ビッグブックのスタディ (38) ビルの物語 9

ビル・Wの最後の飲酒

今回は第一章「ビルの物語」の12ページと、ステップ1の部分(p.1~12)の振り返りです。

ぼくは震えながら、敗残者のように病院を後にした。恐怖のためにしばらくは飲まないでいた。1)

9月に三度目の退院をしたビル・Wは、飲酒への恐怖と警戒心によって酒をやめ続けました。10月になると、恐怖心は薄らぎ、それほど努力しなくても飲まずにいられるようになりました。彼はアルコホリズムという病気について他の人に説明するようにもなり、何ドルかの金を稼ぐようになっていました。

だが知らぬ間にあの最初の一杯への狂気が襲ってきて、一九三四年の休戦記念日にまた飲み始めた。1)

11月11日の休戦記念日がやってきました。これはビルが召集された第一次世界大戦 の戦闘が16年前に終わった日であり、アメリカの多くの州で法定休日となっていました(現在は復員軍人の日 。ウォール街は閉まるのでビルの仕事も休みでしたが、百貨店勤めのロイスは仕事で出かけなければなりませんでした。ビルは一人の休日をどうやって過ごそうか考え、久しぶりにゴルフをすることを思いつきました。しかし家計にはゆとりがなかったので、スタテン島にあるパブリックコースに行くことにしました。

スタテン島 は、ハドソン川の河口湾を挟んでブルックリンの向かいに位置する島で、同じニューヨーク市内でありながら、ビルの建ち並ぶブルックリンやマンハッタンとは対照的に、閑静な住宅街や公園が広がっています。

明治から昭和にかけての作家永井荷風 (1879-1959)は、4年間のアメリカ滞在中に執筆した『あめりか物語』(1908)のなかの短編「六月の夜の夢」で、スタテン島をこう描写しています。

日頃、靑いものを見る事の出來ぬニューヨークの市中から、突然この島に這入れば、四遍の空氣の香しさ、野の色の美しさ、其の變化の烈しさに、人は只だ夢かとばかり驚くだらう。殊更に、自分を驚喜せしめたのは、米國の田園と云っても例の大陸的の漠とした單調な形式に倦み果てゝ居た曉、この島の景色が、全く其の反對で、如何にも小さく愛らしく、且變化に乏しからぬ事であった。2)

ニューヨークの街中に住んでいたビル・Wにとっては、スタテン島は気分転換に格好の場所だったのでしょう。そのプランを聞いたロイスは不安を隠しきれませんでしたが、それでも「あら、そうなさったら。きっと素晴らしいと思うわ」と言ってビルを送り出しました。

ビルは船を使ってスタテン島に渡り、バスに乗って島内のゴルフ場に向かいました。バスでは射撃用のライフル銃を持った男と隣り合わせました。ビルは子供の頃に祖父から買ってもらったレミントン式単発銃のことを思い出し、その男と射撃の話に花を咲かせました。ところが、乗っていたバスが小さな事故を起こし、次のバスが来るまで二人は歩道で待つことになりました。

二人は近くにあったもぐり酒屋のような店(something that looked like a speakeasy)に入り、男はスコッチを、ビルはジンジャーエールを頼みました。「飲まないのか?」と聞かれたビルは、自分の病気のことや、アレルギー強迫観念のことも説明しました。次のバスに乗って、島の奧で降りた二人は、そこで別々に分かれるはずだったのですが、ちょうどお昼時なので昼食を一緒に摂ろうということになりました。

スタテン島の当時のホテルの一つ from Staten Island Eateries, PD

バス停前の宿屋のバーで、男はサンドイッチとスコッチを、ビルはサンドイッチとジンジャーエールを頼みました。店は休戦記念日を祝う客で混み合っていました。ビルの心には、16年前のフランスでの休戦の喜びや、盛大な祝祭の思い出がよみがえってきました。そこへ陽気なアイルランド人のバーテンダーが両手に酒のグラスを持ってやってきました。「お二人さん、休戦記念日のお祝いに飲んでくれ。店のおごりだ!」。ビルは何のためらいもなくそれを受け取ると、一気に飲み干しました。隣りに居た男は驚き、「マイ・ゴッド! さっきまで話していたことは何だっんだ! 気でも狂ったのか?」と聞きました。ビルの返事はこうでした、「そうさ、気が狂ったのさ」。

