ビッグブックのスタディ (100) どうやればうまくいくのか 12

このスタディも100回に達してしまいました。始めたときには、100回以内にはステップ12まで終わるだろうと思っていましたが、まだステップ3の途中です。まあそれでも、ビッグブックの第五章まできているのですから、予定全体の半分以上には達しています(このスタディは第七章で終わる予定です)

さて、前回まで4回連続で『12のステップと12の伝統』12&12を学んできましたが、今回からビッグブックに戻ります。ビッグブックを離れる前の第95回で、そのp.89から学んだことを振り返りましょう。

    • 私たちのトラブル(悩みや苦しみ)の根本原因は、私たち自身の自己中心性にある。
    • 自己中心性とは、成功の見込みの薄い考え方や行動に固執してしまうことでもある。
    • 自己中心性の大もとには、自己(self)がある。
    • この自己が私たちを駆り立て、人の足を踏みつけさせ、衝突と不安を私たちにもたらす。

そして、この「自己」とは何かを知るために12&12を学びました。そこで学んだことをとてもシンプルに表現すると、

意志 = 自己 = 本能

となります。本能は枠を外れて暴走しやすく、そのことが私たちに人間関係の、あるいは感情的なトラブルをもたらすのでした第96回

さて第92回から前回まで、ステップ3の「意志と生き方」の説明をしてきたわけですが、今回は「ゆだねる」の説明になります。

私たちは自分がディレンマ(板挟み状況)に陥っていることを知りました。意志(本能)を捨てるわけにはいかず、かといってそれを持っていれば必ずトラブル(悩みや苦しみ)が生じてくる。いったい私たちは自分の意志(本能)をどうすればいいのでしょうか?

自分をどうするのか?

ビッグブックのp.90から、私たちがこのディレンマをどうやって打開したら良いのか、つまり自分の意志(本能)をどうすれば良いのかが書かれています。読んでいきましょう。

私たちの問題は実は全部自分で招いた結果なのである。私たちが自分で問題を起こしたのだ。1)


So our troubles, we think, are basically of our own making. They arise out of our­selves, …2)

この問題(trouble, トラブル)とは私たちが抱える悩みや苦しみのことです第94回第95回。ステップ1でも問題(problem)という言葉が使われていましたが、そちらはアルコホリズムのことでした。problem と trouble という二つの言葉が、どちらも「問題」という一つの言葉に訳されているので、混乱しないためにこの二つを区別しなければなりません。

of one’s own making は「自作」とか「手作り」という意味です。私たちのトラブル(悩みや苦しみ)は、実は手作りケーキや自作PCみたいなもので、自分で材料を揃えて自分で作り上げたものなのです。

basically という単語は「すべて」と訳されていますが、ここでは at a basic level(基本的なレベルにおいて)とか in funda­mental disposition(根本的な性質において)という意味ですから「根本的に」と訳すべきです。3)

つまり、私たちの悩みや苦しみは根本的に自分から生じているのです(以前の翻訳ではこれを「自家製」と訳していました)。

この basically を for the most part(大部分)と解釈し「基本的に」と訳すべきだという議論があります。つまり「基本的に」と訳すことで例外もあるという意味を持たせたいのでしょうが、僕はそれには賛成できません。ステップをやった人であれば、感情的なトラブルは自己(self)から生じていることを知っているはずです。以前、ジョー・マキューの後継者であるラリー・Gのステップの説明を皆で聞いているとき、ある参加者が「日本語訳でこの basically を『すべて』と訳しているのは誤訳ではないか」と質問しました。ラリー氏の意見は「むしろ名訳である」というものでした。この basically には「例外もある」という意味は含まれていないのです。

続きを読んでいきましょう:

気がついてはいないが、アルコホーリクの行動は頑固な自我による極端な暴走にすぎない。1)


