ビッグブックのスタディ (103) どうやればうまくいくのか 15

今回はステップ4の棚卸し表の書き方です。ビッグブックのp.93の続きです。

まず「恨み」に取り組む

第一の犯人は恨み(resentment)だった。それは他の何にもまして、アルコホーリクを破滅させる。1)

私たちの自己(本能)が枠を外れて暴走するとき、それはいくつかの形をとって現われてくる、と前回の説明の最後にありました(p.93)。ここでは、その最も顕著な、そして破壊的な現れ方が恨みである、と述べています。それゆえ私たちはまず恨みの棚卸しを行ないます。

それは私たちを霊的にむしばんでいくすべての原因となった。私たちは精神的、身体的に病んでいたばかりでなく、霊的にこそ病んでいたのだ。1)


From it stem all forms of spiritual disease, for we have been not only mentally and physically ill, we have been spiritually sick.2)

恨みからあらゆる形の霊的な病気が生じてきます。

これまで「医師の意見」から第一章、第二章、第三章と、アルコホリズムという病気には精神的な側面強迫観念と身体的な側面アレルギーがあるという説明が繰り返しなされてきました。しかしその二つの側面だけでなく、私たちは霊的にも病んでいるということが、ここで初めて明らかにされます。つまりアルコホリズムには霊的な側面もあるのです。

霊的(spiritual)という言葉には様々な意味がありますが、ビッグブックや12ステップにおいては、霊的とは「神に関すること」であり、「人と神との関係」を意味します第75回第76回

ですから、霊的な病気とは人と神との関係に問題がある状態のことです。神(あるいは神の意志)は一人ひとりの奥深いところに存在しますが、私たちと神との関係は、私たちの内部にある何らかの障害物によって妨げられてしまっています第87回。つまり霊的な病気とは神との断絶のことなのです。この断絶を解消するために、私たちはこれから障害物を取り除く「掃除」と呼ばれる作業に取り組みます前回。そして、神との関係をいちばん妨げているのが恨みなのですから、掃除はまず恨みから取り掛かるのです。

ポイント

ここにはビッグブックでただ一ヶ所、医学的な病気を意味する disease(疾病)という単語が使われています。ビル・Wはこれ以外のところでは disease という言葉の使用を避け、illness や sick という言葉を使っています。こちら二つは病いや具合の悪さを意味する一般的な言葉です。ビルたちはアルコホリズムは病気であると信じているのですがBB, p.27)アルコホリズムが医学的な病気なのかどうかは医学の問題――すなわちAA外部の問題――であって、それについて意見を持たないというのがAA公式の立場です伝統10。20世紀後半になって依存症が医学的な病気だという認識が社会一般に広がるにつれて、AAもその尻馬に乗った面がないとは言えませんが、基本的な立場は変えていません。日本語では disease も、illness や sick も区別なく「病気」と訳されることが多いため、この点が曖昧になりがちですが、AAはアルコホリズムが医学的な病気であると主張していません。AAメンバーとしての立場から情報を発信する場合には、その点に留意が必要です。ビッグブックでも、医学的な見地からの発言は医師たちにまかせています(「医師の意見」のシルクワース医師、第二章のユング医師、第三章のポリック医師)

ここではアルコホリズムの霊的な側面を霊的な疾病(spiritual disease)と呼んでいます。もちろんスピリチュアルは医学とは違う分野ですから、霊的な病いが医学的な意味での疾病であると主張しているわけではありません。アルコホーリクではない人たちのなかにも、神との関係が断絶して霊的に病んでいる人はたくさんいます。しかしその人たち全員が医学的な病気だというわけでもありません。

このAAの考え方(12のステップと12の伝統)を受け継いだ12ステップグループでは、自分たちの問題が病気だと信じているものの(例えば共依存は病気であると信じているものの)、それが医学的な意味での病気であるという主張を行ないません(なぜならそれは医学が決めることだから)。しかし12ステップ共同体の中には、この基本線からの逸脱を起こしつつある(自分たちの問題は医学的な疾患として認められるべきだという主張に踏み切る)ところがあり、少々気になっているのです。

なお、リカバリー・ダイナミクスは施設用のプログラムであるため、アディクションは医学的な病気であるという主張を明確にしています。3)

わきみちまた、この病気の身体的・精神的・霊的という三つの側面を、それぞれステップ1・2・3に当てはめて、ステップ1はアルコホリズムの身体的な側面を、ステップ2は精神的な側面(狂気)を、ステップ3は霊的な側面を扱っているという説明が行なわれる場合もあります。4) しかし、ビッグブックでは、身体的・精神的側面はステップ1で強調され、霊的な側面はステップ4の説明まで登場しないことを指摘しておきます。

続きです:

だからそれが克服された時、私たちの精神も、肉体も回復した。1)

