ビッグブックのスタディ (35) ビルの物語 6

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「思い通りに生きていけない」の続き

「ビルの物語」のp.6の終わりのところから続けます。

1930年の終わりの頃、酒でモントリオールでの仕事を失ったビル・Wは、妻ロイスの両親のニューヨークの家に居候することになりました。僕はこの部分の読み合わせするときに、スポンシーさん(だいたいは結婚経験のある男性)に、もし酒で仕事を失って、奥さんの実家で義父母と同居することになったら、どう感じるでしょうか? と意地の悪い質問をしたりします。たいてい渋い顔をされます。

ロイスの両親は娘夫婦を温かく迎え入れてくれましたが、ビルはその温情を酒でさっそく裏切ってしまいました。ロイスの母(ビルにとっては義母)は骨肉腫を患っており、同居を始めたすぐ後のクリスマスに亡くなりました。ビルはその当日はもちろん、その前の日々も、その後の日々も、連日泥酔していました。彼は家族からの信用をますます失ってしまいました。1) ——(家族関係)

ビルはこの失敗と、義父への依存を恥じ、調査員の仕事を見つけて働き始めました。大恐慌 で仕事がない時代でしたから、週給100ドルの仕事が見つかったのは幸運と言えますが、彼にとっては不本意な凋落ちょうらくだったようです。それでも彼はこの仕事を1年近く続け、昇進さえしたのですが、酒場で「タクシーの運転士とひともめ起こした」ことが原因で解雇されてしまいました。2) ——(仕事・金銭・信用・家族関係)

Macy's 1930s
1930年代のメーシーズ百貨店
Macy’s Addition On 34th Street, by FPG, from gettyimages

この後の数年間、ビルは安定した収入を得ることができず、家計はロイスが働いて支えました。ロイスはメーシーズ という百貨店で仕事を見つけました。家具売り場で週給19ドルの基本給に加えて、インテリアデザイナー的な仕事で若干の歩合給を稼いだそうですが、夫婦の生活は以前より厳しいものになったはずです。3)

上流階級のお嬢さんを妻にして、その妻にふさわしい「一目置かれて当たり前の人物」BB, p.2)になってやろうと大きな野心を抱いていたのに、現実のビルは妻を働かせ、自分は酒を飲む日々でした。仕事をしている体裁を保つために、平日はウォール街 に出かけていましたが、もはや彼の信用は地に落ちており、以前のブローカー仲間や投資家のところに顔を出しても迷惑な顔をされ、僅かな金を渡されて追い返されるばかりでした。彼にとってはその金も酒を買うための大切な収入であり、そんな自分をビルは「寄生虫」(hanger-on)と表現しています。4)

時折小さな株取引のアイデアを思いついては、それを数百ドルで売ることに成功しましたが、その金がロイスの目に触れることはなく、ヤミ金融の支払いに消えていきました。

 酒はもはやぜいたくなものではなく、必需品になっていた。「自家製の」ジンを二本から三本空けるのが日課になった。5)

飲酒中のアルコホーリクにとって、酒は気分を良くするための贅沢品ではなく、最悪の気分を普通の気分に戻すための必需品です。酒を飲み終えて1~2時間後にアルコールの血中濃度はピークに達し、その後は徐々に下がっていきます第24回。数時間すれば離脱が始まります。酒が切れているときの気分は最悪で、アルコールを体に入れることで普通の気分に近づきますが、それも長続きはしません。2014年にYouTubeに投稿されたビデオ作品 Nuggets は、アディクションの進行を模して描かれた5分間のアニメーションですが、このアニメの最後の1分ほどが、ビルの置かれていた状況と重なります。

ビデオ『ナゲット』

自家製のジン(”Bathtub” gin)とは、自宅で造る密造酒のことです。当時は禁酒法の時代です。禁酒法は、1920年から33年まで施行され、アルコールの製造・販売・輸送が全面的に禁止されました。ただ、所有したり飲んだりすることは禁じられていなかったので、今の日本の麻薬ほど厳しく取り締まられているわけではありません。酒の密売も横行しました。ドクター・ボブは酒の密売人(ブートレガー)を利用していましたしBB, p.248)、金回りの良かった頃のビル・Wは闇酒場(スピークイージー)で飲んでいました。しかし金銭的に苦しくなったために、密売人や密造酒造りに頼らざるを得なくなったのです。ビルは禁酒法施行の3年前(1917年)に初めての酒を飲み、禁酒法が廃止された翌年(1934年)に酒をやめています。彼の飲酒は、大部分が酒が禁じられている時代でした。禁酒法は、AAの成立に大きな影響を及ぼしましたが、その話はまた別の機会にしましょう。

そのうちに、朝早くからひどい震えがきて目が覚めてしまうようになった。何とか朝食を喉に通そうと思ったら、グラス一杯のジンに続いて、半ダースのビールが必要だった。6)

