ビッグブックのスタディ あとがき

Amazonのアフィリエイトの2月の入金がありました(515円)。これまでの残額1,119円+515円=1,634円を繰り越します。いつもありがとうございます。

5月25日に京都でBig Book スタディ(Big Book Comes Alive!)が開催されます。これまでは数十枚のスライドを使いながらも、配付資料には10枚ほどのスライドしか入れていませんでした。「全部のスライドを資料に入れてほしい」というご要望を頂戴していましたので、今回は130枚以上のスライドを整備し、A4版で60ページ近い資料を準備しました。この機会をお見逃しなく。

さて、今回は『ビッグブックのスタディ』連載のあとがきです。ちなみに前書きはありませんでしたが「12ステップは自由に解釈して良いのか?」が前書きに相当します。

学ぶためには捨てなければならない

 私たちがどんなふうに変われるかは何を手放すかによる。だれもが、これから手に入れるものによって変わることができると思っているが、そうではない。これから進んで手放していくものによって変われるのだ――それはちょうど、熱気球が重しの砂袋を投げ捨てて上昇していくのに似ている。ところが、砂袋を捨てようとせず、重しをかかえたままでなお上昇したがる人が多い。1)

『ビッグブックのスタディ』というタイトルで連載を続けてきました。スタディとは学ぶことですが、多くの人が「学ぶ」とは知識や理解を身に付けていくことだと思っています。それは間違いではありませんが、身に付けるだけではなく、それまで持っていた知識や理解を捨てていく必要もあることを知らない人が多いのです。

アルコホリズムとアルコール依存症

例えば僕はアルコール依存症 という精神疾患と、AAでいうアルコホリズム(アルコール中毒)は同一だと思っていました。かつては医学もAAも alcoholism という共通の言葉を使っていました。日本語ではこれをアルコール中毒(症)と訳し、略した「アル中」という言葉が病院でもAAでも普通に使われていました。

ところが、1980年前後にアメリカ精神医学会 世界保健機関 (WHO)がこの病気の名前を alcoholism を alcohol dependency へと変更しました。日本語ではアルコール依存症と訳されました。とはいえDSMICDの新版が出版されたからといって、次の日から世の中が一斉に切り替わるわけではありません。日本ではそれから20年ぐらいかけて、徐々にアルコール中毒からアルコール依存症へと言葉が変わっていきました。

そのように世の中が依存症という言葉を受け入れていったのに、AAだけは変わらずにアルコール中毒という言葉を使い続けていました。アメリカのAAが alcoholism という言葉を使い続けている以上、それを日本のAAが勝手にアルコール依存症と訳すことはできません。しかし日本ではアルコール中毒という言葉は次第に時代遅れになっていきました。そこでAAでも1990年代半ばにいろいろ検討した末に、アルコール中毒という訳語を廃して、そのかわりに alcoholism をアルコホリズム、alcoholic をアルコホーリクというカタカナ語に訳すことを決めました。

AAには書籍からパンフレットまで数十の出版物がありますが、それらの在庫がなくなって増刷する際に、文中のアルコール中毒がアルコホリズムやアルコホーリクへと置き換えられました。そうやってAAのすべての出版物の更新が終わるのには数年を要しました。

そんな経緯を知っていたので、元は alcoholism という同一の言葉だったのだから、アルコホリズムとアルコール依存症は同一の概念だと考えていました

そうなると第三章の最初のページ(p.45)にある「自分がアルコホーリクであることを認める」という文章は、医者から与えられたアルコール依存症という診断を受け入れることだと解釈できます。アルコール依存症は否認の病気だとされていますから、その否認を乗り越えて依存症という病気を受け入れることがステップ1なのだ・・・そう考えれば、なんとなくステップ1が分かったような気分になります(それはとんだ誤解なのですが・・・)。

日本のAAでは長いこと『12のステップと12の伝統』がステップの解説書だとみなされてきました。ところが2003年頃、ビックブックこそがステップのテキストなのだと主張する一団が現れました。誰が名付けたか彼らは「ビッグブック派」と呼ばれるようになりました。僕も彼らに触発されてビッグブックを読むようになりました。