… and the alcoholic is an extreme example of self-will run riot, though he usually doesn’t think so.2)

riot は暴動のことです。run riot はコントロールの効かない暴走状態という意味になります。the alcoholic と定冠詞がついていますが、この文の前に特定のアルコホーリクは話題に上がっていないので、アルコホーリク全体を示して「アルコホーリクというもの」と訳します(「行動」に相当する言葉は原文にはない)

つまり、この文は「アルコホーリクというものは、自己意志(self-will)が暴走するという極端な実例なのである」という意味です。

pp.87-89に「ショー全体を取り仕切りたがる役者」が描かれていました。この役者はアルコホーリクだけを表現しているのではなく、人間誰もがこの役者さんなのです。4) 誰もが二つの戦略を使い分けて、人を望み通りに動かそうとしています。第93回第94回

自己中心性

ですが、なかでもアルコホーリクはその極端な実例だと言っているのです。人は誰でも本能を暴走させてしまうのですが、アルコホーリクたちは暴走させっぷりが著しいというのです。

しかも、たいていのアルコホーリクは自分ではそう思っていない(he usually doesn’t think so)のです。自己意志エクストリーム暴走野郎なのに、その自覚がないのもアルコホーリクの特徴だと言えます。

私たちは何よりもまず、この頑固な自分本位の考えを捨て去らなければならない。1)


Above everything, we alcoholics must be rid of this selfishness.2)

ここには

    • be rid of this selfishness — この自己中心性から解放される

とあり、少し後の文には、

    • getting rid of self — 自己を捨てる

ともあります。

p.90の文章を分かりにくくしているのは、self-will自己意志・selfishness自己中心性・self自己という微妙に異なる三つの言葉が使われていて、さらにそれが「頑固な自我」「自分本位の考え」「自分」と訳されているためです。

この言葉の揺らぎが混乱を招き、何が対象になっているのか分からなくなってしまう人は少なくありません。そんな時は、意志=自己=本能であることを思い出していただければ、これらはどれも同じものを指していることが分かるでしょう。

自己(自分)とは自己意志のことであり、意志は本能ですから自己中心性を持っています。自己と自己中心性は不可分であり、自分から自己中心性を取り除くことはできないのです。

自分の中に自己中心性という「悪い部分」があって、12ステップはその「悪い部分」を取り除く手段だと考えたい人たちもいますが、12ステップはそのための手段ではありません。12ステップに取り組むことで、私たちの自己中心性は発揮されなくなっていきますが、自己中心性が消えてなくなるわけではありません。自己中心性は自己の本質なのであり、自己から自己中心性を取り除くことはできないのです(自己中心的でないあなたはどこにもいないのです)。

ridという言葉は、好ましくないものを対象として使います。本能の説明で学んだように、私たちは自分で制御しきれない欲求を抱えて生れてきます。12ステップは人間の本性を善だとは見なしていません。

捨て去らなければ殺される。1)


We must, or it kill us!2)

とはいえ、自己中心なままでいると、私たちはそれ(自己中心性)によって殺されてしまいます。

自己中心性に殺される

「私たちは自分の自己中心性に殺されてしまう」とはどういう意味なのでしょうか?

ステップ3から先には、「このステップをやらないと酒を飲んじゃうよ。飲むと死んじゃうよ」という警告が繰り返し登場します(pp. 90, 96, 104-105, 110, 116, 122-123, 128)。ビッグブックはそういう嫌な脅しをかけてくる本なのです。

もちろん、それを信じるかどうかはあなた次第です。そもそもAAでは12ステップに取り組むかどうかは一人ひとりの選択に任されています。スポンサーがうるさいことを言うかもしれませんが、誰もあなたに12ステップに取り組むことを強制できません。あなたにステップを強制するものがあるとするなら、それはあなたが抱えているアルコホリズムという病気だけです。

こうした警告は、私たちに、12ステップに取り組むのは「優れた人間になる」ためでも「人格を磨く」ためでもなく、酒をやめるためであることを思い出させてくれます。「自己中心性を脱する」だの「人の役に立つ(p.110)」だのは、目的ではなく酒をやめる手段にすぎません。そのことを勘違いしないよう気をつけましょう。――もしAAで12ステップによって人格が磨かれた人に会ったとしたら(そんな人はいませんが)、その人は尊敬すべき相手ではなく、「そんなに必死に12ステップに取り組まないと酒がやめられなかったなんて、よほどこの人のアルコホリズムは重症だったに違いない」と哀れみを感じるべき相手なのです。