人は誰でも自己中心的ですが、アルコホーリクは自己意志が暴走するという極端な実例です(p.90, 第100回。私たちは神から切り離されているがために、自分で自分を(そして自分の周りの人たちを)コントロールできると思い込んでしまいます。それが私たちのトラブル(悩みや苦しみ)を産み出しています。その悩みや苦しみが強迫観念をもたらし、私たちに最初の一杯の酒を飲ませ、その酒がアレルギー反応を始動させて、私たちを飲んだくれに引き戻してきたのです。

  • 神からの断絶(この病気の霊的な側面)
    → 自己意志の暴走(コントロールへの幻想・共依存)
    → トラブル(悩みや苦しみ)
    → 強迫観念(この病気の精神的な側面)
    → 最初の一杯の酒(再飲酒)
    → アレルギー反応(この病気の身体的な側面)
    → 飲んだくれ(思いどおりに生きていけない)

霊的な病いを克服するには、自分の中の掃除をして、神との関係を確立すればよいのです。そうすれば、強迫観念が起きなくなります(精神が回復する)し、最初の一杯を飲まなければアレルギー反応も起きません(肉体が回復する)

恨みとは何か

恨み
by ゆめみ愛, from illustAC

さて、日本語の恨むという言葉は、自分に酷い仕打ちをした相手を憎み、やっつけてやりたいという気持ちを指します。これはかなり強烈な感情なので、「自分は誰にも恨みは持っていない」と主張する人もいます。

英語の辞書でも、resent(恨む)という単語の説明には、立腹・憤慨・悪意といった説明が並んでいます。

しかしジョー・マキューたちは、恨むことの本質をその語源に求めました。resentリゼント という単語は、中世フランス語 の resentire から来ています。これは re + sentire に分解できます。5)

re- という接頭語は、「再び」とか「繰り返し」という意味を持つ接頭語 です(e.g. re­play→再生、re­cycle→再循環)。sentire の語源はラテン語の sentire で、意味は feel(感じる)です。6) つまり、恨みとは繰り返し感じることなのです。

少々長いですが、ジョーとチャーリーの Big Book Comes Alive での、彼らの説明を読んでみましょう:

And they do something to me that threatens one of my basic instincts of life. Maybe they put me down in the eyes of other people, and it threatens my self-esteem. Maybe they do something to threaten one of my personal relationships. Maybe they rip me off and steal my money from me. Maybe they do something to interfere with my sex life. Maybe they do something that threatens one of my ambitions for the future.

Now when they do that, that’s a wrong on their part for doing so, that’s not a resentment.
It doesn’t become a resentment until I go over in the next room, or I go home that evening, and I replay that thing in my mind, and I feel the pain the second time.
The first time they did it to me hurt me, but when I go over it and replay it, and feel the pain the second time then I’m doing it to myself now. They did it to me the first time, but I’m doing it to me the second time. And after a while I’ll replay it again and I’ll feel the pain the third time.7)


 他の人たちのしたことで、私たちの基本的本能が脅かされることがあります。例えばさげすんだ目で見られたせいで、私の自尊心が脅かされたのかもしれません。あるいは私の人間関係を脅かされたのかもしれません。あるいは私をだましてを盗んだのかもしれません。何か私の性生活の邪魔をしたのかもしれません。あるいはその人のしたことが私の将来への野心を脅かしたのかもしれません。

 相手がそれをした時、その人の側に誤ちがありますが、そのことは恨みではありません。

 それが恨みになるのは、私が隣の部屋に移ったり、あるいは夕方家に帰って、されたことを心の中で再生して、二度目の痛みを感じる時です。

 最初の時に私を傷つけたのはその人です。けれど、私が後になってそれを再生して二度目の苦痛を感じる時、それをしているのは私自身です。最初にやったのはその人、でも二度目は自分でやっているのです。そして、しばらく後になると、私はまた思い出して三度目の苦痛を感じるでしょう。(拙訳・強調下線は原著)

テレビでスポーツの試合の中継を見ていると、決定的なシーンは後からビデオのインスタントリプレイが行なわれます。野球の本塁上のクロスプレイや、サッカーで相手を蹴った反則シーンなどが、何度も何度も繰り返し、時にはスローモーションで再生されます。

これと同じように、私たちの頭の中にも恨み再生マシーンがあって、今日誰かにされたことを、繰り返し頭の中で再生して、その時の気分を何度も味わい直します。家に帰って、のんびりくつろいだ気分でいても、ふとそのことを思い出すと、すっかり嫌な気分がぶり返してしまいます。寝ようと布団に入っても、そのことを思い出すと腹が立ち、眠れなくなってしまいます。

確かに、そのことが起きたとき、私たちを傷つけたのはその人でした。しかし、頭の中の恨み再生マシーンを使ってそれを再生し自分を傷つけているのはです。恨みはある種の精神的自傷行為 だと言えます。ですから恨みは健全なものだとは言えません。

時には、その人が私たちを傷つけたのは、何年も、何十年も前のことで、もう相手は墓の中に入っているかもしれません。それでも、私たちは恨みを再生し続け、「あの人があんなことをしたせいで、私は今でもこんなに惨めだ」と自分に苦痛を与え続けているのです。

さらに続きます:

And what I’ve found in my life is that I’m not always completely honest with me.
Because it seems as though when I replay this thing, each time I tend to change it just a little bit.
I tend to make what they did to me just a little bit worse.
I tend to make what I did just a little bit less.
I tend to make the pain just a little bit deeper.