ミーティング用パンフレット
『ミーティングハンドブック』

日本のAAではミーティング・ハンドブックという小冊子が多く使われています。これはビッグブックから一部を抜き書きしたものです。この冊子にも、アルコホーリクが飲酒のコントロールを失っていることや、そのコントロールを取り戻すことはできないことは書いてあります。しかし、自分の力では断酒を続けることができず再飲酒してしまうという記述は含まれていません。ところがビッグブックを読めば、再飲酒をもたらす強迫観念こそが問題の核心であることがわかります。

僕自身について言えば、それは納得できました。AAに来て1年目は何度も再飲酒をしましたし、それから何年もAAグループに属し、ミーティングに出続けたのは、出席を続けることが再飲酒の予防になると思ったからです。しかし、AAは回復の初期にはミーティングに出ることが再飲酒を避ける役に立つことを強調しているものの、メンバーは一生ミーティングに出続ける必要があるとは決して主張していません。ビッグブックは、回復するために必要なのは(AAミーティングに出ることではなく)霊的目覚めを得ることだと明言しています。そんなわけで、「霊的目覚めとは何か?」「それを得るためには何をすれば良いのか?」が僕の関心事となり、それを探求し続けることになりました。

けれど周りを見渡してみれば、AAのミーティングに通うような努力をしなくても酒をやめ続けている人もいます。彼らは霊的目覚めを得たわけでもなさそうです。でも確かに彼らもアルコール依存症という診断を受けていて、なのに(最初のうちは苦労したかもしれないけれど)無事に酒をやめ続けているのです。

となると、ビッグブックの記述と現実に齟齬があることになります。辻褄が合わないことがあれば、頭の中にモヤモヤが残ります。そのモヤモヤは何年も解消することができませんでした。

その霧が晴れたのは、2010年2月に日本で初めて行われたリカバリー・ダイナミクス(RD)の紹介セミナーでのことでした。それは回復施設で働く人向けのセミナーであり、単なるAAメンバーにすぎない僕には関係ないものでしたが、4万円以上の参加費を支払い、金曜日の仕事を終えてから徹夜で車を運転して駆けつけました。すでにジョー・マキューが亡くなってから3年経っていたため、その後継者のラリー・GがRDのスライドとビッグブックを使って12ステップの説明をしてくれました。そのなかには当然「回復するためには霊的目覚めを得なければならない」という説明も含まれていました。(cf. 「ジョーとチャーリーについて (2) リカバリー・ダイナミクス」

質疑応答の時間になり、誰かが「霊的目覚めを得ていなくても酒をやめ続けている人はAAの中にも外にもいる、彼らについてはどうなのか?」という質問をしました。ビッグブックの記述と現実の矛盾が気になる人は僕だけではなかったのです。それに対してラリーは「それは彼らは本物のアルコホーリクではなく単なる大酒飲みにすぎないからだ」とシンプルに答えました。そして、第二章の三種類の酒飲みについて説明している部分を取り上げました(cf. 第52回

アルコール依存症という診断を受けていても、強迫観念を持たない人たちもたくさんいます。彼らも回復の初期には再飲酒に悩まされるかもしれません。場合によっては依存症の専門病院に何度も入院が必要になるかもしれません。けれど彼らはAAの言う「本物のアルコホーリク」ではなく、回復のために霊的目覚めを必要としません。その人たちを「大酒飲み」と呼ぶのです。

それまで僕は、AAはすべてのアルコール依存症者を区別せず等しく扱っている、と思い込んでいました。そうではないという情報はいくつも与えられていました。あるアメリカ人のAAメンバーが、アルコホリズムとアルコール依存症は違うんだという話を僕に熱心にしてくれたことがありました。また2007年に日本語版が出版された『米国アディクション列伝』はAAについて多くのページを割いていますが、そのなかにはアーネスト・カーツの「アルコホーリクには一つのタイプしかないとか、問題飲酒者には適正飲酒は不可能だとは、AAは決して主張していない」という説明もありました。2) しかしそうした情報は僕の先入観を覆すことはできず、ラリーの説明によってようやく僕の眼からウロコが落ちたのでした(僕も頑固で頭の固いアル中の一人なのです。4万円払って手ぶらで帰れるか!という気持ちが固定観念を打ち破るのに役に立ったのは間違いありません。翻って考えれば、無料で人に情報を渡してあげるのは相手の役に立たないことも多いことがわかります)。