それはともかく、私たちが自己中心性をたくさん抱えて生きていれば、その結果としてトラブル(悩みや苦しみ)もたくさん抱えることになります。過去の私たちは、この悩みや苦しみに対処するためにアルコールを使ってきました。なぜなら、私たちにとって、アルコールが最も相性の良い、最も効率よく気分を変えてくれる手段だったからです第15回(アルコール以外のものと相性の良い人は、別のアディクションになる)。

アディクションのサイクルそういう意味ではアルコールは私たちのベスト・パートナーでした。だが、私たちがアルコールに対してアレルギー体質を持っていたために、酒をやめざるを得なくなりました。私たちは最も相性の良い対処手段を失いました。そこでやむなく別の対処手段を使うことになったのですが、それらはアルコールほど私たちと相性が良くないために、あまり効率よく気分を変えてくれません。

悩みや苦しみが積み重なり――たいてい私たちはそのことを自覚できていないのですが――他の手段では十分に気分を変えられなくなったとき、私たちの精神は別れたベスト・パートナーとよりを戻す選択をしてしまうのです。これが強迫観念でした。

そして、強迫観念によって最初の一杯を飲んでしまうと、遅かれ早かれアルコールへの渇望現象が起こり、私たちは飲んだくれに戻っていってしまいます。そのような再飲酒を繰り返していれば、最終的にはアルコールによる死が訪れます。重要なのは、最後の酒を飲んでからどれだけ長い年月が経ったかではなく、私たちは常に次の酒を飲み得るということなのです。

多くのアルコホーリクが酒で死んでいきました。しかし実は彼らは酒に殺されたのでも、アルコホリズムという病気に殺されたのでもありません。自分自身の自己中心性が最初の一杯を飲ませたのであり、アルコホーリクは自分の自己中心性に殺されてしまうのです。

正直さが求められるステップ

だが神の助けなしには、自分を捨てることなどもちろんできない。だから神の助けが必要なのだ。1)


God makes that possible. And there often seems no way of entirely getting rid of self without His aid.2)

自己を捨て去るとは、本能から自己中心性を取り除くことを意味します。それは無理だということを学んできました。けれど、神の助けがあればそれが可能になるというのです。5)

私たちの多くは道徳的な、あるいは哲学的な信念を持っていた。しかし、それに恥じない生き方をすることはできなかった。1)

私たちの多くは、道徳的・哲学的信念を少なからず持っています。けれども、その信念に従って生きたいと願っていても、実際にはそれができずにいます。

私たちは自分の持っている道徳的信念を実行できていない

ステップ3を実行するには、この事実を認める必要があります。ところが私たちは、なかなかそれを認めることができません。多くの人は立派な信念を持っており、自分はその信念に従って生きていると思い込んでいます。しかし現実には、しばしばその信念に背いた考えをし、背いた行いをしています。なのに、そのことについては様々な理由を並べて自己弁護をし、「自分は信念に従って生きている」という自己像を守ろうとします。

ビッグブックは、回復するためには、自分に対して正直になることが必要だと述べています(p.84)。回復したかったら、自己弁護をするのをやめて、自分が道徳的信念に従って生きてという現実を認めるしかありません。

人間は、立派な道徳的信念を持ちながらも、現実にはそれに従って生きられないという道徳的な弱さを抱えた存在なのです。人間に与えられた様々な他の能力と同じように、道徳性についても強い人間と弱い人間がいるのは確かです(欲望に流されにくい人もいれば流されやすい人もいる)。だがどんなに道徳的に立派な人でも、本能の暴走を抑え込める人はいません。

