ビッグブックのスタディ (37) ビルの物語 8

ビル・Wの解毒入院

今回は「ビルの物語」のp.10、ビルの入院です。

ぼくの義弟は医師をしていた。この義弟とぼくの母が気をつかってくれ、ぼくは全米でも名の知れた病院に、アルコホリズムの精神と身体のリハビリテーションを受けるために入院させてもらうことになった。1)

ビル・Wが最初にチャールズ・B・タウンズ病院に入院したのは、1933年秋でした。入院期間はタウンズ病院の標準の5日間程度だったと思われます。入院中は前回説明したベラドンナ療法によるアルコールの解毒デトックスが行われました。

酒で酩酊することを英語で intoxicationイントキシケーション といいます。この言葉には中毒という意味もあります。酩酊している人の体からアルコールを除去(解毒)することを detoxicationデトキシケーション といい、デトックスと略されます。

人体にとってアルコールは有毒な物質です。飲み過ぎると急性アルコール中毒で死ぬこともあります。人体は自己防衛のために有毒な物質を体から排除するメカニズムがいろいろ備わっています。たとえば腐った食べ物を食べると、嘔吐や下痢によってそれを体外に排出しようとします。少量の飲酒は心地良い気分を与えてくれますが、飲み過ぎると人体の自然な防御メカニズムによって吐き気や目まいを感じ、アルコールという有害な物質を排出し、それ以上の摂取を防ごうします。ところがアルコホーリクの場合には、この防御メカニズムが機能しなくなっていて、有毒物質を大量に摂取してしまうのです。体から酒を抜くことを、デトックスと呼ぶのはふさわしいことだと思います。

水治療法

水治療法と適度な運動がよく効いた。2)

水治療法hydrotherapy , water cure)は、19世紀にアメリカで自然療法の一つとして広まった治療法で、痔から肺結核まで様々な疾患に効果があると信じられていました。特に禁酒運動が盛んだった時代に、ミネラルウォーターは、長年の飲酒で体内に蓄積した毒を浄化し、飲酒への欲求を抑える効果がある特効薬だとして大いに宣伝されました。3)

On the Water Wagon

fell off the Water Wagon
from Institute for Human Science and Culture Blog

道路が舗装されていなかった時代には、土埃が舞い上がるのを防ぐために、大きな水のタンクを積んだ馬車から水を撒いていました(日本でも行われていました)。禁酒運動家たちは水馬車で町を回り、人びとに酒ではなく彼らの水を飲むように勧めました。そこから、飲み物を酒から水に替えることを「水馬車に乗る(going on the water wagon)」と表現するようになり、さらに on the wagon(酒をやめる)とか、He was off(彼は酒に戻った)という表現が使われるようになりました。AAの本にもしばしばこの表現が出てきます。上の図は当時の「酒をやめました」という絵はがきと、もう一枚は・・・説明不要ですね。

hydrotherapy bath
タウンズ病院の電気温水浴室
hydrotherapy shower
水治療法に使われた電気温水シャワー室 from National Library of Medicine

アルコホーリクに対する水治療は、温水・冷水での入浴、シャワー、湿布、ミネラルウォーターの飲水や潅腸などが行われていましたが、その高額な費用を支払える患者は多くありませんでした。ビルが水治療法を受けられたのは、タウンズ病院という富裕層向け病院に入院できたからだったのでしょう。上の写真は、タウンズ病院のパンフレットに掲載された水治療の設備です。・・・水を潅腸されたりとか、濡れたシーツにくるまって寝たりとか、あんまり嬉しくない治療法なのです。

「ベラドンナ療法」や「水治療法」という言葉は聞き慣れないので、ついついそちらに関心が行ってしまいます。そういった関心をある程度満たさないと、モヤモヤしたものが残って本来のことに集中できない人も多いので、わざわざ行数を割いているわけですが、大事なのはその先です。

シルクワース医師との出会い

何よりもよかったことは、親切な医者に出会ったことだった。2)

William D. Silkworth
from AACA

この親切な医者が、「医師の意見」の書簡を書いたウィリアム・D・シルクワース医師です。この医師は、かつては自分のクリニックを開業し、さらに新しく設立される病院の株式を購入して、その病院での重要なポストを得るはずだったのですが、1929年の大暴落によってその投資は無駄になり、自分のクリニックも失ってしまいました。そしてタウンズ病院で週給40ドルという安給料で働いていました(これは百貨店の売り子として働いていたロイスの給料のおよそ倍に過ぎません)。