世間は大酒を飲んでトラブルを起こす人たちをひとくくりにして「アル中」とみなします。医学は診断基準に従ってある範囲の人たちをアルコール依存症と診断します。AAはそれをさらにタイプ分けし、そのなかの一つの類型をターゲットにしているのです(他の類型の人たちを排除したりはしませんが)。そう考えれば、AAの中にも外にも霊的目覚めなしで飲まないでいる人たちがたくさんいるのは不思議でも何でもありません(彼らは単なる大酒飲みなのだ)。一方でビッグブックに書かれたことも真実であり、現実とは矛盾していないのです(霊的目覚めを得なければ回復できないアル中もいる)

そのように全体像を捉えることを阻んでいたのは、アルコール依存症=アルコホリズムだという僕の思い込みでした。また、アルコール依存症について学んだ医学的な知識も邪魔をしていました。医学と12ステップは異なった知識体系ですから、12ステップを学ぶためには邪魔になる医学的知識は捨てなければなりません。もちろん、完全に捨て去る必要はなく、単に脇へ置けば良いのであって、医学を扱うときにはまたその知識を取り出せばいいだけなのです。しかし時には古い認識を完全に捨てねばならない場合もあります。

このように、新しい知識を身に付けたり、理解を深めたりするのを邪魔しているのは、しばしばその人がすでに持っている知識や理解であることが多いのです。これは12ステップだけではなく、他の分野の学びについても言えることです。第四章の「前から持っている考えを捨ててほしい」(p.69)というのは信仰について述べているのですが、他の分野でも新しい何かを手に入れるためには現在手にしているものを捨てなければならないことは多いのです。

なのに、多くの人が、知識や経験を捨てることをせず、ひたすらそれらを蓄えていけば進歩できると信じています。それはまさに、重しをかかえたまま気球を上昇させようとするようなものです。「古い考えを捨てて新しいものを取り入れる」(p.76)ことをせずにいれば、気球は落ちていくしかありません。

僕は12ステップについて多くの経験をし、多くのことを学んできました。そのこと自体は誇れるようなことではありません。でももし誇れるものがあるとすれば、多くの知識や理解を手にしたということではなく、多くの知識や理解を捨ててきたということでありましょう。

そして、何かを学ぶ者が覚悟しなければならないことは、いま努力して学んでいる知識や深めている理解も、将来の成長した自分によって否定される可能性があるということです。そのような覚悟なしに学んでいけば、いつかは学びが限界を迎えてしまいます。つまり、自分の成長に自分で天井を設けてしまうことになるのです。学ぶということにも12ステップの原理を適用しなければなりません。

カール・ユングについて

Carl Gustav Jung
from Wikimedia Commons

とはいうものの、この連載を書くためにいろいろなものを読んだことで、理解が深まった面もあります。例えば第二章では、カール・ユングとAAの関わりについて調べました。それまで僕は、12ステップはユングの影響を受けているはずであり、だから12ステップを理解するためにはユング心理学 を学ぶ必要がある、と考えていました。心理学畑の勉強会に潜り込むには何か資格を持っていた方が良いだろうと考えて公認心理師の資格を取ったりしました。ところが、調べていくと、ユングとAAの共同創始者ビル・Wの間には接触がほぼなく(ユングが亡くなる直前の往復書簡のみ)ローランド・ハザードがユングの治療を受けても断酒できなかったことが、ユングがAAに与えた最大の(そしておそらく唯一の)影響だったことが分かってきました。

そこで、いくつかの疑問が湧いてきます。ユングはすべてのアルコホーリクを治療不能と考えていたのか(もしそうなら、なぜ一度はローランドの治療を引受けたのか?)。すべてのアルコホーリクを拒んでいたのではないのなら、なぜローランドの二回目の治療を拒んだのか。そして、なぜ回心の体験が解決になるとローランドに伝えたのか・・・。

