12ステップのスタディ (12) SAの始まり
1970年代後半に、性の共同体が三つ、それぞれ独立に始まりました。前々回はSLAA、前回はSAAを紹介しましたが、三つめの共同体はセックスアホーリクス・アノニマス(Sexaholics Anonymous, SA)です。。
SAの創始については以下のテキストに拠りました:
- SAの基本テキスト『 セクサホーリクス・アノニマス』1)
- ロイ・KによるSA創始前後の記録 Biginnings: Notes on the Origin and Early Growth of SA2)
- ロイ・Kのトリビュートサイト The Roy K. files(roykfiles.com)
(日本のSAでは sexaholic を、セックスアホーリクス、セクサホーリクス、性依存症者と訳し分けている。ここではSAの名称としてはその基本テキストの書名と同じセックスアホーリクス・アノニマスを、嗜癖者としての sexaholic はセクサホーリクと表記する。sexaholism はセクサホリズムとする)
この連載を書くために、いろいろな共同体の創始者のストーリーを読んでいると、それぞれの創始者の性格の違いが見えてきます。性の問題の共同体で言えば、前々回のSLAAの創始者リチャードは人気ミュージシャンであり、若い頃からモテモテの人でした。前回のSAAの創始者は高学歴で明らかに高い能力を備えた人でした。それぞれアディクションに苦しんだのは確かですが、いざ共同体を立ち上げるとなると、その後はスマートに物事をこなしていきました。もちろんその過程には試行錯誤や悩みも当然あったのですが、全般的にはスマートな印象を受けます。
それに比べるとSAの創始者ロイ・K(Roy K, 1927-2009)は、決してスマートとは言えない愚直の人であり、真面目なところが取り柄であると同時に真面目すぎる(融通が利かない)のが短所でもあるというタイプです。そんな彼が作り上げた共同体だからこそ、SAは「ちょっと真面目すぎるんじゃない?」という印象を人々に与えるものになっています。
つまりSAは真面目なところ、言い方を変えれば禁欲的なところが特徴の共同体だと言えます。
ロイのマスターベーション
ロイ・Kは、1927年に生まれました。SLAA・SAA・SAの三つは、いずれも1970年代後半に始まりましたが、SLAAやSAAの創始者は1940年代後半に生まれ、30才過ぎたあたりで共同体を立ち上げたのに対して、この二人より20才ほど年上だったロイがSAを始めた時にはすでに50才を過ぎていました。
彼の両親はアメリカに大量の移民が流れ込んだ20世紀の早い時期にアメリカに渡ってきて、カリフォルニア州ロサンゼルスの郊外で給油所を併設した食料品店を営んでいました。その店で売られていた新聞の日曜版にフラッシュ・ゴードン というコミックが連載されていました。
フラッシュ・ゴードンはスペースオペラ と呼ばれるジャンルのSFです。ジョージ・ルーカス (1944-)はこれを映画化することを望んだものの、映画化権が得らなかったので代わりに『スター・ウォーズ 』(1977-)を作ったというのは有名な話です。ロイはその宇宙冒険活劇を楽しみに読んでいましたが、ある時主人公ゴードンと敵の女王アズーラが抱き合うシーンを目にした時、生まれて初めて性的興奮を感じました。その性的興奮は彼にマスターベーション という現実逃避の手段を与え、すぐに彼はオナニーが与えてくれる恍惚とした忘我の世界を毎日必要とするようになりました。そして、コミックストリップ に描かれた女性をズリネタにするという行為は、やがて彼に 「印刷された女性(picture-women)」への依存をもたらすことになりました。
中学・高校と、女性との付き合いを望みながらも、勇気が無くてチャンスを逃し、マスターベーションの日々が続きました。戦争になり海軍に入った彼は、真剣にマスターベーションをやめようと決心しましたが、完全にやめることはできませんでした。除隊後の彼は、働きながら大学へ進学しました。ある日、仕事の帰りに雑誌スタンドで女性の写真が満載された雑誌を見つけました。それがきっかけで、彼はポルノ写真が載った雑誌を手元に置くようになりました。彼はそれを「アルコホーリクが酒を手元に置いておくと安心するのと同じだ」と表現しています。彼のセックスはごく初期の段階から画像と結びつけられていました。
だがすぐに彼は、ポルノ写真を「もっと」欲しくなり、もっと手に入れなければならなくなりました。性的欲望を満たすためには、さらに刺激的で扇情的な写真を必要とするようになりました。時に彼はそうした雑誌をすべて引き裂いて捨ててみたのですが、いつもすぐに再び集め始めることになりました。ロイは、そのように自分を駆動する内的な欲望を lust(ラスト)と呼んでおり、SAの日本語テキストでは性的渇望と訳しています。3) lust はその人の性的ファンタジーの原動力であり、時にその人の現実の行動を支配します。