しかし、この転職が彼にとって大きなターニングポイントになりました。彼は目の前を通り過ぎていく数多くのアルコホーリクたちと、その惨めな予後を見て、何かしたいと心に決めました。彼は生涯に約5万人のアルコホーリクを診察し、しかもその一人ひとりに深い関心を寄せることができた人物だったとビルは述べています。4) そんな人物だからこそ、あのアレルギー理論を打ち立てることができたのでしょう。アレルギーという表現は今日の科学からすれば正確ではないかもしれませんが、当事者たるアルコホーリクにとっては深く納得できるという実用性を備えた(プラグマティックな)理論なのです。

医者はぼくがわがままでばかげているのは確かだが、身体も精神も重い病気にかかっているのだと説明してくれた。2)


a kind doctor who explained that though certainly selfish and foolish, I had been seriously ill, bodily and mentally.5)

シルクワース医師は、飲んでいたビル・Wが「自己中心的(selfish)」で「愚かしいこと(foolish)」ばかりやってきたのは確かだとしたうえで、「身体も精神も重い病気にかかっている」という事実をビルに教えてくれました。これがステップ1の情報がビルに手渡された瞬間でした。

身体の病気はアレルギー(渇望)のことです。精神の病気強迫観念のことです。これらについては「医師の意見」の章で詳しく説明してきたのでここでは繰り返しません。私たちは「医師の意見」を読むことで、ビルがシルクワース医師から教えられたのと同じ情報を得ることができます。

アルコホリズムにかかると、ほかのことにはきちんと働く意志の力が、アルコールを撃退するには驚くほど弱くなってしまうのを知って、ぼくは幾らか安心した。2)

アルコホリズムは結核と同じで意思の力では克服できない病気である、とシルクワースは説明しました。6)

何とかしてやめようと思いながら、信じがたい行為をしてしまう自分について説明がついたのだ。7)

「信じがたい行為」とは再飲酒のことです。ビルはそれまで何度も断酒を試みましたが、そのたびに再飲酒してきました。彼はなぜ自分が再飲酒してしまうのか分かりませんでした。それをシルクワース医師の理論は説明してくれたのです(それは強迫観念のためであると)。

ビルの早とちり

自分を知ったからには、意気揚々と出発できる。そうして三、四ヵ月は調子がよかった。ぼくは定期的に街に出て、幾らかの金をもうけさえした。自分を知ること――これこそが答えなのだと思った。8)


Understanding myself now, I fared forth in high hope. For three or four months the goose hung high. I went to town regularly and even made a little money. Surely this was the answerself-knowledge.9)

自覚(self-knowledge)――自分が抱えている問題を知ること、それだけで解決(answer)が得られたと彼は思っています。多くのアルコホーリクが同じことを考えます。自分の歩く道に落し穴があっても、その落し穴をうまく避けて歩けば大丈夫だと思ってしまうのです。そうして、何度も同じ落し穴に落ちます。(ポーシャ・ネルソンの『五つの短い章からなる自叙伝』を参照)

ビルは自分が何者であるか認識しました(自分はアルコホーリクだ!)。その認識は彼に完全な断酒を要求しました。ならば自分が飲まなければ良いだけ――彼はそこに希望を見つけました。ロイスも問題は解決したと信じたようで、部屋に花を飾り、ビルの好きな料理を出して退院した彼を迎えました。自覚してくれたんだから、もう大丈夫だろうと・・。

「情報を受け取ること」と、「その情報が自分にとってどんな意味を持っているか理解すること」は同じではありません。ステップ1で必要なのは後者です。

2011年の東日本大震災のときに、津波警報を聞いただけでは避難せず、実際に津波を目にしてから避難を始めたために逃げ遅れて亡くなった人がたくさんいました。警報を聞いても「自分は大丈夫」と思ってしまった人がそれだけ多かったのです。人は津波で自分が死ぬことを考えて、初めて避難行動を起こします。どんなに振り込め詐欺の注意喚起をしても、多くのお年寄りは「自分は大丈夫」と考えてしまいます。だから振り込め詐欺に引っかかる人が後を絶たないのです。