ローランドとユングの交流についての資料はAAにはほぼ存在しません。ローランドがAAに加わらなかったのですから、それも無理のないことです。だからAAの公式の資料の中を探しても僕の疑問の答えは見つかりません。そこで頼りにしたのは、在野のAA歴史家たちが行った調査でした。だが、彼らの研究は早々に行き詰まっていました。ハザード家の文書は地元の歴史館に残されているそうですが、ローランドのアルコホリズムに関する文書はその中に存在しません。おそらくはローランドのアルコホリズムを恥じていた家族が、そのことを世間に知られるのを嫌って意図的に彼の病気に関する文書を取り除いたのでしょう。そのおかげで、そもそもローランドが本当にユングの治療を受けたかどうかも疑問視されるようになっていました。

面白いことにその調査を引き継いだのは、AAとは無関係な一部のユンギアン(ユング学派のサイコロジスト)でした。彼らはローランドの親族のなかにユングの治療を受けた人物が複数いたことをつきとめました。そして親族たちがやりとりした書簡から、彼らの紹介によってローランドがユングの治療を受けたことが分かりました。さらには、ユングの患者の中には彼の治療を受けたことで回復したアルコホーリクが存在したことから、ユングはアルコホーリク全般を治療不能と見なしていたわけではないこともはっきりしました。

ではなぜユングはローランドの二度目の治療を拒んだのでしょうか? この謎は解明されていません。また、回心の体験(AAでは霊的体験と表現される)が回復をもたらしうると伝えたという直接的な証拠も見つかっていません。

ただ一つ確実に言えるのは、ユングは宗教的の持つ治癒力religious cureを認めていたことです。ユングは宗教に肯定的な評価を与えていましたし、その肯定的評価をウィリアム・ジェームズとも分かち合っていました。宗教には人の心を癒やし、時には精神の病気さえ治す力がある。ユングの自伝を信じるならば、彼の心理学は、宗教の持っている治癒力を精神医学という科学の領域で再現することを試みた成果だと言えましょう。

ジークムント・フロイト (1856-1939)やユングが精神分析 や新しい心理学による治療を確立していくのと同時期に、フランク・ブックマンらは「魂の手術(soul-surgery)」と称する治療を行っていました。それは無料で提供されると喧伝しながら、実際には多額の献金を要求していました。つまり、ユングは宗教の持つ治療効果を認めていながらも、ブックマンらの実践とは商売上の対立関係にあったのです。

ところで、ローランドはユングによる一回目の治療が終わった後も、ユングの足跡を辿ってアフリカに行ったり、アメリカ南西部に行ったり、またユング派の他の医師から治療を受けたりしたことが分かっています。しかし彼は再発を繰り返す中で、どこかの時点で頼る先をユング派からオックスフォード・グループへと変えました。ローランドの親族の中にはブックマンの信奉者もおり、熱心にローランドにオックスフォード・グループを勧めていました。だからもし、ローランドがユングに再会したのがオックスフォード・グループに転向した後だったならば、ユングがそれ以上の治療を拒んだのも無理はありません。

いずれにせよ、ローランドがユングとの関わりの中で宗教的治癒を求めるようになったことは間違いありません。また、宗教的体験がアルコホリズムの回復をもたらしうるとユングがローランドに伝えた直接の証拠は見つかっていませんが、それはユングの信条とは矛盾しておらず、特に疑う理由はありません。なにより、ビル・Wとの晩年の往復書簡の中でもユングはそれを否定していないのです(cf. 付録C)。

ともあれ、ローランドはユングを頼ることができなくなり、オックスフォード・グループに助けを求めたことが、後にAAが誕生するきっかけになりました。だからユングがAAに与えた影響は、主にステップ1と2に現れていると言えます。ではなぜ12ステップ全体がユング心理学の影響を受けているという言説があるのかというと、それはアメリカで1970年代にアディクションの治療施設が続々とできていったときに、その施設で使われている12ステッププログラムの持つ宗教色を薄めるために、その始原がユングであるという情報操作が行われた結果であろうというのがあるユンギアンの意見です。

