12ステップのスタディ (22) AAのステップ1 (1) 身体的渇望
イベントの紹介から始めます。まず11月3日に『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』を学ぶ」の第五回を行います。扱う時期は1941年から55年で、12の伝統やサービス機構の成立といった出来事や、AAそのものが持つ限界や不完全性の受容を通じてAA共同体が成熟していく様子を追います。オンラインですのでお気軽にご参加ください。
もう一つは12月14~15日に愛知県犬山市で、一泊二日のビッグブックスタディが行なわれます。土曜日の13時から日曜の16時までという、週末開催型のスタディでは最長の時間で行われる12ステップ強化合宿(笑)です。申込みは11月20日までですのでお忘れのないようにお願いします。
スタディの仲間たちのブログ紹介の第2弾は、今年の3月からスタディガイド・ミーティングを引き継いでくださったぺーさんです。いくつかエントリを紹介します:
Amazonのアフィリエイトの入金が7月に655円、8月に817円、10月に669円ありました(合計2,141円)。支出としては ieji.org のドメイン使用料2,893円を支払いました。前回繰越金2,878円+2,141円-2,893円=2,126円を繰り越します。
さて今回からAAのステップ1の説明に入ります。AAの12のステップの説明に使うテキストは、もちろんビッグブックです。文中の(p.xx)という表記は、参照するビッグブックのページ番号を示します。
ビッグブックを書いた人たちと同じことをするのが12ステップ
AAのステップ1は
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。1)
となっています。
ステップ1の前半ではアルコールに対する無力を認め、後半では思い通りに生きていけなくなっていることを認めます。ビッグブックは、アルコホリズムから回復したAAの初期メンバーたちが、彼らが回復するために行った方法を読者に伝えることを目的としています(p.xvii)。彼らが「やったこと」が書かれているので、12ステップは過去形で書かれているのです(p.85)。
だから私たちが12ステップによる回復を手にしたければ、ビッグブックを読んで彼らと同じことをすれば良いのです。ステップ1の前半はアルコールに対する無力を認めたと述べていますから、私たちもアルコールに対する無力を認めれば良いことがわかります。しかし、「アルコールに対する無力」とはいったいどんな意味なのでしょうか? それが分らなければ認めることはできません。一番ダメなのは、ここで無力という言葉の意味を自分で考え始めてしまうことです。無力について考え、思いついたことをAAミーティングで分かち合ってみても、ちっとも無力を認めたことにはなりません。
ビッグブックは、なぜアルコホーリクがアルコールに対して無力なのかを説明しています。その説明を読んで、「ここに書かれていることは私にも当てはまる」と考えたならば、あなたはアルコールに対する無力を認めたことになります。「私には当てはまらない。私はこの人たちとは違う」と考えたのならば、認めたことにはなりません。とてもシンプルです。
病気である = 健康な人とは違いがある
ところで、アルコホリズムは病気です。医学的には、生体の正常な状態を健康として、異常な状態を病気 だとしています。この定義では正常とはなにかという問題は残りますが、ともあれ病気であるとは、健康な状態との違いあるいは変化が起きていることを意味します。例えば風邪をひくと、体温が上がり、鼻水や咳が出ます。これが病気の状態です。
しかし、風邪が治れば、熱が下がり、鼻水や咳がおさまって健康(正常)に戻ります。風邪を引くことによって変化が起きますが、治癒することで元に戻ります。このように正常→異常→正常という変化を辿り、元に戻れることを可逆 と呼びます。
不可逆な変化
ところが、病気によっては完全に元に戻らず後遺症 が残るものもあります。あるいは治療法が確立されておらず進行を遅らせることしかできないパーキンソン病のような病気もありますし、うつ病のように治る場合と治らない場合がある病気もあります。このように元に戻れないことを不可逆と呼びます。