ビルは早朝に離脱で目が覚め、あまりに体調が悪いために食事もできなくなっていました。健康に明らかな悪影響が出ていたわけです。健康もライフ(人生・生活)の重要な部分に違いありません。ビルはこの部分でも「思い通りに生きていけなくなっています」。

そんなになっていてもぼくはまだ何とかできると思っていたし、妻が今度こそはという希望を持ち始められるくらい飲まずにいる期間もあった6)


Nevertheless, I still thought I could control the situation, and there were periods of sobriety which renewed my wife’s hope.7)

そんなひどい状態になっていても、ビルはまだこの状況をコントロールできる(control the situation)と考えていました。これは無力を認めるのとは対極の考え方です。自分の意志次第で酒はやめられる(あるいは飲酒をコントロールできる)し、生活も再建できると考えていたのです。無力を認めるとは、完全な敗北を認めることです。8) この時点では、ビルはまだ勝てる可能性にしがみついていました。

アディクションのサイクル

アディクションのサイクルそして、ロイスが「今度こそ、ちゃんと酒をやめてくれたのかも」と喜んでしまうほどの断酒期間が何度もありました。アルコホーリクはいつも酒を飲んでいるわけではありません。短いながらも断酒期間が挟まるのが普通です。ビルの場合には、自分の飲酒の問題を強く意識して、二度と飲まないと誓って断酒したことが幾度もありましたが、そのたびに精神の強迫観念が彼に酒を飲ませて、飲んだくれへと引き戻してしまったのです。(もっとも、この時点ではビルはそれが強迫観念だとは知らなかったのですが)。

というわけで、p.7から、ビルは酒を飲んだり、やめたりを繰り返すアディクションのサイクル(第16回)を回る様子が描かれています。「医師の意見」にはシルクワース医師の理論の説明がありましたが、ビルの物語のこの部分は、その理論どおりの実例を提示しています。

再び酒で台無しになる再起

Dow Jones History 1920 to 1940
Dow Jones History 1920 to 1940, by Kamal Khondkar, from TradingNinvestment

これはダウ平均株価 のグラフですが、1932年に株価は底値をつけていました。下がった相場はかならずどこかで上昇に転じます。ビルは今が買いの好機と考えました。ウォール街ではすっかり信用を失っていましたが、ロイスの妹キティの夫が証券業界に多くの知人を持っていたので、そのつてを頼って、二人の投資家と知り合いました。彼らはビルのアイデアを評価し、シンジケートを作って投資することに同意しました。

ビルの酒の問題は知れ渡っていたので、彼らはビルに断酒を義務づけ、酒を飲んだら契約が無効になるだけでなく、彼の取り分もなくなるという条項を追加しました。彼は迷いながらも、契約書にサインしました。ロイスをデパートでの労働から解放したいと思ったからでした。そして、二、三ヶ月は難なく酒をやめ続けました。この取引はウォール街の水準からしても大きなもので、順調に進めばビルは破産状態から抜け出せるだけでなく、これまで以上の成功が得られそうでした。その噂はたちまち広がり、ウォール街での彼の評判は上向き始め、別の仕事も舞い込んできました。ニュージャージー州バウンドブルックBound Brookの工場で、新しい写真技術の現地調査をするという仕事でした。

Jersey Lightning
Jersey Lightning, from Laird & Company

彼は数人のエンジニアを伴ってバウンドブルックに出張し、ホテルに逗留しました。ポーカーを始めたエンジニアたちが、「ジャージーの稲妻」(Jersey Lightning)というアップル・ブランデー の回し飲みを始めました。彼は契約のことを意識して、きっぱりとその誘いを断りましたが、ポーカーはいつまでも続き、ビルは何度酒を勧められても断り続け、自分は酒を飲んでいけない人間なのだと説明したりしました。

しかし、彼は戦時中にフランスで飲んだ良いワインのことを思い出したりしているうちに、これまでアップル・ブランデーを一度も飲んだことがないことに気づき、何回目かの誘いに対して「一度くらいジャージーの稲妻に打たれても、大した害はないだろう」と考えてしまいました。これが最初の一杯を飲ませる強迫観念です。

彼は三日間飲み続け、投資家たちからは取引は中止だと言い渡されてしまいました。こうして彼の再起はまたしてもついえたのでした。9) 10)

飲まないと決心して断酒していても、精神の強迫観念が最初の一杯を飲ませ、すると身体のアレルギーによって飲んだくれに戻ってしまう・・・「医師の意見」のp.xxxvi (36)でシルクワース医師が説明してくれたアディクションのサイクルを、ビルはここでぐるりと一回りしました。——1周目