ロイは、戦後のポルノ雑誌 の隆盛が、彼の lust を煽ったと考えています。ポルノ写真を見続けていると、次第にそのその刺激に耐性ができてしまい物足りなくなります。そこで彼がさらに刺激的な写真を求めると、必ずその欲求を満たすだけのものが見つかり、彼を次の段階へと進ませるのでした。
マスターベーションから買春癖へ
そんな時に地元の神父に女性を紹介され、ろくに交際もせずにその女性と結婚し、生れて初めてセックスを経験しました。セックスはマスターベーションよりも、はるかに、はるかに良かったものの、彼の lust は妻とのセックスでは満たされず、しばらくこらえていたマスターベーションを再開せざるを得ませんでした。それだけでなく、結婚が一人の女性に束縛されることだと気がついた彼は、他の女性とのセックスを求めるようになりました。それを彼は「一枚のポルノ写真では満たされないように、一人の女性では満たされない」と表現しています。
若い彼は不倫を経験した後に、売春婦を買うようになりました。それはポルノ写真同様にやめられない習慣になりました。一方で彼は神学を学び、地元の教会を手伝いながら人々に「正しい行い」を説いており、表裏のギャップは拡大していました。やがて彼はその乖離に耐えられなくなり、妻と三人の子供も、神学校も、司祭になる夢も放り出してしまいました。
責任から解放されたことで、彼の性問題はより深刻化しました。彼は自分の問題は良いパートナーや良い仕事、つまり良い環境がないからだと結論づけました。幸運なことに彼は再婚することでそのすべてを手に入れました。そして、ポルノ写真やポルノ映画をすべて処分する儀式を行いましたが、すぐにマスターベーションも買春も元の状態に戻ってしまいました。彼の病状は進行し、ついにはスーパーマーケットの雑誌棚で、女性のヌード写真の表紙を見ただけで、我慢できずに売春婦を探しに出かけるようになってしまいました。
AAとの出会い
1974年4月20日、ロイの家の郵便受けに『タイム』という雑誌が届きました。それに掲載された記事がAAのことを紹介していました。それを読んで、ロイは彼の性的な強迫観念(sexual obsession)がアルコホリズムと同じだと考えました。そして、AAの原理の一つが「他者に回復のメッセージを運ぶこと」だと知って、日記に「神よ、私が助けるべき相手を見つけるのを助けてください」と書きました。
4日後、彼は初めてシミバレー のAAミーティングに参加し、酒に溺れた人たちの回復プログラムが、セックスに溺れた自分にも効果があるはずだと考えました。AAメンバーになるために酒をやめ、それと同時に精神安定剤と性行動もやめました。彼はそれを性的なソーバー(sexual sober)と呼びました。しかし彼の性的なソブラエティは1年半続いたところで途絶えてしまい、3ヶ月間買春に明け暮れました。
翌年、ふたたびAAに行き、今度はスポンサーも得てソーバーになった彼は、教会の一室で、一人の売春婦とその弟を相手に lust を克服するためのミーティングを開きました。しかし、その後その二人は顔を出さず、このミーティングは続きませんでした。AAのパシフィックグループという大きなグループで若い男性がスピーカーとして性の問題を話したと聞いて、なぜ自分にはそうした機会が与えられないんだと悶々としたこともありました。2年後にはロサンゼルス・タイムス 紙に「不倫(adultery)をやめたいのにやめられない人へ」という広告を出して、20本ほどの電話を受けましたが、自分には相手に提案できるミーティングもプログラムもないことに気づかされただけでした。・・このあたり、やっていることのちぐはぐっぷりが、ロイという人物を表している気がします。
SAの始まり
1978年1月21日、ロイは他の3人のAAメンバーと一緒に lust と性嗜癖(sex addiction)のためのミーティングを開きました。これはSAではなくAAの特別ミーティングで、参加者も複数あり、新しい共同体の可能性を感じさせましたが、次第に人が来なくなって続きませんでした。ロイはAAのGSOに手紙を書いて、12のステップと12の伝統を不倫の問題に使うのはあなたの自由であるという返事を得ました。
そして1979年1月、ロイはAAスポンサーのスポンサーであるチャック・C(Chuck C.)4)という人物にSAを始める相談を持ちかけました。チャックはSAというアイデアに最初は反対していましたが、話を聞くうちに意見を変え、やがてロイに(もう一人の仲間ができるの待たずに)彼一人だけでもSAを始めるように背中を押しました。
こうして1979年2月4日、事前に新聞に広告を載せた上で、最初のSAミーティングがハリウッド の教会で開かれました。このミーティングは場所を移しつつ翌年初めまでに20回ほど開かれ、様々な人が訪れましたが、誰も来ない回が続くようになったので、ロイはSAを閉じてAAに戻ることにしました。ロイの初期の奮闘を記録したSAの文献 Biginnings: Notes on the Origin and Early Growth of SA には、ミーティングの各回の参加者の数や動静が書かれていますが、それによれば、ミーティングに現れて私たちと一緒にやろうと誘う人たちがいたものの、ロイは自分のやり方にこだわり、一人で続けることになりました。