翌朝5時頃、ロイスは家の前で泥酔し意識を失っているビルを見つけました。彼は頭の傷口から血を流していましたが、ゴルフバックだけは大事に抱えていました。3)

ビルは自分がアルコホーリクであり、酒を飲んではいけないことを十分自覚していました。しかし最初の一杯への狂気(強迫観念)が起きたときに、それを退けることができませんでした。つまりアルコホーリクは自覚(self-knowledge)によって再飲酒を防ぐことはできません。風邪を引いているという自覚によって熱を抑えたり、虫歯だという自覚によって歯痛を防ぐことができないのと同様に、アルコホリズムという病気を自覚しても強迫観念は防げないのです。

このブログではもっぱら強迫観念という用語を使っていますが、実はビッグブックには強迫観念(obsession)という言葉はあまり使われていません。同じ意味で(最初の一杯への)狂気という言葉がしばしば使われています。強迫観念=狂気と憶えておくと良いでしょう。

ビルの飲酒は休戦記念日(11月11日)から、最後の入院日(12月11日)まで続きました。これが彼にとっての最後の飲酒期間、そして最後の入院になりました。

アルコールに対して無力

「ビルの物語」の先頭(p.1)から、12ページの12行目までが、ビルが読者にステップ1(問題)を伝えるために書いた部分です。私たちはこの部分から何を読み取れば良いのでしょうか?

まずは「医師の意見」で説明があったアレルギーと強迫観念の実例が示されています。これは6ページから始まっていますが、7ページ以降でさらに明瞭に示されています第35回。8ページには彼がアディクションのサイクルをぐるぐる回っている様子が描かれています。特に1930年と1932年に、ビルは人生一発逆転のチャンスを、強迫観念による再飲酒で棒に振っています。

ビルは、アルコールの問題を自分で解決することは出来ませんでした。「アルコールに対して無力である」とは、アルコールの問題を自分では解決できない、という意味です。アレルギーと強迫観念のタッグチーム には、アルコホーリクはどうやっても敵わないのです。(アレルギーと強迫観念を持っているのがアルコホーリクと定義されているので、この二つを持っていないアルコホークは存在しないのです)。

第30回で書いたように、私たちとビルの間には様々な違いがあります。でも、もしあなたがアルコホーリクなら、ビルと同じように酒の量をコントロールできず(アレルギー)断酒を誓ってもまた飲んでしまった(強迫観念)経験を持っているはずです。ならばビルがアルコホーリクであるように、あなたもアルコホーリクであり、ここではそのことが最も重要なのです。

強迫観念の経験が無い人もいる

一つ補足があります。僕がAAにつながった二十数年前は、AAミーティングにやって来るのは、かなりアルコホリズムが進行した人たちばかりでした。何度も何度も酒をやめては再飲酒を繰り返してきた人ばかりでしたから、皆が強迫観念の体験をたくさん持っていました。

その後、この病気も早期発見・早期治療が進み、まだそれほど病気が進行していない人たちまでAAにやって来るようになりました。その中には、病院でアルコール依存症と診断され、もう酒を飲んではいけないと言われるまで一度も酒をやめようと思ったことがないという人もいます。だから断酒するのも今回初めてで、一度も再飲酒していない、という人たちも存在します。その人たちは、強迫観念を経験したことがないはずなのです。なぜなら再飲酒をしたことがないからです。

早い段階で酒をやめられたのは大変結構なことなのですが、AAメンバーとしては大きな不利を背負うことになります。

第一の不利は、断酒を決意したのに再飲酒してしまった経験がなければ、自分の体験を根拠に強迫観念の存在を認めるのが難しくなります。そうすると、例えば「確固とした決意をすれば断酒できる」とか「しっかりとした自覚を持てば断酒できる」と考えてしまいがちです。どちらも無力を認めてはいません。