これに懲りたビルは「もう二度とアルコールには手を出さないと決心」しました。これまでの決心には甘さも緩みもあったのかもしれませんが、ビルは「今度こそ真剣だ」と書いています。しかし、しばらくすると(ほろ酔いではなく)泥酔して帰宅しました。またまたアディクションのサイクルをひと回りしました。あんなに真剣に決意したのに、なぜ飲んでしまったのか? 彼は自分の精神が狂ってしまったのかと疑っていますが、実際その通りなのです。——2周目

彼は決意を新たに再び断酒にチャレンジし、酒場をあざ笑うほどの余裕を見せますが、またまたあっさり酒を飲んでしまっています。——3周目。このように、p.8には、ビルがアディクションのサイクルを3周する様子が描かれているわけです。

どん底(rock bottom)

182 Clinton St., Brooklyn, New York
182 Clinton St., Brooklyn, New York, from Friends of Bill and Bob

ブルックリンのクリントン通り182番地のアパートは、ロイスの父バーナム医師が妻のために建てたものでしたが、彼は再婚してボストンに去り、アパートは娘夫婦に渡されました。しかし、それもビルの借金の抵当として銀行に渡ってしまいました。本来であればビル夫妻はそこを立ち退かねばなりませんが、余りに不景気が長引いていたために買い手が付かず、僅かな家賃で二人が住み続けることが許されました。11)

これまでの彼は、成功を夢見て飲んでいましたが、このあたりから彼は「苦痛をまひさせるため、忘れるために飲むという状態」になっていきました。12) しばしばウォール街の道やビルのロビーで倒れており、取引を試みているときでさえ、相手に暴言を吐くようになりました。家にいても、時にはロイスに小型ミシンを投げつけ、部屋のドアというドアを蹴り歩いたこともありました。13)

朝刊は、株がまたしても暴落したと報じていた。ぼくも同じだった。市場はまた持ち直すだろう。でもぼくには回復の見込みがない。14)


A morning paper told me the market had gone to hell again. Well, so had I. The market would recover, but I wouldn’t.15)

これは象徴的な文章です。株式市場は常に上がったり、下がったりしています。上がったものは必ず下がり、下がったものは必ず上がります。同じように、人間の人生も、良い時期と悪い時期を繰り返していきます。下がった相場が上がることを回復(recover)と言います。しかし、彼の人生が上向くことはもうないのです。彼は、アルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけない人間がたどり着く、最後の状態に至っていました。

回復(recover)という言葉は、病気全般に対して昔から使われていました。しかし、底つき(hit bottom)どん底(rock bottom)という言葉はどちらも相場の用語です。おそらくはビルが株のブローカーをやっていたことで、相場の用語がAAに持ち込まれたのでしょう。(そしてそこから、依存症の業界全体へと誤解を含みつつ広がっていったのでしょう)。

1933年の夏には、ロイスはメーシーズ百貨店から3ヶ月の休暇を取り、ビルとロイスはバーモントの農場で過ごしました。農場で働いている間はビルは飲まずいましたが、ブルックリンに戻るやいなや酒を飲み出してしまいました。16) この1933年から34年が、ビルとロイスの夫妻にとって、最も暗く希望のない時期でした。p.10の終わりからp.11には、この時期が描かれています。ビルは自殺を考えて、義父が残していった薬品棚のなかの劇薬を飲もうと考えたり、二階から飛び降りようと考えたりもしました(精神の健康)が死にきれませんでした。また、飲んでいて食事をしなかったために、体重が20キロも減っていました(身体の健康)

前回から、「思い通りに生きていけない」という話題を扱っていますが、ライフ(人生・生活)の重要な部分として、家族関係・友人関係・仕事・社会的信用・金銭や財産・趣味・未来への希望・心身の健康などが挙げられますが、ビルはそのすべてに酒による悪影響を受けています。ビルがステップ1の「思い通りに生きていけない」(our lives had become unmanageable)に込めた意味は、酒が与えるライフの様々な領域への悪影響だったことは明らかです。

次回は、ビルの入院です。

今回のまとめ
  • ビル・Wの「思い通りに生きていけない」様子は、ますます悪化した。
  • p.8では、ビルがアディクションのサイクルの実例が3回示されている。

  1. PIO, p.87 []
  2. PIO, p.89 []
  3. PIO, p.90 []
  4. AACA, p.81 []
  5. BB, p.7 []
  6. BB, p.7 [] []
  7. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.5 []
  8. 12&12, p.29 []
  9. AACA, pp.81-82 []
  10. PIO, pp.91-92 []
  11. 1939年にビッグブックが出版される頃には景気が上向き、買い手が付いたおかげで、ビルとロイスは住処を失うことになった。 []
  12. AACA, p.81 []
  13. PIO, p.93 []
  14. BB, p.9 []
  15. AA, p.5 []
  16. PIO, p.98 []