しかしながら、もし彼が他の人と協働することを優先させていたならば、SAは現在のようにはなっていなかったでしょう。僕はロイとは違う性格の人間なので、このようなエピソードを読むと「もっと器用にやれば良いのに」と思ってしまうのですが、彼を誘った人たちの共同体はその後消滅してしまい、ロイのSAが残ったのですから、ロイの考えが正しかったのでありましょう。
SAミーティングを失ったロイはAAに戻って活動を続け、性問題を抱える何人かのアルコホーリクを性的なソーバーに導きました。
転機が訪れたのは1981年でした。ロイは5月8日付けのロサンゼルス・タイムス紙に掲載された Dear Abby という人生相談のコーナーに、Weak in Illinois(意志の弱いイリノイ在住)という筆名の女性が「自分のような強迫的不倫者のために、不倫者アノニマスがあったらいいのに」と書いているのを偶然見つけました。そこでこの女性にメッセージを運ばなくてはと考え、Dear Abby 宛てに返信を書き、それがその後の Dear Abby に掲載されました。このコラムは多くの新聞に掲載されているため、ロイの返信に対して3,000通もの問い合わせがありました。だが、それだけ多くの問い合わせがあったにもかかわらず、SAのメッセージが「刺さった」のはほんの一握りの人たちだけでした。
SAのミーティングすらない状態ではありましたが、回復のメッセージが伝えられたことには意味がありました。二ヵ月後の7月には各地からSAのプログラムに沿って生き始めたメンバーたちがカリフォルニア州シミバレーに集まって、SAの第1回の全国大会が開かれました。その参加者のほとんどは自分のところにSAグループがない状態で、この大会で初めてSAミーティングを経験する人ばかりでした。このようにして、SAは各地に散らばったローンナーが活動することで、全国に広がっていきました。ロイも1981年の夏にはSAミーティングを再開させました。
1984年にはロイを中心としてSAの最初の文献作りが始まり、1989年に基本テキストである『セクサホーリクス・アノニマス』(通称ホワイトブック)が出版されました。SAの12のステップは以下のようになっています:
- 私たちば性的渇望(lust)に対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
- 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
- 私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。
- 恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。
- 神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。
- こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
- 私たちの短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に求めた。
- 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
- その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。
- 自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
- 祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
- これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージを性依存症者(sexaholics)に伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。5)
SAにおける性的ソブラエティ
SAにおけるセクサホリズムの疾病概念の説明より先に、SAにおける性的ソブラエティ(sexual sobriety, 性的しらふ)の定義の話から始めましょう。
まずSAはマスターベーション(オナニー)を「自分とのセックス(sex with self)」と呼んでセックスに含めています。
結婚しているセクサホーリクにとっての性的なソーバーとは、自分も含め配偶者以外とは、どのようなかたちでも性的行為を行わないことです。つまりマスターベーションも含め、配偶者以外との性的行為は慎まなければなりません。さらにSAにおける配偶者の定義は、男女の結婚相手を指します。6) 7) 8) 9)
従って、結婚しているメンバーは、単に浮気や売買春などをやめるだけでなく、マスターベーションもやめなければなりません。また、独身のメンバーはいかなる性的行為もやめなければなりません。さらに、配偶者が男女の結婚相手に限られるということは、同性愛の人々にはパートナーとセックスする道はないことになります(当然それは、同性愛者たちの反発と分離を招くことになりますが、それについては次回で扱います)。