これは道徳や哲学に何の意味もないと言っているわけではありません。道徳や哲学によって防げるトラブルもたくさんあり、私たちの生活に役に立っています。しかし、第四章で学んだように、人間の理性には明らかな限界があります第82回第83回第84回第85回。道徳や哲学が理性に支えられている以上、それらにも限界があるのは明らかなのです。

自分の力でがんばってみても、望んでも、この自分勝手な思い上がり(self-centeredness=自己中心性)を小さくすることさえできなかった。1)

私たちは何もかも理性に頼ることはできません(p.80)。道徳や理性には限界があるのです。私たちは自分の限界を受け入れる必要があります。

神の助けがどうしても必要だったのである。1)

ステップ3で認めるべきことは「自分には神の助けが必要なのだ」という事実です。

なぜ、自分で自分をコントロールできないのか

どうして、私たちの意志は暴走してしまうのでしょうか? なぜ、自分で自分をコントロールできないのでしょうか?

まず、私たちの意志はたいへんパワフルだということを理解する必要があります。ジョー・マキューはこう述べています:

窓の外を見てみよう。二つのタイプのものを目にするだろう。自然界のもの――これは神の意志によるものである。人間界のもの――これは人間の意志によるものである。6)

スマートフォン
from いらすとや

この世の中には「神が作ったもの」と「人間が作ったもの」の二つがあります。あなたがこのブログを読んでいるパソコンやスマートフォンは、間違いなく人間が作ったものです。あなたが座っている椅子や机などの家具や、部屋の中にある家電製品、あなたがいる建物。さらに窓の外を見れば、ビルや道路もあり、自動車が走り、空には飛行機が飛んでいます。それらの人工物(artifact)はすべて人間の意志が作ったものです。

自然物
from いらすとや

しかし、人間が作ったものがすべてではありません。例えば、あなたが猫を飼っているとしましょう。その猫がブリーダーが繁殖させたのであれば、人間の意志が作ったものと言えるかもしれません。しかし、もし猫というが絶滅してしまったとしたら、人間は猫という生物を無から生み出すことはできません。絶滅した種を蘇らすことは人間にはできないのです。だから、猫は人間の意志が作ったものではなく、神の意志によるものだと言えます。こうしてみると、世界は神の作った様々な生物種で溢れています(人間もその一つです)。それだけでなく、山脈や海流や氷山など、人間には到底作りようがない、様々なもので世界は溢れています。それらの自然物を実現した神の意志の偉大さを思うとき、私たちは畏敬の念を抱かざるを得ません第75回

by Kabacchi, from flickr, CC BY 2.0

だが私たち人間の意志も捨てたものではありません。東京スカイツリー などの高いビルから見下ろしてみれば、人間の作り上げた広大な街が広がっているのが見えます。人間の意志もたいへんパワフルであり、多くのことを実現しているのです。

ラリー・Gが、こんな話をしてくれたことがありました。

「日本にもリアクターがあるだろう?」
原子力発電所 (nuclear reactor)のことですね。たくさんありますが、今は全部止まっています」
「ああそうか、不適切な話題だったか?」(これは福島第一原子力発電所事故 のあと、全ての原発が停止していた時期だった)
「かまいません、続けて下さい」

原子炉
from いらすとや

原子炉 がとても大きなエネルギーをもたらすのは知っているだろう?」
「ええ、一基で何十万という家に電気を供給できます」
「原子炉はコンピューターのプログラムによって制御されているだろう?」
「もちろん、そうです」
「では、原子炉をプログラムに任せて、完全自動運転させて良いと思うかね?」
「そんな恐ろしいことはできませんよ」
「そうだ。原子炉はそれを作った者(creator)によって常に監視され、コントロールされなくてはならない。なぜなら、それが暴走すると大変な悲劇がもたらされるからだ。私たちの意志も原子炉と同じだ。原子炉が自分自身をコントロールできないように、私たちも自分をコントロールできないのだ」

(原子力発電所をどうするかは政治的なトピックなので脇に置くとして)
原子炉を監視なしで完全自動運転させようとする人は誰もいないでしょう。同じように、私たちが自分で自分をコントロールできるという考えも現実離れしているのです。

