12ステップのスタディ (23) AAのステップ1 (2) 強迫観念

スタディ関係のブログ紹介の第3弾は、AA『宗教的経験の諸相』スタディしまさんです。彼は多くの記事を書いているので、その中から10個選んで紹介します:

ちなみに、彼が僕のスポンシーだという誤解が一部に広がっているようなので、ここで明確に否定しておきます。彼のスポンサーは僕とはまったく別系統の人物です。

彼はこれまでnote.comで書いてきましたが、ご自分のサイト「草を結びて」に移行したそうです(2023-11-24追記)


それから12月14~15日の愛知県犬山での一泊二日のスタディは、11月20日が申込みの〆切日です。意外と早いので、参加をお考えの方は早めの申込みをお願いします。すべてのスライドを配付資料に含める予定で準備しているそうです。お楽しみに。

前回のおさらい

前回取り上げた身体的渇望は「アルコホーリクがなぜ酒の量をコントロールできないか」を説明してくれる概念でした。

アル中は、しばしば「ブレーキの壊れた車」にたとえられます。走り出したら止まらない車のように、飲み出したらとめられないのです。しかしこの「ブレーキの壊れた」という表現は正確ではありません。たぶんブレーキはちゃんと作動しているのです。また、アル中がアクセルを踏み続けているわけでもありません。むしろ、背後からものすごく強い力で押されるために、自分では一生懸命ブレーキを踏んでいるのに、車が勝手に前に進んでしまう状態なのです。

スティーブン・スピルバーグ (1948-)が若かった頃に撮った映画『激突! (1971)は、車で追い越したタンクローリーに後ろから執拗に煽られるという恐怖映画ですが、そのなかで主人公の車が踏切で列車が通過するのを待っていると、追いついてきたタンクローリーが、後ろから主人公の車を前に押し出すシーンがあります。主人公は必死でブレーキを踏んでいるのですが、目の前を通り過ぎる貨物列車に向かってじわりじわりと押し出されてしまうという名シーンです(この動画の1分20秒あたり)。ブレーキが壊れているのではなく、渇望があまりにも強いのでブレーキが意味をなさないだけなのです。

この「背後から押すものすごく強い力」がアル中を次の酒へと駆り立てる身体的渇望です。AA以外の共同体ではこれをコンパルジョンと呼んでいます第21回

AAの創始者ビル・Wを治療したシルクワース医師は、生涯で4万人ものアルコホーリクを診察したといいます。彼はたくさんのアルコホーリクを観察した結果、アルコホーリクが酒を飲むと「もっと酒が飲みたい」という強い欲求が生じることや、この現象は一般の人や単なる酒好きには見られないアルコホーリク特有のものであることを発見しました。彼はその強い欲求を身体的渇望と名付け、それを引き起こすメカニズムはアレルギー反応(身体的な過敏反応)の一種だろうという説を唱えました(p.xxxv)

なによりも大事なのは、この説明がアルコホーリクの体験を十分に説明でき、彼らにとってたいへん納得しやすかったことです(p.xxxiii)。 普通の酒好きならば、酒を飲むことによって「満足」がもたらされ(満足した人はそれ以上飲もうとしないので)自然に酒の量が抑制されます。しかし、アルコホーリクの場合には、酒を飲むと満足するどころか「もっと」飲みたいという強い欲求に支配されてしまうのです。1)

シルクワース医師は、この欲求はアレルギー的な身体の反応なので、意志の力で打ち勝とうとしても無理だと説明しました。また、それゆえにアルコホーリクは酒を一切飲まないでいる(完全断酒)しかない、という結論を導き出しました(p.xxxviii)。走り出したら止まらない車ならば、走らせないようにするしかありません。

最初の一杯の酒に手を出さなければ、アルコールが体内に入ることはなく、身体的渇望が引き起こされることもありませんから、アルコホーリクは普通の人と変わらない生活が送れるはずです。しかしシルクワース医師も認めているとおり、慢性のアルコホーリクはほとんどが断酒をしても酒に戻ってしまいます(p.xxxviii)。つまり、再飲酒してしまうのです。

だから、問題は「なぜアルコホーリクは再飲酒してしまうのか?」に移ります。それが今回のテーマです。

やめる気のあるなし

ほどほどに飲むということができない人にとっては、要するにどうすればやめられるのかが問題だ。もちろん、私たちは読者がやめたいという願いを持っていることを前提にしている2)