And if you let me play it over in my head enough times after a while I can say to myself I was just standing there doing nothing, and they came along and did it to me.7)


 そして私はこれまでの人生で、自分自身に対していつも完全に正直だったわけではないことに気がつきました。というのは、私がこれを再生するとき、そのたびに私は中身を少しずつ変えていました。

  私は相手のしたことを少しずつ悪く変えがちです。
  そして自分のしたことは少しずつ良くしがちです。
  そしてそのたびに痛みが少しずつ強くなっていきます。

 そして私が何度も再生を繰り返していると、やがて私は自分にこう言えるようになります。「私は(悪いことは)何もしていなかったのに、あの人がやってきてこんな(悪い)ことをしたのだ」、と。(拙訳・強調は原著)

なお悪いことに、この恨み再生マシーンには、スポーツ中継のインスタントリプレイにはない特殊機能が付いています。スポーツ中継のリプレイは何度再生しても全く同じシーンが繰り返されるだけです。しかし私たちの恨み再生マシーンは、再生する度に相手のしたことをより悪く変え、最終的には相手を極悪非道の悪人に仕立て上げる機能が付いています。そして、自分自身は次第に無実に、何の落ち度もない善良な犠牲者に仕立て上げていくのです。(つまり恨みは真実ではないし、恨みは正直でもありません)。

そして、恨みを再生し続けていると、「しばらくするとそれが一周して自分に戻ってくる」とジョーたちは主張しています。8) 一周して戻ってくると、それは自分への恨みとなります。自分への恨みは、やがて自己憐憫に変わります。憐憫(れんびん)とは「哀れに思う気持ち、可哀想だと思う気持ちです」ですから、自己憐憫とは「自分を哀れに思うこと、自分を可哀想だと思うこと」です。恨みと同じく、自己憐憫も自己中心的なものです。

私たちは飲んでいた頃、酒を飲みながら自己憐憫に浸っていましたが、今では酒を飲まなくなった代わりにコーヒーを飲みながら恨み再生マシーンのスイッチを押し、自己憐憫に浸っています。時にはAAミーティングが自己憐憫のコーヒーパーティになってしまうこともあります。それほどに私たちアルコホーリクは自己憐憫に浸ることが大好きなのです。

恨みの最悪なポイントは、恨みが私たちの「意志と生き方」を操ってしまうことです。

恨みは時間が経過すれば弱まっていくことが多いものです。その出来事を思い出すことも少なくなり、傷つけられた嫌な気分を味わうことも減ります。そのように恨みが遠ざかっていっても、恨みの相手が目の前に現われると、私たちは途端に恨み再生マシーンのスイッチを押してしまい、以前に相手が自分にしたことを思い出してリピート再生を始めてしまいます。

「自分には恨みはない」と言っている人も、会いたくない人や、会うと嫌な気分になる人がいれば――それが恨みの対象なのですから――恨みを持っているということなのです。

せっかく良い気分で過ごしていても、そういう相手と出くわしただけで(相手は今回何もしなくても)私たちの気分は悪くなってしまいます。そう、私たちの意志は恨んでいる相手の影響を受けてしまうのです。相手が私たちに影響を与えようとは思っていなくても、私たちが恨みを持っているせいで私たちが勝手に相手から影響を受けてしまうのです。

だから、私たちは恨んだ相手と顔を合わせることを避けようとします。家族とけんかすれば、家に帰るのが嫌になります。職場の同僚や上司に恨みを持てば、明日仕事に行くのが嫌になります。AAメンバーの誰かに腹を立てれば、「あいつのいるミーティング会場には行きたくない」という気持ちになります。

僕が近所の人に恨みを持てば、その人と顔を会わせるのを避けようと、その人の家の前を通るのは避けるでしょう。その人が買物に行くスーパーには買い物に行かずに、別の店に買い物に行くかもしれません。

このように、恨みは私たちの行動に影響を与えるのです。僕は若い頃に勤めていた会社にずいぶん迷惑をかけました。だから、その会社の近辺に近寄るのは避けていました。その会社の人たちと会うのが嫌だったからです。ですから、山手線のA駅や、中央線のB駅では降りないことにしていたのです。このようにして、恨みが増えるほど、私たちが自由に行動できる範囲は狭くなっていきます。

私たちはステップ3で、自分の意志と生き方(考えと行動)を自分なりに理解した神にゆだねる決心をしました。「どうぞ私の人生をコントロールしてください」とハイヤー・パワーに頼みました(それがステップ3の祈りの内容です)。しかし、私たちが誰かを恨んでいると、意志と生き方をその恨んでいる相手にゆだねてしまっているのです。そして、「どうぞ私の人生をコントロールしてください」と、恨んでいる相手に差し出してしまっているのです。これはとても不自由な生き方です。