「なぜ」と「どうやって」

次の段落に進みます。

 その理由と方法について述べよう。1)

私たちが助かるためには、自己の持っている自己中心性から解放される必要があります。しかし、それを自分で行なうことはできません。だから神の助けが必要なのですが、この段落では

    • 方法 — どうやって神の助けを得るか
    • 理由 — なぜ神の助けが必要なのか

について述べています。

まず、私たちは自分が神のように振る舞うことをやめなくてはならなかった。1)


First of all, we had to quit playing God.2)

playは「演じる」という意味です。神の役を演じる。自分が神であるかのように振る舞う――私たちがそれを「やめなくてはならない(have to quit)」ということは、逆に言えば私たちアルコホーリクは神の役を演じているということなのです――しかも、たいていは自分ではそう思っていないのです。

私たちは神ではない

『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』を書いたアーネスト・カーツ(Ernest Kurtz, 1935-2015)によれば、これこそがAAがメンバーに向けたもっとも根本的なメッセージだと言います:

この容赦ない警告のとおり、無限でもなく、絶対でもなく、というのは、AAがメンバーに向けた基本的で最初のメッセージである。この洞察を掘り下げるなら、すべてのアルコホーリクの問題は、神のようなカ、とくにを要求しているということになる。しかし、このメッセージが主張するように、少なくともアルコホーリクは、自分自身をさえもコントロールのである。・・・AAのプログラムは、それゆえ、真っ先に、アルコホーリクは神ではないことを教えている。この洞察は十二の提案されたステップのそれぞれの基調となっており・・・7)

ビル・Wも「自分は神ではないと認めること」の大切さを説いています。(cf. ビル・Wに問う (8) 不可知論者と神

「あなたは神ではない」と言えば、それを否定する人はいません。でも、アルコホーリクは「自分は神ではない」と言いながらも、心の底では自分を神だと思っているのです。なぜなら、アルコホーリクは自分をコントロールできる(できるべき)と思っていますし、そればかりか自分の周りの人々や物事もコントロールできて当然だと思っているからです。その「神のような力」を求めることが、アルコホーリクのトラブルの根源なのだと12ステップは言うのです。

そんなことがうまくいくはずはなかったのだ。1)


It didn’t work.2)

これが「なぜ神の助けが必要なのか」という理由です。神の役を演じるという生き方は、うまくいきませんでした。それは失敗して当然の生き方なのです。

ジョー・マキューたちはこう述べています:

One of the great mistakes I see today in AA is people trying to force themselves to be better.
And self-will cannot overcome self-will.
Only God can overcome self-will.
So if we want any peace of mind, serenity and happiness it looks like we’re going to have to turn to God and let him be the Director. Let him do his job, which is direction.8)


現在のAAにおける大きな間違いの一つは、人々が自分で自分を良くしようとしていることです。
自分の意志では自分の意志に打ち勝てません。
自分の意志に打ち勝てるのは神だけです。
だから、私たちが心の平和と平安と幸せを望むならば、神にゆだね、神を指揮者とする必要があります。神の仕事は神にまかせなさい、という指示です。(拙訳)

Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive

AAや12ステップに対する最も大きな誤解は、「AAは自分で自分を助けるグループだ」とか、「12ステップは自分で自分を良くするためのプログラムだ」というものです。AAが自助(self-help)グループに分類されたことも、このような誤解が生れた一つの原因だったのでしょう。

アルコホーリクにとって、アルコホリズムという病気がある種の恥辱になることがあります。アルコホーリクでない人にとっては、飲酒をコントロールするのは簡単なことです。しかしアルコホーリクにはその簡単なことができません。コントロールできないことを劣っていると捉え、その恥辱を晴らすためにコントロールを取り戻そうとします。適度な飲酒ができないのなら、完全な断酒というかたちで「コントロールを取り戻した」ことを証明し、自分がことを示そうとするのです。