このタイプの人は、どうやって無力を認めたら良いのでしょうか? 強迫観念の経験はなくても、「この先、自分が強迫観念に襲われて酒を飲んでしまう可能性は十分にある」と思えるのであれば、アレルギー+強迫観念=アルコールに対して無力という構図に乗っかっていけるでしょう。

ただし、そうやって無力を認めて12ステップに取り組むことはできますが、やがてその人が新しい人にメッセージを運ぶ時期が来たときに、強迫観念を実体験として語れない、という第二の不利を味わうことになります。こればかりは、経験が無ければできないことです。

そう考えると、再飲酒も一度は経験しておいた方が良いのでしょう。僕がAAにつながったころは、「スリップしなきゃ分からないことがある」と言われたものです。大半のアルコホーリクは再飲酒を経験しますから、その点は心配しなくても良いのでしょう。

思い通りに生きていけない

もう一つ、私たちが「ビルの物語」のステップ1の部分(p.1~12)から読み取らなければならないことは、ビルの生活や人生がアルコールの悪影響を受けていることです。このことは5ページ以降に描写されています。家族関係・友人関係・仕事・金銭や財産・健康・趣味などなど、ビルの生活の幅広い領域に悪影響が及んでいたことがわかります。第34回第35回第37回でそのことを説明しました。「思い通りに生きていけない(our lives had become unmanageable=ライフがアンマネージャブルになった)」とは、生活の様々な領域にアルコールの悪影響が及ぶことを指しています。

なぜそのことが重要なのでしょうか? それは、私たちが何かに対して無力であったとしても、それが生活や人生に悪影響を及ぼすとは限らないからです(むしろまったく影響を及ぼさないことの方が多い)。

例えば、僕の自宅の近くを荒川という大きな川が流れています。僕は荒川の流れをせき止められません。どのように意志の力を使っても、それは僕には無理です。つまり、僕は荒川の流れに対して無力なのです。しかしながら、荒川の流れは僕の生活にはほとんど影響しません(実は昨年の台風の時にはちょっと危なかったのですが、それでも僕の住んでいる台地の上まで洪水がくることはなさそうです)。無力ではあるものの、僕の生活に影響が及んで来なければ、アンマネージャブルとは言えません。人間は様々なことに対して無力ですが、だいたいにおいてノー・プロブレムなのです。

しかし、アルコホーリクにとってアルコールは悪影響をもたらす元凶であり、ライフ(人生や生活)をアンマネージャブルにしてくれる存在です。だからビルと同じように、あなたも生活の様々な領域にアルコールの影響を受けたのであれば、あなたもアルコールのせいで「思い通りに生きていけなくなって」いるということなのです。

つまり、ステップ1は、単にアルコールに対する無力を認めるだけではなく、その悪影響が自分に及んでいることを認めることでもあります。言い換えれば:

powerless + unmanageable = hopeless

ということなのです。

まだまだ影響の薄い人たちもいる

ビルの場合には、家族関係・友人関係・仕事・金銭および財産・健康・趣味・信用など、非常に幅広い領域にアルコールの悪影響が及んでいました。仕事や金銭については、1929年の大暴落の影響も受けていますが、彼にはその後に再起のチャンスが何度もあったにも関わらずそのたびに酒でそれを棒に振ってきたので、アルコールの影響によるものと見なせます。

しかしAAにやってくる人の中には、ビル・Wほどボロボロになっていない人も多くいます。夫婦関係は悪化しているけれど、まだ離婚には至っていないとか、休職して入院したことで職場での信用は損なわれているものの、まだまだ復職は可能だ(この先さらに2回ぐらい入院してもクビにはならなそう)という人も珍しくありません。こういった人たちは、AAのミーティングで酒でボロボロになった人の話を聞くと、「この人たちに比べれば、自分はまだまだ大丈夫だ」と思ってしまいがちです。

そうなると、「自分もこの人たちと同じアルコホーリクである」というアイデンティフィケーション(identification、同一視)が起きなくなってしまいます。自分とその人たちとの違いばかりに着目してしまい、自分はアルコホーリクではないとか、あるいはアルコホーリクだったとしてもこの人たちとは違うタイプであるから、自分にはAAは必要ない、と判断してAAを去って行ってしまいます。

