ビッグブックのスタディ (60) 解決はある 11

ビッグブックのp.39からp.42には、「あるアメリカの実業家」と、チューリヒの精神科医カール・ユング医師カール・グスタフ・ユング , 1875-1961)の会話が紹介されています。(Dr. Jungは通常ユング博士と訳しますが、このブログの慣例に従って以下ではユング医師と記します)。

ビル・Wは、ユング医師の診察室で行われたこの会話が、AAの始まりであるとしています。1) アーネスト・カーツは、AAが始まった瞬間を四つ挙げています。AAの創始にとって、どれも重要なできごとでした。2)

時期 出来事 BBのページ
1931年 カール・ユング医師とローランド・Hの会話
pp.39-42
1934年11月終わり エビー・Tがビル・Wを訪問 pp.13-19
1934年12月半ば タウンズ病院でのビル・Wの「霊的体験」と
ウィリアム・ジェームズの(書籍の)発見
p.21
1935年5月~6月 ビル・Wとドクター・ボブの交流 pp.223-227

②のエビーの訪問は第40回第41回で、③のビルの霊的体験については第45回で、④のドクター・ボブとの出会いと交流については第6回で取り上げました。一番最初に起きた出来事の説明が、順番としては最後に登場するところが、ビッグブックの厄介なところです。

ユングによるローランドの治療と再発

まず、ビルの書いたストーリーを辿っていきましょう。

 あるアメリカの実業家は能力もあり、良識に富み、人格者でもあった。彼は何年も、あちこちの病院を転院しながら、もがき苦しんでいた。3)

Roland Hazard
ローランド・ハザード — from Find A Grave

この実業家は、ローランド・ハザードRowland Hazard III)という人物です。彼はすでに第39回に、ビル・Wのスポンサーであるエビー・Tを助けたオックスフォード・グループのメンバーとして登場しました。ですから、ビル・Wにとってみれば、ローランドは「スポンサーのスポンサー」にあたります。4)

ローランドはAAには加わりませんでしたし、ビルと接触したという形跡も残っていません。したがって、ビッグブックに掲載されているローランドのストーリーは、ビルがローランド本人から聞いたものではなく、エビーから(あるいはその他の共通の知人から)聞いた情報の記録だということに留意が必要です。

ローランドは有能で成功した実業家であると同時に、アルコホーリクでもありました。彼はアメリカ国内で、様々な治療を受けてみたものの、どれも彼の飲酒の問題を解決することはできませんでした。彼は最後の手段として、ヨーロッパに渡り、高名な医師の治療を受けました。

この医師の名は、ビッグブックの初版では伏せられていましたが、1955年の第二版で「精神科医、ユング博士(the psychiatrist, Dr. Jung)」と明記されました。(初版では、ユング医師だけでなく、シルクワース医師の名も伏せられていました(第10回))。

ユングによる分析を受けたローランドは、精神的にも身体的にもかつてないほど好調な状態を取り戻しました。さらには、自分の精神の内的な働きについて深い知識を得ることができたので、自分が再発することなどあり得ないと考えました。ところが、治療を終えてユングのもとを離れたローランドは、再び酔っ払ってしまったのでした。

それでも、ユングを深く信頼していたローランドは、再びこの医師のもとを訪れ、単刀直入に、自分がなぜ回復できないのかを尋ねました。それに対して医師は、ローランドはすでに「まったく治る見込みがない(utterly hopeless=完全に絶望的な)」状態に至っていて、もはや医師として彼のためにできることは何もない、とシンプルに答えました。

世界的に有名な医師に「助からない」と宣告されたことで、ローランドは深く絶望しました。これまでステップ1のキーワードは「絶望」であると説明してきました。ここで明らかにローランドは後のAAで言うところの「底をついた」状態になりました。

AAの起源となった会話

それでもローランドは「例外はないのですか」と食い下がりました。

これに対するユングの返答はビッグブックのp.41に書かれていますが、ここではビル・Wの自伝 Bill W. My first 40 years から引用しましょう。

Then Carl Jung made another statement—the one which saved Rowland Hazard’s life and set Alcoholics Anonymous in motion. He said, in effect, “Occasionally, Rowland, alcoholics have recovered through spiritual experiences, better known as religious conversions.”