アルコホーリクは、「なんとか上手に酒を飲む手段はないか?」と探しています。それは酒を飲んだことによるトラブルが起きてこないようにするためです。この段階のアルコホーリクは酒をやめる気はありません。

しかし上手に飲むことができずに失敗を重ねるうちに「どうやら自分にはそれは無理のようだ」と考えて、断酒へと努力の方向性を変える人もいます。一方で、酒をコントロールして飲むことに執着する人たちもいます。その人たちでさえ、アレルギーや身体的渇望の説明を受け、他のメンバーの渇望についての体験を聞くうちに、「やっぱり完全に酒をやめるしかないのか」と納得していきます。このようにして、アルコホーリクは遅かれ早かれ断酒の意欲を持つようになります

それでも「やめたいという願い」を持てない人たちもいます。その多くは前回説明して学習性無力感 ゆえでしょう。つまり、断酒の意欲がないように見える人も、実は学習性無力感の裏には「できることなら酒をやめたい」という意欲が隠れているものなのです。

しかしながらすべてのアルコホーリクが「酒をやめたい」という気持ちを持つとは限りません。第八章「妻たちへ」にこんな記述があります:

ひとつ重要な例外がある。まったくの悪意でそうする男たちがいることだ。このタイプにはどんな我慢もまったく無意味である。そういう気性のアルコホーリクは、本書のこの章をすぐさまあなたの頭の上にふりかざし、こん棒がわりにするだろう。それをゆるしてはならない。彼がそのタイプだと確信できるときは、別れたほうがよい。あなたと子どもの人生を彼がめちゃめちゃにするのをゆるしておくわけにはいかない。3)

病気だという理由を使って酒を飲み続けることを正当化し、内面には何の葛藤も抱えないタイプの人も確かに存在するようで、このタイプは――口では何と言ったとしても――「やめたいという願い」は持っていないのでしょう。

なので以下は、実際に酒をやめられているかどうかは別にして、「酒をやめたい」という願いを持っている人にのみ当てはまる話です(実際には「やめたい」と思っている人が多数派でしょう)。

やめ続けたいのに再飲酒してしまう

第三章には、アルコホーリクのジレンマをシンプルに分かりやすく述べている箇所があります:

〔私たちには〕永久にやめようという、とても強い願いがあった。それにもかかわらず、飲むのをやめることができなかった。私たちが知るかぎりの、これがアルコホリズムの不可解な特徴である。つまり、どんなにやめる必要があり、どんなにやめることを願っても、飲まずにはいられないのだutter inability to leave it alone)4)

ここで「酒をやめる」とは断酒を続けることです。そして、「やめることができない」とは再飲酒スリップしてしまうことです。この「酒をやめ続けるという能力の完全な欠如(utter inability)」が、アルコホリズムという病気の不可解な特徴なのです。

では、なぜアルコホーリクは、酒をやめ続けたいと願っているのに再飲酒してしまうのでしょうか? AAではそれは強迫観念が原因であると説明しています。強迫観念は、前々回の説明の中のオブセッションに相当します。ビッグブックではそれを、

再発するときに現れる私たちの考え(the mental states that precede a relapse into drinking)5)

と説明しています。これを原文に忠実に訳すと「再飲酒する前の精神状態」です。アルコホーリクは、普段は断酒を続けたいという自分の願望に従って、酒を遠ざけています。しかしあるとき、普段とは違った異常な精神状態が訪れ、「酒を飲んでも良い」という判断をしてしまうのです。そしてその判断に従って酒を飲み始めてしまいます。

最初の一杯の酒を飲む
最初の一杯の酒を飲む, Image Creatorによって生成

AAメンバーたちはその瞬間の精神状態を、例えば「ちょっとぐらいなら飲んでも大丈夫だと思った」とか「油断してしまった」などと表現しますが、「酒を飲む」という判断をしたのは、他でもないその人自身であり、しかもその判断はどう考えても正気の人のする判断ではありません。走らせると暴走すると分かっている車を走らせてしまうのですから! つまり、その瞬間のアルコホーリクは明らかに「狂って」いるのです――だから、AAではそれを狂気と表現します(p.55)

シンプルに表現するならば、アルコホーリクは普段は正気で、酒を飲まないでいられるのですが、ある瞬間に狂ってしまい、その結果飲み出してしまうのです。6)