SLAAやSAAは、OAにならって「プラン」タイプの基準を採用しましたから、マスターベーションや同性とのセックスがやめるべき行為(ボトムライン行動や内側の円)に含まれるかどうかは個人のプランの内容によります。もちろんそれは、その行為がトリガーとなってコントロール喪失を招くかどうかで判断するので、その人の自由意志で選べるわけではありませんが、少なくとも一律な基準を設けてはいません。それに対してSAは、全員に一律の禁欲的な基準を適用する方針を採用しています。これがSAの最も大きな特徴だと言えます。
SAの疾病概念
これまで見てきたNA・OA・SLAA・SAAは、いずれも compulsion-obsession モデルを採用しています。これはAAがアルコホリズムの疾病概念を渇望と強迫観念の組み合わせとして表現したのを転用したものです。[BBS#12,#14,#15,#16](compulsion-obsession モデルについてはステップ1で説明します)
SAはセクサホリズムを嗜癖だとしていますが、compulsion-obsession モデルは採用していません。上述のように、SAがセクサホリズムの中核だと見なしているのは lust(性的渇望・ラスト) という概念です。
lust には強迫観念とアレルギー反応が含まれる
SAの基本テキストでは、セクサホリズムを強迫的過食と対比させて説明しています。強迫的過食が単なる食べ物の問題ではないように、セクサホリズムの問題も単なるセックスの問題ではないというのです。食べることもセックスも、人間が生まれながらにして持っている機能である以上、「どちらのアディクションにおいても、真の問題は私たちが lust と呼ぶもの――自然の本能に対して不自然な欲求に奉仕するよう要求する態度である、と思われるのである」10)と述べています。
ここで態度(attitude)とは心の姿勢のことですから、lust は精神の中にあることがわかります。さらに、前の段落に「lust とは、セクサホリズムの肉体的側面と霊的な側面の橋渡しをする概念だ」とあることからも、lust が精神的問題であることがわかります。11)
また、セクサホーリクは lust を食い止められなくなっていることや、ソブラエティのためには lust に対する勝利が必要だとしていることから12)、lust はSA以外の共同体が用いている強迫観念(obsession)に近い概念であることがわかります。
それだけではなく、次のページでは、コントロールの喪失をアレルギーの概念を使って説明していることから lust はアレルギー反応(つまりcompulsion)の概念も含んでいることがわかります。SAの lust の概念を分かりにくくさせているのは obsession と compulsion が分離されずに一つの概念にまとめられているからだと言えます。
lustには欲望も含まれる
さらに lust に特徴的なのは、その言葉 lust の持つ意味です。日本のSAではそれを性的渇望と訳していますが、強い欲望という意味を持っています。13) ロイのストーリーでは lust という言葉を、彼の性的ファンタジーを含めた欲望に対して使っています。
酒をやめたばかりのアルコホーリクには「飲みたい」という強い気持ちがしばしば生じ、それを飲酒欲求と呼ぶ人たちがいます。コカインのアディクトも再び薬を使いたいという強い欲求が生じ、それをクレイビングと呼びます。そのような再び嗜癖行動に戻りたいという強い欲求は、どのアディクションにも存在し、本人にとってはとても悩ましいものです。12ステップの共同体は、そうした欲求に対する現実的な対応策を伝授はしますが(ミーティングに行けとか、誰かに電話しろとか、睡眠を十分取れとか)、その欲求・欲望を病気の本質的な部分だとはみなしておらず、単なる症状の一つ(すなわち結果)として扱っています。
しかるにSAの lust の概念はこの欲求・欲望というものを含み、それに対する勝利が回復のためには必要だとしています。欲望もアディクションの本質に含めたところが、SAの疾病概念の特徴的なところです。
欲望を手放すことを前提とした疾病概念
なぜそのよう概念に至ったのかは、ロイの回復のストーリーを読めばわかります。彼はポルノグラフィを使ったマスターベーションに耽溺し、そのための写真や映画を集めていました。そして、自慰をやめるという決意でそれらを全部処分しては、また集め出すということを繰り返していました。彼はそれを「マスターベーションをやめると死ぬのではないか」という恐れがあったからだと説明していますが、それは欲望を手放してしまったら生きる意味が失われるという恐れ、つまり lust を失う恐れでもありました。