Brightening a little, Rowland rejoined, “But, doctor, you know I am a religious man. I used to be a vestryman of the Episcopal Church.”

Carl Jung shook his head. “No, Rowland, that isn’t enough. Faith and good works are good, very good. But by themselves they almost never budge an alcoholic compulsion like yours. I’m talking about the kind of religious experience that reaches into the depths of a man, that changes his whole motivation and outlook and so transforms his life that the impossible becomes possible.”

“Well, doctor,” queried Rowland, “if I must have such an experience, where and how do I find it?”

Said Dr. Jung, “That’s something I can’t tell you. All you can do is place yourself in a religious atmosphere of your own choosing, admit your personal powerlessness to go on living. If under such conditions you seek with all your might, you may then find. But the experience you need is only occasional; here and there, now and then, alcoholics have recovered through them. You can only try.”5)


そのときのカール・ユングの発言が、ローランド・ハザードの生命を救い、さらにはアルコホーリクス・アノニマスを発足させることになった。彼はこのような趣旨のことを言った。「ローランドさん、これまでにアルコホーリクが霊的体験によって回復したことが時折あったのです。それは宗教的回心と呼ばれているものです」

ローランドは少し希望を持って、「ならば、先生、私が信心深いことはご存じでしょう。私はかつて聖公会の教区委員を務めたこともあるのです」と答えた。

カール・ユングは首を横に振った。「いいえ、ローランドさん、それでは十分でありません。信仰と善行は良いものです。とても良いものです。しかしそれだけでは、あなたのようなアルコホーリクの衝動を解消することはほとんどできません。私が言っているのは、人間の奥深いところに達するような宗教的経験のことです。それはその人のすべての動機と展望を変え、不可能が可能にするようにその人の人生を変えるものなのです」

ローランドは尋ねた、「先生、私がそのような経験をしなければならないのならば、それをどこで、どうやって見つければよいのでしょう?」

ユングは言った。「それは私に言えることではありません。あなたにできることは、ご自分で選んだ宗教的な雰囲気の中に身を置いて、自分の無力さを認めて生き続けることです。そのような状況の下で、あなたが全力で求めれば、見つけられるかもしれません。しかし、あなたに必要なこの経験は、まれにしか起こらないものです。それでも、時おり、あちらこちらで、アルコホーリクが霊的体験によって回復することが起きてきたのです。あなたもやってみるしかないでしょう」(拙訳)

アメリカに戻ったローランドは、最終的にオックスフォード・グループに加わり、そのプログラムに取り組むことで霊的体験を得ました。ビッグブックでその部分が省略されているのは、ビッグブックがAAのオックスフォード・グループからの分離が進んでいるなかで出版されたものであるため、オックスフォード・グループに関する記述は(初版においては)すべて除かれたからだと考えられます。

ローランドは、1934年の夏にバーモント州でエビー・Tを助けました。そして、11月の終わりに、エビーがビル・Wを訪問し、ローランドから受け取ったものを、ビルに伝えました。当然そのなかには、カール・ユングがローランドに語ったことも含まれていました。

ユングの言葉の持つ意味

ビルにとって、ユングの言葉は、どんな意味を持ったのでしょうか? ビルはこう述べています:

カール・ユング博士はオックスフォード・グループのエビーの友人に、彼のアルコホリズムはもはや絶望的であると宣告し、シルクワース先生も同じ言葉を私に向けた。アルコホーリクであるエビーもまた、まったく同じことを私に教えた。もしシルクワース先生だけがそう言ったのだったら、おそらく私は完全には受け入れられなかったろう。6)