そういったことが分かってくると、僕のユング心理学に対する熱は冷めていき、ウィリアム・ジェームズがAAに与えた影響へと関心の対象が移ることになりました。ただそれについては、アーネスト・カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』で詳しく述べられているので省くことにします。(ユングとローランドの関わりについては cf. 第60回第64回

科学と宗教

最後に、私たちは科学と宗教を対立させて考えがちだということを取り上げたいです。確かに多くの宗教は超自然主義 に基づいています。科学はあくまで自然主義の枠内に収まっていなければなりません。ということは、宗教の主張することのなかには、科学的に実証できないこともあることを意味します。

では、非科学的だということ=「無意味」なのでしょうか?

実際に科学者の人たちに接してみれば、彼らがとても謙虚な考えを持っていることがわかります。科学がこれまで解き明かしてきたものは全体のごく一部にすぎず、その向こうには膨大な未知の領域が広がっていることを科学者は知っています。また、彼らは可謬主義 を取ります。というのも、科学的知見はしばしば新しい発見によって抜本的に覆されるからです。だから彼らは科学が万能だとは決して考えません。科学を生業にしながらも信仰を持つ人たちもいます。

むしろ科学者ではない人たちのほうが、科学の万能性を信じ、非科学的なことは無意味だと単純に考えたがっているのではないでしょうか。つまり、科学的な立場を取れば、非科学的なことを受け入れる余地がでてきますし、特にそれが有用な考えならばなおさらです。

ではなぜ私たちは科学と宗教を対立するものとして捉えがちなのでしょうか? 中世のヨーロッパ社会では政治から人の心の中までキリスト教が支配していました。哲学や科学も宗教の支配の下にあり、学問は宗教に奉仕するためのものでした。近世になると、政治も思想も宗教から独立していき、やがて科学も宗教から独立しました。その独立分離に大きな役割を果たしたのが、19世紀中頃に発表されたチャールズ・ダーウィン (1809-1882)の進化論自然選択説 です。進化論は聖書に書かれた神による世界の創造を否定しました。このことによって、宗教と科学の対立関係が生じたことは間違いありません。

ただその対立関係が強調されたのは、19世紀後半の科学者たちが「それまで科学は宗教によって弾圧されてきた」という科学史観を作り上げて流布したことによるものです。その中には有名なガリレオ・ガリレイ (1564-1642)地動説 を撤回させられたというものも含まれます(それは実際には宗教と科学の衝突ではなく、教会内の権威争いにすぎなかった)蒙昧な宗教的な考えを科学的で理性的な考えが凌駕していく、というのは対立関係を強調する中で科学の優位を主張するために行われた主張にすぎません。科学と宗教が歴史の中で常に対立してきたと捉える科学史観は、現代の科学史研究家たちによって否定されつつあります。

僕の子どもの頃には、科学が人間に幸せをもたらすという考えが広がっていました。鉄腕アトム ドラえもん は原子力という夢のエネルギーで動くという設定でした。だが、その後の数十年間は、科学は人間に幸福のみならず不幸ももたらしうるものであり、決して万能ではないことを人々に教えました。なのに私たちは相変わらず科学と宗教を対立するものと捉え、非科学的なことはすべてナンセンスだという単純な考えにしがみついているのです。その考え方の方がむしろ無知蒙昧と言えるのではないでしょうか?(科学史観については cf. 第82回

12ステップは宗教ではありませんが、その中核に超自然主義を備えている点は宗教と共通しています。だから12ステップをすべて科学的知見に還元して理解しようとしても、決して理解することはできないでしょう。非科学的なことはすべてナンセンスだという単純すぎる考えを捨てれば、12ステップを理解する入り口が開きます。新しい理解を手に入れるためには、これまで持っていた理解を捨てなければならないのです。

それでも僕は――超自然主義を受け入れながらも――人間は持っている理性や知性を最大限活用すべきだと考えています。人間の本能(欲望)進化心理学 をもとに理解して説明しようとするのもその現れです。神を信じていながらも理性の価値を重視しており、AAのなかでは中道左派に属していることを強調しておきます(もっと信仰に重きを置く右側の人たちもいるのです)。