ステップ1の「無力を認める(admit powerless over …)」とは、自分の身に不可逆な変化が起きてしまったことを認めることを意味します。その変化を元に戻すことはできません。ビッグブックでは、アルコホーリクの身に起きた変化は不可逆であることを繰り返し説明しています。「医師の意見」では、書簡の主であるシルクワース医師が「根治できる治療法はない」と述べていますし(p.xxxviii)、第三章ではアルコホーリクを「足をなくした人間」にたとえたり(p.46)、「一度アルコホーリクになったら一生アルコホーリクなのだ」と明言しています(p.49)。
つまり12ステップは、「治らない病気を抱えた人間がどう生きていくか」を教えてくれるプログラムなのです。このコンセプトは、AAの12ステップだけでなく、NAやOAやSAなどにも受け継がれ、さらに共依存の問題を扱うアダルトチルドレン(AC)の12ステップにも及んでいます(つまりACも一生ACのままなのです)。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー 』で主役を演じたマイケル・J・フォックス (1961-)は、30才の時にパーキンソン病 と診断されました。この病気は脳神経の変性によって次第に動作が障害されていき、最終的には日常生活すべてに介助を必要とするようになります。有効な治療法は確立されておらず、進行を遅らせることしかできません。彼は自分のこの病気を受け入れられずに酒に溺れ、気がつくとアルコホーリクになっていました。だがやがて酒をやめ、1998年にパーキンソン病であることを公表して、出演していた人気テレビ番組を降板しました。2002年に出版した自伝 Lucky Man(日本語訳『ラッキーマン』2))では、彼がどのように酒をやめ、パーキンソン病を受け入れていったかを綴っています。3)
アルコホリズムの場合には、断酒を続けることができれば、通常とあまり変わらない生活を送ることができます。しかし断酒の実現は一般の人が思っているよりはるかに困難で、しかもしばしば再発が起こります。アルコホリズムも十分に難病であると言えるでしょう。
アルコホリズムは酒を飲みすぎる病気
ビッグブックは、アルコホリズムは「飲酒のコントロールを失う病気」だと繰り返し述べています。(e.g. p.32, 36, 45) このコントロール喪失には二つの要素があり、一つは本人が断酒を続けたいと望んでいるのに酒を飲んでしまうことで、これについては次回扱います。もう一つは、いったん飲み始めると飲み過ぎてしまうことです。
言い換えるならば、アルコホリズムは「酒を飲みすぎる」病気なのです。どこまでが適度な飲酒量で、どこからが飲み過ぎなのかという議論はここでは避けますが、飲み過ぎなければ「飲酒に問題がある」とは言われないのですから、飲み過ぎであるのは明らかです。
飲み過ぎることによってアルコホリズムという病気になるのではなく、アルコホリズムという病気はそもそも飲み過ぎる病気なのです。
ではなぜアルコホーリクは酒を飲みすぎてしまうのでしょうか?
「病気になった原因」と「病気そのもの」の違い
ここで多くのアルコホーリクは勘違いをします。それは、自分がアルコホリズムという病気になった原因を探ろうとしてしまうのです。酒を飲む量が増え始めた時期に、自分の身や周囲に起きていた事象のなかにその原因を求めようとします。例えば、仕事で強いストレスを受けていたからとか、家族の死などの辛い現実から逃れるためにとか、あるいは不眠を解消して寝るために・・・などなどの理由で酒を飲みすぎたのが、自分がアルコホリズムになった原因だったと捉えるのです。前回紹介した自己治療仮説も、病気になった原因を説明しようとするものです。
自分が現在置かれている苦境の原因を探り当て、その原因を取り除けば、この苦境から脱出できると考えるのは人としてごく自然な思考なのかもしれません。
実際にはアルコホリズムになった原因は特定できません。アルコホリズムは複数の要因が複雑に絡み合って起きる病気であり、一つの原因に絞り込むことはできないのです。例えば、自己治療として覚醒剤を使う人が全員ヤク中になるわけではありません。必ず他の要因が絡んでいるのです。(cf. BBS#53)
ですから、「なぜ飲み過ぎるのか?」という問いは、病気になった原因を尋ねているのではありません(なぜならそれは特定できないから)。問われているのは「なぜ適量でやめられないのか?」です。過去に酒をたくさん飲むようになった理由ではなく、現在適量でやめられない理由を問うているのです。
人体に備わっているブレーキ機構