ビルは、自分が絶望的であることをシルクワース医師から聞かされていました(BB, p.11)。しかし、それだけでは彼はその真実を受け入れられませんでした。ところが、エビーから世界的に有名なユングの言葉を聞かされたことで、しかも、それを同じアルコホーリクのエビーから聞かされたことで、「とどめを刺された」と述べています。

さらには、自分と同じように絶望的だったローランドとエビーが、霊的体験によって助かったのだと聞かされたビルは、自分も彼らと同じように霊的体験を得て助かりたいという願望を持つようになりました。そして、実際に「ビルのホット・フラッシュ」と呼ばれる体験したことで、自分が解決を得たという確信を持ったのでした。

ステップ2は、解決とは何かを私たちに教えてくれます。私たちは、それが霊的体験(あるいは宗教的回心)であることを学んできました。それをAAの創始者たちに(間接的に)教えてくれたのはカール・ユングでした。だから、ステップ2は、カール・ユングを由来としているのです。

AAの成立

精神医学は、ある種のアルコホーリク(AAが本物のアルコホーリクと呼ぶ類型)強迫観念からの解放をもたらすことができませんでした。世界的に有名なカール・ユング医師が、そのことを率直に認めた意味は実に大きかったのです。なぜなら、それを聞いたアルコホーリクたちは、「科学は自分たちを救えない」という冷徹な事実と向き合わざるを得なくなったからです。これがステップ1です。

それだけでなく、ユングは、まれに起こる霊的体験(宗教的回心)によって、アルコホーリクが酒から解放されることを説明しました。こうして、アルコホーリクたちにとっては、霊的体験が唯一の希望になりました。これがステップ2です。

ちょうど同じ時期に、アメリカでもヨーロッパでも、オックスフォード・グループという福音伝道活動が盛んになっており、アルコホーリクたちは回心による救いを求めてオックスフォード・グループに加わりました。後にオックスフォード・グループから分離してAAができあがったのは、すでに説明したとおりです。

このときにAAは非宗教化したわけですが、それでもユングの教えた霊的体験の必要性はプログラムの中に厳然と保ち続けられています。

ユングとAAは直接の接点を持たず、影響は間接的なものでした。にもかかわらず、ユングなくしてAAは始まらず、12ステップも存在しなかったと言われるのはなぜか。次回はそのあたりを掘り下げます。

おまけ:ビル・Wの自伝

Bill W.: my first 40 years
Bill W.: my first 40 years

ビル・Wが自伝を著していることは、あまり知られていません。これは1954年に録音されたもので、そのトランスクリプト(テープ起こし)を編集したものがHazeldenから2000年に Bill W.: my first 40 years というタイトルでして出版されました――今回の引用はそこからのものです。(Robert Thomsen による有名な伝記 Bill W. も、このトランスクリプトをベースにしているようです)。

今回のまとめ
  • カール・ユングとローランド・ハザードの間で交わされた会話がAAの始まりであった。
  • ユング医師は、ローランドのようなタイプのアルコホーリクは助かる見込みがなく、唯一希望が持てるとすれば、それは霊的体験(宗教的回心)と呼ばれるものだけである、と伝えた。
  • それはまれにしか起きないが、宗教的な雰囲気の中に身を置いて、自分の無力さを認めて生き続け、全力で霊的体験を求めれば、得られるかもしれない、というユングの助言に従って、ローランドはオックスフォード・グループに加わった。
  • ユングの助言は、ローランドからエビーへ、そしてビルへと伝えられた。
  • 解決は霊的体験を得ることだというステップ2は、ユングを由来としている。

  1. AA, Three Talks to Medical Societies by Bill W., Co-Founder of Alcoholics Anonymous, AAWS, p.10 []
  2. アーネスト・カーツ(葛西賢太他訳)『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』, 明石書店, 2020, pp.74-75 []
  3. BB, p.39 []
  4. ただし、オックスフォード・グループではスポンサーという名称ではなかった。 []
  5. Bill W., Bill W.: My first 40 years, Hazelden, 2000, pp.125-126 []
  6. AACA, p.96 []