同じように、自分がアルコホーリクだという情報を受け取っても、何も行動を起こさない人は多いのです。第三章にはフレッドという登場人物が「自覚(self-knowledge)によってこの問題を解決できる」と信じてしまうエピソードが描かれています(p.59)。アルコールの病院に行って患者さん相手に話をしても、多くの人が「教えてくれてありがとう。でも私はそうならないように気をつけるから」とおっしゃいます。自分は大丈夫と思うのでしょう。

人間の心には正常性バイアス という仕組みがあり、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価をするようになっています。自分は大丈夫という根拠のない楽観的思考によって自分の心を守っているのですが、それはアルコホーリクだけでなく、すべての人に備わっているメカニズムです。私たちは携帯電話から緊急地震速報 の音が聞こえても、「前回の警報でも大丈夫だったんだから、今回もたぶん大丈夫」と考えるようになってしまっています。アルコホーリクの場合には、たまたまそのメカニズムが病気の現実に対して働いてしまうので、本来であれば絶望のメッセージであるステップ1が、希望のメッセージに勘違いされてしまうのです。

ビッグブックがステップ1に多くのページを費やしているのは、ビルたちがそのことを経験からよく分かっていたからでしょう。ビッグブックにはアルコホリズムは否認の病気だとは書いてありません。僕はビッグブックを読まずに、依存症は否認の病だと書いてある別の本を読んで、何年も時間を無駄にしてしまいました。

再入院と絶望の宣告

また酒に手を出してしまう恐るべき日が来たのだ。8)

この時の再飲酒について彼はこれ以上のことを語っていません。1934年になり、ビルとロイスはふたたびバーモントの農場へ向かいました。この農場は前年も滞在したところであり、妹夫妻(ストロング夫妻)の所有でした。ロイスは二度目の長期休暇を願い出る神経を持っていなかったので、百貨店の仕事を辞めることになりました。(その後、彼女はローザーズ(Loeser’s)百貨店に仕事を得て、ビッグブックの出版までビルを経済的に支えることになります)。

わきみちビル・Wはタウンズ病院に何回入院したのか? 僕はそのことを深く考えたことはありませんでした。「ビルの物語」には3回の入院が描かれています(pp.10, 11, 19)し、「医師の意見」でもシルクワース医師が「三度目の治療中」にビルがAAを始めたと書いています(p.xxxi (31))。しかし、多くのAA歴史家たちは、彼は4回入院したと書いており、Pass It On にも4回の記述があります。どうやら「ビルの物語」を書くときにビルが入院を1回省いたか、あるいは彼自身が入院の回数を間違えて憶えていたかです(これはアルコホーリクには良くあることです)。

まもなくぼくは病院に舞い戻った。これで一巻の終わりだ。幕は下りた。ぼくはそう思った。8)

ともあれ、ビルはバーモントから帰ってきた夏にさっそく飲んだくれて2回目の入院をし、さらにすかさず9月に3回目の入院をしました。

いっぽう、疲れきって絶望した妻は宣告を受けていた。8)

このシーンは、「ビルの物語」にも、『成年に達する』にも、Pass It On にも描かれているので、とても重要なことなのでしょう。ビルの3度目の入院中に、ロイスはシルクワース医師にこう尋ねました:

「夫はこれからどうなるのでしょう? 私たちはこれからどうしたらいいのでしょうか?」

これは、大昔からアルコホーリクの妻たちが問うてきたことに違いありません。経験豊富なシルクワース医師にとっても、こうした質問はいつも酷であり、冷徹な事実を伝えるのは辛いことでした。

最初にビルが入院してきたとき、ビルの断酒願望がとても強かったことや、それまでのキャリアから示される知性や意志力の強さからして、ビルが意思の力で断酒ができる例外的な存在になれるかもしれない、とシルクワース医師は期待しました。しかし、その後の経過から、彼の飲酒はすでに強迫観念の域に達しており、克服できないほど深刻であることや、すでに脳損傷の兆候がでているために、飲み続ければビルの精神、あるいは生命は1年ほどしか持たないだろうという宣告を、ロイスに告げました。

『成年に達する』の巻頭には、AAの年表が掲載されています。その先頭の項目は:

1934年夏 ウィリアム・D・シルクワース博士、ビル・Wを絶望的アルコホーリクと宣告10)