私たちは、自分以外の人たちを支配したりコントロールしようとする生き方からの脱却を図っています第100回。同じように、自分以外の人から支配されたり、コントロールされる生き方も避けるべきです。なのに私たちは、恨みを持つことで、支配とコントロールを受ける生き方を選んでしまっています。

恨みを抱えている限り、私たちはステップ3で掲げた目標を達成できません。私たちは恨みをなんとかしなければなりません。

恨みの棚卸し

恨みの問題に取り組むために、私たちはその内容を紙に書き出した。1)

棚卸しで重要なことは、それを紙に書きとめることです。私たちは自分が書いた棚卸し表を何度も見返して、その中身を分析していきます。またステップ5では、棚卸し表をスポンサーに見せて、一緒に内容を検討します。

「私はミーティングで話すことで棚卸ししている」と主張する人もいますが、話したことはその場で消えていってしまって残りません。だから後から見返すことも、スポンサーと一緒に再検討することもできません。棚卸しに十分習熟するまでは、面倒でも表に書き出すという作業を省くべきではありません。9)

最近では紙ではなく、パソコンのソフト(ExcelやWordなど)を使って棚卸し表を書く人たちもいます。ZoomなどのWeb会議 ツールを使ってスポンサーシップを行なっている場合には、電子メールやオンラインストレージ でスポンサーと共有できるのでとても便利です。

おそらく棚卸し表を見返したり、スポンサーと検討したりすると、表にいろいろなメモを書き込みたくなるでしょう。パソコンのソフトで表の上にメモを書き加えることに慣れているのなら良いのですが、不慣れならばプリンターで印刷してそれに手書きでメモを書き加えたほうがスムーズかもしれません。

ビッグブックでは、94~95ページに棚卸し表のサンプルが掲載されています。以下の説明は、ビッグブックのこのページを開いて参照しながら読むととわかりやすいでしょう。(ちなみに、この表はおそらくは単なるサンプルであって、現実の誰か(ビル・Wとか)の表ではなさそうです)。

第一列

自分が腹を立てている人、しきたり(institutions=団体)、原理などを一覧表にした。1)

第一列の見出し行には「恨んでいる相手」とあります。自分が腹を立てている相手、自分に間違ったことをした人、会いたくない人々、その人のことを考えると不愉快になる人などを書いていきます。サンプルではブラウン氏・ジョーンズ夫人・雇い主・妻の四人がリストアップされています。

棚卸し表とは別に、まず「第一列に載せる人物の一覧表」を作ると良いでしょう。なぜその人に腹を立てているのか、という理由を考える前に、ともかく「気に入らない奴」を思いつくままにこのリストに加えていく、というやり方を採った方が、スムーズに棚卸し表を書けるようです。

institutions は「しきたり」と訳されていますが、これは明らかに誤訳で、何らかの機関や団体のことです。例えば、あなたの税務申告が間違っていると決めつけた税務署や、あなたがいじめられているのに何もしてくれなかった学校や、上司がパワハラをしてくるのに「これはパワハラとは言えない」と事なかれ主義で片付けた人事部や、自分を追い出したAAグループなどの、(個人ではない)人の集まりのことです。

原理とは、個人でもないし団体でもないものです。私たちは人間以外のものに腹を立てることもあります。例えば神に対して、年功序列 という仕組みに対して、性差別 に対して、ことわざや慣用句に対して、あなたが腹を立てているのなら、それもこのリストに加えます。

何人ぐらいリストアップすれば良いか? という質問を受けることがありますが、それに対する基準は何もありません。ビッグブックには最低何人以上書きなさいという指示はありません。最初はこのリストに数人しか挙げられない人もいますが、その人が真剣に棚卸し表を書いていけば、もっと多くの人に恨みを持っていることに気づいて、それを書き加えることになるでしょう。思い出した時点で、いつでもこの表に書き足せば良いのです。また、最初から100人以上の名前を挙げる人もいますが、そういう人は些末な恨みを書き連ねることで、もっと大きな恨みから目を逸らしていることが多いものです。具体的な目安となる人数を挙げれば、その数字が一人歩きしてしまう危険があるのでここでは挙げませんが、自ずとある程度の範囲内に収まるものだと思います。

あなたがスポンサーをやっているなら、スポンシーが棚卸し表をすべて書き終えるまで待っている必要はありません。書けた部分から見せてもらってチェックし、必要であれば書き方をアドバイスした方が良いでしょう。

第二列

そして、なぜ腹を立てているのか自分に尋ねてみた。1)

第二列の見出しには「その理由」とあります。先ほど作った「気に入らない奴」リストから、名前を第一列に書き写し、なぜその人に自分が悪感情を持っているのか、その理由を自分自身にたずねてみます。

理由は一つとは限りません。サンプルの表では、どの人物に対しても複数の理由が並んでいます。理由ごとに別の行に書くことにしましょう(次の第三列は、この理由ごとに書きます)。理由はなるべく簡潔に書きます。