だからAAメンバーは新しい人たちに向かってこう言うのです、

〔あなたに〕アルコホリズムの傾向があるなら(alcoholic mind=あなたの精神がアルコホーリクのものであるならば)、その時と機会は必ずくるし、だから必ずまた飲むだろう7)

あなたは必ずまた酒を飲む、という言葉は呪いの言葉のように聞こえますが、ほとんどのアルコホーリクにはそれが現実のものになってしまうのです。

ですから、「そうですね、このままでは私はきっとまた酒を飲んでしまいます」と言えるのなら、その人はアルコールに対する無力を認めたことになります。

逆に「何とか努力すれば断酒を続けられると思います」というのなら、それは無力を認めたことにはなりません。なぜなら、その人は強迫観念が自分よりも強力なものであることを認めていないからです。強迫観念は私たちの思考を変えてしまうのですから、自分の意志の力によってそれを克服することはできません。

一次性と二次性

しかし、これだけ説明しても、「私が再飲酒したのは(強迫観念とは)別の原因があった」と主張する人もいます。そして、その人の言っていることが正しいこともあるのです。

最も分りやすい例を挙げるならば、統合失調症 の場合です。統合失調症の人全員ではありませんが、その中の一部の人に大量飲酒という症状が現れることがあります。それが統合失調症の症状なのか、それともその治療薬の副作用によるものなのか素人の僕には区別できませんが、大量に酒を飲む様子と、酒をやめようとしているのにまた飲んでしまう様子はアルコホーリクとそっくりです。

しかしそっくりであっても、彼らはAAの対象とする「本物のアルコホーリク」とは違います。というのも薬の調整などの適切な統合失調症の治療が行われれば、彼らの飲酒・断酒・再飲酒という症状は見事に消失してしまうからです。彼らにはAAや12ステップなどよりも、統合失調症の治療の方が望ましいのは言うまでもありません。

このように統合失調症などの別の精神疾患が原因で、アルコホリズムと同様の症状が生じることを二次性(secondary)あるいは続発性と呼びます。二次性のアルコホリズムの特徴は、元の疾患の治療がうまくいけば、飲酒に関する症状も消失することです。もちろん大酒を飲みながらの治療はできませんから、場合によっては入院治療が必要なこともありますが、有効な治療法があるのですから、彼らは決して「アルコールに対して無力」ではありません。

これに対して一次性(primary, 原発性・本態性)のアルコホリズムは、原因になる他の精神疾患などが特に見当たらないものです。こちらの場合にはアルコホリズムそのものを治療の対象にしなければなりません。そして(そのように明言はしていませんが)AAの出版物を読めば、AAは一次性のアルコホリズムのみを対象にしていることがわかります。

実際のところは、多くのアルコホーリクは、AAにやってきてしばらくは、自分の再飲酒には「強迫観念とは違う原因」があると考えています。例えばストレスなどの外部要因や、うつ病や不眠やPTSDなどが再飲酒の原因になっていると考えるのです。しかし彼らの言うところの「原因」が解決されても、飲酒の問題は残り続けます。仕事のストレスで飲んでいると訴えていた人は仕事を辞めても飲み続けていますし、不眠が原因だと言っていた人が睡眠薬で眠れるようになっても再飲酒するのです。そのような経験を経て、結局彼らも強迫観念が再飲酒の原因なのだという現実に直面していきます。

アルコホリズムは一次疾患(primary disease)です。アルコホーリクが酒を飲むのはアルコホリズムという病気そのものが原因なのであって、別の原因がその人に酒を飲ませているわけではありません。もしその人が本当に二次性のアルコホリズムだというのならば、AAに来て12ステップなんかやっている場合ではなく、入院して酒の原因となる病気の治療をすべきなのです。

もちろん、その人がアルコホーリクにに酒を多く飲むようになったのは、アルコホリズムが原因ではありません(だってその人はその時はまだアルコーリクになっていなかったのですから)。大酒の理由はストレスということもあれば、PTSDということもあるでしょう。しかし、その人がアルコホーリクになったのであれば、過去にどんな理由で酒を飲んでいたかはもはや関係ないのです。いまその人が再飲酒してしまうのは、強迫観念が原因なのです(なぜならその人はアルコホーリクになったのですから)。

メモもちろん、数は少ないながら、統合失調症と(一次性の)アルコホリズムを同時に患うケースもあります。そのような他の様々な精神疾患とアルコホリズムを併発することを重複障害(double disease, DD)と呼びます。こうしたケースでは向精神薬の服薬を続けたままソブラエティを実現しなければならないことが、AAのパンフレット『アルコール以外の問題』で述べられています。