となっています。「この人はもう助かりません」という絶望の宣告が、AAの歴史の始まりとして掲げられています。第二章にも、ローランドという名のアルコホーリクが、チューリッヒのユング医師から絶望の宣告を受けたエピソードがあります(p.40)。僕にも冷徹な事実を伝えてくれた主治医がいたからこそ、今の回復があります。ステップ1は希望のメッセージではなく、絶望の伝達なのです。

わき

ですが、現実の医師たちは、この種の宣告をすることを嫌がる傾向が強いのです(BB, p.133)。むしろ、なんとか患者に希望を持たせ、自分の意志の力を使って断酒にチャレンジするように促す場合がほとんどです。第22回第23回で説明したように、シルクワース医師の時代の病気の概念よりも、現代のアルコール依存症のほうがより広い範囲を対象にするようになりましたから、意思の力で酒の量を減らしたりやめたりできる人がそれなりの比率で含まれるようになりました。そのことを踏まえれば、現場の医師たちの対応を単純に非難するわけにもいきません。しかし、真正のアルコホーリクにとっては、絶望だけが現実です。

ビルのステップ1

シルクワース医師の宣告はビルにも伝わりましたが、それはビルにとっては聞かされるまでもない話でした。彼ははp.7では「まだ自分で状況をコントロールできる」と考えていましたが、p.11ではもう「行き止まりの窮地に追いこまれていた」と敗北を認めています。

p.12の次の3行は、ビルが彼のステップ1を表現したものとされています:

 ぼくが自分を哀れんで落ち込んでいたひどい泥沼の中での、その時の孤独と絶望はとても言葉では言い尽くせない。浮砂11)は八方から流れ込み、押しつぶされそうだった。ぼくは闘いの相手の正体をつかんだ。手も足も出なかった。アルコールが、ぼくの支配者だった。12)

アルコールに対して彼は手も足も出ず、真正面から打ち負かされ、完全な敗北を認めました。この当時はまだステップ1の文章は書かれていませんでしたが、この時点でビルは確かにステップ1を終えました。敗北を認めるのは嫌なことです。絶望的な現実を認めることも実に嫌なことです。でも彼はそれを行いました。

いま誰かがこの立場に追い込まれたら、その人はすぐにAAに助けを求めに行くべきです。しかしながら、ビルには訪ねるべきAAがありませんでした。なぜなら彼自身がこのあとでAAを作るのですから、この時点ではまだAAはどこにも存在しなかったからです。せっかくアルコールに対する無力を認めたのに、彼にできることといったら、退院後は自分の力で飲まずにいることだけでした。

 

今回のまとめ
  • 1933年秋、ビル・Wはタウンズ病院に入院し、シルクワース医師から身体のアレルギーと精神の強迫観念について教えられた。これがステップ1の情報がビルに手渡された瞬間だった。
  • ビルは、自分が抱えている問題を知ったことで、自覚(self-knowledge)によってこの問題を解決できると思ってしまった。
  • 人間の心には、正常性バイアスという、自分に都合の悪い情報を無視したり、過小評価する仕組みが備わっていて、アルコホーリクの場合には、その仕組みが病気の現実に対して働いてしまう。
  • ビルは退院後しばらくは飲まずにいたが、再飲酒し、ふたたび入院した。
  • 1934年9月、シルクワース医師はビルの妻ロイスに対し、ビルはもう助からないという絶望の宣告をした。
  • これを聞いたビルは、アルコールに対する完全な敗北を認めた。これがビルのステップ1とされる。

ビルは、3回目の退院後、数週間は飲まずにいました。しかし、11月中旬に強迫観念に襲われて、酒を飲み出してしまいます。次回はビルの最後の再飲酒と、p.1からp.12までの振り返りを行います。


  1. BB, p.10 []
  2. BB, p.10 [] [] [] []
  3. ウィリアム・L・ホワイト(鈴木美保子他訳)『米国アディクション列伝 アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, ジャパンマック, 2007,  p.90 []
  4. PIO, pp.102-104 []
  5. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.7 []
  6. PIO, p.102 []
  7. BB, pp.10-11 []
  8. BB, p.11 [] [] [] []
  9. AA, p.7 []
  10. AACA, p.vii []
  11. 流砂 のこと []
  12. BB, p.12 []