サンプルの棚卸し表の第二列を見てみましょう。

最初のブラウン氏は、どうやら同僚のようで、

    • 妻に気がある
    • 妻に私の愛人のことをしゃべった
    • 職場でも私の職を奪うかもしれない

という三つの理由が挙げられています。そして、その理由ごとに第三列が記入されています。これが基本形と見なして良さそうです。

次のジョーンズ夫人は、この表を書いた人物の友人であるジョーンズの奥さんで、まず、

    • 彼女は頭がおかしい

という理由が書いてありますが、ハイフンに続けて「なぜ彼女は頭がおかしいと思ったのか」という理由を並べてあります。

    • 私を冷たくあしらった
    • 自分の夫を酒のせいで病院に放り込んだ(彼は私の友達なのに)
    • 彼女はうわさ好きだ

本来であれば、この三つの理由に対して、それぞれ第三列が書いてあるべきですが、おそらく紙面の都合で一つにまとめてしまったのでしょう。

三番目の「雇い主」には、理由として

    • 話を聞いてくれない(unreasonable=気まぐれ)、公平でない、威圧的

という理由が書いてあり、ハイフンに続けて「なぜ気まぐれで、不公平で、高圧的だと思ったのか」の理由がありますが、それは、

    • 酒のことと、経費を水増ししたことで、私を首にすると脅かす

からであると書いてあります。

最後の「妻」は、理由として

    • 理解してくれないし、口うるさい
    • ブラウン氏が好き
    • 家を自分の名義にしたがっている

こうして見てみると、第二列には大まかに分けて二種類のことが書かれていることが分かります。一つは第一列に書いた人物への印象です。ジョーンズの奥さんに対しては「頭がおかしい」、ボスに対しては「気まぐれで、不公平で、高圧的だ」という印象が書かれています。それに加えて、相手にそのような印象を持った理由(何らかの出来事や相手の行動)が書いてあります。

第二列に相手に対する印象を書いても良いのですが、印象しか書かないのは良いやり方とは言えません。棚卸しが機能するためには、なぜそういう印象を持つようになったのか、という理由を書く必要があります。――妻が無理解で口うるさいというのなら、なぜ妻に対してそういった印象を持ったのかを書く必要があります(多分これも略されている)

第二列は、これらの例のように端的に書けばよく、細かい事情を書く必要はありません。

第三列

ほとんどの場合、私たちの自己評価財布の中身野心対人関係も含めた)が傷つけられたり、おびやかされているのが原因であることがわかった。それが私たちが心を痛め、激しく怒った原因だった。1)

第三列の見出しは「傷つけられたもの」となっています。傷つけられたり、脅かされているものとして、

    • 自己評価(self-esteem=自尊心)
    • 財布の中身(金銭)
    • 野心
    • 対人関係(人間関係)
    • 性関係

が挙げられています。さらに次のページには、

 恨みのリストでは、相手の名前と傷の内容を対比させた。傷つけられたのは私たちの自己評価、身の安全野心対人関係性の関係……というふうに。10)

とあり、ここでは、

    • 安全(security)

が加わっています(securityを「身の安全」と訳すのは過剰な訳で、単に安全とした方が良いでしょう)

さらには、サンプルの表の第三列「傷つけられたもの」の内容には、妻の行に、

    • 高慢(pride=プライド)

が登場します。

さて、ステップ3で本能について学んだことを思い出しましょう。第96回で安全の本能、第97回で性の本能、第98回で共存の本能について、さらに第99回で感情的安全について学びました。第三列に挙げられたものは、すべてこの三つの本能のどれかに分類できます

    • 安全の本能 ―― 財布の中身(金銭)、安全
    • の本能 ―― 性関係
    • 共存の本能 ―― 自己評価(self-esteem=自尊心)、対人関係(人間関係)、プライド
野心をどう分類するかは人によって解釈が異なります。ジョー・マキューたちは、野心を「本能を満たそうとする計画」として三つの本能それぞれに野心があり得るとしています。他には野心(am­bi­tion)をその意味通りに解釈して、名声や権力を求める欲求、すなわち共存の本能の一部として分類する人たちもいます。

つまり第三列は、自己(self)=本能のどの部分が傷つけられたか、あるいは脅かされたかを書いていくことになります。

この第三列の内容と『12のステップと12の伝統』12&12で登場した本能の概念の共通性を見いだしたのは、ジョー・マキューたちの功績と言えるでしょう。ビル・Wはビッグブックや12&12を著述して出版しましたが、彼は著者であるにも関わらずそれらの内容について解説を加えませんでした。結果として、AAの様々なグループ、様々なメンバーが、ビッグブックや12ステップに対して独自の解説を加え、それを出版することになりました。ビル・Wはそのどれも支持することも反対することもせず、中立の立場を取りました。11) 僕はそうした12ステップの解説書をたくさん読んでいるわけではありませんが、少なくとも僕の知る限り、ジョー・マキューら以前に第三列と本能の関係性に着目した人たちは見当たりません。彼らの「発見」によって、個人の棚卸しは自分の本能(=欲望)の動きを分析するという行いであることがはっきりしたのです。ステップ3と4は欲望を軸につながっていると言えます。