そういう人たちをAAに引き留めるのは、なかなか難しいことですし、また引き留めることが必ずしも正しいことだとは限りません。というのも、何度も述べているように、AAが始まった頃のアルコホリズムの概念よりも、現在のアルコール依存症(やアルコール使用障害)の範囲は大きく広げられているために、依存症であっても自力で断酒できたり、なかにはコントロールされた飲酒に戻れる人もかなりの比率で含まれているからです。そのような人たちをAAに引き留めなければならない理由は見当たりません。

もちろんその中には、やがてビル・Wやドクター・ボブのような重度の段階まで病気が進行してしまうタイプが含まれています。これこそが真正のアルコホーリクであり、AAメンバーが「仲間」と呼ぶものです。

真のアルコホーリクになるかどうかは、シルクワース医師が述べたように「体質的なもの」が重要な要素になっているようで、本人がアルコホーリクにはなりたくないと思っても、なる人はなってしまうのです。(花粉症になりたくないと思っていても、なる人はなってしまうように、病気の発症や進行は本人の意志とは無関係に起こるものです)。また、重度まで進行するかどうかをあらかじめ判定できる生物学的なマーカーもまだできていません。である以上、将来に真のアルコホーリクになる人を選んでAAに引き留めることもできません。

これに対するAAの戦略は極めてシンプルで、誰も引き留めることはしません。どの段階の人であれ引き留める対象ではありません。AAは自らAAのメンバーになりたい人たちだけで構成された集まりです。スポンサーシップや仲間の関係の中で「説得」が行われることもあるとは思いますが、基本的には去って行く人を引き留めず、またやってくれば迎え入れるというのがAAの基本戦略です。

比べずに、同じところを探しなさい

AAは引き留めを行わない代わりに、その人が自発的に残りたくなるような仕組みを考えています。その一つがアイデンティフィケーションです。つまり、他のAAメンバーと自分を同一であると見なすことです。

「比べずに、同じところを探しなさい(Don’t compare, identify)」というのは、AAのスローガンの一つです。自分と他のメンバーを比較すると、どうしてもその違いに着目してしまいがちです。そのような「違い探し」ばかりやっていないで、同じところを探しなさい、という言葉はスポンサーをやる人にとっては定番のお小言です。

SMF-56 – Suggested Topics For Discussion Meetings というリーフレットがあります(日本語には未訳)。ミーティングでのお薦めのトピック(日本のAAでいうテーマ)を集めたものです。このなかにも identificationアイデンティフィケーション がしっかり載っています。4)

第30回で述べたように、ビッグブックの読者である私たちと、ビル・Wの間には様々な相違点があります。しかし、共通するところ・同一のところを見つけ出していきましょう。少なくとも、アレルギーや強迫観念は共通しているでしょうし、その他の人生への影響についても、思い当たることがあるはずです。

次回は「底をつく(hit bottom)」という言葉を扱う予定です(これは「ビッグブックのスタディの連載とは別の「底つきとは何か」というエントリのことです。関心があれば参照ください)。

今回のまとめ
  • ビル・Wは、3回目の退院の後しばらく酒をやめていたが、11月11日に再び飲み出した。
  • 彼は断酒願望も強く、アルコホリズムという病気も十分自覚していたが、自覚によって強迫観念から身を守ることはできなかった。
  • 「ビルの物語」の7~8ページには、アレルギーと強迫観念の実例が示されている。
  • 5ページ以降にはビルがアルコールのせいで「思い通り生きていけなく」なっていた様子が描かれている。
  • 私たちは、ビルの物語のこの部分と、自分の体験を重ね合わせることで、自分もアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていることを認めることができる。
  • 近年のAAには、強迫観念をまだ経験していない人や、アルコールの影響が少ない人もAAに来るようになっている。

  1. BB, p.12.[][]
  2. 永井荷風, 『あめりか物語』博文館, 1908, p.410 — 国立国会図書館デジタルコレクション.[]
  3. AACA, pp.83-85.[]
  4. AA, SMF-56 – Suggested Topics For Discussion MeetingsAlcoholics Anonymous (aa.org), AAWS, 2014.[]

2024-04-05

Posted by ragi