また、飲酒生活を続けるうちに様々なものを失っていったアルコホーリクも少なくありません。そのことも屈辱 だと捉えるアルコホーリクもいます。なぜならその喪失は(酒のためとはいえ)自分自身をコントロールできなかったがゆえだからです。そこで、その屈辱を晴らすためにも自分自身のコントロールを取り戻そうとする人たちもいるのです。(第二章にはローランド・ハザードが自分自身のコントロールを取り戻そうと苦闘した様子が描かれていました(p.39)

多くの人が、神の役を演じようとして失敗してAAにやってきたのに、AAにきてもなお神の役を演じ続けようとします。自分で自分を良くする手段として12ステップを使おうとします。それは明らかに12ステップの誤用です。

ステップ2がきちんとできているならば、12ステップは自分で自分を助けるプログラムではなく、神に助けてもらうプログラムであることを納得できているはずです第74回

演出家(director)の役目を返上する

次に、これからの人生では、神が指揮者(Director)であり、自分はそれに従うことを決心した。神が主で、私たちはその代理なのである。あるいは神は父であり私たちは子であるといってよい。1)


Next, we decided that hereafter in this drama of life, God was going to be our Director. He is the Principal; we are His agents. He is the Father, and we are His children.2)

また演劇(drama)のたとえが出てきました。私たちの人生という劇です。この劇においては、もちろん私たち自身が主役です。ですが私たちは、その劇の主役をやるだけでなく、(頼まれもしないのに)演出家(director)まで引き受けてきました。それが私たちのトラブル(悩みや苦しみ)の根本原因でした第93回第94回

そこで私たちは、勝手に引き受けていた演出家の役目を返上し、それを神に引き受けてもらうことにするのです。私たちは指示(direction)を出す側ではなく、受け取るべき側だったのです。

ステップ3の「意志と生き方をゆだねる」とは、自分自身を神にゆだねるということであり、自分の生活や人生を神に捧げるということなのです。神の指示(direction)に従って生きていくとも言えます。

これが「どうやって神の助けを得るか」の方法なのです。つまり、自分自身を神にゆだねることによって、神の助けを得ることができ、自己中心性から解放されるのです。

ジョー・マキューもこう述べています:

人生をうまく生きるには神に指揮してもらうとよい。そうすれば、心(精神)は感情的な問題から解放され、その能力を充分に発揮させることができる。神が私たちの生き方を指揮する前は、私たちは自分で人生を指揮していた。私たちは本能を満足させるために、自己を満足させるために生きていた。神は「困ったときの神頼み」だけで使っていたし、自分自身の欲求のために他人を使っていた。本来の人生を生きることは完全な変革である。人生を神が計画したように生きるとき、私たちに幸せ、落ち着き、満足がもたらされる。9)

アルコホーリクが神を嫌うわけ

ですが、多くの人はステップ3に抵抗を感じます。ステップ1でアルコホリズムという深刻な問題を自分で解決できないという情報に絶望し、ステップ2ではそれをハイヤー・パワー(神)が代わりに解決してくれるという情報に希望を持ち、神が存在することや解決して貰えることをとりあえず受け入れました。

だが、ステップ3では、その解決を得るために、自分の意志も人生もすべて神にゆだねることを要求されます。これはステップ1や2よりも格段にハードルが上がっていると感じる人は多いでしょうし、僕もその一人でした。ジョー・マキューらも、こう言っています:

 ステップ3にたどり着くころには、私たちのほとんどは飲酒や他のアデイクションをハイヤーパワーにゆだねる準備ができている。しかし、それ以外の自分たちの生活に関しては、自分でコントロールしたいと思っている。まだ、すべてをゆだねる決心はできていない。

 著者らは、ステップ3にたどり着いたとき神にこう祈った、「どうか私たちの飲酒問題を取り除いてください。でも、その他のことは私たちにまかせておいてください。セックスやお金に関しては自分たちで対処しますので、飲酒にかかわることだけをよろしくお願いします」