強迫観念による再飲酒の経験を分かち合う

「なぜアルコホーリクは再飲酒してしまうのか?」の答えが強迫観念であることがわかりました。ビッグブックでは第三章の大部分を強迫観念の説明に充てています。そして、52ページでは強迫観念こそがアルコホリズムという問題の本質(crux=核心)だと述べています。

AAはアルコホリズムという共通の問題を解決するための共同体です。そして、AAメンバーはAAミーティングで経験を分かち合います。だからAAミーティングでは、アルコホリズムという問題の核心である強迫観念とそれがもたらす再飲酒の経験が当然分かち合われます。AAメンバーはその分かち合いを通じて、「あなたも同じ経験をしていませんか? だとするなら私たちと同じ問題を抱えていることになりませんか?」と新しい人たちに問いかけているのです。

僕がAAにつながった二十数年前は、ミーティングで再飲酒の話ができないメンバーは半人前だと見なされました。それが私たちの「共通の問題」なのですから、その経験を何度でも分かち合っていかなければなりません。

ところが最近、スポンシーや若いメンバーに、「ミーティングで仲間の分かち合ってくれる再飲酒の経験にしっかり耳を傾けなさい」と助言しても、そもそもミーティングで再飲酒の経験が滅多に分かち合われることがなく、年に数回程度しか聞いたことがないというのです。それが本当だとするならば、AAミーティングは「共通の問題」が分かち合われる場所ではなくなってしまっている、ということになります。

そのようなAAミーティングの劣化が起こるのは、現在の日本だけではないらしく、ジョー・マキューも「最初に序文(プレアンブル)が読み上げられなかったら、何のミーティングに出席しているのか分らなくなる」ほど、AAプログラムと無関係なAAミーティングが増えたことを嘆いています。8)

しかし、日本のAAメンバーはそのことに危機感を抱いていないところがジョーたちと違います。AAは「先行く仲間」と呼ばれる経験あるメンバーたちがロールモデルとして振る舞い、新しいメンバーがそれを模倣することでスキルが伝承されてきました。このやり方には、いったんロールモデルが失われると、伝承が途絶してしまうという欠点があります。それはAAだけでなく、マックやダルクという回復施設でも同じことが起きていると聞きます。正直に自分の酒(や薬)の話ができない人たちが、自分の問題に向き合うことはできないでしょう。

身体的渇望(アレルギー)+強迫観念=無力

さて、これまで得られた情報をまとめてみましょう。

身体的渇望とは、体内に入ったアルコールが引き起こす身体的な反応だということでした。これは普通の人には起きず、アルコホーリクだけが持つ特異反応です。そして強迫観念は精神の中で生じる現象で、アルコホーリクを再飲酒させます。アルコホーリクの問題は、身体と精神の両方が病んでいることです。

アディクションのサイクル

上の図は、以前の連載で使ったものBBS#16を簡略化したものです。アルコホーリクが再飲酒して飲み始めると、やがて身体的渇望が発現してきます。この渇望によって飲酒のコントロールが失われ、酒を飲みすぎる状態に戻ってしまいます。

実際にはコントロールは部分的に保たれているケースがほとんどです。再飲酒の直後は「紳士のような飲み方」ができてコントロールを取り戻せているように感じられる時期がしばらく続くことがあります。しかしやがて渇望が増大して、ほどほどに飲むことが難しくなっていきます。それでも時には上手に酒を飲むことができる日もあり、だからこそ、アルコホーリクは「上手な酒の飲み方」をいつまでも探し求めてしまうのです(pp. 45-47)――強迫的ギャンブラーが負け続けていても、時々勝つことがあるので、勝ち方を探し求めてしまうのも多分同じことなのでしょう。それはともかく、コントロールは完全に失われるわけではないのだから、コントロールの喪失(loss of control)ではなく、コントロールの減弱(impaired control)と呼ぶべきだという説もあります。9)

喪失だろうが、減弱だろうが、アルコホーリクの身体がアルコールに対して特異反応を起こすようになったという点では同じです。しかもその変化は元には戻せない(不可逆)のです。

身体的渇望によってしょっちゅう酒を飲み過ぎてしまうと、社会的あるいは職業上のトラブルが生じてきます。そこでアルコホーリクは飲酒することを諦めて、断酒を決意します。その決意は中途半端なものであることは少なく、たいてい本気の決意です(少なくともその瞬間は)