彼はAAにつながった後で、マスターベーションもやめるという完全な性的離脱を行い、その後に妻とのセックスを再開しました。lust を伴わないセックスでも精神的充足が得られることに驚いたものの、やがて彼は妻とのセックスの最中でも、絶頂に達するためにはかつて見たポルノ写真の記憶を頭の中で呼び起こす必要があることに気づきました。それによって、自分は単に性的な逸脱行動をやめただけであり、相変わらず lust を求め続けていることに気づかされました。lust を求めているがゆえに、ニュース雑誌を手に取って、露出の多い写真を見ていた時に、突然「スイッチが入って」売春婦を求めに行ってしまい、そのまま三ヶ月間買春に耽るということが起きた(前述のAAにつながってからのスリップ)、と彼は解釈しました。
そのようなロイの経験から、セクサホリズムは lust によってもたらされる病気であるものの、セクサホーリク自身も lust を求めており、回復するためにはそれをやめなければならないという考えに至ったものと思われます。
基本テキストにはこうあります:
この嗜癖は単なる物質や身体的活動に対するものではなく、lustに対してのものである。lust――その態度そのもの――がこの嗜癖の支配的な要因となっているのだ。14)
このように見てくると、回復するためにはマスターベーションをやめなければならなかった、というロイの経験がまず先にあり、さらに彼のマスターベーションが性的欲望(lust)そのものへの希求の結果であるという理解から、欲望そのものを求める態度を取り込んだSAの疾病概念ができあがったものと思われます。(SA以外では欲求は病気の症状に過ぎないが、SAでは欲求が病気の中核だということ)
またそのことから、SAの性的ソブラエティの基準と、欲望を含んだ疾病概念とは密接に関連しており、片方だけを変えるわけにはいかない、という事情も見えてきます。
SAと政治・宗教的信条
性行為を男女の配偶者間に限るというSAのソブラエティの定義を変更しようという議論はたびたびあったようですが、ロイ・Kは常にそれに対して明確に反対を続けました。
彼が意図していたことかどうかは分りませんが、このソブラエティの概念は、宗教右派 にとっては歓迎できるものでしょう。旧約聖書の創世記 にオナン という人物が登場します。オナンの兄は罪を犯して処刑されてしまいました。兄にはタマルという妻がいましたが、ユダヤ法 では子供がなければ未亡人は他の人と再婚できず、夫の兄弟が彼女を妊娠させなければなりません。オナンは父の命令でタマルと交わりますが、できた子供が自分の相続人にならないことを不満に思って、「精を地に漏らして」しまいました。そのことが神の意に背くとして、オナンは神によって処刑されてしまいました。(創世記38:6-10)
これにより避妊は神意に背くと解釈されることになり、現在でも宗教右派が妊娠中絶 に反対する理由の一つになっています。オナンのやったことは実際には膣外射精 だったのですが、その後オナンの罪はマスターベーションのことを指すようになり、自慰は罪だとされる時代が長く続きました。
もとより宗教的には姦通 は罪ですが、それだけでなくマスターベーションも罪だと考える宗教右派の人たちにとっては、SAのソブラエティの概念は自らの宗教的信条と親和性があるはずです。実際にSAは宗教右派が多いアメリカ南部で盛んです。また旧約聖書にも新約聖書にも同性愛を禁じる記述があることから、宗教右派は同性愛に対して一貫して批判的です。SAが同性愛者のパートナーとのセックスをソブラエティに含めることを否定してるのも、このような宗教的信条と無縁ではないはずです。
また、そのような政治・宗教的信条と関係あるかどうかはともかく、世の中には「同性愛行為をやめたい」と願う人たちがいて、その願望がSA以外の性問題の共同体では批判や嘲笑の対象とされてしまうため、SAが同性愛からの回復を願う人たちにとっての安全な回復の場所となっている、という側面もあります(ダブルクローズドミーティングが行われている)。15)
SAの現在
このようにSAは、性問題の他の共同体とは違った疾病概念や回復の基準を採用しています。SAが存続を続けているということは、SAを必要とする人たちがいることを意味しますから、この違いの善悪を論じることはできません。誰もSAに参加することを強制されることはなく、嫌なら他にいけば良いだけなのですから。
実際にSAはメンバーシップの要件を:
The only requirement for SA membership is a desire to stop lusting and become sexually sober according to the SA sobriety definition.6)
SAのメンバーになるために必要なことはただ一つ、性的な渇望をやめ、SAのソブラエティの定義にしたがって性的にしらふになりたいという願いだけである。(拙訳)
として、メンバーになるためにはSAのソブラエティの定義を受け入れる必要があると主張しています。この「SAのソブラエティの定義にしたがって」の部分は「目的」の声明にはありませんでしたが、2016年に Sexaholics Anonymous Statement of Principle という声明として追加されました。16)
