまったく無力であり、今日も荒川は滔滔と流れていますが、僕の生活にはまったく影響がありません。
国連憲章 は戦争を禁じているにも関わらず、今日も世界のあちこちで戦争が続いていて、人々の生命や生活が破壊されています。そういう意味では憲章も憲法も、そして僕自身も現在起きている戦争に対して無力なのですが、(冷たい言い方ではありますが)ウクライナやパレスチナでの出来事は僕の生活に直接の影響は与えません。せいぜいニュースに接して心を痛めるぐらいです。
このように「無力であること」そのものが、ただちにライフをアンマネージャブルにするとは限りません。むしろそうではないことのほうがずっと多いのです。ですから、「私たちは様々なことに無力なのだ」という表現はステップ1の説明にはなっていないのです。3)
何かに対して「無力であること」が、直接、大きな悪影響を私たちの人生や生活に与えている――それが、ステップ1の主要な意味です。だから「アルコールに対する無力」と「ライフがアンマネージャブルになった」という二つを切り離して考えてはいけないのです。
ステップ1の核心はオブセッションである
さて、人生や生活にアルコールによる悪影響が及んでいるのは、アルコホーリクが酒を飲みすぎるからです。そして、飲み過ぎるのは身体的渇望のせいであり、それを抜本的に治療して正常に酒を飲めるように戻す方法はまだ見つかっていません。従ってアルコホーリクには断酒が唯一の選択肢になります。しかし、アルコホーリクはせっかく断酒を続けていても、強迫観念によって再飲酒し、飲酒に戻ってしまいます。つまり、強迫観念(オブセッション)がアルコホリズムという問題の核心なのです。
ビッグブックの第三章のおしまいの段落は、ステップ1の結論になっています:
繰り返そう。アルコホーリクはあるとき、最初の一杯に対する防御の気持ちをなくしてしまう。ごくまれな例を除いて、自分自身であれ、ほかの人であれ、その一杯をやめさせられる人間はいない。その力(defense=防御)はハイヤー・パワーだけが与えてくれるのである。4)
というわけで、アルコホーリクは自分では強迫観念を解決できないので、強迫観念から自分を守ってくれるハイヤー・パワーという存在を必要とするのです。このようにしてステップ1を済ませた人はステップ2へと進むことができます。しかし、この連載はこのままAAのステップ2へ進まずに、NAの12ステップへと舞台を移して、次回からNAのステップ1の説明が始まります。
- 「思い通りに生きていけなくなった」も「人生が手に負えなくなった」も、「ライフがアンマネージャブルになった」という原文の翻訳である
- 「ライフがアンマネージャブルになった」とは、人生・生活の様々な領域に飲酒の悪影響が及んだという意味である
- ビル・Wも、ドクター・ボブも、他のメンバーたちも、彼らの飲酒が人生や生活にどんな悪影響を与えたかを表現している
- 私たちは様々なことに無力だが、それはステップ1が伝えようとしている意味ではない
- アルコールに対して無力であることが原因で、アルコホーリクは人生や生活に飲酒の悪影響を受けている。それがアルコホーリクが12ステップによる回復を必要としている理由である
- 12&12, p.32.[↩]
- AAでの定番の説明の一つ。[↩]
- アルコホーリクではない一般の人たちも「様々なことに対して無力」であることに着目する必要がある。アルコホーリクは「アルコールに対して無力である」という一般の人にはない特殊事情を抱えていて、しかもその結果「ライフがアンマネージャブル」なっている。その特殊事情ゆえに12ステップによる回復を必要としているのである。ステップ1で「様々なことに対して無力」であることを強調されてしまうと、それを聞いた人は自分がアルコホーリクであるという特殊事情から目を逸らしてしまう。ステップ1で「様々なことに対する無力」を持ち出すのは下手なアプローチなのである。[↩]
- BB, p.64.[↩]
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