というわけで、第三列には、第二列に挙げた理由ごとに、傷つけられたり脅かされた本能を書いていきます。

傷つく=本能が思うように満たせない

p.94の1行目に「傷つけられた」とありますが、英語では interfered となっています。つまり「邪魔された」「妨げられた」という意味です。つまり、私たちは自分の何らかの本能(欲望)を満たそうと常に思っているわけですが、誰かにそれを邪魔されて自分の思うように本能を満たせなかったときに、私たちは「傷つく」のです(あるいは「脅かされている」と感じるのです)。

ですから、第三列を書くときは「傷つけられた」という見方だけでなく、「邪魔された」「妨げられた」という見方をすると書きやすくなるでしょう。

第三列の見出し「傷つけられたもの」の原文は Affects My: であり、「私のどの部分が影響を受けたか」という意味です。つまり、第一列の人物が、第二列に書いた行動を取ったことで、自分のどの本能が影響を受けたか(妨げられたか)ということです。

徹底して、正直に

私たちは人生を振り返ってみた。徹底して、正直にやることのほかには、何一つ重要なことはなかった。12)

自分の人生全体を振り返って、恨みの棚卸しを書いていきます。ただここで「徹底して」の意味を取り違えてはいけません。これは小さな恨みまで残らず掘り起こせという意味ではありません。私たちは、実は大きな恨みを持っているにもかかわらず、それを無視してこの表に載せず、その代わりに些末な事柄を書き連ねることで、大きな恨みから目を逸らそうとすることがあるのです。

あまりにも根深い恨みの場合、表に載せたところで、「今すぐ」その恨みを解決することはできないかもしれません。解決には時間のかかるものもあります。だからとて、それが無いことにしてしまっては正直だとは言えません。今すぐ解決できなかったとしても、それを表に載せて言葉にしてみることは大切なのです。

アルコホーリクが、自分の親や配偶者(かつての配偶者も含む)などの近しい関係の人に恨みを持っているのは当然です。働いている場合には職場の人たちにも腹を立てているはずです。ある程度AAの活動をしている人ならばAAのメンバーにも恨みを持っているはずです。そういった重要な関係が抜け落ちた棚卸し表が「徹底して、正直な」ものとは言えない、ということなのです。

書いていく順番

さて、私たちが読む日本語のビッグブックは縦書きです。日本語は、縦書きと横書き の両方を使う珍しい言語の一つです(縦横両方使うのは、他には中国語と朝鮮語ぐらいで、他のほとんどの言語の書字方向は横書きのみか縦書きのみです)。

私たちは縦書きの場合には、文字を上から下へと書いていきます。横書きの場合には、左から右へと書いていきます。どちらの場合でも、行末に達したら次の行に移ります。これが自然な書き方です。

ですから、棚卸し表を書くときも、一つの項目を第一列→第二列→第三列と記入し、次の行に移るという書き方をしようとします。

サンプルを例に取ると、まず第一列に「ブラウン氏」と記入し、次に第二列に「妻に気がある」を、さらに第三列に「性関係」と「自尊心」を記入します。そして次の行に進んで、第一列は同じく「ブラウン氏」(省略可)、第二列には「妻に私の愛人のことをしゃべった」を、第三列には「性関係」と「自尊心」を記入します。そして次の3行目に進んで・・・と書き進めていきます。

表が縦書きであれ、横書きであれ、このように各行を完成させてから次の行に移る、というやり方が自然に感じるでしょう。

しかし、ジョー・マキューたちは、そのような順番で書くべきではない、と指摘しています。なぜなら、ビッグブックは違う順番で書くように指示しているからです。

93ページの文章を振り返ってみましょう。まず、

自分が腹を立てている人、しきたり(団体)、原理などを一覧表にした(listed)1)

とありました。listedとは「リストアップした」という意味ですから、まず恨んでいる相手をリストアップします(そのために「第一列に載せる人物の一覧表」を作るというアイデアを示しました)。そして、まず棚卸し表の第一列だけを書いていきます

そして、なぜ腹を立てているのか自分に尋ねてみた。1)

第一列をすべて書き終わったら、第二列に移り、理由を各行に書いていきます(このとき、その人物に対して腹を立てている理由が複数あると、それぞれの理由ごとに行が必要になりますから、第一列に名前を記入したら、何行かあけて次の名前を書くようにした方が良いでしょう。)

ほとんどの場合、私たちの自己評価、財布の中身、・・・1)