酒を飲むと人は心地好さを感じますが、飲み過ぎは体に良くないことは誰でも知っています。飲み過ぎて気分が悪くなった経験を持つ人は多いでしょうし、急性アルコール中毒 は生命に関わる中毒症状です。毒に中ると書くことから分るように、アルコールは人体に有害な物質です。ですから、人間にはアルコールの摂取にブレーキをかける仕組みがもとから備わっています。飲み過ぎで気分が悪くなるのも、飲み過ぎを防ぐ人体の自然な反応なのです。
そもそもほとんどの人は、酒を一杯か二杯飲んだら満足します。満足しているのですから、それ以上の酒を飲もうとはしません。彼らは意志の力によって酒の量を自制しているのではなく、意志の力を使わなくても自然に自制できるのです。
ブレーキ機構を凌駕する身体的渇望
しかしアルコホーリクの場合にはそうはなりません。アルコホーリクが酒を飲むと「もっと酒を飲みたい」という非常に強い欲求が生じてきて、アルコホーリクはその欲求に抗えずに次の酒を飲んでしまいます。この「酒を飲んだ後で起きてくる欲求」をビッグブックでは身体的渇望(physical craving)と呼んでいます(p.xxxv4))。
なぜ身体的と呼ぶのかというと、この欲求は空腹時に何か食べたいという欲求や、尿が溜まったときに排尿したいという欲求と同じような生理的な欲求として感じられるからです。極端なことを言えば、「次の酒を飲まないと死んでしまいそうに感じる」のです。だからアルコホリズムが進行した人たちからは、次の酒を手に入れるために滑稽なほどの努力をした経験が語られるのです。彼らが生活必需品よりも酒に金を費やしてしまい、退廃した生活を送ることになるのも、この身体的渇望ゆえです。
この身体的渇望の有無が、単なる酒好きで飲みすぎる人たちとアルコホーリクを分別するポイントです。ビッグブックでは「医師の意見」と第二章の31~34ページで、この身体的渇望が生じるゆえにアルコホーリクが酒の量をコントロールできなくなると説明しています(pp. xxxv, xxxviii, 31-33)。これは前回紹介したオブセッション+コンパルジョンという概念のうちコンパルジョンにあたります。
つまり人体には酒の飲み過ぎを防ぐための仕組みが備わっているのに、アルコホリズムという病気になると、そのブレーキ機構を簡単に凌駕してしまうほど強い「もっと」飲みたいという渇望が生じるために、アルコホーリクは酒を飲みすぎてしまうのです。
この身体的渇望の有無は本人にしかわかりません。「お腹空いてそう」とか「おしっこしたそう」という生理的欲求を外から観察することができるように、「酒が飲みたそう」かどうかも観察すればわかることもあります。しかし、次の酒を飲みたい欲求が身体的渇望なのか、それとも別の精神的な理由によるのかは、本人にしか判別できません。
ステップ1は、「あなたが酒を適量でやめられないのは、酒を飲むと身体的渇望が生じるからか?」を問うているのです。つまりコンパルジョンの有無です。
身体的渇望は不可逆的な変化の結果である
シルクワース医師は「医師の意見」のなかで、身体的渇望を根治する方法はないと述べています(p.xxxviii)。アルコホーリクを正常に飲めるようにする治療薬の開発は現在でも続けられていますが、十分に効果的な薬はまだできていません。
またビッグブックの第三章では、この変化は不可逆であり、失ったコントロールを取り戻すことはできないと明言しています。酒を飲むと身体的渇望が起きるという変化を元に戻せれば良いのですが、まだその方法は見つかっていません。この変化は不可逆だと見なすほかないのが現状です。
アルコホーリクは、なんとか酒の量をコントロールしようと努力します(その裏には、自分は普通の人と変わらないはずだという信念があります)。しかしコントロールの失敗が積み重なってくると、自分はなぜ酒量をコントロールできないのかという疑問を持つようになります。身体的渇望という概念はその疑問に答えを与えてくれると同時に、自分の身に起きた変化が不可逆であることを教え、酒をやめるしか選択肢がないことを伝えてくれます。
アメリカのAAでは、この不可逆性を「あなたはかつてキュウリだったが、もうピクルスになってしまったのだ(キュウリには戻れない)」と表現しています。それを日本の断酒会では「タクアンは大根に戻れない」と訳しています。酒を適度に楽しむということは、もう二度とできないのだ、という覚悟をもたらしてくれるのが、この身体的渇望という概念なのです。
飲みたくない酒を飲まされている