SAは多くの国に広がりました。SAは基本的にはクローズドのミーティングだけを行っています。また、ミーティングリストを見る限りでは、男女で分けてミーティングをやっている様子がないところが、SLAAやSAAと違っています。配偶者ではない相手とのセックスがスリップとなるのであれば、男女混合でミーティングを行うことのデメリットも少ないのかも知れません。
日本のSAがウェブサイトを設け、『心の家路』からリンクを張ったのが2004年のことでした。そこには、日本のSAは1992年6月11日に東京で英語グループが、そして1994年3月5日に同じく東京で日本語グループがスタートしたとありました。2004年の時点では、英語グループが東京・大阪・福岡に、日本語グループが東京・大阪・沖縄にありました。現在では日本国内で20グループほどが活動しているようです。
SLAAやSAAに比べればやや小ぶりな共同体であり、その疾病概念や回復の基準が独特なSAが、なぜ日本では最も早くから始まり、最もグループ数が多い共同体になったのか、その理由については僕は何も知りません。
SAの厳格な姿勢は、当然のことながら同性愛や性の多様性を求める人たちの反発を招き、SAの分派を作り出しました。次回はセクシュアル・コンパルシブズ・アノニマス(SCA)とセクシュアル・リカバリー・アノニマス(SRA)を取り上げます。
- SA, SA, SA Literature, 2014.[↩]
- SA, Biginnings: Notes on the Origin and Early Growth of SA, SA Literature, 2003.[↩]
- (おそらく意図せずに)いろんな言葉に訳されているのだが、性的渇望という訳語が最も目立つ。[↩]
- おそらく Charles Axiom Chamberlain (1902-1984) のことであろう。チャックは1946年1月にAAでソーバーになり、A New Pair of Glasses(1984)という有名な著作を残した。[↩]
- SA, p.6 — as we understood Him はイタリックになっておらず、日本語でも強調表示しない。[↩]
- SA, How We Define Sobriety (sa.org), Sexaholics Anonymous Inc.[↩][↩]
- SA Japan, 「性依存症者にとっての性的なしらふとは」 (sa-japan.org), SA Japan, 2023.[↩]
- SA, pp. 3-4, 191-193.[↩]
- 英語版 Wikipedia によれば、SAが配偶者を「男女の結婚相手」であると明確化を行ったのは1999年のことで、この決議をクリーブランド明確化(Cleveland Clarification)と呼ぶ。[↩]
- SA, p.40 ― the real problem in both of these addictions seems to be what we call lust—an attitude demanding that a natural instinct serve unnatural desires「摂食障害と性依存症双方に共通する本当の問題は、渇望と呼ばれているものに原因があると考えられる。ここでいう渇望とは、自然本能が導き出す不自然な欲望を煽る気持ちのことだ」と訳されている。[↩]
- loc. cit. — for it is this concept that serves as a bridge between the physical and the spiritual aspects of our sexaholism.「渇望は性依存症という嗜癖において、身体的な状態と霊的な状態との間の橋渡しをする概念だからだ」と訳されている。[↩]
- SA, p.202.[↩]
- Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2024.[↩]
- SA, p.40 — The addiction is thus to lust and not merely to the substance or physical act. Lust—the attitude itself–becomes the controlling factor in the addiction. 「だから嗜癖とは、単なる身体的な活動や物質に関する問題でなく、渇望を原因としている。つまり渇望を繰り返す気持ちそのものが、嗜癖をコントロールする要素になっている」と訳されている。[↩]
- Same-Sex Lust Recovery in Sexaholics Anonymous (samerecovery.com).[↩]
- SA, Sexaholics Anonymous Statement of Principle (sa.org), SA Sexaholics Anonymous Inc.[↩]
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