さらに、第三列を書いていきます

つまり、まず第一列を全部埋めて、第一列が終わったら第二列にとりかかり、第二列を書き終わったら第三列に移る、という書き方をするわけです。

サンプルを例に取ると、(第一列に)「ブラウン氏」→「ジョーンズ夫人」→「雇い主」→「妻」と書き、第二列のブラウン氏のところに戻って、「妻に気がある」→「妻に私の愛人のことをしゃべった」→「職場でも私の職を奪うかもしれない」・・・という順番で書いていくことになります。

ジョーたちは、12ステップについての著作のすべてでこのことを強調しているので、この順番は大事なことなのでしょう。13) 14) 15) 16)

ビッグブックも、ジョーたちも、この順番で書くべき理由を説明していません。それでも、経験的にはこのやり方が良いことが分かっています。

少なくとも、これは恨みの再燃を防ぐのに有効なやり方です。先ほど述べたように、恨みは時間が経てば遠ざかり、弱まっていくものです。しかしそれは、病気で言えば寛解(remission)の状態にあるだけで、根本的に解決したわけではありません。だから、何かの刺激によって容易に再燃(relapse)しうるのです。

そして、棚卸し表を書くこともその刺激になり得ます。この「恨みの再燃」によって、棚卸し表を書くのを途中で断念したという人もいます。だから何らかの対策が必要になります。この棚卸し表を列ごとに書いていくというやり方は、恨みの再燃に対する完全な対策ではありませんが、かなり有効な対策であり、そのおかげで棚卸し表を最後まで書ききることができたという人が多いのです。この表を書くには、過去にあった出来事を思い出さねばなりませんが、列ごとに書いていくと、関心を向けるべき相手や出来事が次々と切り替わっていくために、その出来事と心理的に距離を保つことができ、それが恨みの再燃を防ぐのに有効なのではないか、と僕は考えています。

もちろん、このような対策を取るにしても、恨みの棚卸しを書いている時期というのは、過去のネガティブな体験の掘り起こしを続けることになり、精神的に落ち込んだりイライラした状態になることが多いものです。AAのミーティングに参加して他のメンバーと交流することで、精神的なサポートを得るのも大事なことです。

いろいろな棚卸し表

94~95ページの棚卸し表は列が三つしかありません。この表ではシンプルすぎると感じた人たちが、この表に手を加えて独自の棚卸し表を作り上げています。そのおかげで、AAのなかでは、実に様々なフォーマット(形式)の棚卸し表が使われています。(多くの場合には、スポンサーが「この形式の表を使ってね」と指定することになるのでしょう)。

ほとんどのフォーマットでは、棚卸し表に列を加えています。例えば、この後で棚卸し表から自分の欠点を見つけることになるのですが、その欠点を記入する列を設ける場合が多いです。恨みの表の場合には、自分が相手から傷つけられたと思っているわけですが、実は自分も相手を傷つけている(害をなしている)場合も多いので、そのための「傷つけたかどうか」をチェックする欄を設けたり、相手を傷つけているならばステップ8・9で埋め合わせが必要になるので、「どんな埋め合わせをするか」を記入する列を加えたり、ステップ6・7で欠点を取り除いてくださいと神に祈ったらチェックを付ける欄を設けたり・・・と、ステップワークを順調にこなすために、実に様々な工夫を加えた様々な棚卸し表が存在します。おそらくあなたも、棚卸しに慣れてくれば、自分用にもっと使いやすい表を作りたいと思うようになるでしょう。

もう一つよくある改変は、各列を細分化することです。例えば、第三列で「自己評価」などと各行に書いていくのは面倒なので、第三列を「自己評価」「対人関係」「金銭」「性関係」などと細分化して、各列にチェックマーク(✓や○)を付けるだけで済むようにしたものです。

どんな表でも、94~95ページに示された三つの列が含まれているのが基本です。ただ、これにも例外があって、例えばバック・トゥ・ベーシックスでは、ビギナーに短時間で棚卸しを体験してもらうために、この表を大胆に簡略化しています。17)

ここでは、一つの例としてジョー・マキューたちが提示している棚卸し表を紹介しましょう。

ジョー・マキューらの棚卸し表
ジョー・マキューらの棚卸し表

これは94~95ページのサンプルを、ジョーたちのフォーマットの棚卸し表に記入したものです。日本語版のビッグブックは縦書きですが、この表は横書きになっています。第一列と第二列については説明の必要はないでしょう。

第三列は、共存・安全・性の三つの本能に分け、それぞれを自尊心(自己評価)と対人関係、物質的安全と感情的安全、公開の性関係と秘密の性関係に分けています。傷つけられたり、妨げられたものは、第三列のどこかの欄にチェック(この例では○)を付けることで記入していきます。彼らによれば、この第三列も各列ごとに(上から下へ)記入していくことが大切だそうです。つまり、まず自尊心(自己評価)の列を各行について記入し終わってから、隣の対人関係の列に移る、というやり方になります。

最初は、自分が傷ついていることは分かっていても、本能(欲望)のどの部分が傷つけられた・妨げられたのかはなかなか分からないかもしれません。第三列を記入するためにも、共存・安全・性の三つの本能について大まかに知っておくことは必要です。ただ、人間の本能や欲望の専門家になろうというのではありません。私たちは棚卸しを通じて、自分の中で本能や欲望がどのように動くのか、だんだんに詳しくなっていくのですが、最初から自分の本能に詳しい人はいません。