そんな僕でも、人間の持っている理性や知性を最大限使っても解決できない悩みや苦しみが存在することは認めないわけにはいきません。この世の中には、宗教によってしか救われない人たちもいるのです。信仰によってしか解決できない悩みや苦しみも存在するのです。医療であれ、心理であれ、福祉であれ、法律であれ、人を援助する仕事に就いている人は、そのことを意識しておかなければなりません。

とはいえ、このリベラル化が進んでいる社会の中で宗教というのは使い勝手の良い解決手段ではありません。アディクションのような特定の問題を解決するためならなおさらです。だから、ユングが宗教の持っている治癒力を精神医学の分野で再現しようとしたように、12ステップも世俗の世界の中で宗教的治癒を再現しようとしてできあがったものだと捉えているのです。

新連載のお知らせ

さて、この連載が終わったばかりですが、次に『12ステップのスタディ』という連載を始めようと考えています。ビッグブックはあくまでもアルコホーリクのための12ステップを説明した本です。けれど、AAが広がって行くにつれ、12ステップを薬物や摂食障害など他のアディクションや強迫的行動にあてはめて使う人たちが現れ、それぞれに共同体を作っていきました。だから、NAやOAなど様々なグループが存在しています。

僕がビッグブックの説明をしていると、AA以外の人から、「それを薬物に当てはめるにはどう理解したら良いのか?」「食べ物の場合にはどうすればいいのか?」「ACのステップはどう違うのか?」といった質問を受けるのです。

12ステップはAA以外の共同体でも使われていますが、それらが12ステップである以上はすべて共通した骨格を持っているのは確かです。その一方で、それぞれの共同体の必要に応じて12ステップに違いが生じてきているのも明らかです。この共通性と違いの両方を意識しなければなりません。違いを無視して、どの共同体の12ステップもまったく同じものだと解釈するのは無理があります。一方で「AAの12ステップとACの12ステップは違う」という違いばかりを強調するのもいただけません。この共通性と違いを明らかにしていくことで、上のような疑問に答えることができると考えています。

具体的には、アルコールに加えて薬物食べ物ACおよび共依存という五つの分野を対象にステップ1から12まで、順番に説明していこうと思います。

他の共同体のステップのテキストを解説することが、一介のAAメンバーに過ぎない僕がすべきことなのか、というためらいもあります。ただ、12ステップに関する情報不足で困っている人が多いことが『ビッグブックのスタディ』を始めた理由の一つだったわけですが、それはAA以外の共同体についても言えることです。

また、AAの12ステップをアルコホリズム以外の問題に適応させていくときに、どのような変化が生じてきたのかを知ることも、12ステップそのものの理解を深めることになるでしょう。

おわりに

12ステップに対する興味や関心を持ってくれる人が増えたのは喜ばしいことです。だが、ややもすると12ステップが、身を飾るアクセサリや勲章のように、回復者であることをアピールできる装身具のように扱われていることがあるのには違和感を覚えます。12ステップはそんなに輝かしいものではなく、他の(より理性的な)手段では回復できなかった人がやむなく選ぶ last resort(最後の手段)であるはずです。ラグビーで言えば背番号15をつけているフルバックの選手のようなもので、ディフェンスをすべて破られてもう後がない状態で最後の守備を託す味方なのです。12ステップで回復したということは、そこまで追い詰められてしまったということでもありますから、社会の中で軽々しくアピールすべきことではないはずです(そう考えるのは僕が中道左派だからでありましょうが)。

それでも、12ステップを必要とし、それを望む人がいる限り、情報を伝え続けていかなければなりせん。新しい連載にもお付き合いいただければ幸いです。


  1. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.71[]
  2. ウィリアム・L・ホワイト(鈴木美保子他訳)『米国アディクション列伝 アメリカにおけるアディクション治療と回復の歴史』, ジャパンマック, 2007, p.145[]

2024-02-24ビッグブックのスタディ,日々雑記

Posted by ragi