 だが、そのような祈りはうまくいかない。飲酒問題は、私たちの意志と生き方の全体の問題の氷山の一角にすぎない。私たちはすべてをハイヤーパワーにゆだねる必要がある。10)

アルコールの問題は解決して欲しいけれど、その他のことは自分の手元に置いておきたい。自分自身の指揮権はあくまで自分に残しておきたい・・・というのがアルコホーリクの考えることです(どうやらそれはアルコホーリクだけでなく、他のアディクションやACや共依存の人たちも同じようだ)。そのような性格特性について、AAの常任理事を長く務めた精神科医のハリー・ティーボーHarry Tiebout, 1896-1966)が「アルコホーリクス・アノニマスの治療メカニズム」という論文に書いており、『AA成年に達する』の巻末に収録されています

・・・内面ではアルコホーリクは、人からであれ神からであれどんなコントロールも我慢できない。彼はみずからの運命の主人であり、そうでなければならない。彼はこの位置を守るために最後まで戦うのである。

 このような性格特徴が多かれ少なかれ持続的に存在することを認めれば、その人にとって神と宗教を受け入れることがいかに困難なことかは容易に理解できる。宗教は神の存在を認めることを個人に要求するが、そのことはアルコホーリクの本性そのものに対する挑戦となるのである。しかし、他方では、ここがこの論文の基本点なのであるが、もしアルコホーリクが自分自身よりも大きな力(Power)の存在を真に受け入れることができれば、彼はまさにそのステップによって、自分の最も深い内的構造を少なくとも一時的に、恐らくは永続的に修正することになる。11)

AAは宗教ではないので、特定の神概念を受け入れることを要求しませんし、そもそも回復のプログラムに取り組むかどうかもメンバー一人ひとりの判断に任されています。しかし、いざ12ステップに取り組もうとすれば、神の存在を真に受け入れることを求められます。そのことが、「みずからの運命の主人であろうとする」アルコホーリクの本質と真っ向からぶつかるのです。

ステップ1で、自分では解決できないことを認められない人たちがいます。ステップ2で、ハイヤーパワーが解決してくれることを信じられない人たちもいます。同じようにステップ3でも、自分を神にゆだねるという考えを受け入れられない人たちもいます。12ステップは単純だけれど、たやすいことではありません(p.20)

次回は、ステップ3の最後の「決心をする」という部分と、実際にどのようにステップ3に取り組むかの説明になります。

今回のまとめ
  • 私たちの悩みや苦しみは根本的に自分から生じている
  • アルコホーリクというものは、自己意志が暴走するという極端な実例だ
  • しかし、たいていのアルコホーリクは自分ではそう思っていない
  • 私たちはこの自己中心性から解放されなければならない(そうしないと飲んで死んでしまうリスクがある)
  • だが、自分ではそれができない(自分の意志では自分の意志に打ち勝てない)
  • 私たちは神ではないので、神の役を演じることをやめなくてはならない
  • なぜなら、それのやり方はうまくいかないからだ
  • 私たちは勝手に引き受けた演出家の役目を返上し、自分の人生という劇(生活や人生)を神に指揮してもらうことにする

  1. BB, p.90[][][][][][][][][][][][]
  2. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.62[][][][][][][][]
  3. merriam-webster, Merriam-webster Dictionary (m-w.com), 2022[]
  4. p.88に「わがアルコホーリクの役者」とある部分の原文は our actor であり、アルコホーリクだけを指しているわけではない。[]
  5. 「もちろんできない」と訳されているが、原文は「完全に自己を捨て去る方法はしばしばなさそうに思われる」という、もう少し弱い表現になっている。[]
  6. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, p.73[]
  7. アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, p.34[]
  8. Joe McQ. and Charlie P., Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive, 2014, p.91[]
  9. ジョー・マキュー, p.151[]
  10. 無名(A Program for You翻訳チーム訳)『プログラム フォー ユー』, 萌文社(ジャパンマック), 2011, p.94[]
  11. AACA, pp.470-471[]

2024-04-05

Posted by ragi