そして、

アルコホーリクも数ヵ月か数年、酒をやめることがあるが、たしかに酒を飲まずにいるかぎりは、大体ふつうの人と同じように振る舞える。10)

とあるように、断酒中のアルコホーリクは概ね普通の人と変わらない生活を送っています。ところが、あるとき、その人の精神の中で強迫観念という奇妙な現象(p.55)が起きて、「自分は酒を飲んでもオーケーなのだ」という(狂った)判断を下してしまうのです。

わきみちところで断酒の初期にはほとんどのアルコホーリクが「飲酒欲求」に悩まされます。これはしらふの状態のアルコホーリクが酒を飲みたくなる欲求のことです。これに抗って酒をやめ続けなければならないのも断酒の困難の一つなのですが、AAのプログラムは飲酒欲求を問題として取り上げていません。ドクター・ボブは酒をやめて2年半は飲酒欲求に悩まされ続けたと書いていますし(pp.253-254)、ビル・Wも悩まされたことは間違いないでしょう。しかし、彼らは飲酒欲求を問題とは捉えず、最初の一杯の酒を飲む瞬間の前の「飲んでも大丈夫だ」と判断する精神状態を問題の核心と見なしたのです。

アルコホーリクは狂った判断に従って酒を飲み始め、再び飲酒へと戻っていきます。そして、飲み過ぎてトラブルを起こして断酒を決意し、また強迫観念によって再飲酒し・・・というサイクルを繰り返していきます(p.xxxvi)。飲んでいるアルコホーリクはこの循環図の左側のオレンジ色のところに、酒をやめているアルコホーリクは右側のブルーのところにいるのですが、どちら側にいたとしても、このサイクルの中に閉じ込められているのです。

アルコホーリクは自分の力ではこの悪循環から抜け出すことができません。アルコホリズムという病気は自分より強力で、自分はその病気に勝つことができない、という「完全な敗北」を認めることが、ステップ1の「アルコールに対する無力を認める」ことなのです。11)

この「アディクションのサイクル図」は、内容を少し変えながら、他の共同体の12ステップの説明にも何度も再登場する予定ですので、この図を頭に叩き込んでおいてください。

次回は、「思いどおりに生きていけない」の部分です。

今回のまとめ
  • アルコホーリクは、酒をやめ続けたいと思っていても、再飲酒してしまう
  • AAではそれは強迫観念(オブセッション)が原因であると説明している
  • 強迫観念とは、再飲酒する前の精神状態であり、酒を飲んでも良いという判断をさせる一種の狂気である
  • 強迫観念はアルコホーリクの思考を変えてしまうので、自分の意志の力によってそれに打ち勝つことはできない
  • アルコホーリクは身体的渇望により安全に酒を飲むことができず、強迫観念によって断酒を続けることもできない(アルコホーリクのジレンマ)
  • アルコホーリクは自力ではこの悪循環から逃れることができない
  • アルコホリズムという病気は自分より強力で、自分はその病気に勝つことができないと認めることが「アルコールに対する無力」を認めること

  1. それに比べると、アルコールに対する耐性が獲得されるために同じ量を摂取しただけでは十分な薬理効果が得られず、以前と同じ効果を得るために摂取量を増加させる、という医学書に書かれている説明は、アルコホーリクの体験を十分説明できていない。生じているのはむしろ感作 あるいは逆耐性(reverse tolerance)であると感じられるのである。[]
  2. BB, p.51.[]
  3. BB, pp.157-158.[]
  4. BB, p.51.[]
  5. BB, p.52.[]
  6. 医学書では離脱 症状を緩和するために再飲酒するという説明が見受けられる。確かに断酒のごく早い時期には離脱症状も激しく、その苦しさから逃れるためにまた酒を飲むこともしばしば起きている。しかし、離脱症状は数週間で(遷延性のものも数ヶ月で)消失する[BBS#69]のに、再飲酒はその期間を過ぎても発生し続けることに注目すれば、離脱症状が再飲酒の原因だという説明は不十分であることは明らかだろう。[]
  7. BB, p.61.[]
  8. BBCA, p.9, CTM, p.14.[]
  9. マーク・ケラー他(加藤伸勝監修)『アルコール辞典』改訂第2版, 診断と治療社, 1987, pp.249-250.[]
  10. BB, p.34.[]
  11. 12&12, p.29.[]

2024-11-2412ステップのスタディ,日々雑記

Posted by ragi