アルコホリズムは進行性の病気なので、その初期にアルコホーリクが多く酒を飲んだのは別の理由があったのかも知れません。しかし、病気が進行していくにつれて身体的渇望は強度を増し、アルコホーリクはそれに抗うことが難しくなり、しまいには抗うことは事実上不可能になります。つまりアルコホーリクは病気によって飲みたくない酒を飲むことを強制されるのです。身体的渇望はAA以外の共同体ではコンパルジョン(強迫行為)と呼ばれています。コンパルジョンには侵入性(intrusiveness)という、本人の意志に反して行為を無理強いする性質があります。だから自分の意志によって身体的渇望やコンパルジョンを克服することはできません。
アルコホーリクは自分で酒を入手し、自分で飲むのですから、そこに自分の意志が介在しているのは確かです。しかしその意志が病気による影響を受けて、本人が望んでいないことを行わせている、ということをシルクワース医師は発見してくれたのです。そう言われてみると、アルコホーリクたちは「自分で飲んだのは確かだが、あんなに大量に飲みたかったわけではない」ことを認めるようになります。
そして、身体的渇望にせよコンパルジョンにせよ、それは過去にあった問題でもなければ自分の外部の問題でもなく、現在自分の中にある問題なのです。ステップ1はそこに目を向けるように求めています。
AA以外の12ステップでも、ステップ1は何らかの病気を抱えていることを認めるようになっています。その病気の概念は必ずしも医学的な疾患とは限りません(第15回)。そして、その病気が本当は自分のしたくないことを強制してきて、自分はそれに抗えていない、という現実に直面するようになっています。しかもしれは、自分が不利益を被り、他者を傷つける行為なのです。さらには、自分の身には不可逆な変化が起きていて、少なくとも変化の一部は元には戻せないという不都合な現実も示してきます。これらは、共依存(AC)や家族の共同体を含む、あらゆる12ステップに共通している基本構造の一つなのです。
問題は身体的渇望だけではない
身体的渇望がアルコホーリクに酒を飲むことを強制するにしても、身体的渇望は体内に入ったアルコールが引き起こすのですから、そもそも酒を飲まなければ渇望も起きてきません(最初の一杯を飲まなければ飲みすぎることはありません)。
だから、シルクワース医師の言うように、
唯一の解決法は、まったく飲まないこと(entire abstinence=完全断酒)しかない5)
ということになります。しかし、先に述べたように、断酒の実現は一般の人が思っているよりはるかに困難で、しばしば再発が起こります。ではなぜアルコホーリクは最初の一杯を飲んでしまうのでしょうか? それは、アルコホーリクには身体的な変化だけでなく、精神にも変化が生じているからだ、とビッグブックは説明しています。それがもたらす強迫観念(オブセッション)が、アルコホーリクが再飲酒をしてしまう理由なのです。次回は強迫観念を扱います。
- 12ステップによる回復を手にしたければ、ビッグブックを読んで彼らと同じことをすれば良い
- ステップ1は「アルコールに対する無力」を認めることを要求している
- 病気とは、健康な状態との違い(変化)が起きていること
- アルコホリズムの場合、その変化は不可逆であり元には戻らない
- アルコホリズムは酒を飲みすぎる病気
- 人間には酒を飲みすぎないためのブレーキ機能が備わっている
- アルコホーリクが酒を飲むと、このブレーキ機構を凌駕する身体的渇望が起きてきて、酒量をコントロールすることができなくなる
- 身体的渇望は不可逆な変化の結果であり、アルコホーリクを正常な酒飲みに戻す方法はない
- 身体的渇望という概念は、酒をやめるしか選択肢がないことを教えてくれる
- 問題は過去にあるのでも、外部にあるのでもなく、現在の自分の中にある
- BB, p.85.[↩]
- マイケル・J・フォックス(入江真佐子訳)『ラッキーマン』, ソフトバンククリエイティブ, 2005.[↩]
- Patrick Ryan, “Michael J. Fox says he became an alcoholic, hid Parkinson’s diagnosis: ‘There’s no way out'”, USA TODAY (usatoday.com), USA TODAY, 2023 — 彼はこのインタビューで30年以上酒を飲んでいないと述べている。[↩]
- ただし、現在のビッグブックの翻訳はp.xxxvの physical craving を肉体的な欲求と訳してしまっている。[↩]
- BB, p.xxxviii.[↩]
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