第三列へのチェックがきちんとつけられなくても、ともかく棚卸し表を書いていくことが大切です。12ステップは通過儀礼 のようなものではありません。それは生き方(a way of life/living)だとされています。18) 生き方というのは、ずっと続けていくべきものです。だから私たちは、今後誰かに腹を立てたり、傷つけられたと感じたときには、すかさず自分の本能(欲望)のどの部分が妨げられたのかを探るのを習慣にしていきます。なぜなら、今後も私たちが生きている限り、誰かに本能の充足を妨げられ、傷つくことは繰り返されるからです。

自分で歯磨きを始めたばかりの小さな子供は、上手に磨けずにあちこち磨き残してしまいます。でも、大人になっても磨き残してばかりという人はいません。毎日やっていれば自ずと上達するものです(それでも歯科衛生士 の人に言わせれると、ちゃんと歯が磨けている人はほとんどいないそうなのですが、それはともかくとして)。第三列の記入の仕方も同じで、きっと10年後のあなたは、第三列だってすらすら記入しているに違いないのですが――それどころか紙に記入することすら必要なくなっているでしょうが――そうなるまでには、誰かに質問したり、教えてもらったりしながら上達していくしかありません。

棚卸し表を完璧に仕上げようとこだわらないことです。棚卸しは12ステップの一部分にすぎません。12ステップの一部分にだけ熱心に取り組んで、他が疎かになったのでは効果が望めません。棚卸し表を書くことは12分の1に過ぎない、ということを忘れないでください。

ジョー・マキューたちの棚卸し表は、彼らの書籍を日本語で紹介している依存症からの回復研究会のサイトの資料のコーナーからPDFファイルがダウンロードできます。

今回のまとめ
  • 私たちの自己(本能)が枠を外れて暴走するとき、恨みという形で最も顕著に表れる。そこで私たちはまず恨みの棚卸しをする。
  • 恨みとは、過去に誰かに傷つけられたことを思い出して、繰り返し痛みを感じること。
  • 恨みは真実ではないし、正直でもない。
  • 私たちは、恨みを持っていると、恨んだ相手に支配されてしまう。
  • 自由になりたければ、恨みをなんとかしなければならない。
  • 棚卸し表は行ごとにではなく、列ごとに書いていくことが大切。
  • 第三列を書くためには、本能について大まかに知っておくことが必要。
  • 私たちは、大きな恨みを棚卸し表に書かずにすまそうとすることがある。徹底することが重要だが、それは些末な恨みをすべて書き連ねるということではない。

  1. BB, p.93[][][][][][][][][][]
  2. AA, Alcoholics Anonymous: The Story of How Many Thousands of Men and Women Have Recovered from Alcoholism, AAWS, 2001, p.64[]
  3. それが recovery program(12ステップグループの回復プログラム)と treatment(公的資金が投入される施設の治療プログラム)の違い。[]
  4. 例えば、バリー・Cとエドワード・Wによる『リトル・レッド・ブック』ではそのような説明が行なわれている — Anonymous, An Interpretation of THE TWELVE STEPS of the ALCOHOLICS ANONYMOUS PROGRAM, Coll-Webb Co., Pub., 1946, ][]
  5. Merriam-Webster, Merriam-Webster Dictionary (m-w.com), 2020[]
  6. Wiktionary, sentio (en.wiktionary.org) []
  7. Joe McQ. and Charlie P., Joe & Charlie: The Big Book Comes Alive, 2014, p.99[][]
  8. op. cit., p.100[]
  9. 逆に言えば、棚卸しに習熟すれば紙に書くことは必須ではなくなると言える。だがそれでも多くの人が、必要に応じて紙に書き出す作業をしている。紙に書き出すことにはそれだけ大きな意味があるのだろう。[]
  10. BB, p.94[]
  11. ワリー・P(ジャパンマック訳)『バック・トゥ・ベーシックス』, ジャパンマック, 2016, p.18 — 一方で、ドクター・ボブは特定の著作を推すことがあった, ibid., p.23-27[]
  12. BB, p.95[]
  13. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『ビッグブックのスポンサーシップ』, 依存症からの回復研究会, 2007, pp.90-91[]
  14. ジョー・マキュー(依存症からの回復研究会訳)『回復の「ステップ」』, 依存症からの回復研究会, 2008, pp.65-66[]
  15. 無名(A Program for You翻訳チーム訳)『プログラム フォー ユー』, 萌文社(ジャパンマック), 2011, pp.110-112[]
  16. Joe McQ. and Charlie P., pp.102-106[]
  17. ワリー・P, p.99[]
  18. BB, pp.xvii, 12, 20, 63, 74, 91, 114, 121, 141, 143, 166, 171, 180, 195, 223, 232, 233[]

2024-04-05

Posted by ragi